アヌ伸という訳では
暗中模索の船
The Blind



 暗闇の中を彷徨う、与えられない場所の、居心地の良さを感じている。
 日の当らない迷路の、前後も知らない、目隠し鬼の幸いを感じている。
 漆黒に隠された世界の秘密、誰も知らない裏側の顔、暴かれることのない安息の天地。
 夜は深く、影は従順に、全ての者に平等にあるもの。
 侵食する闇に馴染んでいる、和になれる、心が寄り添いたがる怠惰な優しさ。
 暗い水の上を漂う、僕は難破船の様に、当てもなく、朽ち果てる日を夢見ている。



 カーン、カーン

 何処か遠くで、金属の鳴り合う音がする。幾度となく耳にして来た音、武器と武器のかち合う戦いの音。けれどそれを子守唄のように、心地良く聞いた記憶はなかった。
 どうしたことだろう、眠りそうだと感じていた。
 辺りが暗く閉ざしていることは、目蓋の皮膚を通してでも判る。けれど戦いの最中に、目を開けるのが億劫な程眠い。否、眠りに入る時と、意識を手放す時は似ている。この場合どちらの状態だったのかは、本人には判らなかった。
 俯せている体の下の、冷たい平らな床が気持ち良い。長い間吊るされていた所為か、横たわる地面を得たことに安らぎを感じる。休みたい。闇は隠してくれる。もう終りにしたい。影と同化してしまえば、誰も僕を見ないでくれる。とても疲れている。目を開けない、体が動かない。
 ここに居たい、ここに居たい。

 カラカラカラ…

 土塊が、何処か高い所から崩れ落ちて、ここへと転がって来る音がする。こことは何処なんだろう、とても低い場所だ。どうしてここに居るんだろう。僕は何をしていたんだっけ。
 意識が薄れている、つい先刻のことさえ思い出せない。ここは居心地が良い、安らいでいる、余計なことを考えずに微睡んでいたい。
「・・・・・・・・」
 誰かが僕を呼んでいる。応えたくない。そっとしておいてほしいのに。
「…水滸よ」

 途端、我に返った。
 もうひとつの自分の名。それに含まれる全ての物事。目が開く、手は咄嗟に二条槍を握り締める。そして瞬時に思い出した、宙に固定された大木の絡み合う根から、底無しと思われた空間に落ちてしまったこと。遼と秀から逸れたこと。そして今自分が居る場所は、この闇に囲まれた場所は…。
「気が付いたようだな水滸」
 姿は見えなくとも、聞き覚えのあるその声だけで充分だった。
「闇魔将アヌビスか」
 だから確認したかった訳じゃない。何か声を発しなければ、気迫だけで負けてしまう気がした。
 そう、負けることは許されていない。戦いを望まなくとも、勝たなければならなかった。自分の他に誰も居ない時にはいつも、いつも。
「我が闇の世界によく来た、闇の恐怖を、存分に味合わせてやろう…」
 戦いが始まる号令。けれどこんな気持で、まともに渡り合えるとも思えなかった。
 始めから負けている。何故なら僕は、この暗闇とはとても親しい。抗おうと苦しむよりも、受け入れる方が容易く、静穏になれる。それが恐怖だとすれば、居心地の良いここにずっと留まって、永遠に帰らないこと。見てはいけない夢を見てしまうこと。

 ガシンッ…

 今度は、悠長に響きを楽しんでは居られなかった。刀に打ち付けられる鎧の、悲鳴の様な金属音が耳を裂く。背中から激しい衝撃が伝わり、前方に倒れそうな体を立て直す暇もなく、次にはその前方から、胴への一撃を食らっていた。
 防御のしようがない、為す術もない。ただ視界が利かないと言うだけでなく、彼等の言った通り、この世界は僕の理屈では測れない。何らかの、僕等の知らない圧力が存在している。鎧という容器の中に、小さく小さく閉じ込めてしまおうとしている。
 大人しく従ってしまう方がどれだけ楽だか知れない。
 意識を保っているだけで精一杯だった。前後左右から振られ続け、闇の中で谺する笑い声を追うことさえできない。良いようにあしらわれている現状の悔しさを、嘲る闇魔将にぶつけようにも、目に見えるのはただ取り巻いている暗がりばかり。戦おうとする意欲さえ吸い取られるように萎えて行く、僕には心安い暗闇の部屋だった。
『このままでは殺られてしまう…』
 最早、死ぬことを恐れてはいなかった。ただ仲間達を思っていた。
 その時構えて見据えていた筈の正面から、刀で掬い上げられる様に、体を後方へと飛ばされていた。両の足が床から離れる寸前に、僕は目を見開いた。激しく胸部へと打ち付けられた刀の刀身と、傷だらけになった鎧の表面をほんの僅か、一瞬の内だけ照らした光。
 火花は、灰色の空を走る電光のように、鮮やかに映った。



「ちっくしょー、何とか抜けられねぇかなー」
 自分の背面に居る秀は見えなかったが、拘束された状態を嫌ってジタバタしている様子は、空気を伝わって察することができた。
「無駄に動くなと言っている。妖邪達も馬鹿ではない、そう簡単に逃がしてくれる筈はなかろう」
「だってよー!、もう三日も経ってんだぜっ!。この調子じゃ遼達と合流した日にゃ、すっかり体が鈍っちまって、思うように動けねぇってことになる!」
 それを言うなら、もう六日も吊るされている自分など問題外だ、と伸は内心呟いている。
「そう言う話ではない」
 しかし秀が何を訴えようと、征士は淡々と話し続けていた。
「競技ではないのだ、悪条件で戦うことも多い。要は気力だ」
「そんなこと冷静に説明されてもなぁ!、俺はじっとしてるのは性に合わねぇんだって、知ってるだろっ」
 秀は尚大声を張り上げて、自由を取り上げられた不満を辺りにぶち撒けている。
「だから、騒ぐなと言っている…」
 同じ言葉の繰り返しに、流石の征士もうんざりしかけている様子だ。
「まあまあ…」
 征士の言うことは尤もだが、それでは秀の気持を掴めないだろうと、伸は敢えて口を挟んだ。
「ここから出られても、まともに御飯なんか出て来ないよ、秀。お腹が減るだけ損だよ」
 すると、
「はぁ…」
 とはっきり聞こえる溜め息を吐いて、秀はやっと大人しくなった。
 上手く行ったと、伸は声に出さずに笑っていたが、こちらを向いた征士が、『助かった』というような表情をしていたので、小さく相槌を打って見せた。
 ただこうして何もできずに待っているのは、秀でなくとも辛いと伸は素直に思う。迦雄須に託された課題を漸くこなして、進むべき道を開眼できた、洋々と前進できる希望を得たところだった。その矢先、こんな屈辱的な場面に遭遇するとは、無論考えもしなかった。否、それ程の戦力でない自分がそう感じるのだから、ふたりはもっと苛立ちを感じているだろう。
 けれど、
「今は遼達を信じて待つしかない」
 と征士は至って冷静に、その裏側に秘められた憤りを決して、他者に見せようとはしない。
『えらいなぁ、征士は』
 僕が大人しくしているのと、君が大人しく吊るされているのとでは、まるで意味が違うと思う。危機や苦痛を躱す為に環境に合わせる僕と、次の展開を待って温存している君とでは。いつも君は未来に光明を見る、僕には何も見えない、確かなことは何も見えやしない。
 同じように黙って従う振りをしていながら。



 ここに光を、探せるか?。
 闇に閉ざされた空間に、僕は光を得ることができるだろうか。
 床に叩き付けられた体を起こしながら、伸は瞬く間に消えた火花の、飛び散る軌跡の眩しさを思った。ほんの僅か、息ひとつ吐く内の輝き。些かの恐怖と憧れを以って見詰め、闇に慣れた目に一際鮮やかに焼き付いた、鋭く切り裂き行く刃のような光。それが光。
 そうだ、それは君によく似ている。
 アヌビスの気配が周囲の空間に、点滅するかのように、寄ったり消えたりしているのが判る。こちらの出方を窺っているのだろうと、伸も又防御の構えで立ち竦んでいた。ここに光を探せるか?、伸は思う。これが征士ならば、容易くこの闇を葬れるに違いないが。
 暴かれない、隠してくれる。見なくていい、考えなくてもいい。足元に縋り付く、追い掛けて懐いて来る影の優しさ。君は知らない、否、知り得ないからこそ君は…
『そこか!?』
 何かに照らされた様に、フッと浮かび上がったアヌビスの姿を捉えた。同時に動いた手の中の、槍の先がそれを食わえ込もうと、瞬時に内側に閉じるがしかし、
『…消えた』
 光の残像の如く。それはほんの数秒の過去の姿だ。

 ガツッ!

 背後から打ち付けられた。そしてまた立て直す隙を与えず、正面から容赦なく打ち込まれていた。迷っている僕を見透かし、嘲り笑うようなアヌビスの攻撃に翻弄されていた。
 確かに僕は迷っている。正義を信じて戦う僕らには、悪しき者より生まれたこの鎧を、闇の中から照らす光が必要だ。光の世界に出た時こそ、その正統性を現世に証明できるだろう。鎧に取ってはそんな理屈で納得できる。
 けれど僕は照らし出されるよりも、目立たずに、影に形を顰めているのが好きだった。僕は知られたくはない。何もかも、決死の戦いも、僕自身のことも、全てを。
 この広い宇宙の何処にも光と闇が在る。神が創造した世界の原点が光と闇だと言う。どちらにも傾ける僕には、どちらかに敵意を向けることなど、土台無理なのだ。
 始めから負けている。



「思い詰めたような顔をしているな」
 最初に征士が口を開いた。
「…罠だったんだ」
「そうかも知れない」
 僕らは敵にみすみす掴まる為に、鎧に縁の場所へと出向いた訳じゃない。迦雄須が僕らに与えてくれた希望が、何だったのかまるで解らなくなる。それとも真の目的へ続く、僕らは捨て駒だと言うのか。鬼面堂と呼ばれるこの奇妙なお堂は、このまま括られているだけでは済まなそうな、嫌な雰囲気を漂わせていた。
「こうなってしまったものは仕方がない」
 けれど征士はどんな状況に居ても、同じことを言うものだと思った。少なからず落ち込んでいた僕は、あくまでマイペースを崩さない征士に、ちょっとした厭味のひとつも言いたい気分だった。
「教えてほしいよ、どうしたら太々しく不安を感じずに居られるのか」
「…さあな」
 すると一言返した後、辛うじて聞き取れた密かな笑い声がして、
「何かしら意味があると思えるからだろう。迦雄須はペテン師ではないのだから」
 征士はそんなことを言って聞かせた。
「『自分に非は無い』って言うの?、楽天家だよ、君は」
 多少ひねくれた物言いだったかも知れないが、僕にはそう聞こえたからそう返した。この期に及んでもまだ、自分が足を引っ張る立場になったと、征士には感じられないらしい。その余裕が悔しかった。
 けれど、
 非が在ろうと無かろうと、それが問題じゃないこともあると、征士は言った。
「そこまで傲慢ではない。まあ、生きてさえいれば、失敗を挽回する機会も巡って来ようという意味だ。全員が揃った時に、使命を果たせればそれ以上は無い。その時こそ自分の価値も決まると思う」
 未分化な魂。
 未分化な魂に響いた。
 僕はいつも、こんな風に言えたら、こんな風に考えられたら、と頭の中に言葉を巡らすばかりで、彼のように明白な答を出した試しがない。僕の中の善悪、知と欲、雑多に入り交じる混沌とした原始の海。それは愛すべき自己ではあっても、戦いの中では役に立たなかった。
 けれど僕は変われる。
 未分化な心の進化を加速させる、光。
 善も悪もあって人間だ。失敗も成功も、ただ一時の結果に過ぎて行くだけのことだと。

「ここで終わらないことを僕も願うよ」
 決して乗せられた訳じゃない、自分の言葉だった。
「とにかく、今は待つしかない」
 何故なら僕は環境によって、どんな形にも成れる。君に合わせることも、他の誰かに合わせることもできる、それが僕の真理だ。

 全ての過去から来るもの、僕らを作り、その安定した土壌に僕らは寝そべっている。
 未来は誰にも判らない、判らないからこそ楽しいと言える為には、強さが必要だった。
 君は過去を見ない、どんな過去も君には追い付けない。
 明日よりも昨日の方が優しいなんて、君は考えたこともないのだろう。



 ガラン…

 意識が離れそうになった。膝を折ったと同時に、手から槍の柄が離れて音を立てた。その空しい響きに何とか、諦めそうになる気持ちを繋ぎ止める。ここで敗者になる訳にはいかない。幸か不幸か、こんな自分に全ての者の為に働ける力と、機会を与えてくれた事実。僕の中の何かがそれに適うと、認められて無駄にする訳にはいかない。
 ひいては自分の為だ。曖昧な自分を確かに存在させる為だと。
「とどめだ、死ねーーーーー」
 これまで感じなかった風圧が、思うように動かなくなった体の上に、迫り来る殺気と共に天井から降りて来る。避けるのか、防御するか、どうする、間に合うのか?…

 眩い光。

「伸、大丈夫か!?」
 次に目を開いた時には、がらんとして荒んだ部屋の中、心配そうにこちらを窺う遼が居た。いつの間にか秀が背後に、崩れかけていた僕を起こしてくれていた。
 何が起こったのか?、ふたりに答えながら視界を漂わせれば、遼の横には見覚えのある、懐かしいとさえ感じる顔が、僕には馴染みのない笑顔を向けて立っていた。その手の中に、これまで幾度も僕等を助けてくれた錫杖があった。即ちそれは、迦雄須の意志だ。
「驚いたか?、朱天は今では俺達の仲間なんだとさ」



 理屈じゃない。誰も皆暗闇の中で揺れている。善も悪も、どちらが自分に取って価値があるか、選択できる方向性に過ぎない。
 そして義務でもない。選ばなくとも人は生きて行ける。ただ潮の流れるままに、暗い海の上を当て所なく彷徨う船の様に、揺られながらいつまでも考えていられる。本当に価値のあるものとは何だろう、僕に取って価値があるのは、どちらなのだろうと。
 いつも迷いながら戦っている。

 沈黙に守られた闇夜の窓で、控え目な光を放つ月や星を見ているのが、僕はとても好きだった。
 いつも迷いながら、永らえている。









コメント)また勝手な事を書いて…(笑)、というモノローグ小説ですが。伸単独の話を誕生日に合わせたはいいけど、伸のことを語れば語る程、話はどんどん暗くなって行くんだよね(笑)。ま、TVのこの辺りはまだ、他のキャラに悩みが少ない頃だから、伸が際立って暗いのかも知れない。その内段々と、どん底の征士とか出て来るから(笑)。
ところでアヌビス×伸って、征伸の人間にはちょっと特別なカプのように思うけどどうか。




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