スタジアム
FESTA DE RUA
フェスタ・ディ・フーア



 海の波間に百の小舟
 神様のための一隻の船
 航海の神よ 私を助けに来て下さい
 航海の神よ 私を助けに来て下さい



 2002年5月31日、世界に衝撃的な映像が伝えられた日。
「えー、何これ?、信じらんない」
「盛り上がった割に微妙な試合だったな」
 史上初めての共同開催となった、サッカー日韓ワールドカップの、オープニングゲームは多くの人を驚嘆させた。
 大会の開催前、調整や練習の為に続々東アジアに入る、各国の選手に対する報道は正に過熱していた。世界に名を轟かせるトッププレーヤーから、見目麗しい美形選手まで、強剛と目される国の動向から、日本の一寒村に暖かく迎えられた国のレポートまで、あらゆる情報が連日伝えられていた。そのお祭り騒ぎに触れると、普段はサッカーなどに関心は無くとも、何処となくお祭り気分に乗せられる人は居た筈だ。
 否、今現在最もサッカーが盛り上がるのは南米であり、欧州で活躍するトッププレーヤーも、多くが南米出身の選手である。サッカー自体は英国発祥のスポーツだが、今はラテンアメリカの気風を強く感じられる競技となった。それだけに四年に一度のW杯は、本場のサンバパレードがやって来るような高揚感を、印象付けるイベントだったのではないか。
 サンパウロやリオデジャネイロ、ブラジルの大都市を人々が埋め尽くすパレードの、喧噪と熱気と太陽の明るさ、生きる喜びや楽しさ、性的煽動も含め素直な人の心の発露に、東洋人は少し気恥ずかしさを感じるものだが、サッカーと言う他の形を借りれば、原始の感情が解放される祭は受け入れ易い。
 そしてここに、素直に世の盛り上がりを感じるふたりが、テレビの前で首を捻っていた。
「ジダンが居ないと何もできない訳?。それともセネガルが強いのかなぁ?」
 伸は言う。大会の口火を切るオープニングゲームは、前回優勝国の一試合とある頃定められたが、誰もがその前回優勝国、フランスが順当に勝つだろうと予想していた。何故ならシード国であるフランスは、グループリーグの対戦カードも、ある程度優遇される立場であり、他の強豪国とはトーナメントまで対戦しない。現在のフランスには有名選手も多く、初出場のアフリカの小国に、いきなり負けるとは誰も思わなかったのだ。
「何処かでセネガルの情報聞いたっけ?」
 解説者やアナウンサーの、驚きを隠せない語りを聞きながら、伸は続けて隣に座る征士にそう話す。だが伸以上の知識を持つとも思えない彼は、その通りに返すだけだった。
「さあ…?。日本の対戦国の話はよく聞くが、他の国のことはほとんど知らないな」
 征士は日本代表に選ばれた各選手が、どのポジションで、現在何処のクラブに所属するか程度のことは知っていた。伸もまたそれに加え、海外所属の選手の情報が少し判る程度だった。その他、日本サッカーの歴史とW杯の歴史について少々。その大半の知識は勿論ある人物から齎された。
「遼に聞けばわかるだろうが」
 と、サッカーの師と言える人の名を征士は口にしたが、伸はやや残念そうに、彼には頼れない事情をこう伝えた。
「あー駄目駄目、遼は今あの試合観に韓国行っちゃってるよ。帰って来ても次々観に行くって言ってるから、今どうでもいい連絡なんかしない方が」
 日本にまだプロリーグが存在しない頃から、サッカー愛好者であった遼には、この祭は一生涯の中でも重要な事だろう。ほんの十年ほど前まで、日本でサッカーW杯が開催されるとは、しかも日本代表が出場しているとは、考えられない冬の時代が続いていたのだ。それを見て来た彼の心境を思えば、如何にも初心者的でミーハーな質問が、感極まる気分を損ねかねないと伸は考えている。
 遼の性格からも、確かに考え得ると征士も納得した。
 尚、彼等はスポーツ専門誌などは読んでいなかった。実は今回のフランスについては、危ぶまれる記事も多く書かれていた。何故ならフランスの要であるジネディーヌ・ジダンが、大会直前に怪我をしていたからだ。またそれが、東洋の気候に合わせ通常の開催日程より、やや前倒しに試合が組まれた日韓大会に、間に合わないのではないかと伝えられていた。
 天才的リーダーを欠いたフランスは、恐らく前回のような活躍はできないだろう。関係者の見方は大方そんなものだったのだ。ただ、予想通りオープニングゲームに間に合わず、ジダンがベンチに下がっているとしても、セネガルに破れるとは誰も殆ど考えなかった結果だ。アフリカ勢の実力はムラがあると知られており、分析が難しい面もあるが、セネガルを率いる監督もフランス人と言う、些か皮肉な面もあった。
 2002年のW杯はそんな背景により、衝撃的な番狂わせから始まった。



 それから約一週間が経った、6月8日の夕方六時半頃のこと、
「ナスティから頼まれた物持って来たよ!」
「来た来たー!、ご苦労様、ありがとうね!、ご飯食べて行きなよ?」
「うん!、そのつもり!」
 征士と伸の暮らすマンションに、会社帰りの純が訪ねて来た。純は今年学芸関係の出版社に就職し、働き始めてふた月ほどというところだ。それなりにスーツ姿も様になって来た様子だった。
 文京区周辺には有名無名を問わず、何らかの出版社が多く存在する。彼がふたりの住処の近くに勤めることとなったのは、単なる偶然だがそのお陰で、彼が今も親しくするナスティからの頼まれ事の、連絡役となってくれるようになった。因みに今回は伸の所望する、江戸時代の料理本のデータを何処かで貰えないかと、ナスティに尋ねたところ、純の務め先にコピーがあると知り、それを持って来てもらったのだ。
 尚、純の希望として、編集の仕事をしたいと面接で伝えたようだが、当面は下積みとして営業に回されている。出版社は人脈作りも大事な仕事である為、まあ今は必要な経験を積む時だ。
「やあ純、仕事はどうだ?」
 既に帰宅していた征士が、居間のソファから見える位置に彼を見付けると、早速そんな挨拶から入った。鎧に関わる仲間の最終ランナーと言える、年の離れた彼には皆が、その成長を気に掛けている面があった。彼等が出会った頃、ナスティは既に大人と言って良い年令、五人は同じ年なので世代的な意思疎通がある。しかし純は彼の経験した記憶を、共有できる相手も経験も持たなかったからだ。
 けれどこうして、想像以上にまともで明るい青年となった現在は、仲間達から見てももう、特に心配する必要はないだろうと思われた。そして、
「まあまあ慣れて来たところだよ。普通の事務系の会社とは違うから、忙しいけど堅苦しくないのはいい感じかな?」
「それは結構、初年からあまり気張らぬ方がいい」
「うん、最初それでちょっと失敗しちゃって、今は気を付けてるよ。あ、征士兄ちゃん、一日早いけど誕生日おめでと!」
「そんな事を思い出す余裕があるなら大丈夫そうだ」
 一言一言、健康そうな張りのある声で純が答えるのを、征士も穏やかな気持で受け止められた。尚、彼の言う失敗とは、早く取引先を憶えようと、指示された場所以外にも自主的に挨拶回りをし、毎日歩き回り過ぎたせいか、風邪を引いて三日も休むことになったそうだ。
 ところでその時、居間のソファに座る征士の前の、大型テレビからはある音が聞こえていた。そう、この時期日常的に聞かれた人々の喚声、スタジアムに谺する鳴物の響き、熱の隠ったアナウンサーの解説、等々だ。玄関から続く廊下の奥のリビングに、近付くに連れ純はすぐその音を聞き付ける。
「あれ?、征士兄ちゃんサッカー観るの?」
 柳生邸などに集まる時は、プロスポーツの話題は滅多に出なかった為、純には征士とサッカーが結び付かないようだ。サッカー好きなのは遼、当麻は野球、秀は格闘技、伸はアメリカのNBAが好きで、征士はF1などのモータースポーツが好きだと純も知っている。ただそう好みがバラバラなので、ひとつのプロスポーツで盛り上がることはほぼ無かった。
 しかしそれはもう過去のこと、時と共に五人はそれぞれ影響し合っても来た。遼は一部の格闘技も観ているし、秀は征士より一部のモータースポーツに詳しくなった。伸と征士は遼からサッカーの知識を得たが、当麻は自主的にサッカーの組織や歴史を勉強し、今は普通に遼と話せるほどになっている。その切っ掛けは無論、日本にサッカーのプロリーグができたからだ。大阪は過去に偉大な選手を輩出した土地でもある。
 その当麻の例のように、やはり自国に新たな物が現れる変化は、人々に未知の世界や楽しみを開く扉となるものだ。
「日本中がお祭りだからな」
 と征士が答えると、食事の前にお茶を運んで来た伸が、
「いやいや、征士はかなり面白がって観てるよ。まあこんな風にW杯が放送されるの初めてだし、自国開催って色々面白い事があるね」
 淡々と話す征士を否定して笑った。否、決して傍観者の振りをしたつもりはないが、征士が面白がっているのは、サッカーそのものでなく別の面にあった為、「サッカーに詳しい訳ではない」との表現だった。けれどそんな区別が必要だったかどうか、
「そうだよね!、僕もそう思う。四年前のフランスの時は、日本の試合以外あんまり放送無かったのに、色んな国の選手の合宿レポートとか、見切れないほど報道してるのが信じらんないよ!」
 純と伸もやはり、サッカーそのものよりW杯に対する驚きを語っており、多くの日本人がそんな状態であると判る、普遍的な光景は征士を安堵させた。恐らく今はサッカーW杯に関し、何を語っても良い時だと感じられたからだ。
 別段何をどう楽しもうと個人の勝手である。この度の日韓W杯に限って言えば、蚊屋の外であった祭が初めて東洋にやって来たと言う、世界史的変化の側面も注目されている。主にその経済効果とスポーツビジネスについてだ。そして純も、勝手に楽しむ意味での最たる話をした。
「明日日本の試合あるし勝つといいね!、征士兄ちゃん」
 日本代表に知人が居る訳でも、その誰かの特別なファンでもないが、確かに自身の誕生日に、日本中が歓喜に沸くことがあれば、それは一生忘れないほどの思い出となるだろう。個人的には何ら関係ない出来事でも、強い印象や映像は勝手に記憶されるものだ。それが貴重な出来事なら尚更、その日に生まれた人物は幸運である。
 と今は、純の言う意味を素直に受け取り、
「そう、偶然明日はロシア戦だ。結果を楽しみに待つとしよう」
 子供の頃のように、プレゼントを待つ心境を征士は思い出していた。国民的スポーツの勝ち負けなど全く、そのような物だとまた面白くなっていた。
 ただそう感じた時ふと疑問も生まれる。サッカーはいつ「国民的」と言えるようになったのか、と。
「その前に聞きたい、純は剣道を習っていただろう?」
 征士は向かいのソファに座る純に尋ねた。
「え?、あはは、それとこれとは別だよ。剣道はまだ続けてるけど、学校の友達とサッカーの話はよくしてたし」
「世代の違いだな…、私達が子供の頃は野球一色だったが、今は半々ぐらいなんだろうか?」
「うんそんな感じだよ」
 純がそう自然に答える様子は、成程時代は変わったのだと実感する。征士の記憶では、「キャプテン翼」に人気があったせいか、サッカーの話をする集団はまま見られたが、それでも学校全体ではごく少数だった。東北は特に体制の変化が遅いこともあり、過去から人気の野球部が圧倒的大所帯を誇り、サッカー部の無い学校も珍しくなかった。けれど今は恐らく、サッカー部の無い学校の方が僅かだろう。
 日本にプロリーグができたのは93年。私達は大学に通っていた頃で、その出来事は「新たな世の流れのひとつ」と客観的に捉えたが、純は当時最も多感な中学生だった。開幕当時の大騒ぎが学校で話題にならぬ筈もない。その年は同時にアメリカW杯の予選が行われており、同年十月にはあの「ドーハの悲劇」が起こった。あまりにも劇的な印象を残した93年だった。
 それだけに純の世代は、サッカーについても、W杯についても、共通の知識が当たり前にあるのだと想像できる。そこで征士は、
「ならひとつ私に教えてくれ」
 と、珍しく純に教えを乞うことにした。それがあまりに珍しい事だったので、聞かれた本人も一瞬目をパチクリさせたが、すぐに面白そうな表情に変え、
「え、何何?」
 身を乗り出して征士の声に耳を傾ける。それはこんな質問だった。
「昨日のイングランドとアルゼンチンの試合だが、FKの一点だけで異様な盛り上がりだった。単にベッカム人気のせいではないと聞いたが、どう言う事なんだ?」
 そう、簡単なニュース報道は、イングランドのデヴィッド・ベッカムばかり注目しており、彼自身が前回の敗戦の原因となった事を、今回払拭した経緯はすぐ知ることができた。しかし今日征士の勤め先に、熱烈なアルゼンチンファンの来客があり、征士には何やらよく解らない、落胆なのか怒りなのか、奇妙な口調で昨日の試合を語っていたのだ。
 対戦形式のスポーツは必ず、勝者と敗者と言う明確な区別が生まれるものだが、征士はここに至り、各国の勝敗の経過に関心を寄せていた。なので純の知り得る知識を伝授してもらおう、と言う訳だったが、その期待通り純は答えることができた。
「ああ!、あれはメキシコ大会からの因縁なんだよ」
「メキシコ…?、っていつの事だ?」
「86年だよ、確か」
 まだ彼等が出会ってもいない頃。純に至っては相当幼かった筈だが、何故それをすらすら答えられたかは、その時現れたスーパースターのお陰である。
「あのさぁ、マラドーナの『神の手』って知ってる?」
「ああ、前にビデオで観たが、あれは本当なら反則だろう?」
 以前、遼が参加していたサッカークラブの、試合を幾度か観に行くようになった頃、伸が勉強の為にレンタルして来たのが、正にその86年メキシコW杯のビデオだった。マラドーナが相手選手の、白いユニフォームを次々躱してゴールする、伝説の五人抜きを見せた試合だ。それを観た当時の印象は、海外サッカー独特の雰囲気が、ただ物珍しく見えただけだったが、実はそれが始まりだったとは征士は知らなかった。
「そうそう、あの時負けたのがイングランドで、あの試合が世界的に注目されたから、イングランドには屈辱の負けだったんだよ。それで四年前のフランスの時に、十二年ぶりに同じ対戦があったんだけど、またアルゼンチンが勝ったから、イングランドをかなり馬鹿にしたんだよね。それで『イングランドらしく紳士的に復讐しよう!』、って意識が試合前からあったんだって」
「ふぅむ…、十六年をかけた因縁だったのか」
 まあ、どちらもそれぞれプライドを持つ国でもある。アルゼンチンは自国大会を優勝した後、メキシコで二度目の優勝を果たした。不思議なことにアルゼンチンが優勝する時、必ずスーパープレーヤーが現れる為、観た人々にも強く印象を残している。最初の時はケンペス、二度目はそのマラドーナだった。
 それに対しイングランドは基本に忠実な地味さ、個より組織のプレースタイルを守る国である。サッカーの母国でありながら、優勝は自国開催の一度のみなのは口惜しい筈だ。しかしラテン系のサッカーには違和感もあるのだろう。そんな背景の面白さを純はこう続けた。
「そうなんだよ、面白いのはさ、すぐリベンジしてやる!と思っても、次のW杯では対戦が無かったりして、いつその機会が回って来るかわかんないんだよね」
「くじ引きだからそうなるよな」
「でも、十六年経って選手も監督も変わったのに、昔の事を忘れてないぞ!って言う、すごいドラマが生まれたりするんだよ!」
 成程、確かに解説者などの口から、知り得ぬ過去のエピソードを聞くのは面白い。世界的人気を誇る大会だからこそ、そこでの勝敗や出来事は、長く人々の記憶に残ってしまう面もあるだろう。人気スポーツが与える影響力を想像できる話だ。が、征士には手放しで「面白い」とは言えなかった。何故ならそれは「礼」の心に反するからだ。
 すると、丁度そこに皿を運んで来た伸が、まるで征士の考えを代弁するように言った。
「でも純君?」
「え?」
「スポーツだからそれも楽しいけど、恨みを募らせるのは良くないことだよ、ホントはね」
 故意だろうが、伸の語りかけがまるで母親のようなので、純はまた目をパチクリとさせている。伸が争いを好まない性格なのは知っているが、自身は昔からバスケットなど、普通にスポーツ観戦をする筈なのに?と。スポーツは傷付け合う事じゃないと知る筈なのに…?。
 つまり伸が何を言いたいのか、不思議とこの件にはついては通じ合っている、征士も彼の話に乗せ要点を話し出した。
「まあ見ていると代理戦争みたいな面があるよな」
「え?、え?」
「だからさ?、こんな風に国同士が対戦するのは平和でいいと思うよ。本気で憎み合わない為のものって、僕には感じるからね。最初からそうしようとした訳じゃなくても、結果的にそうなったのはいい事だよ」
「あー、そうだね、スポーツの役割ってそう言うこともあるね」
 何故五輪競技会が平和の祭典と呼ばれるのか。何故世界大会に人々が熱狂するのか。そこまでは純にも容易に理解できた。スポーツは人の持つ元来の闘争心の、捌け口となってくれる存在なのだ。観る人々には日々の不満やストレスを、スポーツと言う枠組で消化することができる。何故なら誰もが愛国心と言う、普段は意識しない連帯感を見い出すからだ。そこには確かに愛が存在する。
 ただ決して良い面ばかりでもない。愛国心とは厄介なものでもあると征士は続けた。
「だが例えスポーツでも、勝者が生まれれば敗者も生まれる。私は昨日、どちらかと言うとアルゼンチンの気分になったぞ」
「えー!?、そう…??」
 純の驚きはごく普通の反応だろう。前途の通り日本の報道は、日本人好みする美形選手ばかり追っていたので、そこに思い入れが生まれ易い。また一般的な日本人の感覚として、ラテンアメリカの国より、欧州の英国の方が理解し易い面もある。現代社会はほぼ欧州文化の上に存在し、中世から僅かながら付き合いもあった国である。
 征士にしても伸にしても、そんな意識は何処かに持っている筈だ。しかしそれでも、征士がアルゼンチン寄りの気持になったのは…、
「何故だろうな?、私にもよく解らんが、日本が敗戦国だからかも知れない。あの、キリストのような選手の表情が物語っていたのだ」
 それを聞くと純は、真剣に聞き入る顔を途端に崩し、
「キリストって、バティストゥータのこと!?」
「ハッハハハ!、絵的には似てるかも」
 伸が構わず笑い出したので、純もつられるように声を上げて笑ってしまった。まあ名前を憶えていなければ、適切な形容なので笑った訳だが。
「だろう?。イタリアの試合でも見た選手だ、中田英寿と一緒にプレーしていた」
「そうそう、そうだよ、フィオレンティーナとローマに居たよ。得点王だったしすごい選手だけど、今は年齢的にちょっとピークが過ぎてるかなぁ」
 純は征士にそう補足しながら、また徐々に頭を整理して行った。前の話で世代が違うと言われたが、そのせいなのか、確かに自分と征士の見方はかなり違うと感じた。同じスポーツの同じ試合を観ていても、感じ取ることは各々異なると大人なりの発見をする。
 また伸がそこでとても自然に、
「君には、バティが十字架を背負って歩いてるように見えたかい?」
 そんな話を征士に振ったことが、更に純には学ぶべき何かを感じさせた。
「そうだな…。今のアルゼンチンには、マラドーナの立場を期待される選手だったんじゃないか?。過去の栄光を期待されるのは重荷だろう」
「まあねぇ、南米は熱心なカトリックが多いし、実際キリストのイメージだったかもね」
「救世主になれと言われ、『はいそうですか』となれるものではない」
 鎧戦士達はそれを見事成し遂げたと言うのに。
 何故今の征士は、伸はそんな考えに至ったのだろう?。
 それは、永らえば永らえる程、理想通り出来る事などほんの僅かだと、経験的に知ってしまうからだろう。若かりし五人の戦いはある意味運が良かったのだ。或いは彼等ではなく、それを望んだ迦雄須の意思が通っただけなのだ。今は普通にそう考えている、元鎧戦士のふたりは正しく大人になっていた。何を成そうと、全ての人が同等に幸福になることはない。それが世界だと今は解るようになった。
 このサッカーW杯でも、解り易くその通りのことが起きているだろう。過去の因縁を断ち切ったイングランドにしても、二度目の優勝は遥かな夢である。誰かが必ず誰かの夢を砕く。一度手に入れた夢もいつか、時が経てば霞んでしまうこともある。日露戦争の勝利を夢見て、アメリカに玉砕した大日本帝国と何ら変わらない図式なのだ。
 そして夢とは常に大衆が見ているものだ。
「そう考えるとジダンも辛い立場だね」
 伸が一連の話から、オープニングゲームのフランスの溜息を思い出していた。さもあらんと、同じ映像を観ていた征士も頷いている。日本人は判官贔屓だと言われるが、決してそんな義理人情的な意味ではない、ふたりの持つサッカー的世界観が、そこに凝縮しているように純には感じられた。さて、それに対して何を話そうかと彼は迷っているのだが…
「うーん…!」
「ん?、何、どうしたの?」
 頭を抱えた彼を見ると、伸は何事かと心配し声を掛けたが、純は結局大した言葉を思い付かず行き詰まっている。だがその状態を素直に口にすると、伸も征士も、より穏やかな態度で受け止めてくれた気がした。
「まさかサッカーの話をして、僕がまだまだ子供だと覚るなんて思わなかったよ、今日は」
「はははは…!」
 けれど、人は誰でも穢れの少ない若者を、暖かく見守る心を持つものだろう。純がこの先必ず、納得できる人生を得られるようにと、兄貴分であるふたりは願うばかりだった。
 勝利の歓喜も敗退の失意も、全て人の愛による世界の一面だと、何れ彼も実感する時が来るだろう。



 明けて6月9日は、日本に取って記念すべきW杯初勝利の日となり、日本中が熱狂に沸いていた。今年の征士の誕生日は正に思い出深い日となり、ふたりに取っては稀に見ぬ幸運だった。その時スタジアムに居た遼からも、試合後異常なテンションの電話があった。
「征士と日本おめでとう−−−!!!」
 恐らく遼に取っても素晴しい日だったに違いない。熱狂のパレードはいつか終わりが来るだろうが、今は後の事など考えず、思うまま突っ走っていても誰も咎めはしなかった。



 コンセイサン・ダ・ブライア教会は旗で飾られ
 あらゆる所から大勢の人がやって来る

 太陽は燃えるように熱いけれど誰も気にしない









コメント)とっても懐かしい事を書きました〜!。純が社会人になった話を、やはり原作シリーズの方に入れたいとの意思もありました、はい。
そして気付いた方もいるかな?、この話は前に書いた「無量光」と全く同じ時間帯です。6/7の昼に、睡蓮を見ながら仏教を語ったかと思えば、夜にはW杯の試合を観て感情移入すると言う、切り換えの早いうちの征伸らしい(^ ^;。このふたりは何でも楽しみに変えちゃうよ!、と言う表現ですからw
でも、征士がアルゼンチン寄りになったのは、単にユニフォームが水色だからかも、と書きながら思ってました(笑)。本当は私が同じ年のバティに思い入れがあるだけ、なんだけど、日本代表の歩みやブラジル代表のことなど、他に書きたかった要素もあったんです。長くなるし焦点がブレるから入れられなかったのが残念(; ;)。四年後にまたドイツ大会のことでも書くかな…



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