再会とこれから
恋は永遠の輝き
#6
The Something Glitter



「どういうことだよっ!!」
 目抜き通りの南端に位置する宝飾店。そこでは開店してからこれまで一年ほどの間、酷い罵声が飛び交うような騒ぎは起こらなかった。常ににこやかな店主と、気の明るい彫金師が楽しく、意欲的に働いている雰囲気の良い店だった。
 けれどこの数日は店を閉めている。その上この、シュウの混乱した怒鳴り声を聞けば、
「いやだから!、聞いたが答えなかったんだって!」
 トーマにはとても、良い雰囲気や居心地など感じられる筈もなかった。この店からシンが消えると言うことが、どれ程の変化を齎すか、彼は今身を持って知ったところだ。シュウの激しい感情の起伏を誰か、受け止める人間が居なければ駄目だと。
 だからこそ、トーマは見聞きした状況を真面目に伝えている。
「一緒に居た使用人も、シンの発言には驚いてたくらいなんだ。伯爵家はシンを帰すつもりだったようだが、本人が帰らないって言うんだからな」
 その通り、トーマにもリョウにも晴天の霹靂と言える、あまりにも意外な言葉だった。しかもシンの態度には既に、何らかの確固とした意志が見えた。
 僕は帰らないかも知れない。
 もし、この店の現状を見てまだそう言えるなら、余程の事があったのだろうと考えるしかない。
「何があったんだ…!」
 と、シュウもトーマ同様に、シンの意識を決定的に変える何かが起こったと、考えざるを得ない様子だった。なのでトーマも続けて、
「そう…、何かあったんだろうな。別の取引とか」
 と答えていた。
「金を返せば不問にするって言ってんだろ!?」
「本当にそうなのかどうか。シンは自分を犠牲にして店を守る気なのかも知れない。だが、」
「だが何だよ!?」
 そしてトーマは、どうにも引っ掛かる事実を話して聞かせる。
「そう言う、苦渋の決断をした風でもなかった」
 と言うのは、面会の場でトーマが感じたことの中に、シンと言うよりリョウが何か隠していそうな雰囲気があったからだ。まあ確かに隠し事はあったが、この場合は勘違いだった。それならリョウが驚く必要はないのだから。
「じゃあ何なんだよ!」
 答を急くようにシュウは怒鳴るが、
「さあ…。向こうで色々話し合う内に、考えが変わったのかも知れない。あそこに残る方がシンに何かメリットがあるとか…」
 何も知りようのないトーマは頭を抱え、想像できる可能性を語るばかりだった。相手は貴族の中でも格の高い伯爵家だ、こちらのミスを理由に、一見良さそうな条件で雇い入れる契約でもしたのだろうか?。だがシンは貴族社会なんてものに、憧れを持つ傾向があっただろうか?。寧ろ逆に辟易していたような気がしたが、それが何故帰らないなんて…。
 と、トーマは頭の中で様々な場面を思い出していた。ところがふと気付くと、シュウの様子が急速に落ち着きを取り戻している。
「あ?、どうした?」
 と尋ねると、先程までの怒濤の勢いとは打って変わり、シュウは淡々と話し出した。
「ああ。それなら何となく、わかる」
「わかる??」
「多分、シンはその内何か、別のことを始めるだろうって思ってたからな」
「この店の他にか?」
 今トーマの目には、珍しい表情を見せるシュウが映っている。いつかこんな時が来るだろうと、心の何処かで覚悟していたことがやって来た、諦めのような、納得するような複雑な感情が彼の上に見える。
 何故ならシュウは最もシンと親しい間柄だった。シンについて、シンの背景についても最も身近な理解者だった。そしてだからこそ、シンの選ぶ未来に口出しできないと考える。
「そうかも知んねぇし、店は誰かに譲っちまうかも知んねぇし、その辺は決めてねぇだろうが。こんな小さい店の利益だけじゃ、シンの目標にはなかなか届かねぇからな」
「目標…」
 トーマは、シンが爵位を買い戻そうとしていたことを知らない。だが今ここでそれを話しても、事態は覆らないと感じるシュウは言った。
「シンの大事な目標さ。生きる希望っての?」
 如何なる身分に生まれようと、希望や生き甲斐と言うものは大切だ。例え、全生物の中のひとつの活動としては、大した意味を持たないとしても、考える頭を持っている人間は、本能的な欲求のみでは生きていけない。それに附随する余興や楽しみあってこその人生だろう。
 シュウにしても、ただ生活する為に生きている訳ではない。己の腕を認めてくれる人がいて、仲間がいて、商売が成り立つ道程を喜びながら歩んで来た。だから、自分にその道程を与えてくれたシンに、希望通りの道が開けるならそれもいいと、素直に認める気持が生まれるようだった。
 誰ももう庇護を受ける子供ではない。それぞれ得意分野や、手に職を付けた独立した存在だ。苦楽を共にした仲間が離れるのは淋しいことだが、シュウは既に前向きに考え始めていた。
「ま!、もしそう言うことならしょうがねぇや。多分店は俺に譲ってくれるだろうから、そしたら可愛い店員でも雇うことにすっか」
 ところが、シュウのそんな潔い態度を見て、
「おい、待てよ…」
 シュウほど親しい訳ではないトーマの方が、吹っ切れない様子で口籠っている。何故なら、
「そうなったら誰が俺のスポンサーになってくれるんだ」
 シンが居るか居ないかは、彼の商売に取っても重要な問題だったので。そしてこんな事態になれば、シュウはもう錬金術の注文などしないだろう。案の定、
「お?、俺は降りるぜ?、もう偽物はお断りだからな!」
 トーマには厳しい返事が返って来た。ただ、シュウはそう言いながらやや首を捻る。シンは自分のコレクションを復元する注文をしただけで、それ程数を作らせた訳ではない。ひとつひとつは最高レベルの模造品だが、同じ物を幾つも作って売った訳でもない。トーマの研究資金に、シンの注文がそこまで影響するとは思えなかった。なので、
「って言っても、シンだってそんな大金出してた訳じゃねぇだろ?」
 と、シュウが思うまま尋ねると、トーマは渋い顔を見せた。
「それはそうなんだが…」
「ん??」
 ピクリ、と嫌な思い付きが走る。シュウは再び噴火するような勢いで怒鳴り始めた。
「あーっ!、もしかしてテメェ!、シンの注文のついでに他の偽物も作ってたのかよ!?」
「他のじゃない。完璧な偽者を作る過程で、どうしても失敗作が出るんだ」
「それを売ったんなら同じことじゃねーかっ!!」
 何と、昨今の偽物騒ぎには、このトーマが一枚噛んでいるらしいのだ。否、勿論それでも粗悪なレベルの物ではないだろうが、疑わしい石が増えていること自体が問題だ。
「そうか、最近どうもおかしいと思えば…!。しょっ中偽物が出回ったりするとな、こっちの商売にも響くんだんだよ!」
 シュウは当然の苦情を訴える。しかしトーマも、
「金がないんだ!、しょうがないだろうが!」
 彼に取ってはやむない状況を訴えるしかなかった。錬金術を商売にするには結構な資金が必要だ。空想上の物語ではまるで、無から物質を生じる魔法のように捉えられているが、現実にはそうは行かない。何かを作り出す為には材料も設備も必要だった。そしてあらゆる要望に答える為、日々の基礎研究が欠かせない。
 なので本来は、何処ぞの豊かな家が囲い込む形で、その研究活動を支えるものだが、自由な暮らしを奪われるのが嫌だったトーマは、これまでどうにか独立してやって来た。彼もそれなりに苦労していると言う訳だ。
 ただ勿論、それが偽物を売って良いことにはならないので、
「だったら真面目に他の仕事しろ!!」
 シュウはそう言い返すしかなかった。まあ確かに、一日中錬金術の研究をしているとも思えない。トーマはよくよくこの店に顔を出していたし、空いた時間に他の仕事をすれば良さそうなものだった。頭の働く男だから、適当な稼ぎを得ることなど訳ないだろうに。
「ったく…。怖い思いしてたのが馬鹿みてぇじゃねーか。…あ、そうだ、良さそうな販売員が見付かるまでお前が店番やれよ!」
 文句を列ねる内にシュウは、これぞ名案と思えるアイディアに辿り着いた。そう、トーマならシン同様に石の知識も持ち合わせる。後は身なりをどうにかしてもらうだけで、充分その役を務められるのではないか。
 ところが本人は、
「うぇ〜。俺そう言うの向いてない…」
 折角の良い働き口に対し、どうも乗り気でない様子だ。仲の良い人間の店だから気楽だろうし、そもそも錬金術を商売にしているなら、業種は違えど接客は同じようなものだと思う。何が気に入らないのか、今のところシュウには解らなかったが、
「文句を言える立場か!?」
「うーん…」
 取り敢えず強制的に約束を取り付けられたようだった。
 恐らくトーマの理由もまた、シンの時のように、これからシュウが理解してくれるだろう…。

 一段落した店の奥の一室。まだ正式に何がどうなるかは決まっていないが、シュウはこの数日の息詰まる状態を解消し、とてもすっきりしていた。前途の通り、これまで当たり前に居た人間が居なくなる、淋しさを感じない訳ではないが、誰もが満足する決定ならそれが一番良いと、あくまで建設的に考えられているようだ。
 みんなが幸せであればいい。
 それから、明日からまた店を開けよう。
 と、シュウが店鋪に足を踏み入れると、何故だか真っ先にシンのコレクションが目に入る。ショーケースに並べられた、珍しい石の独特の色彩や輝きをシンは好んだ。有り触れた宝石にはさして関心を向けなかった。今となっては何がそこまで彼を魅了していたのか、知る術がないけれど。
 大事にしていた宝石を売ってしまった、その代金で買った店も手放すつもりだろう。せめて、このコレクションだけはシンに届けてやろう、とシュウは思った。

 そしてその午後。
「本当に、いいのか…?」
 セイジの部屋では書き物机を挟み、只ならぬ様子の部屋の主と、以前のようににこやかな態度のシンが向かい合っていた。
「はい。気が変わらないようでしたら、私はここに残ります」
「無論気を変えるつもりはないが」
 状況が二転三転し、今回は諦めるしかないと考えていたセイジに、これは思わぬ逆転劇だった。流石の彼も流暢に会話する余裕がない。何がどうして今に至ったのやら、閃くヒントさえ見当たらないからだ。考えてみればこれまで、シン自身の意向を尋ねたことはなかった。周囲であれこれ話し合っていただけだ。故に誰もシンの考えが解らない。
 そしてセイジ以上に驚愕しているリョウが、ここに来て漸くまともに質問した。
「あのっ、何でそうしようと思ったんですか?。あなた程の人が」
 リョウの考えでは、セイジの秘書などに収まるより、伯爵家の後ろ盾で爵位を戻す方が、余程シンの希望に合っていると思えるのだ。家族会議で語られたように、子爵を買い戻すのはなかなか難しい。すぐにとは行かない面は確かにあるが、貴族としてのプライドがあるなら、どちらを選ぶか答は明白な気がした。
 だがそう、物事は通り一遍ではないようだ。シンは主にリョウに向けて、穏やかな自分の気持を話し始める。
「考えたのですが、私はそこまで爵位を戻したい訳ではないみたいです」
「えっ?、…どういうこと??」
 更に目を見開き、まるきり解らないと言う顔をしたリョウ。だが、後に続くシンの話には、某かの共感を得ることになる。
「ただ、昔のように文化的な物事や、教養あるお喋りに囲まれていたかった。そうした環境を取り戻したいと思っていただけで、爵位のあるなしは関係ないのです。ここに来て、お嬢様方とお話ししたり、伯爵家の気風や伝統を感じる度、私は何らかの幸福を感じていました。…染み付いた感覚はなかなか抜けないものです」
 シンの目標、生きる希望とはそう言うことだった。
 つまり彼に取って、爵位とは判り易い名目と言うだけで、実際は豊かな商家となって望みを叶えるも良し、と言う意識だったらしい。それどころか、余所の家に仕えても良いと願い出るくらいだ。場合によっては手段を厭わない、筋金入りの目標と言えるかも知れなかった。
 そこまでの思いが、シンの中に存在するとは誰が思っただろう?。そしてセイジが偶然、そんな彼をこの家に連れて来た。否、もしかしたら偶然ではなかったのかも知れない。
「姉上が、商人らしくないとしつこく言っていたな」
 セイジが思い出したように言うと、
「ええ。私は商人には向いていないと思います。これまで何とかやって来ましたが、今以上に発展させて行くことは無理かも知れない。そう思うので、こちらで働かせて戴けるなら、私にはその方がいいのです」
 シンはそう答えた。本人が言うのだから間違いないだろうが、果たして本当にそうだろうか?、と、接客時のシンを思い出してもみる。彼は最初から不思議な、馴染み易い空気感を持った青年だった。自然に相手の懐に入り込んで来るような、嫌味や反発を感じさせない柔らかさがあった。そしてセイジは今になって、それがシンの背景にあるもののせいだと気付く。
 例え爵位をなくしても、彼自身はその文化を体現して生きていた。だからこそ彼は、本来在るべき場所に帰りたがっているのだと。
 それを理解するとセイジは、最早完全に開き直って言った。
「いいとも、君の望む通りにした方がいい。私も悪いようにはしない」
「ありがとうございます」
 当初の計画とは違う形にせよ、ふたりが納得して契約するなら、それ以上はないと言うところだった。シンの求める理想的な現実と、セイジが見い出したシンの中の現実が、一致していた結果と言えるかも知れない。
 世の中はよくできている。何ひとつ不自由のない立場の者が、苦労を背負って生きる者を見ると、何かをしなくてはならない焦躁に駆られ、引き寄せ合うように感じる面があるのだ。この世の上で対を成す存在を見付けたように、何らかの喜びを感じるのかも知れなかった。
 あなたが居るから私は居るのだろう。
 これからは幸福も不幸もひとつの完全なものとなり、私達はより良く生きて行けるだろう。
 そして恐らく、シンがこの家で働くことは、伯爵も他の家族達も了解してくれることだろう。
「本当に本当にいいんですかっ…!?」
 リョウだけはまだ納得できない様子で、食い下がるようにシンに問い掛けた。勿論リョウのことだから、極々真面目にシンの未来を案じているのだが、セイジが一言、
「信じられない気持はわかるが、これが現実と言うものだ」
 と、自信満々な様子で話し、それを密かに笑っているシンを見ると、確かに、予想外に上手く纏まったと納得するしかなかった。
「こんなこともあるんですね…?」
 大きな溜息を吐き、リョウは今大いに脱力しているけれど。
 考えてみれば彼が事実をバラしたことが切っ掛けで、結果的に間を取り持ってしまったようなものだ。否、勿論その前にセイジの熱意があったからだが、策士で情熱家なセイジと、生真面目なリョウの連携プレーがシンに印象良く映ったなら、リョウの存在はそれなりに重要だったと言える。
 つまりセイジの個性と、リョウから感じられる伯爵家の性質に、シンは惚れ込んだと言うところだろうか。セイジのお目付役としてリョウを選んだ、伯爵は紛れもなく頭の冴えた人物のようだ。
 ただリョウ本人は、まさかそんな役回りとは露にも思わないだろうが。
「これからは先輩です。宜しくお願いします」
 今は身を固くする様子もなく、そう言って自然な表情を向けるシンに、リョウはまだ慣れない態度で返した。
「ああ、いやそんな」
 ただこの状況で彼にもひとつ、希望が見えて来たことがある。それはつまり、
「これで満足して、今後少しは落ち着いてくれるといいんですがねぇ」
 と言うことだ。慣れた相手であるセイジには容赦がなかった。
「何だその言い種は。晴れやかな気分が台無しではないか」
「調子に乗られると俺の苦労が増えますから。ああそれと、これから働いて下さる彼には、予め色々説明しておかなくては」
「何を説明するつもりか!、余計なことをするな!」
 さて、慌てるセイジにこれから何らかの変化があるか、変わらないかはまだ判らないけれど。或いはセイジの恋が成就する時が来るのか、来ないのかも判らないけれど、リョウは今後のセイジの生活について、シンに期待を寄せるように言った。
「セイジ様は大体こんな方ですが、こちらこそ宜しくお願いします」
「クックッ…」
 シンはさも愉快そうに笑いながら、リョウに相槌を打つように頭を下げていた。それを見て「余計な話を」と、セイジは内心沸々と怒っていたが、次にシンが発した言葉にふと怒りを忘れる。
「いえ、御曹子はとてもいい方だと思いますよ?」
 シンが変わらず笑顔なので、リョウはどう返していいか困っていた。それはまあ、良い所が全く無いではないが、本気で言っているのか?、と。
「えっ?、…そんな風に思います…??」
 まだ、セイジにもリョウにも、シンと言う人物は未知の部分が多かった。ただ彼は、彼なりの独自の価値観で物を考えているだけだ。その片鱗なら、爵位にこだわらずこの家に来ることから、ある程度窺えるのではないだろうか。
 人の一生はそう長くはない。特に自由な活動のできる若い時代はその内の一部だ。今、この時最も楽しんで生きられるチャンスを、みすみす逃すことはない。社会的な位など、真の幸福の為に役立つものではないと、これまでの生活で既に知っている…。
 だからシンは、セイジが自分に対しどんな行動をしたのかを知り、面白い人だなぁと感心した、その気持を優先することができたのだ。
『君がひとつの宝石なら、僕のコレクションに加えたいくらいだ』
 そう言えば彼はこうも言っていた。高級なダイヤモンドも綺麗だが、安価でも個性的な輝きが好きだと。その言葉を思い出すことができれば、恐らくリョウにも、シンと言う人の本質は普通に理解できる筈だった。



 それからどうなったかと言うと、数日後にはシュウが伯爵家に出向き、タイピンに支払われた代金を返還した。その際シンとは充分に話し合い、シュウの予想通り店は彼に譲られることとなった。彼に取っては非常に満足な結果だったろう。店のミスにお咎めがないばかりか、事件に関わる全ての者が幸運を分配できる形になり、寧ろ扱いの良さに躊躇われる程だった。
 できることならこれからも、この幸運の流れに乗り、誰もが幸福でいられるようにと思う。シュウが思う。シンが思う。伯爵家の人々もそう考える。それらの思いが何れ、理想的な未来となってやって来るよう願いながら、それぞれこれからの日々を生きて行く。
 幸運とは思いが引き寄せて来るものだと、今は誰もが信じられた。

「シンに荷物が届いているぞ」
 ある日、それを自室へ運んで来たセイジは、シンの机の上にそれを差し出した。本来なら使用人が届けに来る筈だが、
「はい?、僕にですか?」
 不思議そうにその包みを見ると、差出人にシュウの名前があった。彼が屋敷にやって来た時、シンに必要そうな持ち物も届けてくれたのだが、忘れ物だろうか?、と、やや首を傾げながらシンは荷物の紐を解く。
 些か厳重に、油紙と雑紙が幾重にも巻かれた包みの中には、大伴のシガレットケースのような木箱があった。そしてそれを開けると、中身を見てシンは小さな声を上げた。
「あ…」
「それは、店にあったコレクションではないか?」
 横で見ていたセイジが言う通り、それはシンの偽物コレクションだった。成程、セイジのタイピンは代金と交換で返却されたので、全て揃ってからシンに届けたのだろう。シュウにしては気の利いたことをすると、シンは口許で笑っていた。
「そうです。その他にも少々」
 燃える赤の中に様々な光が見えるファイアオパール、ハート型にカットされたブルームーンストーン、大粒で濁りのないルチルクォーツ、そこまではセイジの記憶にもあったものだ。
 その他、鮮やかな蛍光緑のデマントイドガーネット、世界の一地方でしか採掘されないアウイナイト、黄色のインクルージョンが綺麗なサファイア、希少な青色のコバルトスピネル、白色の模様が見えるヒマラヤアクアマリン、オレンジと水色に色分けされたバイカラートルマリン、カリブの海を映したような明るい水色のラリマー、そして、件のアレキサンドライトがあった。
 それぞれ何らかのアクセサリに加工されているので、正に貴族の宝石箱の華やかな眺め、と言う趣だった。置かれている場所がこの伯爵家なら、誰も偽物とは思わないだろう程に。
 そして、その変わらぬ輝きを見ながらシンは言った。
「そう言えば、このコレクションについてお尋ねになりましたね。ええ、この元の宝石は、僕に残された僅かな遺産のひとつだったんです。元々僕の所有物だから没収されずに残りました」
「成程。大事な物だから代わりを作らせたのか」
 セイジは、それについては容易に理解できたようだ。彼に取って言わば形見のような物だからこそ、傍に置いておきたかった心理は判る。やむを得ず開店資金に替えてしまったが、シンの遠い過去の思い出が、それに集約されるところがあるのだろうと。
 だが今のシンに取っては、遠い過去より近い過去の方が重要だった。
「まあ、今はこれも大事な思い出です」
 と彼は言うと、これまでの過程に微笑み掛けるような、酷く満足そうな顔を見せていた。まあ確かに、この偽物が存在しなければ事件は起こらなかった。その前に客引きとしても成功していたが、素晴しい人造宝石に出会えた環境を今は、感謝する他にないシンだ。
 本物の輝きは素晴しいが、偽物の輝きが事を動かすなんてことは、今にしても信じられないことだけれど。
 すると、セイジが箱の中のひとつを取って、
「ふうむ、私には本物か偽物かなど判らんな。…どちらでも綺麗だ」
 と言った。それはペンダントに加工されたバイカラートルマリンだったが、詳しい知識を持たない、多くの人がそんな感想を持つなら、
「そう言う意味では、本物である必要はないですね」
 偽物の力も見下げたものではないとシンは思い直す。自分もそれに慰められたひとりだけに、元が何であれ輝くものは、人の心を魅了するのだと思った。よく考えれば自分も、元が何処の誰だろうと構わず進んで来た筈だと、今になって面白くも感じた。
 全く、本物と偽物の違いとは何なのだろうか?。
 暫く窓の光に透かして見ていた、シンのコレクションのひとつを箱に戻すと、セイジはその前で妙に楽し気な顔をしているシンを見た。何が彼を愉快にさせているのか、今のセイジには測れる術がなかったが、ただ、シンの内から自然に現れる微笑みは、悲しみよりもずっと美しいと感じた。
 なので、
「まあ、前にも言ったが、私には石などより人の方が余程魅力的に見えるよ」
 そう言って顳かみにキスした。
 何だ?、とシンが思った瞬間、既に見慣れた筈のセイジの自信に溢れた瞳が、一際輝いて見えた。
 そして確かにそうだと。
 自分は珍しい石の表情を見るのが好きだったことで、生計を立てて行く礎にもできたが、それより魅力的に感じるものは存在した。それはこの伯爵家の理想的な様子と、そこに暮らす温情ある人々、更にその中に在って特別な存在感を放つこの男。生きた人間の見せる表情は、石などより余程輝いて見えると思った。
 ああ、これはまるで恋だ。
 そして彼等はすぐに気付くだろう。
 ずっと、相手の上にその輝きを思い出す度、恋は永遠のものになると。

「あなたにはこの石を差し上げましょう。ペーパーウェイトにでも」
 シンは箱のコレクションとは別に、紙に包まれていたひとつの原石を取り出し、セイジの目の前に差し出して言った。そのアイスグリーン、否、もう少し青み掛かった涼し気な色の石を見て、
「これは?」
 と、セイジは受け取りながら尋ねる。恐らく商品にはならない物だから、大した価値の石ではないだろう。それをわざわざくれると言うからには、何かしら意味がある筈だ。するとシンは、
「スミソナイトと言う石です。花言葉を御存知ですよね?、それと同じで石にも言葉があるんですが、この石は、『本当にやりたいことは何ですか?』、と言うんです」
 そう説明した。
 シンとしてはセイジの今後を考え、浮わついた生活が直るようにとの願いを込めた物。つまりそれは御守りとして選ばれたのだが。
 するとセイジは、シンがここで働くと言った潔い決断を思い、石の言葉が伝える意味を考えていた。
「うーん…、そうだな…」
 本当にやりたいこと。未来を見据えれば様々なことが思い浮かぶが、取り敢えず直近の未来については、めくるめく妄想がセイジの頭を過って行く。
 まあそれもいいだろう。シンが傍に居る限り、彼の意欲的な魂が輝くのであれば。



 看板を掛け替えた目抜き通りの宝飾店。その店先には当面の間、トーマが販売員として立つことになった。しかし、嫌がっていた割に彼は商売上手で、店はこれまで通りの繁盛を見せていた。
 何故なら、トーマは元々商家の出だったのだ。
 それ故そこに戻りたくないと言う人間も、世の中にはいるらしい。









コメント)とにかくやっと終わった、と言う私の感想です。そこまで強烈に長い話じゃないのに、天候不順の時期に入ると全然進まなくなって、本当に苦しみました(> <)。本格的な夏に入る前に何とかなって、本当に良かったよぅ〜。
お話としては、序盤のセイジがあんな感じの割に、大してラブの要素はないし、どっちかと言うと家族的・仲間的愛情の方がメインで、読者の方にはちょっと拍子抜けだったかも知れないですね(^ ^;。最初の方のコメントにある、時代劇版の方がもう少しラブストーリーしてたかな?、と思うと、この話の出来は自分でちょっと今イチな気もするけど…。
まあ、貴族社会の話を書きたかったのと、最近のパワーストーン流行りに乗って、自分もちょっと関心のある宝石の話を書きたかったので、その点では満足です、はい。




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