夕陽の海と伸
デカダンの麻薬
The Ruin Giving



 一九九九年七月最後の日。
 場所は新宿、某居酒屋に集まったメンバー。

 そして時計が深夜の十二時を過ぎ、日付が八月一日に変わると、その途端居酒屋のフロアのあちこちで、喚声のような安堵のような声が上がっていた。これが今年の一大イベント。人々はあるひとつの情報に一喜一憂しながら、この七月をやり過ごして来たところだ。
 同様に元鎧戦士達も、それぞれ身辺の様子を警戒しながら生活していたが、その緊張感が解かれると当麻は言った。
「何もなかったようだな」
 すると間を置かず秀が、
「そうだな!、目出てぇことだ!」
 歓喜に溢れた声でそう続けた。「何もなかった」。今はそのことが世界中の人々を安心に導いている。例え根拠が不確かな情報でも、こうして世界を震撼させることはあるものだ、と、今は誰もが何とも言えない気持で居るところだろう。
 正にそんな心境だった遼が、今更ながら事の詳細について尋ねる。
「結局何だったんだ?、『ノストラダムスの大予言』って」
 そう、ノストラダムスの名前は、近世に入って広く世界に伝えられていた。単なるフランス人医師の記した本が、何故ここまで話題になったのかは、それに目を着けたジャーナリストのアピールの賜物と言える。話題を盛り上げることで、本が売れてくれれば版元の利益に繋がるからだ。そのアピールは結果的に大変な成功をおさめた。ここまで人の好奇心を駆り立てることになったのだから。
 ただ、その内容についてはナスティが、
「まあねぇ、これまで当って来たって言われてることは、結構なこじつけもあったから」
 と、半ば苦笑いするように言うと、当麻もまた溜息混じりに続けた。
「その通り。どう考えても理論的じゃないと俺は思ったけどな」
 まあ予言などと言うものは、何にせよあまり理論的ではないかも知れない。聖書の黙示録は有名だが、抽象的過ぎて未だ何を言っているのか、研究者の間で議論されている最中だ。ただそれと比べても、ノストラダムスの方は短絡的で稚拙な印象がすると、当麻は言いたいようだった。するとそんな当麻の態度を受け征士は、
「ならこんな集まりは意味がなかったではないか」
 とボヤく。別段今は仕事が忙しい時期ではなかったが、どうせ八月に入れば、休みを利用して仲間達に会うこととなる。最初から信憑性が低いと判っている話題なら、そう伝えてくれれば済んだのに、と征士は不満げに言った。
 だがそんな征士も、心底不満に思っている訳ではないと知っている秀が、
「ま、いーじゃねーか!。何かにかこつけて集まるってのもよ!」
 そう言って陽気にビールグラスを掲げると、それを征士の手にしているグラスに、ガチンと勢い良く一方的にぶつけた。取り敢えず美味しくお酒が飲めているなら、機嫌が悪いことはないだろう。そして遼も今は明るい調子で、
「一応の用心ってことで、何もなければそれでいいさ」
 と話すと、全くその通りだとナスティが賛同した。
「そうね!。平穏無事が一番!」
 この『ノストラダムスの大予言』に限らず、世界には数々の予言や終末論が存在する。それは人類が、このまま地球で繁栄を続けることはないと、少なからず予感する者が居ると言う意味だ。無論それは当てずっぽうな予感ではない。多くの生命が発生しては絶滅して行った、地球上の長い長い歴史の中で、人間もその一部に過ぎないと考えるからだ。
 まして人間は、頭脳こそ群を抜いて発達せさた生物だが、それを包む体は柔らかく脆弱だ。ある意味では一部の昆虫などより弱いと言える為、何か抗えない衝撃的事件が起こるのを、こうして世界中で恐れることがあるのだろう。
 生物的に言えば人間ひとりひとりは弱い。だから人類の終末はいつか必ずやって来るだろう。ただ、今のところその予感の多くは、まだ当面やって来ない未来の何処かの時点となっている。今年これだけノストラダムスが話題になったのは、その不自然でイレギュラーな予言が、人々の恐怖心を余計に煽ったからだと推測できる。
 今、充分に平和な時代が到来したこの時に、何故突然滅亡しなければならないのだろう?、と。
「あら、どうしたの伸?」
 その時、あまり会話に参加していない様子の彼を見て、ナスティは不思議そうな様子で言った。居酒屋での集まりとなればいつも、場の空気作りに率先して話し出す伸が、どう言う訳か今日は大人しい。特に今は何やら考え込む様子で、テーブルの上の空になった皿をじっと見詰めていた。
 しかしナスティの呼び掛けに驚く様子はなく、周囲の会話は普通に聞こえているらしかった。そして伸は多少言い出し難そうにこう言うのだ。
「いや、ねぇ、予言にあった七月は過ぎたけど、多少の誤差はあるかも知れないな〜と思ってさ」
 つまり伸は、これで悪い予言が回避されたとは言い切れない、と言いたいようだ。それを聞くと当麻が呆れたように、
「誤差ねぇ」
 と呟いたが、話し出した勢いで伸は更に続けた。
「今は多分世界中のみんなが、『何もなくて良かった』って気を抜いてるだろうけど、もしそれで明日世界の終わりが来たらどうすんの?」
 横に座っていた秀はそんな話を振られ、こう返すしかなかった。
「どうすんのって言われても、相変わらず心配性だな伸は」
「心配って言うか、それを題材にした歌とかマンガとか色々あるだろ?。これだけ世界を騒がしといて、本当に何もないのかなって、何か拍子抜けな感じでさ」
 すると遼が、
「拍子抜けでも、不吉なことが起こるより何もない方がいいだろ?」
 あまりにも正論らしい正論を言うので、取り敢えず伸も頷いて見せるしかなくなった。
「それは勿論だけど」
 どうも彼には何か、予言の正誤とは関係なく、他に言いたいことがあるようだった。ただそれが何なのか、この場で言い難いことなのか、或いは上手く言葉に纏められないのか、言動に迷っている風でもあった。
 人類滅亡の予言、人類の終末論、それらを考えることを通し、恐らく伸の心には何らかの閃きがあったのだろうが。
 そこで、話が続かなくなった伸に代わり、当麻が現状世界の話をし始めた。
「しかし、今現在世界が滅亡する要因は、あまり思い当たらないところなんだよな」
「そう?」
 と伸が尋ねると、彼は議論し易いようひとつずつ例を挙げて行った。
「今は特に致命的な伝染病や環境汚染もないし」
「ああ、エボラ出血熱が一時話題になったけど、感染はそこまで広がらなかったわね」
 第一の話題にはまずナスティが応えた。成程、八十年代に脅威とされたHIVも、人類が滅びる程感染が拡大している訳でもない。現状人類が、病によって内側から死滅することは確かになさそうだった。そして環境汚染については秀と遼が、
「チェルノブイリだって何とか食い止めてるもんな!」
「オゾン層の破壊も、進まないように努力してるところだろ?」
 これぞ常識と言うように続けて言った。そうであるなら、突然人類が有害物質に苦しめられることは、あまり考えられないと結論していいだろう。
 続いて第二の話題には、
「また、全世界を巻き込む戦争が起こりそうでもないし」
 当麻はそんな例を挙げたが、第一の話題に比べピンと来ない者が多かった。その中で征士が、
「第三次世界対戦とか…、言葉はよく聞くが言葉だけだな」
 と話すが、その通り日本を始めとする先進国は、この数年至って平和な時を過ごしている。長く続いた侵略戦争の時代が終わり、軍国主義や東西冷戦の時代も過ぎた。今は誰も世界を巻き込む大戦争の予感などありはしなかった。
「そんな不穏な方向には向かってないよな?、今」
 と遼が尋ねると、それについてはナスティが的確な説明を聞かせてくれた。
「戦争自体は旧社会主義国や、アフリカではまだ続いてる所もあるわ。でもほとんどが独立戦争だから、世界に広がることはないんじゃない?」
 彼女の言うように、武装地域が無い訳ではないのだが、各民族の独立を掲げた戦争が、大国同士の戦争に発展するとは考え難かった。唯一イランやイスラエルなどの中東地域だけは、常に大規模戦争の不安が無くならないが、東洋の国々にはあまり関係がない為、全世界が参加する戦争のイメージではない。
 それなら、今すぐ世界が滅亡する要因にはならないだろう。
 そう納得したところで、遼は答を急ぐように当麻に問い掛ける。
「じゃあ他の可能性は?」
 すると彼は、世界的に最も危倶された第三の話題をこう話した。
「人類滅亡の可能性が最も高いのは隕石の衝突だ」
「確かに、一発で生命が絶滅するとしたら、隕石説が有力よね」
 今度もまた、一番に話に乗ったのはナスティだった。それだけ学説的にはポピュラーな解答なのだろう。
 御存知の方も多いと思うが、地球には過去に氷河期と言う時代があった。そしてその始まりは隕石の衝突に因るものだと、今では広く知られている。何故隕石が落ちると気温が下がるのか、そのメカニズムはここでは置いておくとして、特に不穏な変化のない社会が突然滅亡に向かうとすれば、何らかの、世界規模で被害を被る事件が必要だ。それが隕石と言う訳である。
 地球上ならともかく、宇宙で起こることはなかなか予想はできない。だから世界はそれを危惧していたのだが、ただ、地球の近辺を観測する望遠鏡などを使い、そのデータを分析することはできている。その結果、
「残念ながら、今地球に近付いてる隕石の情報は無い」
 と、当麻が言い切れる程度に、今は安全な状況だと確認することになった。
「そーなのか。今は降って来ねぇか」
 一度興味を持って身を乗り出した秀が、途端に肩の力を抜いてそう言うと、当麻は「期待外れで悪かったな」と笑いながら言った。
「まあこの先十年くらいは、ある程度の大きさのものは観測できないだろうな」
 宇宙に詳しい当麻がそう言うならと、話を聞くメンバーは気持良くその説に納得する。これで、地球外からの最大の脅威も無いと見て良かった。では他に何があるのだろう?。
「その他は?」
 と更に遼が聞くと、その先は隕石説に多少近い話を当麻は続けた。
「その他は…、大規模な地殻変動が起こるとか、何らかの理由で太陽が爆発するとか」
 それらも観測機器の発達で、ある程度の予測はできる類のことなので、今すぐ大惨事が起こるとは言えない状況だったが、
「それはあるともないとも言えない感じね」
 とナスティが続けるように、現在はまだ正確な地震の予知すらできない世の中だ。突然地球内部の活動が活発になったり、突然太陽の一部が爆発する可能性は、ゼロとは言えない状況だった。但し逆に言えば万にひとつと言う事態でもある。地球乃至宇宙の悠久の歴史の中で、数万年、数十万年に一度起こるか起こらないかのことだ。それを恐れて怯えるのは馬鹿げているかも知れない。
 否、勿論その時に出会ってしまう生命も、存在するかも知れないが。
 そしてそのレベルで言うなら、と、当麻は最後に冗談混じりに言った。
「あとは、突然エイリアンが襲来するとかな!」
 まあ、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』よろしく、突然地球外生命が侵略にやって来て、世界がパニックに陥ることもあるかも知れない。それこそ数千億にひとつの可能性と言う感じで、流石に話がフィクションじみて来た。
 なのでそこまでを聞いて、
「じゃあ予言なんてホントに眉唾だったんじゃねぇか」
 秀が多少憤慨するように言うと、今度は征士がそれを宥めるように返した。
「まあそう言うな、それでも世界中で警戒していたのだからな」
 そうなのだ。予言の期間を過ぎてしまえば、何故こんな話を気にしていたのか馬鹿馬鹿しくもなる。恐らく誰もが来年のこの時期には、人類滅亡の予言など忘れ去っているだろう。だが世の中はそうした都市伝説的な噂話を、しばしば持ち上げて騒ぐ時がある。今は丁度そんな社会現象を体験した、と言う時だった。
 そして当麻は、
「その通り、誰が広めたのか知らないが、世界中の人間が踊らされた感じだな」
 様々な世界のニュースを思いながらそう言った。何しろ海外では、自宅に核シェルターまで用意した家庭もあったと言う。それを思えば、一応の覚悟をして居酒屋に集まるくらいは、笑って済ませられる「踊り」具合だった。
 これにて、『ノストラダムスの大予言』については一件落着。
 ところがそこでまた伸が、
「いやだから、まだわからないかもって言ってるだろ?」
 と、前の話を蒸し返すのだ。これだけ可能性を話し合って来た後に、彼は何故まだこの予言が有効であるとしたいのだろう?。流石に妙に思った当麻が尋ねる。
「さっきから何故そんなこと?」
 すると伸は、多少口籠りながらも真面目な様子である単語を発した。
「世紀末だからさ」
 世紀末。それを聞いて誰もが一瞬黙り込んだ。何故ならそう言われても特に何も、禍々しいことは思い付かなかったからだ。世紀末とは、つまり一世紀の末である。それ以外に何があるのだろうと、遼は無い知識を振り絞ってこんなことを言った。
「セイキマツって、まさかバンドじゃないよな?」
 ただ、そのバンドが何故悪魔的な姿をしていたのかも、考えてみれば謎だと彼は気付く。世紀末には何か恐ろしいことが起こるから悪魔なのか?、と。
 しかし当麻とナスティには、伸の言いたげなことが多少理解できているようだった。先に当麻がやや首を捻りながら、
「うーん、世紀末になると末法思想が広まると言うが、確かに今年はそんな年だろうけどな」
 と話すと、言葉の意味の取れない秀がすぐに質問した。
「マッポウって何だよ?」
 そしてそれについてはナスティが解説することとなった。
「簡単に言うと、『神も仏も居ない』って思想のことよ」
「そうだったら何かあんのか?」
「だから、人の心が荒むと何が起こるかわからないってことよ。今先進国は何処も物質的に満ち足りて、物が溢れ返ってるけど、心は逆に貧しくなってるって言うでしょ?。そんな本当の幸福を見失った人々が、縋れる神も仏も存在しない時代なの。今は」
 と、ナスティは秀に理解し易いよう話したが、そもそも末法とは仏教の話で、釈迦が立教してより千年間は正法の時代、その後千年間は像法の時代、それ以降は末法の時代となっており、その有難いお釈迦様から世界が遠く離れてしまうのを、絶望的に感じることを言う。或いは如何に神々しい教えも、いつかは廃れ堕落する時が来ると言う、世の果敢なさを説いた話である。
 つまりもうずっと世界は末法界なのだが、何故か世紀末が近付くとその思想が流行ると言うのは、人々が存在の不安を感じやすい時期、イコール世紀末と言うことなのだろう。そう、不思議なことに西洋でも、世紀末になると退廃思想が進行すると言う。暦上の区切りが世界の区切りとなるのではないか?、と言う不安がそうさせるのかも知れない。
 だから一九九九年、この年の予言が注目されたのかも知れなかった。
 ただ、例え世相が暗く流れていても、それに合わせる必要はないと遼が声高に言った。
「いいや!、伸、そんなこと言ってちゃ駄目だ!」
「そう?」
「未来を望む人間には未来があるんだ。神も仏も無いと思えば本当に無くなっちまうぜ」
 するとそれを聞いた秀も、ニッと笑って遼に賛同する。
「お、いいこと言うじゃねぇか遼!」
 確かに遼の言う通り、望まれるものは存在し、望まれぬものは存在しない、と言う哲学的な言い方もできる世の中だ。何事も個人個人の意思から出来ている、経済ですら人の意思で変動している。と思えば、否定的な考えを持つこと自体が人生の無駄、とも言えるかも知れない。神は居る、仏も居る、あらゆる物に宿った精霊達も居る。それらが我々人間を認めてくれているなら、充分それに与ればいいじゃないかと、遼は彼らしい、とても大らかな気持を言い表していた。
 そしてそんな意見を耳にすると当麻も、
「まあ、そもそも西暦は人間が勝手に決めた年号だし、その区切りの年と言っても、地球自体には何の意味もないとは言えるな」
 よりグローバルな視点での歴史観を話した。また征士もそれに乗って、
「確かに。日本には日本の年号があるしな」
 と続けると、全くこれまでの大騒ぎが下らなく思えて来るのだった。無論暦と言うものは、人間の生活には大事なものだが、地球を始めとする星の活動がそれに合わせて動くことはない。反対に人間が、星の都合に合わさせられて生きているのだ。
 ならば世紀末だの、十三日の金曜日だの、人の言い出すことは皆馬鹿馬鹿しい。
「そうだぜ、そんな気にすることなんかねぇよ」
 秀がそう言って伸の肩をパンと叩いた。だがそれでも彼はまだ何かわだかまりがある様子で、
「気にするって言うか…、まあいいや」
「まあいいって何だよ?」
「何でもないよ」
「何でもないって何だよ!」
 結局この場では、その真意を何も明かさないまま終わってしまった。伸は何を考えているのだろう?、と誰もが多かれ少なかれ思うところだったが、時計が十二時半を指す頃に、この居酒屋会議はお開きとなった。恐らくその続きを聞けるのは征士だけだった。



 その帰り道のこと。
 新宿から中央総武線に乗り、駅を降りたふたりは家路をのんびり歩いていた。当麻と、その家に泊まると言った秀ももう電車を降りた頃だろうか。遼とナスティは夜行バスに間に合っただろうか。そんなことをぼんやり考えていた伸に、征士は電車内ではやや話し難かった話題を、思い出すように呟いていた。
「末法か。言われてみれば今はそんな気風かも知れないな」
 すると、何故だかそれを嬉しそうな顔で伸は返した。
「ね、そうだろ?」
 そんな彼の様子を見ると、単に同意してほしかっただけなのかも知れないと、征士には俄な安堵が降りて来る。まさかとは思うが、この度話題となった大予言を真に受けているのかと、先刻の態度からは心配にもなった。特に科学的な裏付けもない話に、伸は慎重になり過ぎるているようだった。だがこうしてふたりで話すと、全くそんな風ではない彼に安心させられた。
 ただ、それなら居酒屋での彼は何だったのだろうと、尚不可解にも感じたが。
 そして伸は、先程は敢えて話さなかったことを、ここであっさり打ち明けてくれた。広く世界を考察した訳ではなく、極個人的な感覚の話である為、仲間達の前では言い難かったのだ。
「世の中の人が、『今年で終わり』みたいな意識をしてるのが、僕には何となく感じられるからさ。その意識が滅亡の原動力になるかも知れない、と思えなくないんだ」
「そう言う話か」
「遼の言ったことの裏返しだよ。暗に終末を望んでる人も多いんじゃないかと思って」
 つまり、生活に疲れた、明るい未来が見えない、など何らかの理由で世界の終焉を望む人も、ここ日本にはある程度存在すると言う訳だ。
 まあそれはそうかも知れない、バブル期を過ぎた後のこの国は、あらゆる方面で右肩下がりのグラフを描いている。その流れは緩やかでも、確実に国力が弱って行くのを最近は、肌身に感じることが多くなった。過去の隆盛を知っている壮年世代は特に、先に希望を持てない心境であっても不思議はない。それが伸に感じられることも、何ら不思議なことはなかった。
 ただそれでも、と、征士は自分なりの考えをこう伝える。
「だが、これで終わりと諦めのつく者より、もっと生きたいと思う者の方が多いと思うぞ」
「そう…、まあそうかなぁ?」
「社会がどう推移しようと、人間は概ね生き汚いものさ。それこそ巨大な隕石でも落ちて来ない限り、生きようとする者は生き残るだろう」
 暗に終末を望む者が多いとしても、人間、死ぬと言って簡単に死ねるものではない。自ら命を断つ勇気のない者が、他力本願に世の終わりを望んでいるだけかも知れない。恐らく伸の感じ取った不安とは、そんなことなのだと征士は思った。
 そしてそれと同時に、終末を語る伸はやはり、何処か楽しそうだとも思えた。まるで大喜利のお題でも楽しむような様だった。そう、恐らく伸は今、終末、世紀末と言う言葉から想像できることに、酷く関心を寄せているに違いなかった。彼は彼なりの終末論を話したがっているのだ。
 と理解すると、征士は先手を打つようにこんなことを言い出していた。
「私の神は目の前に居るので、私はまず死にはしない」
 すると伸は大いに笑って答えた。
「幸せ者だな君は」
「そうだとも。私だけのごく狭い世界はこのところ常に平和だ。そして常に幸福な時を刻んでいる」
 言いながら、丁度人気の無い路地に入ったのをいいことに、征士は伸の肩を抱き寄せ、
「周囲の世界がどうだろうと関係ない」
「ん…」
 半ば強引に唇を合わせた。その触れた唇からも、伸の楽し気に弾む心音が伝わって来る。こんな風に陽気に終末と向き合っていられる、彼の気持をもっと知りたいと征士は思った。誰も彼もが、世界の終わりに恐れ戦く訳ではないようだ。
 否、もしかしたらそれは、一種の甘い幻想かも知れない、とも思った。
「もし、本当に世界に終末が訪れるなら、最後には皆そこへ逃げ込むしかない」
 と征士は言った。
「自分だけの平和な世界に?」
「そうだ。私は伸だけを見ていればいい。その他の世界のことなど知らん」
 考えてみれば、誰しも最後は愛する人と共に居たい、と思うのが普通かも知れない。それが時間差なく、同時に終われるのはある意味ロマンティックだ。地球に未曾有の大事件が起き、後々一組の抱き合う骨と化して、そのまま風化して行くのもいいだろう。誰に知られることはなくとも、ふたりのそれまでの幸福な気持が、偽物に代わることはないのだから。
 あなたが居て私が居る。君が居て僕が居る。最後の時にそれ以上望むことはあるだろうか?。
「そうだね…、最後にはきっとそうなるね」
 伸が、征士の言葉に酷く感心するように応えると、征士はその様子を見て言った。
「解った。伸は今世界が滅亡してもいいと思っているな?」
 するとややはにかむように笑い、伸は征士の肩に気だるそうに寄り掛かる。珍しい、何処か甘えたような態度を見せる彼を見て、だからそれが正解だと判った。居酒屋の席で言い出せなかったのは、つまりそう言うことだったのだと征士は知った。
「フフ…どうだろ」
 だが伸の考えも理解できなくはなかった。死に急ぎたい訳ではないが、我々が常に幸福で居られる保障は何もない。誰も未来の苦悩を先に取り除くことはできない。
「それは今が幸せ過ぎるからだ」
 と征士は返し、抱えていた伸の肩をもう一度強く握る。するとそれに反応するように、伸は漸く素直な気持を話してくれた。
「そう、そうだよ。このまま時が止まってもいいって、何処かで思ってるんだよ」
 そして恥ずかしそうに目を伏せた。
 例えば日常生活の中でも、そんな気持になることは稀にあるものだ。恋の楽しみが最高潮に盛り上がった時、芸術などに大変な感動をした時など、この時間を留めておきたいと思うのは、特に罪なことではないだろう。ただそれで、世界の滅亡を望むのは些か背徳的だ。だから伸はそんな気持に流れる自分を、こうして恥じているようだった。
 世界の終末とはある面では魅惑的なのだと。終わることは全ての安息であり、地平線に沈み行く夕陽のように、盛大な幕引はかくも美しいからだ。
「今世界が終わってくれたら、僕らはこの先の悲しみを見なくて済む。僕らの今は永遠になる。永遠に今のままで居られたらいいのに、って時々思う」
 伸はそんな倒錯的な幸福を語り続けた。誰しも、若く活発な時代に時間を止めておきたいと望む。もしそれが叶うなら、終末の夢など見ないかも知れない。けれど時は止まらない。声を上げて喜んだ思い出も、何よりの至福に感じた瞬間も、皆後からやって来る新しい時に押し流されて行ってしまう。だからここで終わってほしいと思う気持は、それ程不自然なものではないと伸は言った。
「僕らは世界の平和なんてことも、僕らの子孫がどうなるかなんてことも悩まない!、病気や怪我や、年老いたらどうしようと心配することもない!、今終わってくれた方が幸せなこともあるんだ!。ひとりじゃない、みんな消えてしまうんだ!、君が傍に居てくれるならもうどうでもいいんだよ!」
 そして征士も、話を聞きながら徐々にその気持を共有して行った。
「…不健康かな?」
 と伸が問うと、
「いや、その不可能に酷く憧れるのが世紀末なんだろう」
 征士はそう答えた。確かにそうかも知れない、終わりを意識すれば逆説的に、今現在が何より輝いて見えるのかも知れないと伸は思った。こうしてただ、いつもの道を歩いて帰るだけのことが、今はあまりに愛おしかった。幸福な日常の中に僕と君が居る。あと何日、何回繰り返すことができるだろうと…。

 そうして自宅マンションに着く頃には、程良く酔いも醒め、ふたりはすっかり良い雰囲気になっていた。つい先程まで、仲間達と世界の滅亡について真摯に語り合っていた、その現実が何やらもう遠い事のように感じられた。今の心境としては、これで終わりなら終わりでも良い、終わらないならそれでも良い、そんな晴れ晴れとした中庸を楽しんでいた。
 結局何が起ころうと、ふたりで居られるなら構わない。全く勝手な理屈だが、実際そうとしか言えない現実を知ると、ふたりはとても穏やかな気持に包まれていた。終末論とはこんな簡単なことだったのか、と。
 するとそんな軽やかな乗りのまま、
「でもさあ、もし本当に世界がなくなるってわかったら、世界中大混乱になるよね」
 と、伸は敢えてひとつお題を投げ掛けた。
 征士はネクタイを緩め、居間のソファに座ると、普段はもう寝ている筈の時間を指す、時計の針を珍しそうに眺めていた。午前一時十分。明日は幸い休日なので、まあたまには夜更かしもいいだろう、などと考えていたところだが、
「いつと正確に言えるようならな」
 と、伸の話題には答えていた。成程、その内いつか滅亡すると言われても、人々が行動を起こす起点にはならない。この七月と指定されていなければ、そもそもノストラダムスの予言など、誰も相手にしなかっただろう。その妙を思い伸は俄に笑った。
「そうだね…!」
 そして、笑った拍子に思い付いたことをこう続けた。
「話はちょっと違うけど、よく『無人島に三つだけ持って行くとしたら、何を持って行く?』って質問があるじゃない。それと似たようなことが起こるかなぁ」
 暫し考える征士に、伸は冷蔵庫から出したペリエをグラスに注いで持って来る。そしてその隣に座ると、征士の次の言葉を待った。
「うーん…、少し違う気がする」
「そう?」
 征士の回答はこうだった。
「無人島に行くなら、私は何らかの刃物とライター、あと、大型のビニール袋か何かを持って行く」
「完全にサバイバルだね」
「それで最低限生活できるだろう」
 この手の質問に、真面目に答えるか洒落で答えるかは、その時々に拠って違うと思う。取り敢えず征士は今日の話題に合わせ、大真面目にそんな答を出していた。そして続けて、
「だが世界が無くなるとなると、生きて行こうと言う気が保てるかどうか」
 と、伸の話の誤りを指摘していた。
「あ、成程」
「無人島に行くだけなら、他の世界に通常の社会があり、普通に人間が居ることが前提だろうが、私以外にほぼ誰も居ないとなったらな」
 まあ、例えそんな状況下でも、ひとりで生き延びようとサバイバルに出る者も、世界の中には存在するかも知れない。そこまで利己的になれる強さを持つ者が、最後まで生き残るのは間違いない。だが多くの人間は、人と人との繋がりの中で生きているものだ。それを失った時正気を失わずに居られるか、征士は自信がないと言った。
 そして伸も、彼の回答を素直に受け入れていた。
「それもそうだね」
 何故なら、今目の前に居る人が穏やかに笑っていた。
 笑うことは弱さだと何処かで聞いたことがある。確かに、誰とも関わりなく生きる人間が居るとすれば、他人に愛想を振り撒く必要もなく、好きな人への好意を示す必要もない。小さく可愛らしい生物を見て、微笑ましく感じることもない。ただそれが強さなのだとすれば、強者の人生はあまりにも淋しいと伸は思った。
 だがそんな驚異的な強さを持つ人間など、そうそう居るとも思えない。人は弱さがあるからこそ魅力的だ。人類は弱いからこそ、誰かと共に居ることを願って止まない。それが世界最後の日となれば尚更だ。それが普通の考え方だと多くが思う通りだ。
「今、伸が居なくなったら私は生きる気力を失うだろう」
 そして征士が、最大の弱味であることをそう打ち明けた。
「もし明日世界がなくなるとしたら、伸はどうする?」
 ただ、もう、改めて聞かなくとも、相手の答はひとつに決まっていただろう。
「僕は…、やっぱり君と一緒に居るよ」
「私もだ」
 そう言って寄り掛かり合うだけで、今現在はふたりの最高の時だった。
 そしてそんな時こそふと、今世界が消えてしまっても良いと思うのだから、人の心は不可思議なものだ。永久に続く幸福を望みながら、最良の終末の夢を見ている。
「じゃあ、あと一時間で世界がなくなるとしたら君はどうする?」
 伸は両手を征士の肩に回し、凭れ掛かりながら言った。
「ずっとこのままで居るさ」
「あと一分で世界がなくなるとしたら…?」
 征士はそっと伸の顔をこちらに向かせ、キスした。
 このまま蒸発するように消えてしまいたい。
 全てが原始の無へと還るといい。地球上に存在するあらゆる物が、跡形なく消えてしまうなら、もう鎧戦士も何も必要はなくなる。誰もが平等に平和になる。地球に取ってもそれが最も平和になる。それで良いのではないか。それが生命に取っては至上の幸福ではないか…。
 けれど遠く美しい終末。

 一九九九年、世界は滅亡するかも知れないと言う。
 それでもいいかなと思えてしまう、世紀末の空気は甘く人々を蝕んでいた。









コメント)本当はこの話、七月下旬か八月の頭に書きたかったけど、流石に時期的に無理でした(^ ^;。でもまあ、遅れたけど発表できて良かったです。
体調不良で途中、全然話が進まなくなってたけど、それもまあ何とか乗り越えられて良かった…。
ところで去年の暮れにも、「世界が終わる」なんて話が話題になってましたね、話題の出所は全く違うけど。何か私は、世界に大惨事が起こって、それでも生き延びる人のイメージって、「ウォーターワールド」と言う映画を思い出します。あのケヴィン・コスナーはホントに強い人のイメージだったなーと。



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