新宿のバーにて
星落秋風
(ほしおつしゅうふう)
Song of Despair



 祁山の悲秋の風更けて
 陣雲暗し五丈原
 零露の文は繁くして
 草枯れ馬は肥ゆれども
 蜀軍の旗光無く
 鼓角の音も今しづか。

 丞相病あつかりき。



 新宿三丁目、午後七時。
 使い慣れた町の薄暗いビル群が、既に様々な灯りで彩られていた。大都市は、常に時代と共に変化して行くと言うが、この辺りは以前と特別変わった様子もなく、何処か安心する町並みを見せ続けている。初心には些かの恐怖を以って捉えられた副都心も、見慣れればいつも穏やかな風景だ。
 否、そう思うのは個人の主観であって、人によっては多大な変化を感じているかも知れない。それがこの世の真の姿だ。確固としたものは存在しない。何処の場所にも、切りなく積み重なる時があるだけだ。
 人はその、時の断片をそれぞれの方向から見ているに過ぎない。
 己の目に映る、ほんの僅かばかり切り取られた世界。新宿の地下道の一角。地下鉄出口の壁に寄り掛かっていた当麻は、今、人込みの中から改札を抜け出た征士を見付けた。四方山の止め処ない考え事を一旦止め、彼はすぐにその方へと足を向けた。
「何だよ、わざわざ呼び出すとは珍しいな。気持悪いじゃないか」
 相手が自分に気付くと、当麻はまずそんな憎まれ口から始めた。これがいつもの挨拶、と言うニュアンスは征士にも重々解っているので、彼もまた、
「気持悪いとは失礼だな」
 と、故意に不機嫌な顔を作って見せた。
 けれど実際、彼が当麻を呼び出すのは久し振りだった。仕事を始めて以来、ことれ言う用事がなければ連絡もしなかった。自分も忙しいが、相手も忙しそうだと知ってのことだが、それを思えば、相手の心象が良ろしくないのも頷ける。
 なので征士は、現在こうなった事情をまず話題にした。
「話した通り、伸が旅行に出ているから退屈なのだ」
 切り出された征士の言葉は、果たして真実か否か。数日伸が不在だからと言って、その間しおしおと暮らすほど、征士は神経の細い男ではないだろう。勿論当麻も、まさか本気でそんなことを話しているとは、鼻から信じていない様子だ。嘘とまでは言わないが、相手の誇張表現に当麻は軽口で返す。
「おまえなぁ、旅行ったって三泊四日って聞いたぞ?。それさえ堪えられないなんてのは、甘ったれてる証拠だ」
「堪えられない訳ではない。私は、」
 普段の調子で反論しようとして、征士はふと思い留まった。今日は論戦をしに来たのではない。取り敢えず出会い頭に、自然な会話ができるよう流れを作っただけで、始めから結論する気のない話題なのだ。その意味を込め、
「まあいいんだ、それについてはどうでも」
 征士が張り合う意思を引っ込めると、当麻はやや妙な顔をして返した。
「どうでもって何だよ、おまえには一等重要なことじゃないのか?」
 言われるまでもなく、一等重要なことではある。だが個人の幸福と言うものは、取り巻く社会や人の繋がりに守られ、外側から維持されている面もあると、ある頃から征士は意識するようになった。それなら自分の、或いは伸の持てる世界を大切にすることが、何より重要になって来る。
 優先順位はその時々の判断で、臨機応変に変化を付けることが必要だ。それが長く平和に、人同士の信頼を続けて行くコツだと征士は思っているようだ。だから今は「どうでも」と言えるのだが、当麻が見ている彼等の様子は、また別の側面についてのことだった。
「昔は何でもひとりでできた征士君が、今頃になって依存心に芽生えました。それは伸君のせいです。器用な人間と同居するのは考えものです」
 征士の、言いたくなさそうな話を引き出そうとしたのか、当麻はふざけた口調でそう言った。確かにそんな面もあると言えばある、と言う内容だ。
「敢えて説明しなくともわかっている」
「おやそうだったのか?」
 他の誰かがしてくれることは、自然とやらなくなって行くものだから、それが生活に現れるのは当たり前だろう。ただそれ以前に、そんな例を我々は知っていた筈だと征士は返した。
「それに、目に見えぬ部分では、昔から頼っている所もあったから今更だ」
 するとその点については当麻も、特に言い淀むことなく同意していた。
「それはまあ、みんな同じだがな」
 五人が五人の集団として集められた時。正にその時から、各々の性質の上での頼り合いが始まったようなものだ。当初は気付かなかったその形が、妖邪界に辿り着く頃には明確になっていた。鎧戦士の繋がりは、この世界の縮図と言っても良い。誰もがひとりでは立てなかったことを、今は理解し、今日ここまで大切な仲間として認めているのだ。
 征士と伸の場合は、そこからは少し逸脱したものかも知れないが、基本的には大して変わらないことだと、流石に当麻も疑いはしない。そして彼と征士の間にも、同様に持ちつ持たれつの部分が存在するのだから、それ自体を咎めたつもりはなかった。
 ただ今日、こうして自分を呼び出した征士が、何を考えているのか探っていただけだ。秀が他の仲間にどう話したのか知らないが、励ましに来た態度でもなく、馬鹿にしに来た風でもなく、何処か居心地悪く彼には感じられるからだった。
 そんな、落ち着かない気分を持て余す当麻の傍、
「そう言えば、先週新宿に来た時、不思議と何か足りない印象を受けたのだ」
 征士は全く考えなしの様子で、ふと思い付いたことを口にしていた。
「先週?、新宿の何処だ?」
「東口だ。アルタ前のロータリーから新宿通りを歩いていて」
 地下道を出て歩き出した夜の新宿。丁度眼前に見える銀行の角を左に、真直ぐ歩けばそのアルタ前に通じている。当麻は一度その方向を見遣ると、
「ふーん。東口の方は大した変化はないんじゃないか?。南口は高島屋ができたり、まだ再開発が続いてる感じだが」
 と、歩きながら話した。新宿に新風を吹き込むと話題になった、高島屋タイムズスクエアが開業したのは、確か一昨年の十月だった。二年ほど経過した今では、もうすっかり馴染んだ景色となったが、どちらかと言うとビジネス街だった西口、南口方面が明るく綺麗な商業地となり、以前からの新宿のイメージも少々変わったと思う。
 東口もそれに合わせるような開発をしているだろうか。すると、
「そう、だが、一見大した変化でなくても、意外に違いを意識しているものだ」
 それは大規模な変化ではないと征士は続けた。では、彼は何が気になっているのだろうと、当麻は率直に尋ねてみる。
「何が変わったって?」
「ロータリー前の靴屋がなくなっていた」
「ああ…、何軒かあったよな」
 聞いてみれば何のことはない、新宿通りに軒を連ねていた商店のひとつだと言う。征士が一体何を言いたいのか、その意図は増々解らなくなったが、ただ話として、靴屋が重要な訳ではないことは判った。そして後に続く話で、当麻は漸く話の道筋を見い出すこともできた。
「別に買物した憶えもないが、何気なく憶えた景色がほんの少し変わるだけで、違和感を感じてしょうがないのだ」
 つまり、新宿は思い出深い町だ。短期間で町並みや地形を憶えてしまうほど、濃密な時間を過ごした場所なのだ。それだけに、記憶と違う部分が何らかの感傷、不安、場合に拠っては苛立ちすら感じさせる。そんな心の揺動は当麻にも理解できたようだった。
「新宿は特に、以前の様子が強く残ってるからかもな」
「その通り。ただ、」
 ただと言って、そこで征士は自分なりの感覚を話し始める。
「変わって行くのは当たり前とわかっていても、何処かに拒否したい気持があるようだ。そう感じる時、あまり考えたくはないが、自分が確実に年を取っている気がするよ」
 町にはその時々の顔があるように、人間にもそれぞれの年代の記憶がある。この新宿で最も心を研ぎ澄ませ、偏に情熱を傾けた出来事があり、彼等は正にその渦中に生きて成長した。もうそんな時代は帰って来ない。心の中に変わらず礎として残る記憶だとしても、同じことは二度と巡って来ないと思うと、怖いもの知らずの若過ぎた時代が、確実に遠ざかっていると征士は感じるのだろう。
 それは、別段彼等にだけ存在する感覚ではない。長く住み慣れた家を手放し、それが解体される様を見る時なども、似たような心境になる筈だ。だから決して悪い心の向きではない。
 けれど当麻は、嫌なものを見たような顔をして言った。
「やだねぇ、そんな話は聞きたくないねぇ」
「そうか?。別に老いぼれたとは言ってないぞ?」
「俺はそんな感傷には浸りたくないね」
 それがいつもの当麻の返事、と言えばその通りのような気もする。常に冷静に、情に流されぬ言動を続けるのが彼の個性だ。だが征士は今、この期に及んで往生際が悪いと言うか、当麻の持つ複雑な心理に触れたような気がした。
 前向きな発言とは、ある意味では逃げなのだと。
「随分、余裕がないんだな。聞いた話の通り」
「何の話だよ」
 征士の思うことにまだ気付いていない、相手の様子を見ると、征士はそれについては今は話さないでおく。代わりにこんな回想をした。
「いや…。当麻、憶えているか?。一度阿羅醐を倒した後、ふたりで新宿に偵察に来ただろう」
 その時は遼が動けない状態で、敵方も一度何処かに雲隠れしていた。ナスティの車を借り、情報収集をしようと再び新宿にやって来た。天気の良い日だった。町には再び活気が戻りつつあった。
「ああ。あの時は各所で復旧工事が始まって、普段より騒々しかったな」
 当麻の返す通り、破壊された部分を着々と修復して行く、土建労働者の忙しない動きが、彼等の目には一層活気づいて見えた。その時の新宿は正に再生の勢いで動いていた。
 それと同時に、彼等もまた再生されて行く思いがしただろう。妖邪との決着が着いたのかどうか、怪しく思えた前の戦いを経て、まだこれから戦士としての、進化の余地をふたりは感じていただろう。そんな中で、
「あの時、おまえは『新宿が好きだ』と言った。あらゆるものが混在する様こそ真実に近いと」
「そんなこと言ったか?」
 征士の取り上げた言葉を、当麻自身は憶えていないようだった。恐らく会話の流れで、適当に発した言葉だから忘れている。けれど当時の自分の考察は間違っていない、と当麻は続けた。
「言葉は憶えてないが、まあ真実の定義はそんなところだと思う。多数決じゃない、人の数だけ真実はあるんだ」
 あらゆる姿を否応なく見せ付ける、新宿は魅惑的な真実の町。だから好きだと言ったのだ、と、当麻は改めて思ったけれど、返された征士の言葉には思わず黙った。
「それ故ひとつの、真実と思える側面を過信してはいけない、とも言った。逃げ道を失うからだと」
 今、逃げ道を失っているのは自分だと、当麻が気付くのに時間は要らなかった。そして征士が、
「私は一度失敗している。だがそれ以降は、そうならぬよう努めて来たつもりだ」
 更にそう続けると、漸く相手がそれを言いたかったことにも気付いた。新宿は思い出深い町。ただ懐かしむだけでなく、来る度何かに気付かせてくれる、当初の五人の純粋な志が今も生きている。大人としての智恵が付く度、忘れ行く明るい色彩を思い出させてくれる。
 あの頃自分達は、どれほど無知で無謀で、光り輝いていただろうと。
「それは…賢明だ」
 当麻は一応、自分の言葉を憶えていた征士にそう言ったが、その力ない様子を鼓舞するように、
「賢明だろう?。そうだろうとも、我々の智将が授けてくれた言葉だ」
 と、征士は敢えて茶化して返した。
「なぁ?」
「…何が言いたい?」
 すると征士は、相手の顔を見ながらクスリと笑い、当麻には耳の痛いことを続けた。
「言った本人が忘れることもあるのだなと」
「危機的状況で戦うことと、平和な社会の活動に参加することは違うさ」
「そうだろうか」
 しかし本人は悪足掻きのような弁解を始める。指摘された事実を嫌がる意図もあれば、征士が笑っているのも癪に思うのだろう。当麻は尚も続けて、今更議論しても仕方ないことを捲し立てる。
「何言ってんだ、ろくに考える間もなく戦闘になったじゃないか。差し当たり持ち得るもので、どうにかしなきゃならなかったんだ」
「持ち得るもので勝負する意味では同じだ」
「それはそうだが、」
 そこまで言われてしまうと、暗に「同じだ」と判っている気持が、当麻の次の言葉を躊躇わせた。その隙に先んじて征士はこう続ける。
「ならば、当麻は考え過ぎない方が良い。危機的状況の方が、ひとつに集中できて気楽なのだろう」
 彼がこの場でそう言えるのは、似たような人物が傍にいるからかも知れない。事前にあれこれ考えを巡らすのは、時には不易だと思わせる人が。そう、ふたりは昔からある面で似ていた。思考が深過ぎるのが弱点となり得るタイプなのだ。
 だから征士は、いつも同じ言葉を繰り返しているような、不思議な錯覚を憶えたほどだった。
「何を言ってるんだおまえは」
「無論、私の真実だ」
 新宿だけに、己の真実も相手の真実も見え易い。
 こうして、直接的な言葉は何一つ出さなかったが、当麻が現状悩んでいる就職問題について、愚痴でも何でも聞いてやろうと言う、征士の目的は充分に伝わることとなった。



 そこは明治通りと甲州街道の交わる交差点の、ほど近くにあるビルの四階。特に目立った看板を挙げず、適度に落ち着いた空間を提供する、比較的ビジネスマン向けのバーだった。
 真剣に込み入った話をするつもりはないが、流石に普通の居酒屋では、場合に拠って気分が損なわれかねないと、征士が考え選んだ場所だ。初めて新宿にやって来た十代の頃を思えば、会社の同僚に聞いた良さそうな酒場を、仲間に紹介するなどと言う現実は考えられなかった。過去があるからこそ面白いシチュエーションも生まれる。だからこそ、年を取ることを一概に、嫌なものとして受け取るのは間違っている。
 征士は今そんな現状を楽しんでいた。そして当麻は、順調に年月を受け入れられる彼を、今は羨ましく感じていた。同一線上からスタートした仲間達に対し、何故自分が後塵を拝する立場となったのか、過去の選択を悔しく思っているようだ。
 否、選択を間違えたのではない。周囲の人間が思うより早く大人になってしまったからだ。
「おーい!」
 入口のカウンターに姿を現した、ふたりを見付けると店の奥から、聞き慣れた明るい声が耳に届いた。その声の主を探すと、当麻に取っては一年近く会っていなかった、彼等のリーダーに足早になって歩み寄った。
「遼、元気だったか?」
「ああ別に、久し振りってだけで何もないよ、俺は」
 既に席に着き落ち着いている遼は、征士以上に屈託のない明るい様子で、悩める当麻を迎えてくれた。そんな相手の様子を見ると、殊に当麻には不思議な思いが込み上げて来る。
 遼と言えば、秀と同様に常に試験や進学に悩む立場だった。秀のようにやる気ない態度ではなかったが、勉強に対する根本的自信のなさが、憶えを悪くさせるタイプだった。そんな彼が大学に進学したことも驚きだが、その後順調に、彼らしい仕事に就けていると思うと、人の運命は判らないものだと首を傾げるしかない。
「しかし、遼がナスティの助手になるなんてな、昔を思うと考えられないな」
「まったく」
 遼を前にして、後から来たふたりは苦笑気味に笑っている。
「何だよ、そんなにおかしいか?」
 そう返した遼もまあ、実力で仕事を勝ち得たとは言えないことを判っていて、笑う仲間達に合わせるように笑っていた。そう、実は大学に入学したのも、今の仕事にありつけたのもナスティの尽力あってこそだ。遼の家庭の境遇を気に掛けていたナスティが、裏で色々働き掛けてくれたのだ。
 ただそれは、彼女が遼の真面目さを知っていたことにある。推薦できない性質の人間なら、流石にそこまでしなかっただろう。つまりこれも才能の内、と言える人事例だった。
 しかしそれでも、過去の五人の様子を思うと、あの遼が学術方面の仕事をするとは、今を以っても信じ難い現実だった。
「大学に関わる仕事に就くとは、誰にも100%予想できなかった」
 と当麻が続けると、遼は些か照れ臭そうにこう返した。
「まあな、俺も考えたことなかったが、真面目に発掘のバイトしてたお陰だな」
「真摯に取組んでいれば、自ずと道が開けることもある」
 征士はそんな遼の幸運を、穏やかに喜んでいるようだった。無論仲間の内の誰かが、社会的に苦しんでいると知れば、我が身のことのように辛くなるだろう。彼等はそれだけの繋がりを培って来たのだから、今は自分が足を引っ張っていると、当麻が溜息を吐くのも仕方ない。
 すると早速遼が、
「道って言や、当麻はどうなってんだよ?、就職は」
 歯に衣着せぬ調子で話を切り出した。
「あー…、まあな。色々考えてはいるんだ」
「考えてどうなんだ?」
 まだ、店に着いて十分ほどしか経っていないが、遼のストレートな物言いに、既に当麻はタジタジの様子を見せる。征士は敢えて直接的な話を伏せていたが、遼はこうして明瞭な言葉で尋ねて来る。元より当麻は、遼の相手をするのは苦手だった。真面目な人間だけに、適当にあしらうことができないからだ。
 そんな個性の違いもこの場には必要だ、と言う征士の考えが、この後良い流れを作りそうな予感が生まれ来る。個性の違いと言えば、秀も当麻とは掛け離れた個性だが、秀の場合は聞き役に回ってしまうことが多いのだ。この場は何事にも強い意思を発揮できる、リーダーの言葉が有用だった。
 そして、真剣に尋ねられると答えなければ仕方ない、当麻はぼそぼそと現況報告を始める。
「今すぐ希望の所に就職するのは、専門的に難しくてな。とりあえず卒業まで粘るつもりだが、駄目ならオーバードクターで更に就活を続けることになるな…」
 大学関係者の就職について、多少耳にすることもある現在の遼は、やはり院卒で就職できないとなると、研究学生をダラダラ続けるか、教職を目指すかの二択になってしまうことは知っていた。
「うーん…、当麻ほどの奴が大学で腐ってちゃなぁ」
 純粋に当麻の能力を認めているが故の、遼の発言は妙に重く心に響く。何と言うことはない、カジュアルな言葉遣いが却って、目を背けたい問題を現実に引き戻すようだった。そんな遼の感想を受け、
「だからってこともあるだろう。評価が高ければ比例して高い給料を払うことになる。企業は慎重な採用をせざるを得ない」
 と、征士が補足的な話をすると、途端合点が行ったように遼は言った。
「成程な、学を積むにもリスクがあるんだ」
 正にそれだった。当麻は高学歴者が陥り易い袋小路に嵌まっている。結局、何事もほどほどの人間が一番、社会の中で成功し易いと言われる通りだ。そして、
「わかっていてそうしたのだから、まあ自業自得ではある」
「そうなんだけどな…」
 続けられた征士の言葉には、最早弁解する気もなく頭を掻く当麻だった。大学四年次の頃、既に就職が厳しい状況だったことを知りながら、就職活動にはそこまで熱心ではなかった。何故なら卒論の為に出向いた電算研究所の、研究が面白くて仕方なかったのだ。その時はずっと、それを続けたいくらいに思っていた。幸か不幸か、それに出会うタイミングが悪かったようだ。
 否、その研究所が新卒の募集をしていれば、そのまま就職する可能性もあったが、結局その年は募集がなかった為、やはり不幸だったのかも知れない。
 そして会話は、更に容赦ない遼の突っ込みが続いた。
「で?、当麻はどうしたいんだよ?」
「え?」
「大学に残って、教授とかになることもできるんだろ?。最低それがあるなら悩まなくていいんじゃないのか?」
「いや、まあ、そうなんだが」
 別段意地悪をしようと言う気もない遼だが、無意識だからこそ厄介と言うこともある。完全に防戦一方となった当麻に、そう言えば、と思い出したように征士も続ける。
「確かに。外部に就職できなくてもいい筈だ。本来そのつもりだったんじゃないのか?」
 その点については、秀には話をした筈だが、征士と遼のふたりは聞いていないようだった。就職問題を総合的に見て、今当麻が最も悩まされている事情。同じ立場なら恐らく誰もが、気にせずにいられないことを当麻は真面目に打ち明ける。
「いやだから…。これまで授業料や生活費に随分金が掛かってるし、親の負担が膨らむばかりだろ。いい加減回収したいと思ってるだけで」
 ところが、
「何だ、そんなことか」
 意外に遼の返事はドライなものだった。
「そんなこと、か?」
 遼なら親身に聞いてくれる話題だろうとの、当麻の予想は丸きり外れた。そして、何故そんな反応をされるのか、戸惑う間もなく征士が追随して尋ねた。
「そんなことと言うか、これまで金の心配など一言も言わなかっただろうが」
 そう、この場のふたりにしてみれば、突然降って湧いたような話だった。当麻よりも寧ろ、ふたりの方が拍子抜けな思いをしたようだ。
「だから、大学院に進んで気付いたことだ」
 と当麻は、多少控え目な態度になって返したが、対して征士の言うことはひとつだった。
「だとしたら、今更気付いてどうする、と言う他にない」
「そうだよな」
 遼も当たり前の顔をして同意していた。それ程、これまで親の出資に甘え切っていた癖に、と記憶させる経過があったのだろうか。
 これでは相談にならない、理解もされない、状況の不利に流石の当麻も観念して、
「な、何でそんなに攻撃的なんだ、おまえら」
 と、珍しく泣き言を聞かせると、ふたりは至極真っ当な意見を彼に聞かせていた。
「普通は大学に入る時に気付くことだ。どうせならずっと気付かん方が良かったのだ。普通の家庭を与えられない代わりに、自由にやっていいと約束されていたのだから」
「そうだぜ。俺ン家みたいな清貧とは違うんだし、文句言われることもないだろ?」
「まあ…、そうだが」
 聞けば確かに、気付かない方が良かったと当麻にも思えていた。これまで両親が何故、何も言わず自分の生活を支えてくれたのか、根本的な家族の事情を忘れていた。そして自分の身近な仲間達が、皆社会の中で自ら録を稼いで暮らしていることも、できれば気付きたくなかった。これでは、特殊な家庭環境で育つと何処かズレた人間になると、証明しているようなものだと当麻は思う。
 そんな、生まれに於ける根深い苛立ちから、彼はやや口調を強くして反論する。
「俺には俺なりの考えがあるんだよ!」
 子供に親は選べない。これまでの人生の半分は己の選択だとしても、根底に形成された家族的人格はどうしようもない。今更と言うなら、今更それを責めるなと当麻は言いたかった。
 ところが、攻撃的に思われた征士の口調が変わる。彼は途端に優しく言い含めるように話した。
「だから、考え過ぎない方がいいと言っただろう?。当麻は当麻だ」
 前の、町中での会話を当麻は思い出した。真実の一側面を信じ過ぎると、逃げ道を失うと言う話だったが、そもそもそれは自分が話した言葉だと。そしてそれを知らない筈の遼も、
「そうだな、今の当麻の顔見たら、何を考えても無理って感じだな」
 と言って笑った。まるで何もかも解っているように。
「…そんな顔してるか?」
「何となくさ、昔あった筈の星が、今は消えてなくなったとか言いそうだぜ?」
 遼の例えはなかなか的を射ているかも知れない。その言を耳にすると、当麻は子供の頃に毎晩覗いていた、望遠鏡越しの星空を思い出した。当たり前に存在する星にも寿命があり、生まれては死んで行くと知ったのはいつだろう。それ以外に、隕石の衝突などで突然消える星も当然ある。
 星の一生は人の一生と何ら変わらない。もし今光を消している星があるとするなら、その手前に目隠しとなる他の星があるのか、近くにブラックホールが存在するのか、そのどちらかだと想像できる。そして自分は今正にそんな時なのだと思った。星としては何も変わりがなくとも、周囲の状況が影を連れて来たのだと。
 長い時間の中では、そんな現象が起こることもあるだろう。自分は何も悪くなくとも、人生の影日向は誰にも巡って来るだろう。言われる通り、考えても無駄なことかも知れないと思った。
 足掻き続ける時があってもいいじゃないか。
 仲間達は皆、過去にそんな経験をしたからこそ、こうして笑っていてくれるのだろう。
 いつも君は目覚めが遅いと。
「やれやれ、昔の自信家な姿は何処へ行ったやら」
 この場ではすっかり優位に立ったような征士の嫌味に、もうあまり刃向かうつもりもなかったけれど、当麻は一応彼らしく答えた。
「子供の頃と比較されても困る」
「いや、私は過去のおまえの方が、本当の羽柴当麻だと信じているからな」
「何を言うんだ」
 まあ、人の本質は変わらないとも言える。特に男は女に比べ、成長の切っ掛けが掴み難い生き物だ。いつまでも子供のような万能感を抱き、上ばかり見ている人間がいたとしても、何らおかしいことはない。それもひとつの人生だ。
 遼は、征士の発言をこう言い換えた。
「いいじゃないか、飽きるまで学校に通う方が当麻らしいさ!」
 そう聞くと、悩みながら学生を続けることにも、それ相当の価値があるように感じられた。社会人になれない恥や引け目を感じながら、その屈辱を後のエネルギーとして昇華させて行ければいい。そう生きられればいいだけだ、と、当麻の視界は少しずつ開けて行くようだった。
 急がなくていい、時を重ねるのもいいことだと友は言うのだから。



 星落秋風五丈原。蝕む病と絶望的な戦況を見ている。
 だが己には同胞がある。こんな己を許してくれる世界がある。
 許される状況を最大限に生かすのも、自由な選択のひとつであり、己の真理かも知れない。
 今はそれで甘えておこう、と、当麻は安堵の息の中に思った。









コメント)前の「天降言」の続きと言うか、伸と秀が不在の間の話ですが。今回はカップリング要素なし、と言う暴挙に出てしまった(^ ^;。スミマセン。
ちなみに征士と当麻の会話に出て来た、過去の新宿の会話は「風神雷神」のものです。そう、前にも征士と当麻だけの話を書いてるし、たまにはいいよね。当麻BDだし、当麻のことを書きたくなったもんで。
ところで、この「星落秋風」と言うタイトルは、土井晩翠の「星落秋風五丈原」と言う詩から借りて来ました。冒頭の詩がそれだけど、曲が付いて、過去に軍歌として歌われていたそうです。
ただ、三国志を題材にした詩で、当麻に合ってるかなーと思ったんだけど、調べてみたら何故か今、創○学会の学会歌になってるらしい(- -;。何故に仏教系の新興宗教が…と言う感じですねぇ。



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