予想通り
早花咲月
The March



 東京の大学に通う為、伸の名義で購入された物件は文京区に在った。
 伸がここに住み始めて約四年、征士がここに来て約三年、と言うまだ春も浅いある日。自宅マンションに帰宅するなり、ひどく落ち込でいる伸を見て征士は言った。
「張り切り過ぎなのだ」
「・・・・・・・・」
 三月と言えば雛祭に、ホワイトデーでもある彼の誕生日、春の気配と共に明るい話題が増えて来る時期だ。しかし今の伸にはそれどころではなかった。ある面ではお気楽だった学生生活を終え、仲間達の中では先頭を切って社会に出なければならない。伸は今そのことで頭が一杯だった。
 いつも一歩先を行く彼の立場。
 常に最初に異世界へ踏み出す者として、仲間達には何らかの示しをつけなければ、と責任も感じている。だがそれ以上に、今は鎧戦士でも何でもない、肩書きのない日本人のひとりである自分をどうにか、社会人として成り立たせようと必死だった。
 いつしか大人の年令になり、特別な後ろ盾は何も無くなった。持てる武器と言えば大学で得た知識と、取得した幾つかの資格くらいだ。今思えば、何の取引もなく戦士として選ばれた過去は、例えようのない幸運期だった。苦悩はあれど、そこから得られたものは大き過ぎる程大きい。そして、恐らくもうそんなラッキーは見込めないと、一般人の毛利伸は考えていた。
 そんな思いを強くしていた彼は、内定を貰った企業にこの日から研修に出掛けていた。因みに一部上場企業の経理部だ。就職難の波が押し寄せ始めたこの時期に、ほぼ希望通りの職場に採用されたこともあり、昨夜までは大変な意気込みで、今朝も明るく揚々として出掛けて行った。筈なのだが。
「…何か、こうなることを見透かしてたみたいだな、君?」
 初日から思わぬ失態を晒して、今は征士に八つ当たりしていた。
「やらかしそうって思ったんなら、出る前にひと言言ってくれればいいのに!」



 昨夜、彼等の住むマンションのリビングは妙に忙しなかった。
「スーツも靴も出したし、財布、定期、筆記用具と、ハンカチ、ちり紙…、おっと学生証を忘れるところだった」
 明日の初出勤を控えて、伸はわくわくしながら鞄の中身を確かめている。真面目な彼にしては珍しく、新しい環境への緊張や不安は、あまり感じていないようだった。
 今はまだ希望する企業に勤められることの、喜びの方が大きいのかも知れない。彼は日中美容院へ行き、カットと共に爪の手入れもしてもらった。また普段は適当に済ませるのに、わざわざ持参すると言う弁当材料まで買って来た。この日の為に新調したスーツとネクタイ、小さなくすみすら見えない程磨かれた靴も、既に所定の場所に揃えられている。大した入れ込みようである。
 そんな、些かやり過ぎ感のある様子を見て征士は、
「大騒ぎだな」
「うるさいな〜」
 そう評するしかなかった。まるで子供の遠足のようだと。
 無論伸にそんな意識は毛頭ない。何でも事前に綿密な準備をして、予定通り、計画通りに物事が運ぶよう状況を整えておく、そんな彼のやり方は今に始まったことでもない。それを何故、今更呆れたように言われなければならない?、そんな気持で伸は、
「何でも初日の印象は大切だよ。と言っても君には分からないかも知れないけど?」
 多少意地悪な調子で己の理由を話した。否、征士に限らず多くの者は、伸ほど細かく完璧にやろうとはしないだろう。だから決して征士が無頓着な訳ではない。寧ろ、そこまで気を遣わずにいられることを羨ましく、又は嫌味に感じている表現だった。
 すると、居間のソファで読書していた征士は、
「分からなくはないが、ものは考えようだ」
 と、手にしていた本を置いて返した。彼はもう少し話を続けたそうな意思表示をしていた。
 伸も伸なら、征士のそうした行動も割に珍しい。何れ自分も関わる物事だから興味があるのか、或いは伸の物言いに反論したいのか、その両方かも知れなかった。
「考えよう?、例えば?」
 と伸が、普段使いの鞄の中を漁りながら言うと、征士は至って真摯な様子でこう答える。
「ああ、例えば。セオリー通りに揃え過ぎても、型に嵌まったつまらぬ人間に見えてしまう。職種によって判断は違うだろうが、隙のない人間は意外に好かれない面もあるし…」
 ところが、
「ふ〜ん、なるほどね」
「ん?」
 ごく真面目な話の途中だと言うのに、伸はひどく愉快そうな顔を向けて返す。
「だから隙だらけなのか、君は。ハハハハ」
 まあ、伸から見ればそうだけれども。
「今そんな話はしていない…」
 思わぬ指摘を受けて、征士は少し困ってしまった。そう、見る者がどう捉えるかはまた別の話。征士を「隙だらけ」と表現できるのも、例えば仲間達では伸と当麻くらいのものだろう。それもよく知った間柄でのことで、故に愛嬌として捉えられている。特に親しくもない知人なら、努々そんなことには気付くまい。
 結局、第一印象でどれ程のことが判る?。
 その後の行動の方が余程大事だと、征士はそこで一旦考えに迷ったけれど、
「だがそれもその内だろう。完璧を装う方が有利な時もあれば、そうでない時もあると思う」
 そう続けて、何とか当初の話を纏めていた。
 征士にしても、社会人として世に出た後は、非の打ち所のないエリート像に近付くことを夢見ている。それには実力だけでなくハッタリも必要だと、何かの本で読んだことがあった。企業同士の駆け引きはある意味で騙し合いだ。信用を演じられない者には大きな成功は掴めない、と言うのだ。
 そうした、己の名誉やプライドを賭けたゲームがこの世には存在し、そこに介入できればこそ仕事は面白いだろう、と征士は感じている。ただ、その時の自分の理想像と、新卒社員の自分の想像図はあまり結び付かなかった。
 だから伸には、「その時々で違う」と伝えたのだが、征士の助言に対し、
「じゃあ研修期間の初めての出勤に於いて、完璧だと不利なことは何?」
 ややふざけたように改まって、伸は具体的な回答を求めていた。まず簡単に思い付くのはこんな例だった。
「教えてもらえることが減るだろう」
「それはそうかも…」
 聞きたいことを聞けないのもまずいが、聞かなくとも判ると言った態度は後々困ることになる。学生の間はあまり気にならないが、企業には企業毎の決まりがあって然りだ。親切に教えてもらえることは、一通り素直に聞いておく方が身の為だろう。
 また、征士にはあまり縁のない話だったが、
「それに、この人は何でも器用にやりそうだ、などと思われれば、結局伸の嫌いな『雑用係』が回って来ることになるぞ」
「あっ…」
 伸には最も危惧しなければならないことだった。これについては学校も同じだが、役目をさぼる人間と言うのは何処にでも存在する。そして誰かがその分を片付けなければならない。もし最初からそのような配属にされてしまったら、伸に取っては最悪のスタートとなるだろう。
 そう言えばそうだ、考えてみればそうだ、始めから人の尻拭いにさせられちゃお終いだ。と、伸は今頃になってそう気付いたことに、癪な思いを込めて返事する。
「あー…そう…。って言うか、僕の方が先輩なのに、何で君に意見されなきゃなんないの?」
「いや、」
 突然目付きが悪くなった伸に、征士は一瞬躊躇したが、
「自ら立場を悪くすることはない」
 と、当たり障りない言葉で返していた。本当は「伸は美点を売り込み過ぎる」と言いたかったが、角が立ちそうなので言わずにおいた。
 そんな風に、双方の考える方向は少し、否かなり違っている状態だったが、そこで、
「フ、分かってるよ、君の言いたそうなことは」
 伸が不意に嬉しそうな表情を見せるので、現状は増々混沌として行った。
「そうか…?」
 なんだかんだ言いながら応援してくれている、と伸は思っているようだが、実は征士は違うことを考えていた。伸の理想に現実がそぐわなかった場合、ストレスを溜めて帰って来そうで困る、と案じていたのだ。無論それだから応援している、と言えなくもなかったが。
 そしてそんな征士の心配を余所に、伸はやはり目を輝かせながら、明日への希望を語ってみせるのだった。
「でも、どうにかしなきゃならないだろ、自分をさ。これからは本当に頼れるものが少なくなって行くんだ。世間の荒波に揉まれたら、人の心配ばっかりしてる癖も治るかも知れない」
 それだけを切り取って聞けば、とても良い心掛けだと思う。少なくとも伸は、現実が見えていない訳ではないらしい。
「まあ、そうかも知れないが」
「それなりに苦労も経験して、名実共に大人にならなきゃいけないと思うんだよ。僕の思う理想の姿は、そう言う意欲を表面に表すことなんだけど、それでも駄目だって言うのか?」
 ただそう調子良く続けられると、
「志は結構だ」
 諸手を挙げて賛同できなくなる征士だった。
「何か歯切れの悪い言い方だなぁ?」
「最初から頑張り過ぎない方が良いと言っているだけだ」
 理想を語られれば語られるほど、伸の言う「意欲」が空回りしそうだと予感したからだ。そもそも伸は計画的な行動は得意でも、咄嗟の行動には弱い面がある。故に戦う時も先鋒に立つことはなかった。彼が楽しみに待っている明日、予想もしない何かが起こって、彼が思考停止に陥らなければいいのだが。と征士は暗に願ってもいた。
 伸は心配し過ぎなくらいで丁度良いのかも知れないと。
「君はいつもマイペースでいいよね」
「誤解するな」
「何が誤解なんだよ?。…今日は何か変だよ?」
 この期に及んで、何故判り切ったことを否定するのかと、伸は再び不思議な気持に至っている。あくまで征士の言動がおかしいと感じている、己が普通じゃないとは疑っていないようだ。伸の場合、そんな時こそ危ういのではないか…。
「あーあ、どうして分かってくれないかなぁ?」
 言うなり、持ち物チェックを終えた鞄の口を閉じて、その場を立ち上がった伸はそれでも、楽し気な様子を保っていた。寝仕度をしに洗面所へと向かう、彼の足音が軽快なリズムを床に伝えている。そして征士は、明日の己を思って苦笑いする他なかった。
 結果が良くとも悪くとも、今夜のことは一言言われるに違いないと。
 尚、征士は前々から「マイペースの解釈を間違っている」と、周囲に話したかったのだが、なかなか言い出す機会に恵まれないでいた。しばしば血液型占いなどの字面を鵜呑みにして、常に一定の調子でいるのがマイペース、と解釈する者がいるが、それは感情が安定しているだけでマイペースではない。周囲の流れを気にせず、己の感情のまま行動するのがマイペースである。
 けれど、「だから何だ」と返されそうなので、今日も話さなかった。



「君が早く気付いてれば、こんなことにならなかったのに…」
 ダイニングテーブルに着いて、冷蔵庫から出した缶コーヒーを一気飲みすると、テーブルの上に頭を落として伸はぼやく。まだ暖房が必要なこの時期、冷たい飲み物を欲しがることはあまりなかったが、とにかく気持を落ち着けたい、との伸の考えが窺える様子だった。
 落ち込んでいるだろうし、気分的にも疲れているのだろう。けれど征士は余計な気遣いをせず、今朝方見付けた有りの侭の事実を話していた。
「まさか洗面所に弁当があるとは思わなかった」
 彼が大学の研究室へ向かおうと、家を出ようとしたのは午前九時頃だった。外に出る前に鏡を覗きに行ったが、その時点で伸が出掛けてから一時間近く経過。流石にもう追い掛けることはできなかった。そして、早起きして作ったお弁当は今もそのまま、洗面所の脱衣籠の上に置かれていた。
 うっかり、何故そんな所に置いたのやら。
「何で?、何で僕も早く気付かなかったんだ…!」
 そう、ただ忘れただけではなく、伸は昼時まで忘れたことに気付かないでいた。それに拠って恥ずかしい事態を演じてしまったのだ。
 午前中は、社内を案内されたり、先輩社員の話を聞かされたり、同じ部所の人々に挨拶をしたりしながら、滞りなく時間は過ぎて行った。ちょっとした雑用を手伝ったりもした。その内昼食時を知らせるチャイムが鳴り、新人の案内をしてくれた人は、社員食堂で食べる者と、持参した弁当を食べる者それぞれに、その場所を案内してくれた。
 伸は数少ない弁当組の他の新人と共に、自由に利用できるテラス席へと移動した。が、その段になって初めて忘れたことに気付いた。何故なら弁当包みを入れたバッグは持っていた。しかし中には何故か、口の開いていない洗濯洗剤が入っていた。何の間違いか、などと悠長に考える余裕もなくなった。
 取り敢えず外に出て、何か買って来ようと慌ててその場を後にした。昼時の社屋は多くの人が行き交い、必死な形相で走る者を誰も気に留めていなかった。しかしそんな時に限って運悪く、先程案内をしてくれた新人担当に鉢合わせた。取り乱した様子の伸を見て、心配そうに足早になって寄って来たその人には、流石に嘘を吐くことはできなかった。
 そして、一度は断った筈の社員食堂の席に、後から加えてもらうことになったのだ。当然「どうしたの?」と訊ねて来た周囲の人々。同期の新人達なら誤魔化すこともできたが、先輩方の問い掛けには、嫌でも答えざるを得なくなった…。
「まったく普段の伸らしからぬことだ」
 ダイニングのドア口に寄り掛かったまま、淡々とそう返した征士は、嫌な予感は当たるものだと溜息混じりに笑う。詳細な話は聞かなくとも、昨日の伸からの落差を考えれば、それ相当の事があっただろうと想像もついた。予想できていた分、余計に征士の態度には余裕が感じられた。
 否、考えてみればいつも、後輩である筈の征士の方がそんな態度だから、伸は必要以上に気負っていたのかも知れない。こんな機会だからこそ何か、先輩らしい面を見せ付けてやろうと。
 そんな思いが寧ろ、いつも空回りする原因になっているのだが。
「そう言えば聞かなかったけど、」
 その時ふと、伸は伏せていた顔を横に向けて言った。
「何が誤解だって?」
「は…?。ああ、昨日の話か」
 昨夜の様子からは打って変わって、今は人の理由を聞きたがる伸に戻っていた。それでこそ彼には正解だと思う。なので征士は、それなりに丁寧な調子で説明した。
「いや私の場合、概ね落ち着いて行動できていたとしても、閃きのまま先行して失策を冒すことは幾度もあった。訓練や経験から、行動の前に考えるよう努めているだけで、元々感情が一定な訳ではない。と言いたかっただけだ」
 敢えて「マイペース」と言う言葉は出さなかったけれど、話の背景が読めない伸ではない筈だ。そして、
「ああそう言うこと…」
 と答えた彼は、本来は自分の方が安定している筈なのに、と深く息を吐いていた。
 新たな環境への期待で浮き足立っていたのか、春を感じさせる気候の所為なのか、とかく最近は何事も早足になって、早く次の場面に辿り着きたい気分で過ごしていた。誰にでもそんな、わくわくしながら待つ時期はあるだろうが、それでも普段通りに生活できていたから、特に自分が浮ついているとは思わなかった。
 今思えばそれも誤解だ。
 安定しているのは自分の方でも、客観的な判断力は征士の方が優れている。
 昨日の時点で、最後までちゃんと話を聞いとけば良かったかな?、と伸は後悔した。
「そうだね。色々気張り過ぎて余裕がなかったみたいだ。『何か落ち着きのない人』って思われたかも」
 今は落ち着いてそう話す彼に、征士も穏やかに笑って返した。
「ハハ、伸らしい」
 すると、いつもなら「馬鹿にするな」と怒るところが、落ち込んでいるせいか、伸は酷く静かな顔をして考えている。恐らくこんな時の彼ほど、最も冷静な状態になれる筈だった。そして、今最も恐れている話題を敢えて口にした。
「君が人事担当だったら、どう評価する?」
 さて、伸は真面目に失敗と向き合おうとしていたけれど。
「私なら満点だ」
「…参考にならないだろ」
 話す相手を間違えた。こんな時の征士は問答の相手にはならない、と改めて思うばかりだった。他人がどう思うかを案じるのは馬鹿馬鹿しい。彼は一貫してそうした考えだからだ。
 またそれだけでなく今は、がっかりしている相手を気遣ってもいるだろう。恐らく「もう考えなくて良い」と、征士は示しているに違いなかった。
 まあ、誰かに取っては零点でも、誰かが満点を付けてくれるなら充分幸福なことだけれど。

「もういっか。取り敢えず出掛けるとしよう」
 諦めたように、しかし幾分楽し気にそう言って、伸はダイニングテーブルの席を立った。
「ん?、何処に?」
「元町公園にでもさ。まだお堀沿いの桜はほとんど咲いてないけど、公園の紅梅が満開だったよ。お酒とか少し買い足して行こう」
 つまり忘れて行ったお弁当をどうにかしよう、と言う話だった。
 実はその弁当がまた入れ込み過ぎで、自分が食べること以上に、人に振る舞う目的で作ってあった。故に花見弁当にも成り代わったが、重量的にそれが、洗濯洗剤と釣り合ってしまったのが悲劇だった。
 弁当箱の蓋を開けた時、詳しい話を知らない征士は何を思うか…。
「いや、ひとつふたつ、気の早いのは開いていそうだが、」
 三月の始めと言えど、暖冬傾向の東京の町では、既に開花した桜の話題があちらこちらで聞こえていた。そして征士はフッと笑って、
「今の伸の状況にぴったりだな」
 と言った。
「うるさいな〜」
 ふたりの間にいつもの遣り取りが戻って来た。

 こうして新しいことも変わらないことも、いつも分け合えたらいい。









コメント)社会人になったトルーパー、をこれまでの流れでは書けなかったので、新たに始めたシリーズです。最初なのでかなり軽やかな感じにしました。
で、一応原作基準ものの最後、「Message」の時点に近い話を今回は書きましたが、この「解放区シリーズ」は時間的にガッチリ繋がったものじゃなく、普通の人になったトルーパーズの日常を書いて行くつもりです。「鎧伝シリーズ」と銘打った方が、途方もない方向に進んで行っちゃうので、こっちでひと息つけるように…。
尚「解放区」とは、このサイトに昔あった「征伸解放区」と言うコーナーの、住人だった征士と伸の意味です。今は侍電波チャットに全員います(^ ^)。



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