正月の図
二 人 静
Le Deux



 春はあけぼの、長き眠りを永らへ迎える暁の紫を見つ、春には春の花開く。
 旧暦では、一月は既に春と言う。

ガタガッターン

「あああ!、大丈夫?、伸」
「ど、どうにかね…」
 年末ならまだしも、年明けに倉庫を探るとは何事か。
 頭より高い棚板から、雪崩の如く落ちて来た木箱の類に、伸は半ば埋もれながらも笑って答えられた。同時に舞い上がる埃の中で、見ていたナスティはすぐに、彼を引き上げようと手を差し出していたが、伸は何かを確かめるようにして、暫しの間を置いてその手を握り返した。
 伸の右腕には、先程からふたりが探していた、大きくも小さくも特徴の無い、ひとつの木箱が確と抱えられていた。質の良い古道具を傷付けないように、伸は何とかそれを雪崩から守ったと言う訳だ。雑多な道具類が散乱した倉庫を改めて見回せば、後々それも片付けなければと思うと、全て首尾良く済んだとは言えない状況だった。



 今年の正月休みは、これまでとはひとつ大きく異なる点があった。
 言わずもがな、今年の誰の抱負にも、彼等の戦いに関する内容が見られなかったことだ。無論象徴的な鎧が消えたことで、全ての禍根を断ち切ったとするのは尚早かも知れない。戦う為の絆を失っても、後に残る繋がりが何かしらあるとするなら、その他にも残されたものがあると考えて然り。だが少なくとも今は、彼等の生活から殺伐とした心情は感じられない。こんなに肩の力が抜けた正月を過ごすのは久し振りだ、と誰もが感じていた。
 今日は既に一月四日である。それぞれが実家などで元日の賑わいに触れ、三日の夜には全員がここ、小田原の柳生邸に集合していた。小田原と言えば蒲鉾が有名だが、正月料理に蒲鉾など魚肉製品は付き物故、正にお正月らしい場所柄とも言えた。
 そして昨年から始まった戦士達の新年会。忘年会・新年会には酒が無くては始まらないが、正式に飲酒を許される者はまだナスティひとりだった。まあ、外を出歩かないこと前提ならば、少しばかり嗜む程度は構わないだろう。去年の正月にも既にお屠蘇として、小さな盃を全員に振舞った記憶が、ナスティにはまだ鮮明に思い出せていた。
 そう、昨年通り嗜む程度なら、と彼女は思っていたのだが、
「あっ、ちょっとこれ!、何処から持って来たのー!?」
 居間の絨毯に転がって眠り始めた当麻の横に、空になった一升瓶を見付けてナスティが言うと、
「秀が持ってきたんだよ〜♪」
 と、普段なら口を噤む筈の伸が陽気に答えた。その最初の一声から、事態は殆ど把握できたようなものだった。持参した本人は既にへべれけになっていて、同様の遼と肩を組んで終始にこついている。当麻を除く誰もが上機嫌な様子で、ありふれた、と言えばありふれた酒の席の光景になっていた。今ここで何を言っても、恐らく明日には忘れるだろうと思える程に。
「…まあ、正月だし、人の迷惑にはなっていないと思う」
 唖然として居間の光景を見ていたナスティに、征士は普段通りの様子で説明を付けた。彼が冷静にそう言えるなら、五人はただ気持良く酔っ払っているだけで、そこまで心配するような騒ぎではない筈だった。すると秀は何を勘違いしたのか、征士をビシッと指差して言った。
「迷惑になってねーって!、迷惑はおまえだっ!」
「おまえだ!、…って何だー?、ハハハ」
「アハハハッ、何を言ってもいいんらよ〜秀〜♪」
 又それに対して遼と伸は、まるで噛み合わない受け答えを続ける有り様だ。どちらかと言えば普段は真面目なふたりが、どう見ても完全に酔っていると思えるから、ナスティの心情も理解できなくない。
「私の何が迷惑だ?」
 浮いた様に普通の口調で征士が返せば、秀は自信を露にふんぞり返って答える。
「ばっくれるなよ?、俺の酒を半分も飲んだじゃねーか!」
 訂正。完全に酔っているのは遼と伸だけのようだ。秀は横柄な態度になりつつも、思考が乱れている訳ではなさそうだった。
「そんなには飲んでいない」
「俺は見てたんだ!、誤魔化せねーからなっ!」
「そんな馬鹿なことがあるか、この様子から言えば、私と秀と遼は同じくらいの筈だ」
「いんや絶対多い!!」
 酒飲みが五人寄れば、一升瓶が瞬く間に空になろうと大したことはない。けれど彼等はまだ一応十七才である。それに相応しい会話には思えなかった。
「止めなさいっ!、どっちもどっちです!」
 取り敢えず一言言っておかなければ、という気にもなっただろう。ナスティとて、そこまで法律だのけじめだのにこだわる訳ではないが、この場の様子には少々行き過ぎなものを感じたようだ。これまでの彼等のイメージからすれば、見慣れない状況だったことも勿論ある。これが正義の為に命を懸けて戦った鎧戦士の成れの果てか?、と思えばかなり情けなかった。
 まあ、人間には良い面も悪い面もあり、又、何事も理想通りにはいかないことくらい、ナスティは解っているけれど。
「お正月だからお酒飲んじゃ駄目とは言わないけど、それが元で喧嘩したり、問題を起こした人は追い出しちゃうわよ!」
 けれど彼女の言うことには、変わらず素直に返事ができるふたりだった。
「ふわーい」
「以後気をつける」
 当麻を含めた三人には、取り敢えず他の機会に伝えるしかあるまい。
「追い出しちゃうわよ〜♪」
「う〜、俺が腑甲斐無いばっかりに〜…」
「・・・・・・・・」

 日々を重ね、年を重ね、子供だった彼等が変化して行く様子を見ていられるのは、楽しみと共に気苦労もあるという出来事。その夜ナスティは床に着く前には、
 征士・秀 >遼(量は飲めるが酔う) >伸(ある程度で酔う) >当麻(すぐ寝る)
 と、それぞれの飲酒傾向をすっかり把握するに至っていた。



 昨日の晩、そんな余興的な宴会が行われていたせいか、今朝は些か静かな朝を迎えていた。
 流石に二日酔いするような者はいなかったが、遼などは珍しく、起きてより何処となく気だるい雰囲気が漂っていた。普段寝付きの悪い伸は却ってよく眠れて、今朝はすっきりと目覚めたようだ。効果の程もそれぞれに違うものらしい。
 そして静穏な正月四日の午前中には、ナスティの提案に付き合って、伸は柳生邸の庭の倉庫を粗探ししていた。昨日が羽目を外した酒の席なら、今日は畏まって違う趣向の会を開こうと言う。家の中では征士が、居間のソファやテーブルを一時、ダイニングの方へ移動するように命じられていた。
 何が始まるのかは、セッティングが済んでからのお楽しみというところ。これがナスティの考えた『イメージ回復作戦』であることは、今のところ誰も気付きようがなかった。

 成人式に一度袖を通した晴れやかな振袖を、またすぐに着る機会ができて良かった、とナスティ自身も楽しめていた。柳生邸にはひとつしかない和箪笥から、祖父の持ち物だった大島の着物と羽織りを、一式伸には手渡しておいた。一応伸はナスティと共に、お客を招く側のメンバーになっているからだ。
 その他誰の物だか知れない、年代物の着物の数々を箪笥から引っぱり出して、和装をしたことのない連中に、ナスティは忙しく着付けを指導して歩いた。女性ほど面倒なことはないのだが、全くの初心者に教えるのはなかなか難しい。その様子を見て、ひとりさっさと着替えを済ませた征士が、彼女を手伝っていたのは言うまでもない。
「それじゃ、私が『どうぞ』って言ったら、一人ずつ静かに入って来るのよ?。征士が最初にすることを、みんなちゃんと同じように真似してね」
 漸く身支度が済んだ後、ナスティはそう言い残して居間へと向かった。
「なーなー、何すんだって?」
 ダイニングに残された暫しの退屈の中で、遼が誰にともなく尋ねると、
「かるた大会」
 と当麻は一言そう返して、秀には突っ込みを入れられていた。
「おまえ知らねーじゃんかよ、適当なこと言うな」
 ナスティの合図はそのすぐ後に彼等の耳に届いた。

 普段通りの柳生邸の廊下だが、そこを和服と足袋で歩くのは初めてだった。そろそろ昼時に差しかかる頃だが、こんなに静けさを感じる昼間とは、確かに正月独特のことかも知れない。征士はそんなことをぼんやり考えながら、立ち止まり、まず静まり返る居間の中の様子を窺って、その部屋のドアを静かに開いた。
 すると目に飛び込んで来た風景には、何とか再生させたらしき桐の火鉢の上に、年代を感じさせる重厚な鉄瓶が煙を上げて、その背後には幾分焼けの見られる屏風、壁には初めて見る書の掛け軸、窓際には何処から摘んで来たのか、地味な色合いの茶花が飾られていた。
 伸の座る横には持ち手の付いた、野点用の茶道具の棚が置かれている。まあ、急拵えのセッティングにしては上出来だろう。まず火鉢の炭など何処にあったのか、と考えてしまうからだ。
「新年おめでとうございます」
 ナスティと伸が、ふたり全く揃って三つ指を突き、頭を下げる。
「おめでとうございます、本日はお招き戴きましてありがとうございます」
 そして征士は家でそうして来た通りに、簡潔に挨拶を返して部屋の奥へと移動して行った。もうお判りだろうが『茶会』である。伸には既に看板を取れる程の習い事だが、ナスティも嗜みとして少々習った経験があるようだ。征士は特に教えられてはいないが、祖母や姉がしばしば茶会を開く為に、客として招かれる時の作法だけは知っていた。
 ところで征士がその場に座ると、後に続いて他の三人が次々入って来る筈だが、恐れを為しているのか、なかなかその足音が聞こえて来ない。畏まった場所を苦手としそうな、特に遼と秀の心境は察するに余りあるところだ。なので征士は場繋ぎのように、
「『二人静』のようだな」
 と一言言って笑った。それを見て伸は少し妙な顔をして返す。
「二人静?、って何のことかな?」
「フフフ、それ私達のことかしら?」
 ナスティには話が通じているようだが、伸には何のことやら理解が及ばないままだ。
「魂が乗り移ったように、ふたりで同じ動作をしている」
 征士が詳しく感想を話した後でも、伸は今一つ呑み込めない様子で、話しているふたりを交互に見るばかりだった。
『二人静ってアレのことだと思ったけど…』
 すると話に乗って来ない彼を窺って、
「伸は観たことがない?、お能の演目のひとつよ?」
 ナスティは親切にも彼の疑問を解明してくれた。
「あれ?、そう、『二人静』ってお能もあるのか。僕が思ったのは、お干菓子にも二人静ってあるじゃない、丸くて、ふたつに割れてる…」
「何のことだ」
 今度はそれを知らない征士が質問口調になるが、ナスティはまたも即座に答えられていた。
「ビー玉くらいの大きさで、真ん中からふたつに別れてるお菓子よ。こう、キャンディみたいに紙に包まれてるの。でも多分、言葉の元はお能の方だと思うわ。同じ形をふたつ合わせてあるから、『二人静』って名前にしたんじゃないかしら」
 その説明に拠って、「成程」と納得できたのは征士の方だけである。伸は更に、
「それで?、何で同じだと二人静なの?」
 と、もうひとつ質問をせねばならなかった。それについては、ナスティの勧めのままに征士が簡単に解説をした。
「いや、詳しいことは本でも読んでほしいのだが、二人静の『静』とは静御前のことで、ある時何処かの娘に静御前の霊が乗り移り、自分より先に死んだ源義経の為に舞を踊ったら、その横に更に静御前の霊が現われ、ふたりの静御前が全く同じように舞ったという話なのだ。その場面でふたりの役者が、そっくり同じに舞うのが見所ということで」
「正解です!」
 ナスティは答えられた征士に、よくできました、と言うように笑って見せた。
「へぇ、全然知らなかったよ、お能なんてそう観る機会がなくてさ。でもそれ、教えてもらって良かった。お菓子を勧めておいて由来を知らないんじゃ、接客としては片手落ちかも知れないしね」
 そして伸も素直にほっとした様子を見せて、元のにこやかな表情に変えていた。大した事ではないが一応感謝されている、自分の拙い知識にも多少の価値はあると、征士もやや誇らしい様子で穏やかに笑い返した。
 本来茶会の席では、雑談的な言葉は殆ど交わさないものだが、ナスティの橋渡しと、彼女の発言を含めた能の話題は、この場の会話としてはなかなか似合いのものだった。ここに今顔を合わせる三人だけの内は、厳かで上品な語らいがそれなりに展開されていた。
 常にこんな風情であるなら、何処に出しても恥ずかしくない連中と言えるかも知れない。が、この場合征士と伸が特殊なのであって、現代の普通の少年が馴染める雰囲気とは、遠く掛け離れているのが現実だろう。
「えーと、入っていいのかなー…???」
 いつまでも開かなかったドアの外から、漸く困ったような遼の声が聞こえて来た。恐らくジャンケンで負けたか何かで、最初にここに来ることになったのだ。つまりこの後の展開に期待してはいけない。

「お菓子は一個だけよ!」
 やると思った、と言う顔をしてナスティは秀に言った。菓子皿を回す前から、そう来るだろうと予想はしていたけれど。
「えっ??、こんなにあんのにぃ?」
「とにかく今は一個だけなの!。残りは後でみんな食べていいから、ここでは決まった通りにしてちょうだい?」
 何とか言い含めてそうさせたものの、秀はさっさと包装のセロファンを剥いて、一口で菓子を口に入れてしまった。そしてやや不満そうな顔のまま、しんがりの当麻の前に一応皿を回す。その目は『自分が一個で我慢させられてるんだから、絶対一個以上食うな』と脅すような視線を送っていた。否、このような席で矢鱈なことはできないと、当麻なら始めから判っているのだが。
「すぐ食べてしまわない方が」
 と征士も横から口を挟んだが遅かった。
「…もう食べていいのか?」
「遼はもう良いと思う」
 征士のすぐ次で順番を待つ遼は、菓子を取ったまま何もできずに居たようだ。すると、茶を立てていた伸が茶筅を置いて、無銘だがそこそこ立派な楽茶碗を慣れた手付きで、静かに征士の方へと押し遣る。そしてもう一度深々と頭を下げると、
「どうぞ」
 と一応一言加えておいた。実際は何も言わなくて良いのだが、征士の動作を具に見ている三人に判り易くしたようだ。征士はまず伸に合わせて主催者ふたりに頭を下げた。そして自分に並んだ他の者にも一礼をして、漸く茶碗を手にすると、音をさせずに、その中身を一度で殆ど空けてしまってから言った。
「…結構なお服加減でございます」
 飲み終わった茶碗を自分の前に戻して、もう一度主催者に礼をするとひとつの行動が終わる。これがまあ、標準的なお茶の戴き方である。
「うーん難しい…」
 真横で食い入る様に見ていた遼が、しかしその手順の多さに音を上げるように呟く。
「口に甘さが残っている内に飲むようにする訳だ」
「ああ、だから早く食べたら駄目なんだな」
 恐らくジャンケンに負けたのだろうが、結果的に遼はこの位置で得をしたようだ。判らないことを聞き易い上、行動に迷う様子があれば、まず征士は嫌味でない助言をしてくれるだろう。問題は征士からも主催者からも離れたふたり。
「…今三回ずつ回したよな?」
「多分…」
 秀の確認に、当麻は「多分」と返しつつも、実際確かに三回ずつ回したのを見ていた。ただ、美しく回すことを競う訳ではなく、何らかの決まりがあると踏んで考えていたのだ。まず伸が差し出す時に一度、征士が受取った後に一度、飲み終わった茶碗を戻す時にもう一度…。当麻には茶席だろうと運動会だろうと、謎掛けに思考を巡らすことが最大の愉しみだった。
 そう、まず素人には、茶碗を回すことが特異なものに映ってしまうようだが、回すこと自体が重要な訳ではないのだ。そこに着目できただけ、やはり当麻は優秀と言えるかも知れない。
「あのね、お茶碗には大抵こんな絵や模様が入ってるでしょう?。これを外に向かせるように回すの。二回か三回で丁度良く向くようにね」
 そしてナスティが、金に亀甲のお目出度い図柄を見せなから解説をすれば、確と腑に落ちたように当麻は無言で頷いていられた。無論秀の方はそんな反応はできない。
「丁度良くねぇ…、何でそんな面倒な決まりがあんだ?」
 秀と当麻の違いは、経験上は同じゼロであっても、理屈に於いては雲泥の差があったようだ。
「茶道とは、客をもてなす為の芸術だからさ」
「へ?」
 概念としての茶道ならば、例えば歴史小説には頻繁に登場するだろう。
 殊に当麻の家系の祖であるとされる豊臣秀吉や、それに前後する織田信長、徳川家康、これらの武将達が権勢を誇った陰には、千利休と言う偉大な茶人が存在していた。現代に残る茶道は、ほぼ全て千家の流れを組んでいるのだから、時代小説の記述でも現代にそのまま通じると考えられた。当麻にはそれだけの思考材料が存在する。
 千利休は華美で贅沢な装飾を一切捨て、『わび』『さび』の粋を全国に知らしめた芸術家だ。その背景には、力で他を捩じ伏せることに意を注ぐ、荒々しい戦国時代の価値観に支配された実力者達への、憤りや空しさが存在したのだと思う。彼等に『慎み深さ』の徳を伝える為に、完成させなければならなかった茶道。だから必要以上に頭を下げさせ、低い姿勢を取らせる作法なのだろう。
 考えてみれば、何もかも何処かで聞いたような話。自分も含められたような話だと、当麻は珍しく真摯に受取っている。
「そういうことだけは良く知ってるのよ、当麻は」
「ハハハ」
 ナスティのからかい口調も笑って流せていた。まあ、戦国時代なら武人が茶を嗜むのは当然、そんな場に自分が参加するのは良い経験だと思えたようだ。
「どういう意味だ?」
 もてなすと言われてもピンと来ない遼は、もうすっかり無理を止めて征士に尋ねていた。
「ん、使う茶碗もひとつの芸術品だからな、人にそれが見えるように気を使うのだ」
「あ、そうか、それが他の客に対する礼儀なんだな?」
 白紙である者には却って、それらの理屈が呑み込み易い時もある。元々遼は、そこまで我の強い性格ではないからかも知れない。そんな遼の様子を微笑ましく見ると、伸は茶碗を勧めながら話した。
「お茶碗だけじゃなくて、部屋に置いてある物はみんな、お菓子のひとつひとつもみんな計算されたものなんだよ、遼」
 言われたところで判らないかも知れないが、正月に向いた茶碗、正月に向いた掛け軸の言葉、時期の花と認められる茶花、季節に合った菓子と時候の挨拶、それら全てを揃えて楽しむのが茶道なのだ。つまりそれが最高のもてなしだと説明している。そしてこの国に長く伝わる、人間の美徳とされるものが凝縮された作法でもある。
 毎日とは言わない、全て理解しろとは言わないが、たまにはそんな静寂の総合芸術に触れてみてよ、といった伸の気持は、遼には確と伝わったらしい。
「ふーん。…あ、いただきます!」
「クスクス」
 いただきますは言わなくていいのだが、落ち着いて頭を下げられた遼は、この場でほんの少し成長したようだ。

「…このまんまじゃ苦いぜー…」
 明ら様に眉間に皺を寄せた、秀には決まりなどまるでお構いなしのままだ。
「これでも薄茶だよ」
 公開の場で振舞われるのは大概が薄茶なので、伸は始めからそれしか点ててはいない。飲み付けない者にはそれでも苦く感じる時があるが、秀は菓子を食べるのが早過ぎたのだ。
「俺『抹茶ミルク』とかは好きだけどさー」
 まさか最初から砂糖と牛乳を入れろとでも言うか?、と伸は吹き出しそうになりながらも、最後のお客様へのお茶を立てている。すると、
「邪道」
 当麻は一喝するように言って、涼しい態度で自分の順番を待っていた。
「邪道って、知ったようなこと言うじゃねーかよ」
 否、既に当麻の意識と秀の意識はかなり隔たりがあった。何故だか先程までの、様子見な態度を改めている当麻、振り返れば何処となく余裕が感じられる遼。僅かの間に自分だけが浮いている状態になったと、漸く秀は気付いたようだ。
 けれど、今更合わせようとしても仕方がないと彼なら思う筈。この場合「今日は勘弁」と言う態度で通すのも、秀の性根が歪んでいないことの現われだと知っている。
「…あー、腹減った」
「まったくもう…」
 呆れて額を押さえながらも、決してナスティは怒っていなかった。



「ナスティ、ナスティ、もう残りの菓子を食ってもいいんだろ?」
「もうお昼だから後にしたら?」
 思い付きから初めて開かれた、一時間弱の形ばかりの茶会もお開きになり、既に大方用意してあった昼食に手を入れようと、彼女がキッチンに入ったのは午後一時前だった。しかしこの時間にはもう、腹の虫が治まらなくなる者も居て然り。秀はわざわざ自分から、菓子の乗った皿を下げて来たところだった。
「あーっ!嘘つき!、食ってもいいって言ったじゃねーかー!」
 そしてそこまで騒ぐ秀も珍しかった。余程お腹を空かせていたのだろう。勿論この程度のことで暴れられてはかなわない。
「…いいわよ」
 結局溜息を吐きつつも、ナステイは「許可」と言う顔をして笑った。
「おい、全部おまえのもんじゃないぞ」
「残りはみんな食っていいって、当麻もちゃんと聞いてただろー?」
「秀だけにとは言わなかった筈だ」
 そしてまたどうでも良いような、良くないような言い争いが始まっていた。いつものことと言ってしまえばそれだけだが、集まれば何かしら騒動になるのは頭が痛い。年と共にもう少し背伸びをするような心境には、ならないものかとナスティは疑問に思う。
 それでも、元気がないよりはマシかも知れない。彼等が魂の抜けたような、覇気のない姿になって現われた日には、それこそこの世の終わりに感じるかも知れない。それ程にまだ、何らかの輝きを持って存在している元鎧戦士達。
 騒ぎこそあれ、楽しいと感じられる内は幸福だ。そう言えば茶道具にも、『楽』の心が多分に含まれているとナスティは気付く。気付けば、時の移り変わりを楽しむことの、真の贅沢を思わざるを得なかった。身の回りの自然な様子を具に感じて楽しむ、それが利休の真骨頂であり、もてなされているのは常に己なのかも知れない、と思った。
「痛てっ、おまえら喧嘩は外でやれよ!」
 不意に後ろから肘を受けた遼が、遂に憤慨して声を荒げ始めている。
「加わっちゃ駄目よ、遼!」
 そう、こうして居られるのも、長い長い歴史の中のほんの僅かなのだから、充分に細やかな神経を使って過ごしても、お釣りが来る程の幸運だと、今は考えることにしよう…。

「…騒がしいな。結局最後はいつもそうなる」
 居間を片付けていた征士が、ふと止まって広間の様子を窺った。
「みんなに大人しくしてろったって無理だよ」
 征士の行動には特に気を留めず、伸は茶道具を片しながら返している。
「ナスティの思うようにはいかないな」
 と、征士は些か無責任な調子で笑った。何故ならここに残ったふたりは、ナスティの考えから外れない面子だからだ。この柳生邸に於いて優等生の立場だと言える。拠って征士は常に、多少の余裕を持って状況考えるようだが、
「そうでもないんじゃないの?」
 伸の考えは違っていた。
「馬鹿な子ほどかわいいって言うし」
 それは仲間達へ弁護ではなく、自己に対する哀れみのように聞こえた。
 ナスティの理想が何であれ、彼女にも自分達と同様に、気の置けない家族的な仲間が必要だと感じている。それについては誰も異を唱えまい、皆同じくらい彼女の存在を大切に考えているだろう。だが反対に、手を焼く者ほど印象に残る、卒のない優等生など記憶に残る存在ではない。同じ考えで居る者の中で、仕方のない不公平が生じていると、伸は言いたいようだった。
 幸か不幸か、我を押さえることばかり教えられて来た所為だと。
「んー…」
 征士は否定も肯定もしなかった。頭痛の種である存在に、後々愛着が沸くことがあるのは解る。そして伸の言うように、ナスティから見て扱い易い立場の者は、ある意味ではどうでも良い存在なのだろう。しかし、だからなのか、己には心情的に裏切っている部分があると征士は知っている。目に見える場面で不満が出なければ、心で何を思うも勝手だと解釈している。
 表面で歯向かうのと、内面で従わないのと、どちらがより理想的かは判断がつかない。ただ少なくともナスティを思う仲間の内で、悪意は存在しないのだから、他と比較した自らの立場に落胆する必要もない、と征士は考えていた。
 広間に戻った三人よりも、やや多く生活の自由が与えられる分、彼女の視界から消えている時間も長い。それだけのことではないだろうか。取りも直せばそれだけ信用を得ている意味なのだ。
 ある者には印象を残せないとしても、君を見ている人間は他に居るだろう…。
「…そう言えばもうひとつあるんだよ、『二人静』って花が」
 広げたお道具をすっかり箱の中に納めると、伸は静かにその場を立ち上がって、思い出したようにそう言った。実は花の名前でもあると、最初から気付いていたのだが、それとお干菓子とは意味的に大差がなかった為に、出しそびれた話題になってしまった。それはつまり、
「花と言うより草だろう、あれは」
「あ、流石に知ってたか」
 共通して知っている『二人静』だった。
 すると征士は横を向いて立つ伸の、両腕を掴んで自分の方に向かせると、こつんと額を合わせて言った。
「こう言う感じだな?」
 それは葉の上に二本の茎だけが伸びる、その花の珍妙な様子を真似したのだが、和服を身に着けている所為か、傍目からは『抱き茗荷』の紋のように見えた。些細な指摘ではあるが。
「クスクス」
 けれど、伸にそれが通じているなら問題はなかった。共通の理解に根付く者は、易く繋がれると今は経験的に知っていた。

 春には春の花開く。
 何にも同等の命があるとお釈迦様も言っている。
 即ち同等の幸福があると。









コメント)何しろ新年ですから、それらしいものを書きたかった訳で。でも茶会の話を書こうと思っただけの割には、随分枝葉が付いたような気が。特にナスティについて、こんなに書く事になるとは予想外だったけど(笑)、静と動と中間、みたいなコントラストが楽しかったです。書いてる本人は。



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