すてきなカップル(笑)
中学生日記
ディズニーランド編
at Tokyo Disneyland



 目覚めた時は薄曇りの朝。天下のディズニーランドへ行くには、穴狙いで丁度良い天候だった。
 その日、山中湖畔の柳生邸では、早朝からナスティの大仕事が始まっていた。

 例え可愛気のある顔立ちの伸でも、ただ女性用の服を着せただけでは、まだ性別が疑わしいくらいの印象だった。更に夏服ということもあり、デザインにも注意が必要と気付いたばかりだ。(前回の遼の時は、そんなことを気にするレベルではなかった。)
 なので、伸はナスティに厳しいチェックを入れてもらい、『パーフェクトな女の子』を目指そうと考えた。ナスティの方も快くそれを引き受けてくれた。前途の通り、彼女はこれで結構、馬鹿馬鹿しくも愉快な余興を楽しんでいる。
 だがその前に。「完璧にこなす自信がある」と言い切った伸だが、今朝に至るまでの間に、ひとつ挫折してしまった事がある。この日着て行く服をわざわざ、小田原市まで買いに出たのだが、どうしても手に入らない物がひとつあった。そう、男が女装するとして、最も調達が困難なのは靴である。
 生地ならば差はあれど伸縮する為、どちらかというと小柄な部類に入る伸なら、服のサイズに困ることはないだろう。しかし基本的に靴は伸びない。国内の女性用の靴は、一般に24.5センチくらいまでしか置いていないことが多い(特にこの時代は)。彼にはあと1センチ足りなかった。
「横浜か横須賀まで行けたら売ってたのにな〜」
 しかし流石にそこまで、時間と交通費をかける気にもなれなかった。仕方なくアジア系の輸入雑貨店で売られていた、太極拳などで使う、紺のコットンシューズを購入することにした。これは男女兼用の仕様なので、ゴムのストラップを改造するとかなり良くなりそうだ。五百円という値段でもあり、どう手を加えようと気にならないだろう。
 それにしても、こんな馬鹿げた遊びに、そこまで「完璧」にこだわる必要があるだろうか…。
 否、伸にはあったのだ。何故なら味方だった筈の仲間に裏切られ(笑)、反論しようのない理由を付けられた。他に誰も居ない、「自分がやるしかない」と悟った時こそ、伸の行動に活力が生まれる状況だった。それが如何なる事であっても。
 開き直った時の伸は強い、そして迷うこともない。どうせやるなら、自分が満足いくようにやる方がいい、と今は考えているようだった。

 早めの朝食を終え、ナスティの部屋のドレッサーに向かうこと三十分。段になっている髪をまとめる為に、頭をピンだらけにして、それから前髪を整え、眉を剃り、睫にビューラーを当てて、薄いピンクの口紅をナスティは、リップブラシで丁寧に塗った。
「これでメイクは完成よ!」
 と彼女が言うと、ドレッサーの鏡の中には、
「わー、本当に女の子みたいだー」
 と、本人も驚くような人物が映っていた。そこはナスティの腕ひとつ、と言いたいところだが、やはり遼が言った通り向き不向きがあると、ナスティもつくづく思っていた。恐らく遼や秀では限界があると。
 その後自室に戻って服装を整えた伸は、例のゴムストラップをリボンに替えた靴を下げて、再びナスティの部屋に戻って来る。すると、
「あら、それ自分でやったの?」
 ナスティもそれには興味を示した。
「そうだよ、だって丁度いい靴が無いんだもん」
 ヘアアクセサリー売り場で売っているような、幅広の青と黒の縞リボンを見栄え良く、靴の左右に空けた穴に通して、前面で結ぶようになっている。
「あ、ちょっと待って…」
 とナスティは言うと、部屋の奥のチェストからピンキング鋏を持って来た。そして、
「どうしてこんなこと思い付いたの?」
 リボンの切り口を山型に整えながら、彼女はそう尋ねた。もし伸が自分でこれを思い付いたとしたら、少年の思考としては、かなり異質な発想のように思えるのだ。しかし、
「姉さんが昔やってたんだよ、学校の上履きをこういう風にするのが流行ってたみたいでさ」
 と伸が答えたので、「成程」とナスティは目を見張った。自ら完璧にやろうと思う背景には、伸の環境からの情報が存在するようだと。それなら土台遼には無理な話だった。
 最後に鍔の小さい、藍色の麦藁帽子を頭に被せ、
「これで完了でーす!。さーさ、仲良くお出掛けください?」
 と、ナスティは冗談を飛ばすように伸に言った。

 廊下に出て階段へと向かう間、「やれやれ」といった風に溜め息を吐いた伸を見て、
「ご苦労様、って感じだけど、折角だから楽しんでらっしゃいよ」
 と声をかけたナスティ。しかし伸は、
「え?、楽しんでるよ、僕は」
 言葉通りに笑って見せた。途端、狐に摘まれたような顔をする相手に、伸は続けてこう話す。
「あ、いや、僕が楽しいって言うより、僕とは別人って意味でさ。『ローマの休日』みたいじゃない?」
 それを聞くとナスティも笑って答えた。
「そっかー、そうね、普段の生活は忘れてね!」
 そんな楽し気なふたりが、ダイニングの上の吹き抜けまでやって来ると、階段下で起きて来たばかりの当麻が、ギョっとした顔をしているのが見えた。
「・・・・・・・・」
 まだ寝ぼけているのか、言葉を思い付かないのかは定かでない。
 お忘れかも知れないが、この「デート作戦」の発案者は当麻である。しかし、発案者が予想できなかったことが、今目の前で起こっているらしい。普段「一言多い」と評される彼が、何も言わないでいるのは些か無気味だった。
 昨晩、やすりで爪を整え、シェルピンクのマニキュアを塗っていた伸に、
「気持ち悪いから余所でやってくれ」
 と言って居間から追い出した当麻だが、念入りな準備の成果が見える、降りて来た彼の完成度を見ると、昨夜の気色悪さとは随分違う印象を受けた。完璧とはこういうことだ、と、伸も誇らし気な態度を当麻に示すのだった。
 居間には他の三人が、伸が降りて来るのを今か今かと待っていた。征士は大して支度することもないので、暇潰しにずっと新聞を読んでいるが、結局は殆ど内容が頭に入らない、気もそぞろという様子だった。遼と秀のふたりは単に面白がっているだけだ。遼の時には大爆笑したので、今度もそんなつもりでいるのだろう。
 ところが、
「お待たせー!」
 とのナスティの呼び声に、一斉に居間のドアを注目した面々は、目を見開いて、やはり当麻同様に黙ってしまった。
 そこには、レースのパフスリーブのシャツに、ハイウエストで切り替えのある、サスペンダータイプの水色のジャンパースカート、ナスティに借りた藍の帽子と、夏用のビニールバッグを持って、向日葵のガラスのイヤリングを着けた『美少女』が立っていた。
「…誰だおまえ!?」
 暫しの間の後、遼がやっとそんなことを言った。いつものように賑やかに、なんやかやと囃し立ててくれると思えば、そんな反応をされるとは。多少いじけるように伸は、
「僕だよぉ…。でも今日は別の人間なんだよ」
 そう遼に返した。けれどまあ、当麻をはじめみんなの驚く顔を見て、ここ数日の努力の甲斐があったと満足はしていた。
『パフスリーブは上手かったな、肩幅が誤魔化せるし』
 心の内でほくそ笑みながら、伸は征士の方を向くと、
「さあ、出掛けよう」
 と声を掛ける。すると無言のまま席を立った征士は、大変上機嫌な様子で玄関の方へと出て行った。きっと、
『やはり伸を選んで正解だった』
 とでも思っているのだろう。

 庭先に出たふたりを窓越しに眺め、何となく絵になっている様を羨むような思いで見送る、当麻以下二名の心情は複雑だった。



 千葉県内のディズニーランドに着いたのは、昼の十一時を少し過ぎた頃だった。変わらず薄曇りのままだったこの日は、夏休み中にしては混雑が少なく、正に予想通りの好条件となっていた。
 ゲートの前に降り立った伸は、
「これがディズニーランドかー!」
 と思わず歓喜の声を上げている。ここに来ることを決めたのは征士だが、かなり離れた場所に住むふたりには、共に初めての嬉しい経験だ。否、いつだって来ようと思えば来られるが、ひとりで来てもあまり意味がない。無論家族で来たいという年頃でもない。やはり征士が望むような『状況』あってこそ、感動もひとしおなのだろう。
「まだ着いたというだけだ」
 後方からゆったり歩いて来た征士が、伸の横に立ち止まって言った。
「いいじゃないか、初めて来たんだよ、僕は」
 伸はそう返したが、しかし、
「あ、わたしか」
 と訂正した。
 ここまで来る間に、ある程度言葉遣いを直そうとした伸だが、付け焼き刃ではどうしても、ふとした時に普段の癖が出て来てしまう。けれど征士はそれについて、
「どっちでもよかろう」
 と寛容な言葉を返した。不自然な言葉遣いでギクシャクされるより、普段通りの方が自分も楽だと思った。それに加え、実は言葉遣いがどうであれ、この化け方では見破れないだろうと確信もしていた。
 流石に本人がこだわっただけのことはある。水滸の伸は今やすっかり、グラビアから抜け出したような本物の美少女と化している。元来男性の顔の方が目鼻立ちがはっきりしている分、何処にでも居そうな可愛い女の子どころか、そのレベルを超えたものになっていた。
 そんな訳で、征士はここに着くまでの電車の車内等でも、周囲に対し非常に鼻が高い思いをしていた。だからそれ以上求めなくていいと思ったようだ。自身のことを「僕」と呼ぶ少女も居るには居る、ならばむしろ慣れないことをしない方が、ボロを出す危険が少なくて済むだろう。というのが征士の考えだった。
 事はそうして、彼等の思惑通りに進んで行くのだった。

 園内に入ると、ふたりはアトラクションをいくつか回って行った。
 カリブの海賊では、特に恐いとも感じていないのに、わざと嬌声を上げてはしゃいでみたり。ホーンテッドマンションの二人乗りのブランコに、必要以上に緊張してくっ付いて座ってみたり。ジャングルクルーズの疑似ジャングルを背景に、案内役の人に頼んで写真を取ってもらったり。…まあ、全く普通の中学生らしい無邪気さで、初めて触れる環境、初めて経験する立場を楽しんで過ごしていた。
 因みにコースター系の乗り物には乗らなかった。片道三時間以上かかって来たことを考えれば、一時間待つ間に他の事をしないと、たちまち帰りの時間になってしまうからだ。しかし、
「あれ乗りたいよー、乗りたいよー」
 と伸が頻りに言うので、征士は故意に彼の耳元に寄り、
「…今夜、私と一緒に、あそこに泊まるつもりなら」
 と、遠目に見える高層ホテルを指差して見せた。
『どういう意味だ?』
 伸が返事をしようとした矢先、周囲の人垣から「ククク」と笑う声がした。丁度混雑している一角だった為に、前後左右がびっしりと人で埋まった状態。見回すまでもなく、自分達に視線を向けている人が幾人も目に入った。そしてそれらの人の表情を見て、伸はその言葉が『ちょっとHな冗談』であるのに気付いた。
「なーにを言い出すんだか、君は」
 結果しれっと返した伸に、けれど征士も鼻から芝居なので、屈託のない表情で笑った。
 暫しの後、その人混みを抜け出し普通に歩けるようになったふたり。けれど伸は先程からある事が気になり、周囲を歩く人の様子を見回していた。
「ねー、何かさっきから、僕らチラチラ見られてない?」
 伸は呟くように征士に尋ねた。自分が変だから見られているのでは?、と伸には思えてならなかった。が、
「それは伸がかわいいからだろう」
 と、征士はいかにも『デート』という形を弁えた風に、普通なら喜ぶ他にないことを言った。無論、実際の状況が伸の心配とは違うことを、征士はそれとなく感じているからだ。黒い髪の一群の中で、金髪と薄茶の頭はそれだけで目立つ。殊に征士は個人的に、そんな状況には慣れていたので、周囲の人の反応を容易く判断できていた。事情を知らぬ者から見れば、間違いなく目を引く美少年、美少女カップルに思われていると。
 それならば。正体がばれたのでないなら、見られていること自体は伸には面白かった。ので、
「僕、かわいい?」
 と、征士には大袈裟に品を作って見せた。すると打てば響くような、乗りのいい所を征士は披露する。
「今日見た人間の中で、一番かわいいですよ?」
 明らかに周囲の目を意識して、舞台の役者がするように伸の手を取る。自然に繰り出された、その自ら王子様気取りな演技が伸には可笑しかった。否、ひどくタイミング良く入ったのだ。空いている左手で征士の肩と胸の間を叩きながら、伸はひきつけを起こすように笑い出す。
「っひゃっはっはっ…」
 こういう笑いはなかなか止まらないものだ。それをただ傍観しているのも詰まらない。なので征士は打ち付ける掌を受け止めるように、自分の上体を伸の上に被せるようにして、彼の両手を捕らえて封じた。端から見ればそんな戯れは、単にイチャつくカップルにしか見えなかっただろう。
「…違うよ、見られてるのは君だろう?」
 可笑しさの嵐が過ぎた後、伸はやや落ち着いて征士にそう返したが。
 今朝この変装を始めてから、柳生邸で、或いはトルーパーの一員として接している征士とは、何処かが違うと伸は気付いていた。こんな風に人を楽しませようとする奴だっただろうか?、こんな風に派手なアクションで人目を引く奴だっただろうか?、と、向かい合う征士の肩越しに、次々違った人物像が重なって行く。
 否もしかしたら自分が、いつもと違う見方をしているのかも知れない。立場が違うと言うだけで、思わぬ発見があるものだと伸は思う。
「さて、どうだろう」
 気負いもせず答えて笑った征士は、誰の目から見ても、それが厭味に思えない堂々とした態度で居られる。とても、羨ましいことだった。

「すいませーん!、すいませーん!、そこの…」
 ふたりがメリーゴーランドの近くに歩いて来た時、手には大きめの手帳、首から身分証明を下げた女性が駆け寄って来た。
「私、こういう雑誌の者なんですが」
 彼女はそう言って、懐に抱えた雑誌の表紙を示して見せる。それはティーンズ向けのファッション雑誌で、ここに取材に来ている記者のようだ。
「この来月号で、『ディズニーランドでみつけたすてきなカップル』っていう特集があるんだけど、よかったらお写真撮らせてもらっていいかな?。時間はかからないのよ、十分か十五分くらいでいいんだけど」
 眼鏡の奥から人懐こそうな目でふたりを覗く、二十代半ばくらいの雑誌記者。別段その態度をどう思った訳でもないが、今日のふたりは正に「見せびらかしに」来たので、
「いいですよ」
 と迷わず返事していた。これで雑誌に載った暁には、世界にふたつとないような思い出になるだろう、とも思って。
 後からやって来たカメラマン達が支度をする間、女性記者はふたりを荷物が集めてある場所に呼び、いくつかの指定の質問を向けた。
「じゃあ君から、お名前と年令は?」
「伊達征士、十四才」
 相手が「えっ」という顔をすると、逆に征士は内心で満足げに笑った。
「中学生なの!?、えー、大人っぽいねー」
 そう言うだろうと予想はしていた。何処でもそう言われるからだが、それを喜んでいる内は子供だという事実には、本人はまだ気付いていない。
「じゃあ、彼女は君のガールフレンド?」
 そして記者が更に尋ねた件には、
「いいえ、正式な恋人です」
 と恐れもなく答えていた。「十四と知って嘗めるな」と言いたげな態度に、横で伸もニヤニヤしている。周囲に集まる数名の大人達は、きっと『侮れない』と思ったに違いない。次に、同様に伸にも名前を聞いたのだが…、
「毛利サヨコでーす、年は同じです」
 努めて可愛らしく振る舞う伸の横で、
『サヨコ!?』
 征士は初めて聞く名前に、とても奇妙な感じを覚えていた。
 ロケーションはそのメリーゴーランドの前、ということで、少しばかり恋人らしいポーズを付けて撮影することになった。カメラテストをしている間、いつの間にか周囲には小さな人集りができたが、そんなことより征士の目下の関心は、
「サヨコって誰だ?、お母さんとか?」
 周囲に聞こえぬように、征士は小声でそう尋ねていた。応えて伸は簡潔に、
「姉さんだよ」
 と言って、顔をカメラの方に向けたまま笑う。まだこの頃は、それぞれの家族の名前までは話に昇っていなかった。普通は相手の家を訪ねて知るものだから、そうなるにはまだ、残された戦いを越えて行かなければならない状況だ。そんな戦いの合間の、これは楽しいばかりの余興。
 伝えられた通り撮影は十分程で済み、終わるとさっきの女性記者が手招きしていた。まだ何か用事があるのかと、その方へと向かってふたりは歩き出す。すると前に居た男のカメラマンが、
「君達って、ちょっと普通の人とは違う感じだなぁ」
 と声をかけて来た。その言葉にギクッとしたのは勿論伸だが、
「何か天性の物があるよ。あ、女の子さー、君身長あるし、モデルとかやってみる気ないの?」
 危惧した事とは違い、的外れな話を続けたので一気に緊張が緩む。後は安心して言い訳を考えればよかった。
「あー…、そういうの、学校がうるさいから…」
「そーかー、勿体ないなー」
 確かに女なら、165センチを超えれば長身と言えるだろう。普段どちらかというと地味で目立たない伸には、形(なり)を変えただけでこんな風に注目される現実は、少々複雑な思いがした。
 また女性記者は彼らに、自分がポラロイドで撮った写真と、ディズニーランド内の飲食チケットをくれた。それには目を輝かせて返すしかなかった。
「まだごはん食べてないから嬉しい〜!」
 園内の店は何処も割高なのを知っている征士も、これは素直に喜べる謝礼だった。なのでふたりは揃って、
「ありがとうございました!」
 と、きっちり九十度体を曲げてお辞儀をした。そして顔を上げると、クスクスと笑いながら去って行った。その一部始終を見ていた雑誌社のスタッフは、『ホントに只者じゃない』と改めて思うのだった。あらゆる意味で規格外だと。

 けれども楽しい時は足早に過ぎて行く。
 やや遅い昼食を終えた後は、そろそろ帰り支度を始めなければならなかった。まだ時計は二時半を指していたが、遅くとも四時にはここを出ないと、柳生邸の近くまで乗り入れるバスが、極端に数を減らす時間になってしまうのだ。そしてそこにはお土産を待っている仲間も居る。例え混み合っていようと、園内ショップにはどうしても行かねばなるまい。
 考えてみれば、唯一ここに来たことがあると言った、しかもこの近くに住む秀に何故、お土産を買わなければならないのか理不尽だ。が、約束したことは仕方ない。それを選び終えたら、今日のデート企画もほぼ終了だった。
「ナスティ、純、みんなと、それから僕のうち…」
 ショップに陳列された細々したグッズや、ここでしか見ないお菓子を眺めていると、伸の頭には親戚やら学校の友達やら、多くの顔が次々浮かんで来て切りがなくなっていた。征士にしても大差ないが、伸の実家はここからかなり遠い。身の回りに東京土産を喜ぶ者は大勢いるのだ。会計を済ませると、必然的に手には大荷物が出来ていた。
 後から人混みを抜けて来た征士と落ち合い、さてそろそろ帰ろうという時、
「あ、待て」
 と言って征士は足を止めさせた。
「妹を忘れた」
 何を買うかは決まっていたのだが、買って来るのを忘れたと彼は言う。ならば大して時間は掛からないだろうと、
「じゃあ僕ここで待ってるから、早く行ってきなよ」
 伸は快く荷物番を引き受け、送り出すように征士の肩を叩いた。無言で示し合わせるが如く、手荷物を下ろした征士はスッと人の中に消えて行った。
 そのまま、店内の隅の方で待っていた伸だが、何もせずそうしているのは退屈だった。辺りを見回していると、背中に近い場所のショーケースにふと、何かキラキラ光るものが目に映り、伸は体を返してそれをよく見てみようとする。そして確認した物は、ディズニーランド名物と言えば名物かも知れない、ガラスの靴のアクセサリーだった。
 そこには他のグッズより少々高価な、クリスタル製品が集められていた。その小さな品々をもっと近くで見ようと、伸は荷物ごとそこへ移動して行った。
『僕が本当に女の子だったら、こういう物をほしいと思うんだろうな〜』
 などと感じながら、ガラスケースの中をぼんやり眺めていた伸だが、その途中でちょっとした思い付きから、フッと笑ってしまった。
『実際本当にシンデレラだ、こんなかっこをしてる時だけお姫様になれる』
 別に、ずっとこの格好でいたいとも思わないが、制限がある物事は何でも切なく感じるから不思議だった。限られた時間しかない、ナスティに選んでもらった服も、漸く足に馴染んで来た靴も、もう二度と身に纏うことはないと思うと。
 しかし続けて伸は心の中で呟いていた。
『でも、絵本の話と違うのは、王子様とハッピーエンドってのは絶対ないことだ』
 あくまで遊びだから楽しい、お伽話だから美しい。そんなことを間違える伸ではなかった。
 そうしてショーケースの前で、伸が肩を竦めて笑っている後ろに、征士は今し方戻って来たところだった。何を熱心に眺めているのだろうと、暫し伸の様子を窺っていたが、やがてそろそろとその横に歩み寄り、彼が眺めている商品を一緒に眺めた。そして、
「…ほしいのか?」
 と征士は一言耳打ちした。音もなく傍に来た彼に仰天して、思わず一歩離れた伸。そして、
「えっ?、まさか。見てただけだよ」
 と当たり前の返事をした。しかし、それまでの伸の行動を具に見ていた人物が、この場にもうひとり居たのを伸は知らなかった。
「こちらのお嬢さん、さっきからずーっと見てらしたんですよ」
 ショーケースの向こう側から、他の販売員よりやや格の高そうな女性が、ここぞとばかりに征士に向かってにっこりしていた。
 見ていたのは確かだが、その販売員が思っているような理由じゃないと、伸は声を上げて弁解したかった。だがそれが逆効果になる可能性もある。むきになって反論すると、逆手に取られることがしばしばあるだろう。なのでこの時は、商魂逞しい販売員を密かに睨んで、『売り込むな〜』と気を送るくらいのことしかできなかった。
「ふーん…」
 始めは征士も意外そうな顔をしていた。伸はとにかくこの場から離れようと、冷や汗をかきながら荷物を取り、征士の腕を掴んで歩き出そうとしている。暫しの間ガラスケースを眺め、何かを考えている様子の征士に、とても悪い予感がしたのは確かだった。『こいつは時にとんでもない事をする』と、伸は既にある程度理解していた。
 そしてその予感は的中する。
「買ってやろうか?」
 案の定、征士は悪戯っぽくそう言うと、横で慌てている伸の顔を覗き込む。
「いっ、いいよそんなの」
 否定はしたが、思い切った男言葉を使えない分、何となく歯切れが悪い返事に聞こえた。伸は逆らえない場の流れを感じ始めている。それ以前に五千五百円という値段は、中学生には少々高価な買い物だった。使うことがない物を買わせる訳にいかないと、伸は良心から成り行きを心配していた。ただの冗談であってほしいと祈るような気持ちで、征士の腕を掴む手に力を込める。
 けれど、そんな伸の思惑を知ってか知らずか、征士は何やら楽しそうに伸の反応を窺っていた。『からかわれてるのか?』と状況を判断した伸だが、だからといって何ができる訳でもない。

 結局、征士はそれを購入してしまった。
「イヤリングを付けてるから、ペンダントの方がいいかしら?」
 販売員も至って上機嫌な声色だ。
「お持ち帰りにしますか?、それともこちらで着けてお帰りに?」
「ああ、着けてやって」
 と、征士も勝手に話を進めている。ただひとり、唇を噛んで黙っている伸の元に、販売員はいそいそとした様子でやって来て、彼の首にガラスの靴のペンダントを着けてくれた。
 しかし、当然嬉しそうな顔などする筈もなく、俯いたままの伸には、
「あら?、彼女照れちゃってるのかな?」
 そう言って女性店員はフフフと笑った。その白い化粧顔に向かって、
『困ってんだよ!』
 と伸は怒鳴り付けたいところだった。
 既に内心で、沸々と怒りが込み上げていた。自分の意志がまるで反映されない、むしろ故意に曲解されたような、この不快な状況は一体何なのだろうと。強く出られない自分の立場を利用し、いいようにされていることに腹が立って仕方がない。
 けれどそれは伸が、本当は男であることの証拠だった。微妙で捉え難い、少女らしい心情をこの場で最も理解していたのは、販売員の女性だった筈なのだ。何が気に入らないの?、言わなくとも思うことを汲んでくれる、こんなに特別扱いしてくれる人がいるのに…?。

 ショップから走り出た伸は、後から来る征士を振り返り叫ぶように言った。
「何考えてんだよっ!、僕は笑われに来たんじゃないぞ!」
 薄く日暮れの色に染まった空の下、帰路に就こうとする人の流れの中では、伸の発言が姿にそぐわなくても、気に留める人も殆ど居なかった。けれどその声を耳にして、怒っている伸の様子を目で確認しても、征士は一向に慌てる様子を見せない。普段通りのペースで歩き、ふたりの距離がかなり縮まったところで、彼は小さく手を振って、
「違う違う」
 とだけ伝えた。そして「黙って聞いてやろう」という、不遜な態度で待っている伸に、征士はこんな話を聞かせた。
「思うが、何かを物欲しそうに眺める彼女に、それとなく『買ってやろうか?』と言うのは、物凄〜く楽しく感じるな?。だからそれでいいんだ、大人しく受け取ってくれた方が私が嬉しい」
 征士の率直な理由。それを聞いた途端に伸は、
「アッ…ハハハハッ…」
 思わず大声で笑い出していた。
 また彼が笑ったのを見ると、征士も安堵するようにフッと笑みを零した。
 伸がすぐに態度を改めたのは、確かにそうだと、彼の気持ちがよくよく理解できたからだった。それは何というか、ひどく男っぽい意見であって、女の子の立場を努めていた伸には、今は思い付けないことだった。普段なら当たり前にそう考え、買ってあげた物のことなど、大して気にも留めない筈なのだ。女は欲しがるが、男は与えたがると言う相場の通り。
 そしてそれをさらっとやってのける、征士とはこういう人なのだと伸は改めて知った。

『遼や秀は、理解できないって言うかも知れない。でも僕は君が、何で女の子に人気があるのかわかるよ…』
 帰り際、一少女の振りをしていた自分が、今日一日とても楽しく過ごせたことを思い返した。それなので、伸はすっかり機嫌を直して、再び征士の腕に絡み付いて歩く。
「じゃあ、今度会った時はね、僕からお返しをするよ」
 今度があるとは、征士は思っていなかったけれど。



 後日、全国の書店に並んだ雑誌に、彼らは巻頭ページに堂々と載せられていた。が、その頃には新たな鎧の戦いが始まり、もうそれどころではなかった…。



つづく





コメント)一応1990年頃のディズニーランドです(笑)。しかし園内の詳しい事はもう、覚えてないのが正直なところですね。今だと、スプラッシュマウンテンとビッグサンダーマウンテンは、いかにも征伸らしいので(スペースマウンテンもあるが)、乗り物ネタも書けたんだけど(^ ^;。
靴に関する記述がこれだけ多いのに、靴の絵が無くてすみません(笑)。




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