新宿の空…らしい
風神雷神
Blowin' Thanderin'



 何事も無かったように、人は何食わぬ顔をして歩いているけれど、その平和を影で支えている誰かに、思いを馳せる者はそうそう居ない。否、そんな事は気にならない方が良い。異変に気付かず暮らせる内が、人間に取っての晴れの時間だ。

 真夏も過ぎて、一時の大破壊から復興していく新宿。行き交う人も、車も、都会独特の煤煙や埃っぽい匂いも、何も変わらない様子を見せているが、そこには確かに、世界を震撼させる出来事があったのだ。真実は誰にも解らない、何処にも記録されていない。けれど極僅かの者には、紛れも無い苦悩の現実だった。そんな事が、この世にはあり得るのだ。誰もが正しく、誰もが誤っている。
「ここはもういいだろう、行こう」
 先程まで彼等が居たビルの建設現場には、黒光りする鉄骨の骨組みを透かす、傾きかけた陽が斜に光彩を放っていた。まだ日は長いとは言え、そろそろ、柳生邸に集う仲間達の所に戻ろうと、征士はもう一人の鎧戦士に声をかける。
「そうだな…」
 当麻は一言そう返すと、渋々といった様子で車に乗り込んだ。何処か、後ろ髪を引かれるようなそんな面持ちで。

 戦いの時は過ぎて行った。妖邪帝王を名乗って現われた敵も、その禍々しい巨大な城も、今はすっかりこの街から姿を消してしまった。残されたのは破壊された町並みと人々、そして「本当にこれで終りなのか」と、戦士達の心に引っ掛かる疑問。拭い去れない疑問。
 今目の前にある平和な都市の姿。この結果を得る為の戦いには、並々ならぬ苦労があって然りだ。戦士達は持てる力の全てを出し切って、戦いに挑み、勝利を勝ち取った筈なのだ。けれど終わってみれば、善悪二者の真っ向勝負の、至極単純な結末だとも感じられていた。近代に起こった紛争、戦争の内容を考えても、これで全てが終わりとは思えない単純さだった。
 そもそも彼等に与えられた鎧は千年の昔から、人間の潜在的な憎悪の力と、それを押さえる心と技を伝えにここに復活した。まだその全貌は正確に把握できない段階だが、それ故に、少年達の若く未熟な魂からでは、全ての歴史を受け取められたとは、到底思えない。
 因縁と怨恨の具現化した、鎧と言う道具を身に纏う意味もまだ解らない。鎧そのものが何であるかも、まだ想像の域を脱しない。そして力を得ることの嬉しさよりも、この運命に搦め取られた心を、負担に感じる時がやって来そうな予感がしている。誰もがそれを薄々気付き始めていた。
 一度動き始めた歯車は、そう簡単には止まらないだろう。鎧戦士としての物語はまだ、ほんの始まりの部分を迎えたに過ぎないだろう。
 そう、新たに現われた白い鎧。それが全てを物語っていた。

「ちょっと止まってくれ、征士」
 それまで大人しく助手席に座っていた当麻は、ずっと窓の外の景色を眺めていたが、ふと目蓋を閉じて征士に告げた。
「…何か見付けたか?」
 当麻の様子を特に気にしていなかった征士は、発せられた言葉を真面目に受けて、車を路肩に寄せる作業を始めていた。ここだけの話だが、征士がナスティのパジェロを運転するのは、これで三度目になる。勿論運転免許は持っていないが、小学生の間、彼はカートの練習場を相当に走っているので、技術的にはナスティより運転が上手かった。最初は慣れない車であったが、今はもう殆ど迷うこと無く扱えていた。
 片側四車線の広い通りを端へと渡り継ぎ、二人の乗った車は、ビル街が続く新宿の一角に停車する。すると当麻は、早速というようにドアを開けて外へ出る。が、何故かそのまま車の横に立ち止まっていた。何処ともない街の様子を眺めている、静寂。
「どうかしたのか」
 やや訝しげに、今一度征士が尋ねると、
「…俺は、結構この街が好きでね」
 と、些か突拍子もない事を当麻は言った。それはむしろ征士の十八番だ。
「…だから何だ」
 彼の行動が何を意図しているのかまるで解らない。こんな物言いをする当麻は珍しい、と征士は感じた。恐らく普段あまり話題に昇らないような、言い出し難い事柄なのだろうと想像できる。征士は思索しながら、反対側の運転席のドアから立ち上がった。背後に感じられたそれを振り返って、当麻は言った。
「征士には、信念というものがあるか…?。『ある』と答えるだろうな、おまえはそういう奴だ」
 その通りだった。何を今更、という妙な質問を投げ掛ける当麻に、不信感という程ではないが、何かが外れたような印象を征士は受けた。けれど不思議なことに、当麻の表情は穏やかに綻んでいる。
「あるからこそ、こうして戦っているのだろう。当麻にしては愚問だな」
 なので征士も、冗談を返すように軽やかに答えて見せた。
「いや、そういう事じゃない」
 柔らかく否定しながらも、当麻は変わり無い様子で続けた。
「信念とは…、確かなものとは何だろうな。世界は常に揺らいでいるんだ、真実はひとつじゃない。俺は時々何を信じて良いのか判らなくなる。良し悪しの判断を付ける事が、無意味に思えて来るんだ」
 それは意外な話だった。征士にしてみれば、仲間の内で最も自分に近い、似たような思考を持つのが当麻だと認識していた。理論的、実際的な判断で物事を割り切る、時には無情な宣告も敢えてする、そういった彼の持ち味に共感する事が、征士には度々あった。しかし、彼の中には内なる迷いの声があるのだと、今初めてそれに気付かされた場面だった。
「智将が何を言う、それを見極めるのが智の鎧だろう」
 征士は故意に念を押して、当麻の前に揺れ動く何かを散じさせようとする。しかし、
「そう単純にいくもんじゃない、買い被られちゃ困るな。何でも知ってる訳じゃないさ、それに、知識がいくら積み重なっても、正確に未来を予見できる訳じゃない」
 と、やや言葉尻を重くした当麻。ところがそこで征士は声を立てて笑った。
「何が可笑しい?」
 おや、という顔で当麻がそれを覗き込むと、
「頭が良いのも考えものだ、限界が見えてしまうばかりに、あれこれと方策を迷う。良くない癖だ」
 確かに、と思える所はあった。公正で正確な判断とはつまり、あらゆる可能性をひとつも見逃さず、よく吟味して比べる事だ。それに因って迷い、行動の出だしも当然遅くなってしまう。それは個人の持つ特徴の裏表であり、仕方のないことだった。まあ今はその事実より、子供を言い含める様な態度で言われると、面白くないと当麻は反撃していた。
「そうだな、征士くらいに、程々に馬鹿の方が良かったかもな」
 笑っている、当麻は変わらず穏やかな様子だった。
 彼は常に安定している、迷いながらも安定している。恐らくどんな場面に於いても、思考を取り乱すような事はないのだろう。だからこそ皆に信頼されている、そして偏らない、留まる事を知らない、ひとつの答に決して満足せずに、常に別の見解を探っている、広い世界の真実を求めている。それが彼の美点でもあり、欠点でもある。
 正に『天空』の天空たる由縁。
「…で?、それとこれと何の関係があるんだ」
 話が一段落したのを見て、征士はここに止まれと言った理由を尋ねた。彼等は車を挟んで向かい合っていたが、当麻は再び立ち並ぶビル街の方を向いて、征士の方を見ずにそれに答えた。
「俺は新宿って街が好きなんだ。ここにはきれいな物も、汚い物も、人間的な物も、機械的な物も在って、それぞれが何となく調和してるだろ。一見まとまりのない、混然とした状態だが、案外こんなのが真実って奴に近いんじゃないかと思う。…俺はいつだって疑ってるさ、鎧の正義だの、正義の戦いだの。人間のやる事だ、絶対なんて事は決めちゃいけない。俺はそれを言いたかったんだ、おまえに」
「私に…?」
 と、返したものの征士は、当麻が言わんとしている事には察しが付いた。以前から「考えが堅過ぎる」と、彼には何度か指摘を受けていた。
「征士は時々、見境がなくなるから恐い。見ている方が冷や汗もんだ」
 当麻の率直な意見。
 自分では気にならない事が、他人には強く印象付けられる事がある。征士という人は決して器の小さい者ではないが、いつも何処かに緊張感を漂わせている、余裕の無い生き方をしているように、他の仲間達の目には映っていた。 いつも何かに押さえられているようだと。
 けれど、
「あくまで鎧の心に従っているだけだ。そうでなくても、常識的に判断しているつもりだ」
「それもあんまり、過信し過ぎない方がいい、何でも。自ら逃げ場を失うやり方は、得策とは言えない」
 否定されている現実に、征士は不思議と嫌な思いを抱かずにいた。
 当麻の言う事は理解できるが、どうにもならない事もある。加雄須が鎧に心を与えたように、本能に抑圧を与える存在も必要だと思える。堅い考えしか出来ない訳ではない、むしろそうなるように仕向けるのは、厄介な『礼』の心だった。それが自分に与えられた、全ての枷だ。
 征士は首を横に振った。
「仕方がないさ、鎧だけではない、生まれた時から背負っている物が私にはある。まずその責任を果たさなければならない」
 誰にしても、何らかの荷物を抱えているものだろう。それが丁度良い重さであることが、人の成長を促すのだと当麻は考えている。征士の荷物が足枷でしかなかったら、それはいつかトルーパー全体の足枷になってしまうだろう、と当麻には思えていた。それを案じ始めていたのだ。
 自分と同様に、自由に空を舞う要素でなくなってしまうことを。
 光輪が『光』でなくなってしまうことを。圧倒的に重力の高い場所では、光も見えなくなると言うように。
「ホントなら、社会の責任とか慣習とか、そういう事に向いた奴じゃないんだろうけどな、おまえは」
 諦めるようにそう言って振り返ると、当麻に呼応する様に征士は作り笑いをした。別段落ち込んだ様子も無い、至って普段通りの征士だ。
「まあ、当麻の言う通り、自由に身動きできるようになりたいと、思わない訳ではないんだ。ただ何処かに起点となるものが無いと、途端に糸の切れた風船になり兼ねない。私は己をそう理解している。おまえだって似たようなものだ」
 するとそんな風に状況を説明した征士に、
「そうだそうだ、俺はひとつの事に囚われるなんて、まっぴらご免だからな。ああ、糸の切れた風船と言うより、いつも雲の上に乗っかってるようなんだ、俺達は」
 と、当麻は相槌を打ちながら答えた。
「俵屋宗達か?」
「フハハハ、勉強してるじゃないか。ありゃ鬼神って奴だな、その方が鎧には近いか」
 そうだな、と、言葉には出さなくとも、共通の解答だと何処かで感じられる。彼等は似ている、同じ掴み所の無い要素を持つ鎧は、果て無く広がるもの、弛まず進むもの、居場所を限定されない自由な精神を共有している。だから、言葉が無くても通じ合えるのだけれど。
「ま、そう考えると、俺達だけじゃどうしようもないって感じだがな」
 最後に当麻が笑いながら付け加えると、
「だから、早く戻った方がいい。今遼が狙われるとまずい」
 征士は振り出しに戻ったように、そんな結論で話を締め括った。

 いつでも何処かへと行ってしまえる、身勝手な、途方も無い自由だけを持って、生きることの不自由さに悩むとしたら、それは笑い話だろう。今は鎧という絆で繋がった仲間が居る。同じ思いを受け止めてくれる誰かが居る。それを離れて、在らぬ所へひとり飛び去るような、恐ろし気な未来を思う事はまだ無いけれど。
 ただ、今を支えている仲間達が、いつまで共に居られるのかは判らない。未来への不安を感じながらも今を安堵する、その繰り返しで戦士達の日々は過ぎて行く。否、先行きが判らないからこそ、希望を持って戦えるのも確かだけれど。
 先の事は誰にも判らない。だから誰もが生きていられると言う不思議。
 人間の短い生の中で、この地上の短い晴れの時代の中で、仕方なく架せられていく歴史の重荷から、人は皆いつかは解放される。個人を絡め取る強靱な縄も、身動きを取れなくしている足枷も、時と共に皆いつかは消え行く。それはひとつの生を終える時か、或いはその他の出口があるのか、遅かれ早かれその時はやって来るのだから。ただ、生き延びながらその切っ掛けを待つことだった。
 何事も、希望を持って待っているしかない。
 と征士は思った。否、征士だけの話ではなかったかも知れない。



 夕暮れが迫る頃、都心部を抜けた車は山間の道へと入っていた。初秋の山林はまだ夏色の葉を茂らせて、彼等の目の上に深い影を落としている。まだ蒸し暑く感じる季節に、薄緑の笹の葉が涼しげな音を鳴らして揺れている。落ちる露を蓄えた地面の、青々とした苔は土壌の豊かさを感じさせた。
 豊かで柔らかい、柔らかく潤おう緑の視界。
 征士は何かを思い出していた。
 彼等は新宿を離れてから、他愛のない話をしながら柳生邸への道を走って来たが、その時ふと、前方を見据えていた征士は言った。
「…逃げ場が無くとも、ここと言う居場所があれば良いのだと思う。逃げ道を作る、という感じは後ろ向きで厭だ」
 車を停めて話した会話の続きだったが、しかしその意見に、当麻は今一度反論する。
「駄目駄目、『ホーム』とは動かない存在だ、それこそ身動き取れなくなるぞ。そして人の世はかくも儚い、無いものねだりを続ける内に死に兼ねん」
 己の個性を潰してまで、手に入れなければならない物があるとは思えない。と、若かりし当麻は頑として譲らない口調だった。それは征士への助言でもあり、彼の本望でもあった。まあ、己に夢が見られる時代は誰も、抱え切れない程の理想に生きているけれど。
 そして征士は、
「そうだろうか」
 と答えて笑っていた。とてもじゃないが、まだ人生の難解な問題に対し、答を出せる立場とも思えなかった。そして当麻の答も正しいかどうか判らない。彼はしばしば極論すぎる事を言うと、柳生邸に集まる誰もが感じている通りだ。
 まだお互いに全く未熟だった。どちらが正しいかなど判らなかった。否、どちらも正しい。

 未来への希望だけが今の彼等を支えている。
 その道程には何の指標も無いが、鎧戦士の戦いは必ず正義であり、必ず報われる事だと信じるしかなかった。ならば征士の希望通り、己に都合の良い居場所が見つかるかも知れない、と信じても構わない。それで今日も戦う事ができるなら。それで明日も生き延びられるなら。その意志を持続できるなら。
 今のところ、それが唯一の真実だった。
 
 征士は何かを思い出していた。









コメント/全然伸が出てこなくてすみません(笑)、これ征伸じゃないです(キッパリ)。でも征伸のストーリーに関係のある話だから、一応入れさせてもらいました。短い話だからいいかなーと。
ところで当麻から見て、「程々に馬鹿」なのが征士、「相当馬鹿」なのが伸と遼、「救いようのない馬鹿」が秀、らしいです。もちろん勝手に作りました(笑)。


校正時コメント)最初に書いた時からずーっと、6年も放置していたので、話の内容をすっかり忘れていましたが(^ ^;。改めて「難しい題材の話だなぁ」と感じました。恐らく校正前の文では、所々意味が取れない箇所があったと思いますが、私の書き方が悪い部分以外に、真に難しい事を書いている部分もあって、余計難解な話になってましたね、これ。
 そんな訳で、内容は悪くないものの少し言葉足らずだったり、文節の配置が悪くて意味が取り難い部分を中心に、校正・修正を加えました。
 何となく思い出したのは、確か2日くらいでこの話を書いたこと(笑)。それが文節の悪さに繋がっていると、ありありと伝わって来て笑えました(^ ^;。



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