アルバイトの伸
地球の長い午後
Long Time Waiting



 世界はこんなに静かなのに、心は逸る喧噪の中に在る。

 まだ春とは言えない二月の始め、慌ただしく、又特異な緊張感を以って過ごしていた、元鎧戦士の少年達。地方にも拠るが窓のガラスは白く曇り、そこから臨める景色を尚寒々と見せている。不思議と街の雑音は何処かへ吸収されて行く冬。静かな部屋の中で、ページを捲る指先、鉛筆を持つ手が些か固く感じられる、受験前の静寂の慌ただしさだった。
 別段、大学受験に一度や二度失敗したとしても、或いは大学へ進学しなかったとしても、それで人間として、戦士として不都合がある訳ではないだろう。ただ多少の不利益は被るかも知れない。女性ならばそれ以外の道を考えられても、男はまず独立を考えなければならない。頭の出来は個人差があるとしても、質の良い専門知識を得られる場所と言えば、やはり誰でも大学の存在を思い付くだろう。
 加えて彼等の思考には、ナスティと言う大学に属する存在が、極身近に在って影響したこともある。彼等の戦いは彼等の意思や力のみで、全てが終始した訳ではないと知っている。古い伝奇文献の、見向きもされない一字一句を読み明かそうとする、熱意を持った研究者が居なければ、願う通りの結果を出せなかったかも知れない、と知っているからだ。
 例え学問とは言えない分野であっても、或いは今は全く役に立たない分野であっても、知識と経験は必ず何かの、誰かの役に立つと何処かで考えている。だから彼等は何かを得ようとする意識を、これまでずっと持ち続けて来た。
 そう悠長に、呑気な態度では居られなかった。一生を左右するとまでは思わないが、この冬最大のイベントに因って、望むひとつの選択肢を得られるか否かは、人生の上でかなりの重大事だ。
 世界はこんなに静かなのに、心は逸る喧噪の中に在る。
 恐らく当麻を抜かした受験生の心境は、こんなところだった筈だ。

 しかし、それを後目に別の慌ただしさを感じていた、征士はここのところ持ち物の整理に勤しんでいた。同じ学年の仲間達の中で、彼だけは受験と言う手段を放棄していた所為だ。何故なら特技である剣道の成績から、彼には何件か推薦入学の話が来ていた。この場合は当然剣道部員にならざるを得ないが、それは特に嫌な条件ではなかった。
 ただ去年の始め頃には、それらには全く興味を示さなかったのだ。煩わしい受験勉強から逃れられても、無論魅力を感じない学校には通いたくないだろう。征士より多くの推薦を受けていた当麻も、同じ理由で全てを蹴って国立大学に絞っている。なので征士が推薦を受ける気になったのは、既に七月が終る頃だった。他よりも遅れて届いた某私立大学の推薦連絡、それを選択した理由は…。
「あんたは贅沢なのよ!」
 春夏物の衣服を箱に移し替えていた途中、廊下を通り掛かった姉が声を掛けた。否、突然怒鳴ったと言った方が適切だ。けれど彼女のそんな態度には慣れている征士。
「それ程でもない、この一年は特に慎んで過ごしていた筈だ」
 特に作業の手を止めるでもなく、全く普段の調子で答えていた。何か気に触る物事が起こる度、こうして部屋まで来ては発散して行く姉。既に習慣のようなものだった。そして今姉君が気に入らない事と言えばこうだ。
「そう言う話じゃないわ!。私だってね、第一線で働く医師として、中央に行きたい気持はいつも持ってんのよ。でも家から離れるとお金掛かるでしょ!、だから諦めたのにっ」
「…それなら私に腹を立ててもお門違いだ。私は医学部に行く訳ではない、そこまで学費が掛からない分、他に優遇される事があっても良いだろう」
 つまり、征士が東京の大学に行くのが気に入らないようだ。彼の姉は決して、無闇な理由で都会に憧れている訳ではない。ただ学校のレベルや周辺的な状況、情報量等を考えると、最高のものを目指すにはやはり都へ、との考えに行き着くのだろう。それは仕方のない事だと思う。
 しかしその考えが報われないこともまた、彼女は知っているからだった。
「それだって、私だったら多分そうはいかないわよ!。母さんだって一人じゃ大変だし、あんたは長男だから我侭を聞いてもらえるけど!」
「好きでそうなった訳ではない」
 実際は医学部に進学することも反対されたのだ。まだ下にふたりの弟妹が居るのだからと、諭されながらも反対を押し切った過去がある。何故ならもし征士がその立場だったら、親は何の引っ掛かりもなく承諾したことだろう。ここはそう言う家だとする古くからの因習を、彼女は彼女なりのやり方で壊したかったのだ。
 立ち塞がる壁に果敢に挑もうとする気質。ある面ではよく似た姉弟だった。
 けれど例え自ら志した職を持って、男勝りに気の強い姉だとしても、女に生まれた以上、ある程度家の事情に屈しないでは居られなかった。そうして足枷を付けられているストレスが、家に大事にされる対象へ向いてしまっていた幼少期。年長である自分より征士が優遇されることを、彼女はどうしても理解できなかった。
 無論、今は子供じみた憎しみは無い。それより征士の方が変わってしまった事実だった。子供の頃はそれ故に、決して親に反発する子供ではなかった。家族が誰のことを一番に思っているかは、今も昔も変わらないと言うのに。
「ムカつくわ」
 最後に捨て台詞のような感情表現をして、去って行こうとする姉の背中に向かって、
「ご勝手に」
 と、征士は特に感情のない言葉で返した。
 端で聞いていると、何やら刺々しい雰囲気ばかりに感じられるが、ふたりの間ではこれで普通だった。何しろ幼少の頃は先に手が出ていたので、会話が成り立つだけの進歩はあった。
 そして今は理解もできていた。何故姉が自分に文句ばかり列ねるのかを。怒りばかりを表現して見せるのかを。その元を辿れば、原因は己ではなく家にあることも。だから征士は、理不尽と思える事には従わないと決めたのだ。それは恐らく、己にも誰の為にもならないと感じたからだった。
『姉上が怒るのも当然、家とは本来守るものではなく、作るものだと思う…』

 ともあれ、征士は家を離れて暮らせることには満足だった。誰に何と批難されようと、もう決まってしまったのだから何の心配もなかった。大学も、既に住む場所さえ決まっていて、だから早々に発送荷物を作り始めていた。実は他に推薦を寄越した大学は皆、仙台からそう遠くない場所だった為に関心を持たなかった。つまり彼は単に、家から離れる為に受験をするつもりだったらしい。
 まあ、そこに目的に適う推薦が来たのは非常な幸運だ。



「でも、本当に良かったのかしらね」
 夕方になると今度は、児童の部の稽古を終えて戻って来た、彼の母親が台所へ向かう前に征士の所へ来た。既に決まっている彼の引越し準備を覗きに、そして、今ひとつすっきりしない事情について、改めて相談をしに来た様子だった。
 と言うのも、
「今から変更はなしにして下さい。私より伸の方が迷惑する」
 実は征士の引越し先は、現在伸が住んでいる文京区のマンションだからだ。その最寄駅から地下鉄に乗ると、偶然だが征士の通う大学の最寄駅に着くことが判り、それを話せば伸は、開口一番に「だったらうちにおいでよ」と言ったのだ。この時期賃貸アパート、マンションは品薄状態になるのが通例であり、それにしては首尾良く事が運んでいる理由は、まあそういう訳だった。
 無論伸が言い出しそうなことなら、仲間達の誰もが既に解っている。伸の住む部屋はファミリータイプのマンションで、元々ひとりで住むには余裕があり過ぎた。家賃は要らないとさえ言っただろう。実際そこは分譲タイプだったので、月々の家賃と言うものが存在しなかった。どうしてもと、征士の両親に説得されて仕方なく、月二万五千円の管理費だけを払ってもらうことにした伸。
 その他、光熱費等は折半するとして、彼はそれで全く問題を感じていなかったけれど、しかし征士の側ではどうにも納得が行かない状態だ。
「それはそうだけど、いえね、こちらにはとても有り難い申し出だけれど、こう度々お世話になっていると…」
「・・・・・・・・」
『言われてみるとそうだな』
 確かに、と征士は思う。過去に幾度かあった出来事を思い返すと、その度に伸又は伸の家族が、自分達の行動を助けてくれていたような気がした。いつぞやには出世払いを約束した事件もあった、と征士は今改めて、周囲から見た己の状態を考えている。伸にはただ「年長者だから世話をする」と言う、簡単な理由でしかないとしても。
「あちら様にはどんなに申し訳ないことか」
 ただ、それが誰の為なのかを知っていれば、無駄な誤解をされることはなかった。
 そして征士は話すつもりがなかった。話したところで、「家」と言う枠組を外して考えることは、この親には今はできないだろうと思った。
「…断っておきますが、家同士の貸し借りとは別の話です。伸は友達なので、利害を考えて言った訳ではない」
「分かってますよ」
「三食昼寝付きの居候でもあるまい」
 そう、勿論これまで家で過ごして来た通り、或いは柳生邸で過ごしていた時のように、身の回りの事は皆自分でするつもりだった。そして伸もそれを判っているが故に、あまりうるさい条件を付けて来ないのだ。それらの状況説明は、既に両親にも話していた征士だが、
「勿論そんな事にはさせませんけど、きっとお話の通りになるでしょうから」
 それでも親には気になる事情が残っていたらしい。
「何の話ですか?」
「お食事の話です」
 成程、身の回りのことと言って唯一、征士が滅多にしないのはその程度だ。ご飯を焚くくらいなら、釜戸を持つこの家では割合よく手伝わされる家事だったが、それは残された古い土間が、ほぼ屋外扱いされている所為だった。屋外で楽しむ野外料理なら多少の知識はある、しかし現在の厨房である新しい台所には、征士は殆ど入ったことがなかった。と言うより入らせてくれないからだ。
 徹底した男尊女卑のしきたりに拠って。
「ああ、それは…」
 指摘された通りそれだけは、かなり伸に頼ることになってしまうだろう。ひとりなら外食で済ませるにしても、ふたり居るなら彼の方が嫌がるだろう。
「他の事はねぇ、お掃除もお洗濯も毎日のようにしてるから、あなたを信用して構いませんが」
「料理は趣味なのです、彼の」
 本人が自主的にやっていると言う説明が、果たして通じるものかどうか。
「…そんなことが言えるのは、まだ社会性が充分でないと言う証拠です。毎日毎日お食事を用意するのは大変な事ですよ?」
 やはり通じないようだった。伸はこの母親に対して、自分は料理ができるから安心して下さい、とまで言った筈だが、彼のその意識までは理解できなかったようだ。
 それはそうだろう、伸はこの家の常識とはまるで違った人間だから。男だから女だからではない、誰かがやらなくてはならない事を進んでやると言うこと、足りない部分を自ら補おうとすること、全体の調和が取れ居心地が良いようにと、彼が生来持つ感覚を大切にして来た結果だった。他がやりたがらない地味な作業を皆引き受けている、それこそが彼の美徳なのだから。
「はぁ、ではどうしろと?」
 すぐには変えられない事情を、又は無理に変えたくないと思う状態を、今更不満に思われても困るばかりだ。
「せめて後片付けくらいはしてほしいものですけど…、それより、毛利君は余程世話好きな方なのねぇ。ここに来た時も、いつも何かしら手伝ってくれるし…」
「性分だから仕方がない」
「どうお礼をしたら良いのか困りますよ」
 そして母親もまた困っていた。単なるサービス精神だとしても、ただ甘えさせてもらえば良い訳ではない。友達に対する献身をどんな形で返せば良いのか、一般には確かに考え難い事だったけれど。
「そうですね」
『まあ、母上には分からないだろう』
 ただ、伸の求めているものを返せば良いだけだ。誰にでもできることではないが、できる者が存在するのだから任せておけば良い。
 征士は内にそう思うばかりで、やはり無駄と思える説明はしなかった。こうして彼を閉口させてしまうこの家にも、もうあとふた月も居ないと思えば尚更、どうでも良くなってしまっていた。

 ここ数年は溜息ばかりを生み出していた。
 それでもこの家族には、いずれ多少の理解が得られるだろうと、征士は諦め半分ながらに考えていた。何も見捨てて出て行くと言うのではない、事態に拠って人は変われることを知っている、思っているより世界は遥かに柔軟な懐を持ち、人々のあらゆる思いを受け止めていると、日が経つに連れ感じるようになると思う。離れているからこそ解ることもある。
 そしてそんな、緩やかな変化がここに起こることを、征士は祈っている。
 男だからどうと言うのならば、居られない家にしがみつくのが男ではないと、己の行動の理由を解ってほしかった。



 その夜、征士の所に一本の電話が入った。当麻からだった。
 特に普段と変わった事は何もない、征士は最初に簡単な挨拶をしただけだが、その時点で当麻はすぐにこう切り返していた。
『浮かれているな』
「そうか…?」
『声色で分かる』
 言われてみれば征士にも、強ちそんな節は感じられなくなかった。まあ付き合いの長い相手には、電話口で勘付かれても仕方のないこと、それだけ現実の決定を喜んでいるに他ならない。そして征士はこう返した。
「そう言うおまえも芳しい声をしている」
 自分と同様に、とまでは言わないが、当麻の話し方もまた普段よりかなり明るかった。あまり論調が変わらない彼ではあるが、よくよく聞いていればその変化に気付くこともある。征士は何か明るいニュースを期待して耳を傾ける。
『一次試験を通ったんでね』
「その程度、当麻を煩わすとは思えないが?」
 征士の指摘も当然、嘗て神童と唱われた天才児が何を血迷うかと。二次試験ならともかく、共通一次は征士にすら不可能でないレベルの筈だった。
『ハハハ、内容的に自信がなかったとは言わない。だが何が起こるとも言えないだろう?。不思議なもんだ、普段考えない事まで考えちまう』
 そしてそう言う当麻の心情は大方察していた。
「まあ、当麻は今回も三人分の試験を受けるようなものだしな」
『それもある』
 彼が昔のように己だけの為に行動するなら、不安に感じる要素は何もなかっただろうに。
 否。
 それでも当麻は、今の方がずっと良い環境だと言うだろう。勿論仲間達の誰もがそう思っている。己の責任から常に圧力が掛かるにせよ、誰かがいつも信用してくれる事実には代えられないだろう。これまでの間、事ある毎にその価値に気付かされながら、何よりも大切な結び付きを育んで来た。だからむしろ、それが本当の意味での「家族らしさ」であってほしいと、征士はふと考えていた。
『俺が率先してコケる訳にいかないからな。…ああ、それでなんだが、伸はいつ頃ならいいと言ってた?』
 そして当麻が漸く本題を切り出すと、征士は電話台に置かれた卓上カレンダーを眺めながら、適切に質問に答えた。
「三月の最終週に入る前か、四月の第三週以降なら良いと言う話だ」
 それは今年、受験を終えた仲間達を集めて、労いのパーティを開こうと言う伸のアイディアだった。彼は去年から大学の友人の紹介で、休日のみの喫茶店のアルバイトをしている。友人のお陰か店長とも親しくなった為、店を貸し切りにして良いとの許可を貰えたのだ。但し本格的な春休みシーズンは、店の営業に響くので避ける必要があった。征士が説明したのはその期間だ。
『うーん、何とか三月中で調整したいな。伸の誕生日もあるし』
 暗黙の了解として、纏められるイベントがあるなら一緒にしたい。当麻でなかったとしても、誰もが思い付く事だったけれど。
「忙しそうだが大丈夫か?」
 秀なら元より都心の近くに住んでいるが、遼と当麻は自分と同じく引越し組だった。合格発表は遅い所では三月の頭、それから手続き等をして引越し先を決めて、と、三月中にやらねばならない事は山積みだろう。殊にこのふたりはサポートしてくれる家族が、いつも居るとは言えない状態なのだ。無論征士はでき得る限り、彼等に協力体勢を取って行こうと思ってはいたが、
『なーに、征士と言う閑人が先に東京に行ってるんだ、準備に頭を回す必要はない、俺らは行ければいいだけさ』
「閑人で悪かったな」
 そう言われたらこう返すしかなかった。当麻の憎まれ口はいつものこと。
『いいや助かるよ、遼と秀には、今は他の事を考えてほしくないし』
 けれど憎まれ口の中にも、今日は何処かしら、抜けるような透明感を征士は感じていた。ただ純粋に何かを思う気持、自分とは別の存在を心から思う尊い意思が、全て些末な感情を凌駕してしまう極限的な心境。自らそうしている訳でなく、自然に心がそう向いてしまう心象作用のこと。
 そして、そんな状態も理解できると征士は話した。
「お礼なら伸に言ってくれ、それもこれも伸のお陰なのでな」
 すると、
『だから三月中に、だ』
「ああ…」
 当麻もまた解っていると意思を示す。
 解っている。言葉としては簡単だが、言い合える相手はそう多くないものだ。彼等はその点では酷く恵まれているのかも知れない。
 解っている。

「もしもし?」
 当麻からの連絡を受けて、すぐに用件を伝えようと伸に電話した征士だが、
『あっ、征士?。それでどうなったの?、机の件は』
 伸は口を開くと同時に、ある話題について自ら話を始めていた。それは征士がこれから住む部屋に、机を置くか置かないかを議論して、彼の家族を含めてもめている件だった。大学生ともなると、所謂学習机のような机を持たない者も多い。しかし書き物に適した机がないのは不便だと、何を購入すべきか迷っているところなのだ。
 因みに伸は以前から使っていた、ライティングビューローを家から運んで来ていた。多少運送費は掛かったものの、お気に入りを残して来る未練を持たずに済んでいた。征士はと言うと、そこまで思い入れのある家具はないので、新しく購入する方が面倒がなかった。けれど、
「いや、それはまだ決定していないんだ」
『なんだ。僕の方はねー、すっかり掃除も終ったし家具も移動したからね。もういつでも来ていいよ、ホント』
 こと楽しそうに、伸は引っ越しの話題を続けるばかりだった。
「その話ではなくて…」
『ん?、あ、そう言えば荷物は先に送っていいって、言わなかったっけ?』
 もしこのまま、伸の調子に任せて待っているとしたら、一体どれだけ掛かって目下の用件が出て来るだろう、と征士は俄に考えてしまった。まあ順序で言えばパーティの前に引越しだ。彼の中で話題が後回しになるのも無理はないけれど。
「…クックッ」
『何笑ってんの?』
 正しくは笑ったのではない、微笑ましかったのだ。
「いや、伸が完璧に世話をしてくれるから、私はとても助かっている」
『それで何で笑うんだよー』
 伸があまりにも用意周到に、あらゆる事に気を回しながら待っている様子を、明け透けに表現しているからだった。さも運命の到来を歓迎するが如く。
「さあ、嬉しいからかな」
『嬉しい?、何だい今頃、いつものことだろ』
 そう、彼はいつの時も運命を待っていられたのだから。あらゆる変化を楽しむ気持が持てなければ、容易に彼のような立場には立てない。いつも、何がやって来るかは判らなかったが、そうして受け入れたものは確実に己に取り込んで、大切なものは何ひとつ手離さなかった。そんな強さを持てる人間を征士は、未だ他に見たことがない。
 行く先の流動に迷う者より、来るものを待つだけの身により多くの幸あり。
 と、謂われ通りに生きるのは難しいことだ。
 だから、たまには敬意を表して、大人しく待ってみようと征士は思った。伸の姿の無い場所で、多くの感謝の意が彼に集まっていることを今更、急を要して伝える必要もなかった。
 解っているのだから。
「いつものことだから、嬉しいと感じるのではないか?」



 この春を迎えたら、また昔の様に、仲間達を日々身近に感じるようになるかも知れない。
 その日を待ち遠しく思う者も居るに違いない。
 世界はこんなに静かなのに、心は逸る喧噪の中に在る。

 彼はきっといつものように、午後の微睡みを思いながら待っているのだろう。









コメント)伸のお誕生日な訳ですが、あまり伸の話じゃなくてすみません(^ ^;。と言うか伸のことを書いてるはずなんだけど、イベントに直面してるのが他の4人だからこういう事に。まあでも、伸のする事って大概地味だったりするけど、みんながそれに気付いてる感じを書きたかったので、自分的にはこれでいいと思ってます。
 ああそう、ところで私が勝手に作ってる設定では、当麻以外はみんな私大に行きます。なら一人くらいは千石大学に行く?、と思う方もおりましょうが、そういう機会は別にあるのでまあいずれ…(って物凄く先だけど)。




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