陽が沈む
蛮族の栄光
Let bygones be bygones



 六月十日、征士の誕生日の翌日、その日は梅雨の晴れ間で気持の良い一日だった。
 誕生日と言う個人的なイベントに張り切り、ちょっとしたお祭り気分を味わい、夜もまた恋人らしい甘い戯れに酔い痴れた。二十七才と言う年令には特別な意味はないが、小さな記念日も盛り上げて楽しむことこそ、人生の華だと伸は至って満足な昨日を過ごした。
 否、実は今年の八月は、彼等が鎧から解放されて十年と言う節目の月。それを迎える前の誕生日には、それなりの特別感もあっただろう。来年は盛大に十回目の誕生日を祝うとして、今年はその前祝いと言うところだった。
 そして今日、まだその余韻が続く昼間の日射しの中、伸が仕事部屋でパソコンに向かっていると、一瞬目に映った鋭い光に、ふと何処かの異国の風景を思い出した。夏の海辺の景色を輝かせる白い太陽、波打つ水面にキラキラと割れて煌めく光の反射、対して強く濃くなる日陰の安心感と清涼感、南風に抱かれ誰もが笑い合う町の賑わい。もうすぐまたそんな夏の世界に出会える、夏のバカンスの時期が近付いていることを思った。
 一年振りの夏の海が酷く恋しい。今はそんな気持を募らせる梅雨の働き時。
 ただ、早く予定が決まる年もあれば、迷ってなかなか行先が決まらない年もある。今年はこの日もまだ、何処に出掛けようか決め倦ねているふたりだった。無論伸が迷っているのだ。
 世界中に美しい海のリゾート地は多数ある。世界は海に取り囲まれているのだから、当然海岸線は辿り切れない程長い。アメリカ、アフリカ、東南アジア、ヨーロッパ、去年は中東と言える所にも行った。大陸的に、まだ足を踏み入れていない南アメリカ、オセアニア、南極、の何れかに行こうと決めてはいるが、南極はリゾート対象外として、ここと言う決め手がないことに伸は頭を悩ませている。
 ブラジル、ベネズエラ、オーストラリア、ニュージーランド、何処も魅力的な海が存在する。どの海のイメージも美しく明るい。何処にも手付かずの自然と動物達、長閑に暮らす人々の穏やかな様子も見える。そして何処も未開の後進国ではなく、設備の整った素晴しいホテルが存在する。
 後は、今の自分の気持がどちらの文化に触れたいか、と言うだけだが、これまであまりに迷い過ぎてもう、日本国内でもいいかなと思う程だった。一昨日征士の俳句談義に感銘を受けたばかりだし、今年は沖縄か小笠原にでも行って、俳句のひとつも捻って来ようかと…



 夜、ほぼ定刻に帰宅した征士と食事をすると、居間のソファに落ち着いたところで、伸は早速懸案となっていることを話し出した。
「あー、今年は何処に行こうかなぁ…」
「もう決めないとまずい、予約が取れなくなるぞ」
 タイムリミットが来ていることは征士も判っていて、伸の決定をそれなりに促していた。まあこの時期まで引き延ばしては、人気ある高級ホテルの予約はもう無理だ。絶対にここと言う宿泊先を確保する為に、ピリピリしながら連絡を取る必要はないので、気楽と言えば言えば気楽な状況だった。ただ、伸が納得する場所を選べないままで居ると、着いて行くだけの征士も支度ができなかった。
 オセアニアに行くなら特に心配なことはないが、南米は常々言われる通り、日本人観光客はかなり注意が必要な土地だ。例え日本人には見えないふたりでも、豊かそうな外国人は危険な目に遭い易い。警戒できる点は全て警戒し、やり過ぎと思うくらいの準備をした方が良い。その為の買物、保険の契約など、しなければならない事が変わって来るからだ。
 なので征士はなるべく早く決めてほしい思う。ところが伸は、そこで目下の二択から気持を逸らし、これまでに出掛けた旅行先を思い出していた。考えが行き詰まった現状を打開すべく、過去から何かヒントを得ようと思ったのか。
「去年のイスラエルは面白かったね、日本と全然文化が違う土地には、面白い発見がいっぱいあるし、紅海も死海もすごく良かったよ」
「正確には死海は海じゃないが、確かに初めての経験が多かったな」
 真っ青な海、痺れるような辛い海、近代的なリゾート地の明るい景色と、ベドウィンが暮らす砂漠の荒涼とした風景の対比、イスラムの大モスク、嘆きの壁、伝統的な格好のユダヤ人とユダヤの文化、ヘブライ語とアラビア語の看板、朝食に必ず出て来るヒヨコ豆のペースト、これまで触れたことのない物ばかりで、イスラエルの滞在は毎日ワクワクする事の連続だった。
 この二千年に入り、パレスチナとの戦争が再び激しくなった為、去年の内に出掛けておいて良かったと、その思い出には嬉しい気持ばかりだ。
「去年と一昨年はスペインに行ったね。スペインも良かったよねぇ、明るくてみんなゆったりしてて、海が綺麗で食べ物も美味しい」
「建築物も良かったが、南部の景色は感動的だったな」
 有名なリゾート地として知られる諸島部は、正にラテン民族の理想郷的な極上のリゾート、アルハンブラ宮殿とグラナダの町は、アラブの影響を受けた美観が特徴的で、ガウディの建築物もまた独特で面白かった。ジブラルタル海峡から続く南部の海岸は、のんびりとしたスペインらしい雰囲気の中、新たにマグロの養殖施設が作られ、それもまた面白い発見だった。スペイン人は元々マグロを食べる民族なのだと。
 訪れた地域は違うが、二年続けて出掛けたので充分満喫できた国だ。勿論二年続けて行ったのは、それだけ気に入った面があるからだが。
「闘牛とかフラメンコとかは観なかったね?。まあいいんだけど」
 と、それでも少し取りこぼしがあることを伸が話すと、征士は、
「聞いた話だが、闘牛は最近動物愛護の観点から、ほとんど行われなくなっているそうだ。観光の為に少しは残しているようだが」
 近年のスペイン事情をそう返した。すると伸も同意して、
「ああ、まあそうだろうね。いくら伝統とは言っても、古い文化はちょっと残酷なのもあるし」
 だからそこまで見たくもなかったと、彼の素直な心境を伝えていた。スペインのイメージとして、これまで固定的に知られているのは闘牛、フラメンコ、サッカー、ロエベなどの高級ブランド、オリーブオイル、パエリアと言うところだったが、スペイン自体も過去は、観光客を呼ぶ為に人気のあるものを奨励して来た。しかしインターネットが普及するに連れ、少しずつ事情が変わって来たようである。
 スペイン全体のイメージとなっているフラメンコは、実際は一地方の舞踊で国全体の文化ではない。日本で言えば阿波踊りのようなものだ。パエリアも日常的に食べられている訳ではない。お祭りやお祝いの席で、大人数で分け合って食べる大皿料理だ。日本で言えば大きな船盛りの刺身を囲むようなことだ。
 そうした情報が得られるようになって来た昨今、出掛ける方も、観光化された演出を観てもつまらないと思う人が増え、また各国の観光セールスも、ありのままの良い面を観てもらおうと風潮が変わりつつある。アメリカのような完璧なショービジネスのある国は別として、その他の国に取っては良い方向転換だと、旅行好きの人間に取っては嬉しい時代の到来だった。
 ただ、今年の夏のバカンスの会議中と言う状況の中では、もうスペインの話をしても仕方ない。
「二年連続だから流石に当分スペインは…」
 と、征士はこの流れを止めようとしたが、ふと横に座る伸を見て、何処か割り切れないような表情をしているのに気付いた。
「ん?」
「ああ…うん。いや、二年続けて行ったのに、行き忘れた所があるのがちょっとさ。って言うか、その話を知ったの去年だからしょうがないけど」
 どうやら話す内に、伸はスペインへの心残りを思い出したようで、
「何の話だ」
 征士が問うと、今度は思い掛けず責められることになった。
「しょうがなくない!、何で君が知らなかったんだよ!?」
 突然の剣幕に、征士は何が何やらキョトンとするばかりだった。スペインに関して自分が知っている事は、伸の知識より遥かに少ないと思う征士は、彼が何を訴えたいのかまるで見当が付かない。東洋以外の地域の文化はあまり知らないと、自負があるからこそ旅行先の選択は伸に任せているのに。
「知らなかった?、私が?、何を?」
 全く不可解な状態で頭が混乱し、とにかく口に昇って来る言葉をそう連ねた征士に、ただ一点、確かに彼に関わるスペインの話題を伸は叫んでいた。
「慶長遣欧使節団だよ!!」
 言われて初めて、成程珍しく自分の方が詳しい話かも知れないと、征士も伸の指摘には納得する。スペインに行ってその話をしなかったことを、伸は怒っているのだと。
 慶長遣欧使節団とは、豊臣一族が滅亡する少し前の、1613年に石巻から出航した、スペインとの交易を目的とした使節団のことだ。1582年の大友宗鱗らが派遣した、天正遣欧使節団の成功は有名だが、それはカトリック教の布教を目的とした使節なので、これとは種類が異なる。あくまで政治的な外交政策で、使節団は当時のスペイン国王、フェリペ三世に謁見することができた。
 石巻と言う地名から想像できるように、この使節団は伊達家が派遣したものだった。そして、
「いや知ってるぞ、政宗公が命じたことだからな」
 何だそんな事かと言うような態度で、一度混乱した征士が妙に落ち着いて返したのを、伸は更に苛立ちながら続けた。
「だったら何でセビリアに行こうって言わなかったの!?」
 セビリアの町は、二年連続で出掛けた最初の年の地域、コスタ・デル・ソル海岸のグラナダやマラガから近い。そこに在るセビリアカテドラルは、当時最も政治力のあったカトリック教の、フランシスコ会のスペインに於ける大教会で、国の行事などが行われる公の場所でもあった。
 そこで日本から来た武士の一団が、ヨーロッパでの初めての政治的外交として、スペイン国王に会うと言う歴史的快挙を成し遂げる。近隣の中国や朝鮮ではない、遠い異国との架け橋を作ろうとした、記念すべきセビリアカテドラルに何故征士が注目しないのか、仮にも伊達家の人間が、と伸は憤るような気持だ。けれど征士の方は意外に、そこまでの情熱は持っていない話題のようで、
「いや別に…。セビリアに使節団の遺物が残っている訳でもない。使節団の船が上陸したコリア・デル・リオなら、コスタ・デル・ソルの近くだ。まあこんな海岸に船が着いたんだな、と言う思いで海を見ていたが」
 と、三年前の記憶を穏やかに思い返している。一緒にその海を見たと言うのに、征士だけが見ていた栄光の景色があると知ると、伸は腹立ち紛れに征士のシャツを掴んで言った。
「狡いよ!!」
「狡いと言われてもな…、宮城県民は支倉常長(はせくらつねなが)のことは、中学の頃までに必ず習うことだからな」
「先に話してくれれば、ただ呑気に楽しく海を見て終わりじゃなかったのに!。僕だって歴史に関心がない訳じゃないんだよ!」
 伸の言うことは尤もであるけれど、征士の態度は変わらずあまり乗れない様子だ。
「いやまあ…」
「何だよ、何か言い訳があるのか?」
 そう、考えれば何故征士がその話をしなかったのか、理由があるに違いなかった。折角己の知識に存在する国に来て、偉大な祖先の進んだ考えを誇れる、貴重な機会をみすみす逃すのはおかしい。すると伸の問い掛けに答えて征士は、
「夏のバカンスに行ったんだ、淋しく終わるような話をしてもと思っただけで」
 そう言ってそっと伸の頬に手を当てた。その掌の優しい感覚から、征士が嘘を吐いていないこと、心境の変化を考え敢えて話さなかったことが、伸にはすぐに信じられるようだった。征士は別に出し惜しみをしていた訳じゃない、ただ、この歴史は詳細を知ると悲しくなる話なんだろうと。
「淋しく終わる?。まあ結果は失敗に終わったけど、武士がヨーロッパに乗り出して行った、史上初の使節団じゃないか。支倉常長は日本に戻って来たんだろ?」
 急に大人しい口調になった伸が、知る限りの知識でそう尋ねると、征士は今もあまり積極的に話したくない様子でこう話した。
「戻ったが、長旅の疲れと苦労が祟って、帰国後すぐ亡くなったのだ。またその頃にはキリスト教の弾圧が始まり、常長の息子は親がキリシタンだったことの責任を負わされ、切腹させられて支倉家は断絶した」
「そんな話だったの…?」
 海の向こうのまだ見ぬ世界、まだ見ぬ知識を国に取り入れ、陸奥の土地の為に善かれと動いた人々の気持を思う。時代は違うが、幕末の長州が尊王攘夷を推進していたことが、今は馬鹿馬鹿しく感じられるように、進んだヨーロッパとの交易を望むのは、決して間違っていないと伸は感じる。だがその思いは結局何も実を結ばず、後には理不尽な裁きが待っていたと言う、聞けば確かに嫌な気持にさせられる話だった。
「何で伊達政宗は、自分で使節を送っといてお家断絶なんてこと」
 伸はその点にもまた、当時の遣る瀬ない事情があったことを知らされた。
「徳川に警戒されていたからな、政宗公は」
「…ああ…、野心があるとは思われてたみたいだね」
「豊臣家が没し、徳川家が秀忠の時代になる頃には、徳川幕府は磐石な基盤を築き上げ、増々力を揮うようになった。諸藩は幕府が定めた法律には逆らえなくなった。政宗公とて刃向かって部下を庇えば、滅ぼされ兼ねんと判断したんだろう。幕府への忠誠を示す見せしめとされたのだ」
 実は政宗の派遣した使節団が出航した時、既に幕領である関東から東海には、禁教令が発布されキリスト教の弾圧が始まっていた。天正の使節団の頃とは時代が変わり、タイミングの悪い使節となってしまったのだ。スペインとの交渉がうまく行かなかったのも、この禁教令のせいだった。
 歴史上のキリシタン大名として有名な人物は、殆どが安土桃山時代までで人生を終えている。前に名前の出た大友宗鱗、黒田如水、蒲生氏郷などは、徳川時代の到来以前に亡くなっている為、後にこんな時代が来るとは思いもしなかっただろう。信長ですら思わなかっただろう。
 しかし徳川幕府の初期を生きたキリシタンは、皆激しい弾圧に遭い、高山右近のように国外追放された者も居る。宣教師達も皆追い出され鎖国が始まった。宗教自体はともかく、新しい日本を作ろうと、進んだ思想や知識を求めていた大名達には、無念な時代の幕開けだったと言えよう。
「そうか…。苦労してスペインまで行って王様に謁見したり、ヴァチカンにも行ったのに、労を労うどころかそんな結末になるなんてね」
 伸が溜息混じりにそう返すと、征士もまた状況の悪さに溜息しながら続けた。
「毛利や上杉と違い、隙あらば天下を狙って来ると思われていたから、政宗公の外交戦略は幕府には不快だっただろう。実際天下を取る野心があったかどうかは、何とも言えないが、基本的には国の繁栄を願ってのことだったと思うぞ?」
「うん、まあ大阪夏の陣も終わって、安定した時代に入ろうって所だしね」
「政宗公も悔しかっただろう、そうして手足をもがれて行くのは」
 現代に於いて鎖国と言う考え方は、世界から遅れを取るばかりの不毛な政策だが、それは過去に幾つも例を見た上での判断であり、この時代には有効な手段のひとつだった。全国を統一した幕府の考え方を邪魔する、余計な異国の思想は要らないものだった。そして異国と交流させないことで、幕府以上に進んだ思想や学問、優れた物を持たせないようにし、諸藩を奴隷化することができたからだ。
 江戸時代とはそうした時代で、独特の文化が成熟した点では素晴しい期間だが、各地の自由な成長が許されなかった点では、口惜しい時代でもあった。
「参勤交代もそうだけど、そうやって地方の国が力を持たないようにしたのは、頭のいいやり方だけどムカつくよね」
 伊達も毛利も江戸からは離れた国の大名。征士の考察は伸にも手に取るように伝わった。毛利家としてはその上、江戸時代以降大きく石高を減らされたので、徳川への恨みは深い。
「だから家康って嫌い」
 と伸が膨れっ面で言うと、征士は一度笑って、しかしそれにも意味があったのだと改めて話し出した。
「いや、家康も最初から鎖国したかった訳では。恐らくスペインは害だと気付いたからだ」
「え?、そうなの…?」
 祖先の受けた痛い仕打ちを苦々しく思いながらも、何故か家康を擁護する征士を見て、伸は奇妙に思いつつその話に耳を傾ける。そこには恐らく、征士が慶長の使節団に感動しない理由が、何かしら含まれているのだろうと思った。
「当時家康はスペインと交流していたのだ。今の、千葉の御宿と言う所にフィリピンの船が座礁して、乗っていたロドリゴと言う提督は、フィリピンを統治していたスペイン人だった。それを将軍から退いた後の家康が助け、帰らせたことからスペインと書状のやり取りをしていた」
「その時は友好的に付き合うつもりだった?」
「いや、家康は警戒していたようだ。信長の時代に保護されていた宣教師達は、イエズス会と言う、土地に馴染む形で布教する宗派だったので、穏やかに賛同する大名や庶民も多かった。家康も無論彼等を見て来て、その頃はキリスト教を脅威には思わなかっただろう。しかしスペインはフランシスコ会と言う、強硬なやり方の宗派が権力を持ち、穏やかに容認できるものには思えなかった、のだろうな」
 確かに安土桃山時代は、激しい戦乱の世でありながら、外国の文化や知識が広まった時代でもある。信長の保護を受け、宣教師達は積極的に世界の話や珍しい品を紹介し、それが知識人の大名達に広まって行った。その状態は秀吉の晩年時代まで続いた。
「秀吉もペルシャ織の陣羽織とか有名だし、その頃までは特に外国は嫌われてなかったよね」
 と伸が言うと、征士も軽やかに頷いて続ける。
「だから政宗公もスペインに使節を送り、当時世界一の権威を誇ったヴァチカンにも書状を送った。文化の進んだ外国に認められることが、国の発展に繋がると思ったからだ」
 それは今現在でもあまり変わらない考え方だ。広く世界に名を轟かせることができれば、自ずと向こうから土産を持ってやって来る者が現れ、交流することでより進歩できると判るからだ。今はスタンダードと言えるそんな思想が、江戸時代が始まる前には存在し、その後廃れてしまったのは何とも勿体無い。
「鎖国なんてなければ…」
 歴史の思い掛けない展開を伸は、改めて落胆する気持でそう呟いたが、そこですぐに、今はそう言う流れの話ではないとも気付く。
「いや、そうか、家康は危険だと思ったんだ」
 すると征士も、自ら答を出した伸に自信を持ってその背景を説明した。
「そうだ。当時のスペインと国交を持てば、フランシスコ会の伝道者が大勢やって来る。彼等がキリスト教を布教して回っていたのは、宗教を利用し世界をスペインの影響下に置く為だった。それに気付いた家康は、日本の独立主権を守る為、同時に幕府の力を弱めない為にもキリスト教を禁止したのだ」
 そう考えると、当時の鎖国政策は案外納得が行く。その頃日本にはスペイン人の他、ポルトガル人、オランダ人などが上陸していたが、結局外国人が辺境の日本にやって来るのは、何らかの自国の利益になるからだ。現代人ならその行動原理は誰でも判るが、当時それを危険と看做し、無理に外国に触れる必要はないと、早い内に気付いて良かった面も確かにあるのだ。
 日本でも嘗て、中大兄皇子が仏教を利用した政治体制を布き、国を纏めていた例があるのは知られている。宗教とは人の思想を導き、あらゆる立場の人に救いを与えるものだが、その優れた理論を拝借した政治とは、横暴な権威主義に腐るのが欠点だ。何故なら最高権力者が神と同一になってしまい、教義を勝手な解釈で捩じ曲げてしまう。スペインもヴァチカンも、そんな存在に見えたのだとしたら大したことだ。
「でもさ、家康の時代って短かったよね?。大御所政治も十年くらいの間だし、その間にそんなに手紙を書いたとも思えないし、よくそんな判断ができたよね?」
 するとそれについて、過去にひとつのサインがあったことを征士は話した。
「さっき千葉に漂着した船の話をしたが、その十年前に高知に漂着した、サン=フェリペ号と言う船もあってな」
「あ、その事件は習った憶えが。長宗我部が助けたけど、秀吉は酷い仕打ちをして追い返したんだろ?」
 伸が高校の日本史の授業を思い出して言うと、征士はその、秀吉の態度の変化には理由があったことを教えてくれた。
「何故それまで、キリスト教を退去させなかった秀吉が、その船の乗組員に冷たかったか判るか?。それが前に話した、イエズス会とフランシスコ会の違いなのだ。当時のスペインはペルー、メキシコ、フィリピンを武力制圧したと、秀吉は何処かから情報を得て知っていた。穏健なイエズス会に対し、スペイン人は海賊だと罵るほど、フランシスコ会のやり方を嫌うようになっていたのだ」
 伸はそう聞くと、秀吉の傍に居た家康がその情報を知らない訳がないと、後の政策に至る経緯には酷く納得した。考えてみれば仏教にも多数の宗派があり、各宗派の隆盛や衰退、対立などでしばしばもめ事が起こる。同じ宗教でも考え方の違う集団があることは、日本人にも理解できる事情だった。
 そして幕府が最終的にスペインと国交を断絶したことを、征士は自分の気持と合わせてこう話した。
「なので私はスペインと言う国に対し、少し複雑な感情を持っていたんだ。当時は間違いなくヨーロッパの方が進んだ文化を持ち、政宗公もそれを取り入れようとしていたが、反面キリスト教と言う建て前を掲げ、彼等は世界を征服しようともしていた。武士ならば己の武力のみで戦うものだが、当時のスペインはどうにも汚い国に思えてな」
 まあ、大航海時代から続くヨーロッパの大国の、植民政策は皆ある意味汚いものだ。その土地の人や産物を自国の利益にするだけならまだ良い。インカ帝国をすっかり滅ぼしたように、独自の文化を持つ土着民族を一掃するようなことは、あまりにも脳天気で配慮のないやり方だ。情熱的で大らかであると言う、スペイン人の特徴が悪く働いた例だろう。けれどその点について伸が、
「それは日本人の感覚として普通じゃない?。ほら、弥助って黒人の話があるじゃないか。信長が宣教師の連れて来た奴隷を見て、『おまえ達は人は平等だと説くのに、この黒人を家畜扱いするのか』って言って、この国は簡単に布教できない、崇高な考えを持つ民族だと宣教師は思ったって話」
 有名な黒人家臣の例を挙げて話すと、征士は伸が促す意図を理解し、
「ああ…、まあカルチャーショックと言う感じだな」
 と薄笑いする。その表情を見た伸は、当時の異国文化に騙された大名やキリシタン達の、哀れを思って笑っているのを感じた。ヨーロッパ人は羊の皮を被った狼だった。地理的に遠く、それなりの文化を持つ日本には強制しなかったが、アフリカでは古くから奴隷貿易が盛んに行われ、元々そう言う文化を持つことを日本人は知らなかった。知らぬまま彼等の良心を信じていた状態は、今は酷く滑稽に映る日本の歴史。
 それを、伸はこう続けて征士の気持を慰めた。
「そうそう、崇高な民族なんて大袈裟だよ、それだけ当時のヨーロッパ人の意識が汚れてたってことさ。日本はそれまであまり外国と関わらなかったから、余所の国の人を見下したりする習慣がなかっただけで、純粋な民族と言う方が正しいと思うな」
 その伸の見方が正しいことに、征士は現代人として生まれた自身の幸運を深く感じていた。
 そう、価値観と言うものは見方や時代に拠って変わる。今素晴しく思えている思想も、いつか下らない詭弁とされる時が来るかも知れない。だから昔のスペイン人が特別悪かった訳でもなく、昔の日本人が特別尊かった訳でもない。人は皆平等だ。その教えだけは正しいと今は面白く感じることができる。今だからこそ未熟な人間社会の愚かさを見て、人に絶対は無いと慎ましく考えることもできる。
 五人の仲間が、とある対極の存在と戦っていた頃、それは善行であると信じる他になかったが、後にどう解釈されるかは判らないと征士は感じていた。勝者と敗者が決定する以上、他人の見方はふたつ以上に分かれると知っていた。己の中の善悪にも悩まされたからだ。しかし、人の行いは全て善であり悪であり、また善でも悪でもない。ただの結果だと見られるようになった現代に、彼はとても安堵しているようだった。
 自身のことも含め、伊達家を伸し上がらせた政宗公の行いも、見方によって良い面悪い面は存在するが、歴史の中では誰もそれを責めることはできないと。
 けれど征士は、その上でもうひとつすっきりしない事があると伸に聞かせた。
「ただ…。スペインに旅行に行ったお陰で、それまでの私の考えも若干変わったのだ」
「ふーん、どんな風に?」
「今現在を比較すると、どう見ても日本の方が先進的な国だ。昔ながらの生活を続けるのも悪くはないが、スペインの経済は傾き続けているだろう?。結局現代的な政治には着いて行けない、旧時代的で単純な国民性だと知ると、本来のスペイン人の呑気で明るい姿は好意的に映ったよ」
「あはは!、そうだね、スペインの人は下手な力を持たない方がいいのかもね」
 その通り、現在のスペインが世界を圧倒するのは、サッカーリーグの盛り上がりくらいのもので、近代的な有名企業もなく、アメリカほどの武力がある訳でもなく、観光客数もフランスには及ばない。経済的にかなり苦しい国に落ちぶれてしまったが、同時に最先端から離れているスペイン人には、昔の暴力的な歴史の面影は全く見られない。
 つまりそれはこう言うことだと征士は言った。
「むしろ今は私達の方が汚れているようだと、コスタ・デル・ソルの海岸を見て思ったのだ」
 過去と現在では形は違うが、自由主義に於いて文明化とは他国との争いだ。その上の方で争う国の国民には自ずと、余計な野心が芽生えるものかも知れないと征士は考えた。すると伸も、
「まー、しょうがないよね。今は僕らの方が見下してる面もあるもんね」
 今の日本人の気持を素直に話し同意した。スペインは日本に比べ物価が安く、景色も長閑でバカンスに行くにはとても良い国だ。そう言えるのは、日本より貨幣価値が低く田舎だと言うことだ。嘗ての植民地支配のように、国力の差から来る利益を今は、日本人の方が得ている事実を伸もまた理解している。
 勿論、彼等の長い歴史に対する敬意はあるが、その時代によって本当に、人の見方や価値観は変わるのだと自ら判る、スペインと言う国はやはり面白い存在だと、話の最後にはふたりして笑った。
「政宗公や支倉常長の気持を思うと、何も知らない純粋さは危うく、半端な知性も狡さや欺瞞を生み、昔の日本人が求めていた理想は何処にも無かった、と言う現実が少し淋しいな」
 と、征士が鎖国以前の輝きを思いながら言うと、
「誰かの理想通りにしたら、必ず他の誰かの皺寄せになるって、今はわかってるだけマシじゃない?」
 伸は競争しつつ協調しなければならない、新しい時代の難しさを語った。確かに今は難しい世の中だ。だがそれは全ての人に優しくなろうと言う、全体的平和を望む人々の意思なのだ。だから現代人は必死で取組まなければならない。古い時代の偏った正義を改め、出来得る限り平等な価値観へと変えて行く為に。すると征士は伸に対する返事として、
「戦いつつ、野蛮に落ちぬよう努力するのが現代人なら、武士は元々現代的だったのかも知れないな」
 そんなことを言い出したので、意外な発言に伸の思考も刺激を受け、
「あっ…、不思議とそれは遠くないかもね?。言い得て妙だ」
 自分と征士の家に伝わる、基本的な考えを今こそ誇れるような気がした。
 品格を重んじ、欲望をコントロールできてこそ人の進歩だ。目の前の利益に安易に手を出してはいけない。それは却って目を曇らせる妖しい光だと、これからは誰もが共通に知る世界になるといい。

 そして伸は、確かにバカンス先でこんな話をされてもね、と、征士が何も言わなかった理由を理解した。思えば毎年バカンスに出ると言う行動も、中世の時代なら王族や貴族に限られたことだ。当時とは旅の手段が変わったこともあるが、現代の日本人がどれ程豊かかを測るひとつの指標だろう。今はそんな裕福な国の中で、甘んじて恵みを受けて生きている僕ら。
 でも僕らには、古来から大切に守って来た和の心がある。
「君はまだ純粋な日本人の理想を追ってるの?。そんな事忘れちゃってる日本人も多いだろうに」
 前の会話の余韻を残し、まだ何かを考えている征士の様子を見て伸は言った。そう言われると、現代と過去の日本人のこと外国人のこと、伊達家の歴史についても色々思うことはあったが、征士はそこで、気分を切り変えるようにくるりと顔を向け、
「伸に嫌われないようにな」
 と口角を上げて見せた。社会的に認められる人物になることも大切だが、その前に大切なのは、いつも傍に居る人に認めらることだ。それを両立させることが全ての人の望みだと思う。すると伸は、征士の中にある高いレベルの欲求を見詰めながら、
「そうだよ、君はもっと頑張れるよ!」
 冗談混じりにそうエールを送る。征士のより素敵な進歩を傍で見ていられる、そんな愉しみは他にないと伸は喜んで待つことにした。
 己を律しつつ自由な理想を追い求める君、欲求と節制の狭間を歩んで来た君を見て来て、人は悩むからこそより良く成長できると知った。そして僕もまた、君に取って理想的な人間に近付いている筈だ。伸は、協調し歩み寄ってこそ生まれる進化が、僕らのように、人類の未来にも必ずあるようにと祈った。



 結局今年の夏はブラジルに行くことにした。過去の栄光の遺産は何も無い、屈託のない明るさを持つその国の、強く新しい太陽を見て来ようと。









コメント)ブラジルW杯の開催中で、GLのスペインの大敗っぷりを見て、スペインについて書きたいな〜と思って書きました。前の小説から二日しか経ってない日の話、戦国三大武将を語る話、自分でも新しい試みがちょっと面白かった。弥助は偶然「軍師官兵衛」にも出て来たわ。
書いた通り、昔スペインはイケイケで無敵艦隊と呼ばれた船団があったけど、攻めに行ったイギリスに負け、その後色々あって衰退したことを、今のサッカーのスペイン代表に、無敵艦隊と揶揄してる所があります。前回優勝して言葉通りにして見せたのに、今回からまた元のスペインに戻ったわ(^ ^;




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