髪を切る征士
Hair do.
ヘア・ドゥ



 一九九五年の、梅雨も明け切らぬ初夏の昼下がりだった。
「なっ、なっ、なんだってぇ〜〜〜△×◎☆!?」
 征士の誕生日に合わせ、その年も五人はいつものように柳生邸に集まっていたが、和やかな雑談や、有益な情報交換に終わる筈の休日、ダイニングルームに秀の頓狂な声が響いた。
「…そんなに騒ぐ程のことか…」
 その目の前で、あまりにも意外な反応をされた征士は冷や汗をかいていた。
 この年、仲間の内の三人が大学の四回生となり、既に皆就職活動に勤しんでいた。一年早く卒業している伸と、三年制の専門学校を卒業した秀を除き、今年は同じ立場の者同士、話題の尽きない集合となっていた。即ち現在どんな業種に将来性があるか、各分野の新卒募集の状況はどうか、等々。バブルを過ぎた後の就職世代である彼等には、悩み多き一年となっていた。
 嘗ては世界を救う戦いに、志ひとつで身を投じた尊い戦士達も、今は普通の学生の一人として、能力を見られ適性を量られる立場となった、と言う訳だ。
 しかしそんな一般的話題から、人を仰天させる言葉が出て来るものだろうか?。
「どうしたんだ?」
 異様な秀の声を聞き付け、訝し気な様子でダイニングに入って来た遼が尋ねる。
「せ、征士がっ、」
「征士がどうしたの?」
 遼の後に続いて、共に買物に出ていたナスティもまた、妙な驚き方をしている秀を不思議そうに見ていた。酷く深刻そうな様子ではない、無論妖邪の再来でもあるまい、しかし秀は目を剥いて驚いている。対して、机を挟んだ向かいの征士の方は、この状況にかなり困惑しているようだった。
 そこへ、二階の部屋に居た当麻と伸も降りて来て、柳生邸の広いダイニングに一同が集まった後、秀は漸く弛緩するようにボソッと言った。
「…急に髪型を変えるとか言い出すから、びっくりしちまってよ」
「ええっ!」
 彼がやや落ち着いたと同時に、今度は他の者達が固まる番だった。
 否、正確に言うと遼以外の三人だ。話を聞くや否や、当麻、伸、ナスティの三人はポカンと口を開けて止まってしまった。そしてそんな反応を見るとまた、
「だから何故そこまで驚く必要があるんだ…」
 征士は同じような言葉を繰り返すしかない。彼にしてみればほんのちょっとした私事に、異常な反応を示す彼等の方に驚く、と言うところだ。
 けれど事態は彼の予想外の方向へ向かって行く。
「反対!、絶対反対っ!!」
「な…」
 集まる人の輪の中から、伸が乗り出すようにして訴え始めた。
「何故私個人のことを反対されねばならんのだ」
 驚くだけならまだしも、こんな個人の趣味の範疇のことを意見される筋合いはない、との思いで征士は返すが、
「俺も反対〜っ!」
「俺も賛同し兼ねる!」
 続けて秀と当麻がそれに加わり、明らかな反対派三人に対して、征士は不可解な数的不利に追い込まれてしまった。
「何なんだお前達は!?」
 ただただ困惑するばかりで、征士にその三人の考えは全く解らなかった。
 それもその筈。何故なら三人は、征士に良かれと思って反対するのではなく、己の立場を守る為に意見したのだ。つまり、五人の中で一際目立つ存在である征士が、周囲にそこまで不満を与えなかったのは、彼がそれ相当の変わり者だったからだ。見た目に付け性格に付け、普通でないと感じさせる個性だからこそ、人目を惹く存在の強さも許容されて来た。
 しかし彼がもし、見た目だけでも普通レベルに合わせて来たらどうなる?。同列に並ばれると、極常識的な面々が霞むから勘弁してほしい、征士は征士のポジションに居てほしい、と言うのが反対する三人の思惑だった。
 要するに、普通にカッコいいだろうから許せないのだ。
「征士、俺達には俺達の持つ征士のイメージがある。名は態を現すと言うが、今の状態が最も『光輪の征士』らしいと俺達は考えている。それを勝手に変えられては困るんだ」
 と、当麻は取って付けたような説明を聞かせたが、流石にそれに乗せられる程馬鹿ではない。
「当麻、尤もらしいことを言っているようだが、髪を切ったくらいで何が変わるものか、私は私だ。お前の感覚はどうかしている」
 妙な説得を受けていると覚り、些か不愉快そうに征士は答える。すると他のふたりはより感情的な意見で返した。
「でも慣れって大事だぜ?、急に見た目が変わったら、大事な時に間違えちまうかもしんねぇだろ!」
 それはないだろう、と秀の言い分は聞き流す。
「僕は嫌だぞ、片目が見えなくて、物理に反する髪じゃない征士なんて征士じゃないよ!」
 真面目な伸の意見には流石に動揺するが、そんなことを言われても。
「お前達は何故そんなに必死なのか…」
 征士が半ば呆れながら言うと、それまで彼等の遣り取りを面白そうに見ていたナスティが、少しばかり征士の顔を覗き込み、それから暫し考えてこう言った。
「そうねぇ、普通のヘアスタイルになると、ちょっとインパクトがなくなるかも知れないわね?」
 成程、物は言い様だと三人は思う。この件について本心を話す気はないだけに、理詰めでの説得は難しいと思えたが、ナスティの意見はなかなか良い閃きを彼等に与えた。そうだ、一目で覚えられる強烈な個性を誉めるんだ、と、今後はこの方向で話を続けることにしたようだ。
「そうだぜ!、ナスティの言う通りだぜっ?」
「確かに特徴がなくなり、迫力に欠ける印象になるだろう。それは戦士として致命的かも知れない」
「凄みが出せなくなったらおしまいなんだぜ!?」
 秀と当麻は畳み掛けるように言ったが、
「大袈裟だ…。大体、正確に言えばもう戦士ではなかろうに」
 既にまともに取り合う気がなさそうな征士に、何を言っても無駄のようだった。どう考えても、自分がおかしな発言をしたとは思えない。反対する三人の言うことは屁理屈だ、と思えるので、征士は拒絶の姿勢を見せるしかなくなったのだが。
「とにかく僕は反対だから!」
 それでもしつこく念を押すように伸は告げた。こんな時の伸の態度は冷たかった。
「何がそんなに気に入らないのだ!?」
 そして当麻も、
「俺は征士の良識的な判断を期待する」
 冷静にまともでない意見を押し付け、その場を立ち去ろうとしていた。
「あのな…」
 結局何と答えようと、どちらにも取り付く島が見当たらない。何故だか彼等の意思は強固に纏まっている、と、征士は状況に首を傾げるばかりだった。
 だがそこで、一連の騒ぎを黙って見ていた遼が重い口を開いた。と言うか、呆気に取られてこれまで何も言えなかった。
「みんな、何でそんなに反対するんだ?。そんなこと征士の好きにすればいいじゃないか」
 全く以ってその通り。だが、遼のお陰で征士も漸く人に話を合わせることができた。
「と私も思う。話し方が不味かっただろうか?」
 すると、遼ほど戸惑ってはいないが、同様におかしな成り行きを見守っていたナスティが、
「秀に何を話したの?、髪のこと以外には?」
 と征士に問い掛けていた。彼女は秀が何かにカチンと来て、どうでも良いことを騒ぎ出したと想像しているらしい。しかしそれは勘違いだ。
「何も。ただ就職の話をしていただけだ。これから社会人となるのだから、心身共に少しさっぱりしようと考えている、と言って、髪の話になったのだ。それまでは全く普通の調子で話していた」
 征士の説明を聞くも、ナスティの考える状況は想像できなかった。また彼女と共に遼も首を捻るばかりだった。
「う〜ん…?、何だろうな?」
「何が嫌なのかそれじゃ判らないわね。そもそも、当麻や伸はそれを聞いてなかったんじゃないの?」
 ナスティがそんな疑問を呈すると、そこで耳聡く自分の名前を聞き付け、
「とにかく僕は絶対反対だよ!」
 と、わざわざキッチンの奥から主張する声がした。続けて、その伸が何か食べ物を用意するのを、大人しく待っていた秀も、
「そうだぞっ、俺達の良いイメージを壊すんじゃねぇぞ!」
 キッチンの前で大きな手振りを加えてそう言った。彼等がそこまで頑になるのは一体、どんな理由があってのことだろうと、見当も付かない同情派のふたり。但し、
「何か変だよな…?」
「そうねぇ…」
 反対する三人の態度がおかしいことだけは、ありありと感じられているようだった。例えば喧嘩をしているとか、からかわれているだけなら判り易いが、誰もが既に子供とは言えない年令になった現在、それより複雑な状況もあって然りだ。知らぬ間に彼等の間に、解決し難い問題が発生していてもおかしくはなかった。良識的に考えて、それが大人になると言うことかも知れない。
 否、事実は非常に下らない攻防だったが、過去には容姿の差を議論する機会など、ほぼなかったことを考えると、それも全員が社会人として一列に並ぶことの、大人の意識の内と言えるだろうか。
 まあそれはそれとして、遼には言いたいことがあった。
「俺は別に普通の考えだと思う。学生から心機一転って感じだな」
 何故三人が反対するのか知らないが、遼は己の思う通りのことを征士に伝えた。良くも悪くも感じたままのことしか言わない彼は、こんな時にこそ頼もしい存在だった。すると、暫く難しい顔をしていた征士がフッと笑って、
「遼に『普通だ』と評価されるのは不思議だな」
 と返す。確かに五人の中では浮世離れしていると、今は自覚を持っている遼だが、
「ハハハ!、征士は人のこと言えないだろ?」
「フフフフ…」
 彼の言う通りなので、結局みんな笑い出していた。まあ、誰が反対しようと征士は考えを変えないだろう。彼が簡単に意思を曲げないことは誰もが知っていて、だからこの三人は気楽に笑っていられた。この騒ぎは征士に取って大した問題ではない筈だと。
 否、普通でないままで居てくれるなら、誰も問題にしなかったのだが。



 髪を伸ばすのは反抗の印、と言う映画が話題になった時代が存在した。彼等が生まれるほんの少し前のことだ。
 征士はそれを知らないけれど、身の回りの世界を見て、自ずとそのやり方を学んだようなものだった。
 彼の髪型には理由がある、単に変わり者だった訳ではない。幼い頃から厳しく躾けられ、家の掟に縛り付けられていた彼の気持の現れだった。家や家族を憎む程の鬱屈はありはしないが、表立った反抗をしなかった代わりに、常に何処かに「言いなりにはならない」と主張する気持があった。だから彼は一般的な子供や学生のように、型に嵌まることをしなかった。
 無論そんな反骨心もなければ、何らかの事で大成するのも難しいだろうが、変わった人間に見られることは優しい生き方ではない。それでも、彼はそう生きなければならなかったのだ。一剣道場の長男ではなく、光輪の征士と言う個性となる為に。
 けれど今は、もうその使命もほぼ終えていた。これからは過去より長い人生を考えなければならない。親の庇護下にあった時代は、己を主張したい意識を強く感じていたが、今彼はそうは考えていない。大人の社会の中では、正に一年生から始めなければならない。そんな時、反社会的に見える風貌はどうだろうと、彼は自然に考えられたのだった。
 征士に取っての反抗の時代は過ぎた。故に自然な意識で、これまでの姿を変えようと思ったのだが。
「まだ何か言いたそうだな」
 夜も十二時を回る頃になり、既に寝室へ移動済みの遼と秀、風呂場を使っているナスティ以外の三人が、その時ダイニングルームで鉢合わせていた。すると早速征士の問い掛けに対し、
「大体何で髪型を変えようなんて思った訳?。そんなこと気にしてるとは思わなかったよ」
 と、伸は珍しく不満げな態度を露にして話した。こうした口調の伸は、脅し半分の芝居だと判るので、征士は特に気にしなかったけれど、続けて当麻も、
「俺も是非その点を知りたい」
 と、示し合わせたように言った。ふたりして相当入れ込んでいるようだった。
 実際確かに、まだ誰にも詳しい話はしていなかった。最初に秀が大人しく聞き続けてくれていたら、そこで理由を話した筈だった。なので、秀よりは物分かりが良いふたりに、改めて話してみようと思ったのだが。
「大したことではないが…」
 説明しようとして、征士は結局黙ってしまった。
「いや、止めておこう」
 何故なら彼に注目しているふたりの目が、反論する気満々に光っていたからだ。恐らく昼間のような一方的な調子で、「世俗に合わせるとは君らしくない」だの、「今更一般人の振りをして何になる」だの、勝手な理屈を並べて言い負かそうとするに決まっている。征士はそう覚ってしまったので。
 何故なのかは未だ全く解らないけれど。
「何で勿体振るのさ?」
 突然話を止めた彼に、伸が口を尖らせてそう言った。しかし征士は、如何にも議論したそうなふたりに対し、
「そんなつもりはないが、まあ何れ話そう」
 余計なお喋りはせず、それだけ言ってすぐ退散しようと身を返す。
「おい征士、ちょっと待てよ」
 席に着いていた当麻は慌てて立ち上がり、追い縋るように言ったが、歩き出した征士がその足を止めることはなかった。そしてそのまま彼は、己の思うように進んで行ってしまうんだろう、と言う確実な予感ばかりをふたりに残した。
 始めから難しいと感じた抵抗運動は、上手く行かないことが多い。そうと判っていても、人はあらゆる事に抵抗するものだけれど。
 さて、それから征士の革命的事件はどうなっただろう…?。



 夏のある日、
「・・・・・・・・」
 美容院の鏡に映る、これまでと少し違う印象の己の顔をまじまじと見て、征士は思った。
『大して変わっていない…』
 その事実は、彼に取って少々宛てが外れた出来事だった。もう少し落ち着いた企業人のイメージ、或いは一般的な勤労青年のイメージに近付くと思ったのだが。
 それだけに、全く、あんな大騒ぎすることではなかったじゃないかと、前の柳生邸の場面を馬鹿馬鹿しく思わせた。無論アフロやモヒカンにでもすれば、誰もが驚くだけでなく心配しただろうが。

 つまり伊達征士の特異性を現す特徴は髪型よりも、顔そのものにあったことが証明された。









コメント)このギャグ小説は、トルーパー20周年の年の、トルーパープチオンリーで発行した本で、5月6月と続けての新刊だったせいで、短く軽いお話になってます。
しかも実際発行した本の文章は結構荒かった(^ ^;。今回手直ししてかなり良くなったと思います。当時買ってくれた皆様すみませんっ。
とりあえず、征士が髪型をいじるとしたらどんな理由か、を考えてみたお話でした。



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