夜の新宿の一角
Alpha=Omega
#5
The Begining & The End 1989



 宴が、もうすぐ終わるのだ。

 僕は信じていた筈だった。それが僕に与えられた仕事であり、与えられた心の文字であり、僕にはその程度のことしかできなかったのだから。
 僕は信じていた筈だった。仲間達を。鎧の正義を。そして己の行いを裏付ける真実を。それは必ず正しい道であり、全ての人々を救える道でもあると。だから大したことはできなくても、僕なりに懸命に取り組んで来たつもりだった。
 でも僕は馬鹿だった。僕が信じて許すことには何の価値もない。他の誰かの理屈を借りなければ、己を支えられない立場の僕に、正しく正義を見分けられるとは思えない。
 僕は馬鹿げていると思った。己の世界に「必ず」なんてものは何もない。始めから確固としたものを持たない僕に、筋を通せる物事がある筈もない。
 夢だったんだ。選ばれた鎧戦士として生きる自分、そして素晴しい仲間の一員として存在できること。夢はいつかは覚めるのだから、もういい加減に、元の何でもない僕に戻らなければならない。
 きっと始めから、この役は僕に決まっていたんだろう。終わりにするのは僕だ。この心の中に積み重ねられて来た、これまでの大切な思いと輝かしい軌跡。鎧と出会うことがなければ、得られた筈もない沢山の宝物。今は何もかもが幸福だったと言える。自分がひとりのそこそこ立派な戦士として働けた、その時間を与えてくれた鎧への愛着が、こんなにも決別の時を拒んでいたんだ。
 でも、もう、これ以上を望んだらいけない…。

『さよなら』
 伸の意思が水中の牢の鎖を解き放つと、水滸は応えるように光りながら、ゆっくりと暗い空の高みへと昇って行った。中空に渦巻いていた宴の轟きに、他の鎧達は切りなく舞い続けながら、ずっと水滸の帰りを待ち続けていた。そして彼等は無垢の闇の中へと消えて行く。
『終わった』
 もうその姿を肉眼で捉えることはできなくなった。
『終わってしまった。これでもう本当に終わってしまうんだ』
 宙を見上げていた伸の背後に、背中合わせにもうひとりの伸が現れて言った。
『君は狡い』
『そうだ、僕は狡いんだ』
『勝手に頼っておいて、勝手に捨てた』
『捨てたんじゃない、僕にはその価値がない』
『他人に理想を押し付けて、自分はリスクを負わない』
『そんなつもりじゃなかったんだ!』
『逃げれば最悪の結果は来ない。それが君の優しさなんだよ』
『もうやめてくれ!』
『言い訳か…?』
 身を返して伸が振り向くと、己の分身だった筈のものは征士に変わっていた。彼は何も言わずに見詰めている。それは過去から変わることのない、真実の美しさを知る眼差しだった。
 伸は逆らわなかった。
『僕は君が好きだった。君は僕をいつも見ていてくれた』
 そう言った伸の前で、僅かばかり征士が微笑んだような気がした。そして伸が手を触れようとした途端、その姿は風に流れる砂と崩れ、粉となって、散り散りに辺りを覆い尽くす。
『こんなのは嫌だ…!』
 声にならない声が宙に舞う。巻き上がる粉塵と共に、伸の大切なものは皆吸い上げられて消えて行くのだ。これが終わり、全ての終わり。
『どう…すれば…』



「おい…」
 声と共に揺り起こされて、伸はハッと息を呑んだ。
 松の古木が取り囲む薄暗い庭、ふたりは広々とした石の階段に座っていた。周囲の枝に下がるポリエチレンの灯籠が、規則的に並んで仄かな明かりになっている。そこは花園神社の境内だった。
 午後九時過ぎにもなり、今はもう雨も上がっている。あれから暫く経って、彼等は取り敢えず食事に行こうと考えたが、ずぶ濡れの出で立ちでは入店を断られるかも知れないと、飲食店などに入るのはやめて、テイクアウトの夕飯を屋外で食べることにした。
 その後、落ち着く場所を求めてうろうろしている内に、夜間も解放されているこの場所に辿り着いたのだった。
 正面を横切る靖国通りは、この時間になっても引切りなしに車が通る。人の姿は流石に数を減らせていたが、木立の間から赤や黄色のライトがチラチラと覗き、相変わらず賑やかな様子を伝えていた。それでも都会の真ん中にしては安らかさを感じる方だ。
 そんな新宿の一角、静かとは決して言えない環境の中で、気が付けば伸は征士の膝を枕にして眠っていた。否、始めは寄り掛かっていただけだが、征士が自主的にそうしたようだ。何事もなければそのまま寝かせておいたことだろう。
 ところが何かに魘され、泣きながら囈言を吐いている伸を見て、流石に起こした方が良いと思った。目を覚ました伸は暫く茫然とした顔をしていたが、自ら起き上がると、その後は割合まともに話ができていた。それ以上に心配することもなさそうだった。
「悪い夢でも見ていたか」
「夢だった…のかな。夢よりもリアルだった気がするよ」
 すると珍しく征士は声を出して笑い、まだ乾き切らない伸の頭に手を乗せて言った。
「伸には現実の方が、夢のように思えるのかも知れん」
 言い得て妙な表現、だが強ち外れてもいなかった。先程まで見ていた夢を覗かれたような、伸には何とも面白くない状況だった。彼は訝し気な顔を露にして返す。
「どう言う意味さ」
 すると、ろくに星も見えない夜空を見上げていた、横顔の征士がひとつ呼吸を置いて話し始めた。
「…私は伸が解らない」
 今更そう言われても、と言う内容だったが、伸は充分に間を取りながら、征士にも自分にも言い聞かせるように返事をした。
「僕にも解らない。僕は何も無い人間だからさ」
 けれど最早、そんな説明では埋め尽くせない渇きが、誤魔化されてやろうとする気遣いを上回っていた。余りにも長く、必要以上に時間が経過してしまった。心の向く方向が定まってから、渇え続けた時間が長過ぎた。征士にはどうしても言いたいことがあった。
「そうして否定される度に、私は何を信じて良いのか解らなくなる。その繰り返しだ」
 彼の中で確かな形を取り兼ねているものが、ずっと彼の判断を迷わせているのだろう。心の向かう先に、力の向かう先に対象が存在しなければ、それはただ偏りと成り果てるのだから。
 それは何か。伸は何も言い返せなかった。
「自分を信じてくれる人を、私は理解できない」
 初めて口にされた内容をただ、聞き取ることしかできなかった。
「私が最も必要に思うものを、伸は『何も無い』と言うからだ」
「もう、止めろよ」
 次々にらしくない言葉ばかりを紡ぐ、聞いたことのない話をする。伸はただ恐ろし気な状況を回避しようと、無理に話題を変えようとしたけれど、
「そんな風に思うことはない、君はそんなことを言う奴じゃなかっただろ…!」
 と、語調を強めた所で伸は我に返っていた。
 夢よりもリアルな夢へ、現実よりも夢想的な現実へと。
 人の想像力は全て模写から始まると言う。例え夢でも、発端となる現実の記憶があって、全てそこから繋がっているのではないか?。
「それも…僕の所為だね」
 伸は自ら、己の奥深くに隠していた部屋の鍵を見付けた。
 何が始まりだったのか?。それは征士に会ったことだ。征士が自分を見ていたからだ。自分が居ることをいつも忘れないでいてくれたから、僕も忘れなかった。それは戦士として存在する自分に、有り難い、価値を与えてくれることだったのだ。
 彼の意を理解せずに、己の存在意義に摺り替えていた卑怯な自分。征士がひとつ前に進む度に、自分も進んでいると勝手に思っていた。彼の進歩を見ているのがただ好きだった。
「あの時も、謝れなかった。僕は自分の意思で君を抑止しなかったのに」
 征士には一番済まないと思っていること。無論本人には聞き覚えのない話だった。
「…何のことだ」
 咎める調子ではなかったが、俄にこちらを向いた征士の、問い質す視線を恐れるように伸は体を小さく丸める。
「だから僕の所為だ、僕が悪い」
 それで話が済む筈もなかった。
「誰が悪いかとは聞いていない、否悪くて良い、悪くても良いから、自分を否定する言葉だけで済まさないでくれ!。それでは納得しない」
 そう征士は言いながら、再び己の感情が昂って行くのを感じていた。
 もどかしい、苛立っている、行き詰まる状態に堪えられず、怒りに流れてしまう感情を制止できなくなって行く。同じことを幾ら繰り返しても、理解されない言葉は無力だった。己の言葉は全て無力なのだと、阻まれる壁に負け続けている。これまでずっと。
「確かに伸は悪い、全て自分が悪いと言って、他に誰かが居ることを認めようともしない!。私はここに居る…!」
 しかし、
「…私は夢ではない」
 最後に呟いた、その一言が何故か、酷く確かなものに伸には伝わっていた。
 信の心が見せる世界には、ともすれば醜い現実など存在しないのかも知れない。否、故意に善く見ようとしているのかも知れない。
 伸の緑の目には、常にフィルターが掛けられている。人の哀切を全て盗み取ることで、誰もが彼に取っては天使のように清らかなのだ。だから誰のことも許せる、誰のことも素晴しく見える、誰も皆正しい、誰もが己より優れていると思える。
 けれど今伸の元に、唯一残った仲間である征士は、破れかぶれのように藻掻いているのだ。珍しく声を荒げ、険しい表情で訴える彼の様子は、これまでの伸なら、恐ろしいものにしか思えなかったけれど。
 正面から非難されたことはなかった。家族以外の他人に怒鳴られたこともなかった。しかし確かに、自分の為に発せられた言葉だと伸は知る。何故なら、彼は違う次元に存在する人ではなくて、限りなく自分の近くに存在するのだと、今解った。
 どうしようもない人間性を見ることが。

 落雷の如く、ひとしきり激しく言葉を連ねた後、征士は酷く落ち込むように黙ってしまった。伝わらないことを威嚇のような形でしか表わせないと、己に嫌気が差しても来るのだ。人を喜ばせる、或いは楽しませる言葉ならば幾らでも、飽きるまで続けることさえ可能だと思う。しかし人を説得するのは難しい。
『血を流す者は救えても、血を流す心を救う才能は私にはない』
 幾度となく征士は思う。
「…夢だったんだよ」
 すると、伸の短い返事が不意に耳に入った。
「…何が?…」
 まるで掛け離れたことを考えていたようで、征士は他に適当な言葉が思い付かなかった。そして伸は、先程までの征士を真似るように、空の何処かを見上げながら言った。
「君が。…僕は君のようには生きられないから」
 見詰めていたのは自分だけではなのかも知れない。と征士は知った。
 夢とは何だろう。己を浮き足立った人間と思うことはないが、伸がそう言うなら、自分も何処かしら現実離れしているのかも知れない。と、征士は意外に自分を知らなかった。己は人の夢に成り得るのだろうか?、そんな魅力的な生き方をしているだろうか?、といつまでも腑に落ちない。
「それは、どんな夢だった」
 だから征士は尋ねた。無論憧憬を向けられる本人が、それを意識していることは少ないものだ。殊に現実主義者の征士には。又それが彼の真面目さだとも言って良い。
 そして伸は今日と言う一日の中で、最も落ち着いた様子で話していた。
「…君は周りから色んな圧力を受けているけど、それを薙ぎ払って進むことができる、そう言う力があると思う。…僕は羨ましかった。なれるものなら僕もそうなりたい。と思って、だからまず君が、全ての重圧を撃ち破る夢に、賭けたかったんだ。…だから失敗したんだよ」
 征士もそれをとても穏やかに聞いていた。
 伸の気持が、ずっと解らないと思っていた彼の心が解る。聞いてみれば簡単なことだったのだ、彼等はお互いに、掛かる圧力から脱したがっていたのだと。自ら望まない責任を架せられることに疲れている。方法は違うにしても、同じ夢を見ていたようなものだ。
 しかしそこまでで話を止めた伸は、まだ何かにこだわるように唇を噛み締めていた。彼の言う失敗の内容とは、戦士として戦っていた日々でさえ、夢の中に存在していたような己が居て、浮かれ騒ぐ己の心の為に犠牲になった征士に、最後まで何の力にもなれなかったと思うこと。
 それはまだ悲し過ぎて言えなかった。征士が征士で居られるようになるまでは。
 それが伸に唯一残された希望。
「私が何故伸を見ていたか解るか?」
 征士は溜息を吐くように言った。暫し閉ざしていた伸もふとその言葉に反応したが、何も答は出なかった。そして遠い昔を懐かしむように征士は続けた。
「最初に会った時に、伸は笑っている自分のことを『こんな人間も必要だ』と言った。だから私は当てにしていたのだ、この先自分がどんな失敗をしようと、伸は許してくれると」
 誰かひとりが至らなかった訳ではない、誰かひとりが頼っていた訳でもない。誰かひとりが全ての責任を負うこともないと、証明してくれるそれぞれの存在が、鎧よりも、世界の平和よりも、生きている自分に価値のあるものだった。そうでなければ誰も、先頭を切って戦場に飛び込むことなどできない。
 征士には彼が必要だった、ただそれだけのことだ。
「お互い様と言う訳だ」
 そして伸にも理解できたことがある。
 始めから今に至るまで、結局自分には、己の夢以外の何も見えていなかったようだと。己に見える目が無いから、他の誰かの目を借りるしかなかった。
 僕には彼の現実が必要だった。
 喜びと悲しみを交互に、或いは同時に運んで来る現実が。



 都心の夜の空はいつも薄甘い。近隣に犇めくビルの窓明かり、街中の電燈とネオンが無数の光を放って、遠い星の輝きなど殆ど臨めない。それが一見好ましくない様子だったとしても、多くの素晴しい成功を見守る空であるのだろう。万物は雑多なものが入り交じる、混沌のスープの中から生まれて来る。都会とはそう言う場所なのだ。
 それだから明るい気持にもなれる、考えが及ばない程の氾濫もひとつの魅力だ。それはまるで誰かのことを語るようだったけれど。
 笑いが零れた。
 それまで蹲るように座っていた伸は、その体を解いて、征士の肩に顎を預けるようにして呟く。
「君は僕を許してくれるのか?」
「伸が許してくれなければ、私はここに居られない」
 どちらがどうとも言えない答の代わりに、征士は伸の背中に手を回して、彼の存在を抱き締めていた。

 認められない卑怯な自分が居る。目を覆いたくなる情けない自分が居る。
 自分の嫌いな自分がここに居る。
 けれど、許せない自分を見ていてくれる人が居るなら、それで良かったのだ。









コメント)あー暗かった…。しかし、とにかくこの話を書かないと先に進めないので、何とか頑張って書いた!って感じです。これで名実共にカップル化だしー!(まだあんまりそれっぽくないけど)、取り敢えずバンザーイ!です(笑)。
前に何処かで書いた通り、「輝煌帝伝説」に思いが深い私なので、ただ征伸の話だけを書くのも嫌、という意識がこんな内容になりました。それにしても何で暗いのかと言うと、これまで書いて来た話は大抵、明るい面×明るい面、又は明るい面×暗い面、のどっちかのパターンだったんです。で、今回は「深い理解」についての話だったので、暗い面×暗い面にならざるを得なかったんですねー。
だから伸がやたら自己卑下ばかりしてるんですが、客観的に見たらそんなことはない訳です。征士なんか本人が情けないと落ち込む割に、他人は悩んでる征士って絵になるな、とか思ってるんじゃないですか(笑)。主観と客観は、人によってかなり隔たりがあると思うし、特に二面的な性格を持つ彼等はそれが激しいだけです…。
御存知の方もいるかと思いますが、星座のマークが、上下左右に対象な形の星座の生まれは、二面的な性格を多少なりとも持つそうです。ふたご、かに、みずがめ、うお、になります。ホラね、どっちも入ってるんですよ(笑)。だからこんな話になるかなーと、かなり前から考えてたんですが、読んでくれた方々のお気に召すものであれば…と祈ります。この後に、直後の続きの話もあるんですが、急に明るい展開になるのは、それもふたりが違う面を使い分けてるってことで、理解してくれると幸いです〜。
それから新宿の記述がとにかく多かったですが、「輝煌帝伝説」の当時(Vの発売は89年)で書いてるので、今の新宿とはちょっと違う所があります。ご了承下さい…って、むしろ読んで懐かしいこともあったりして(笑)。KDDビルって今はKDDIビルよね、とか。
そんなところで、続きも読んでやって下さい。(すぐ書くわ)

余談だけど「ボルテスV」の歌を思い出してた。見詰め合う瞳と瞳〜、温もりを信じ合う〜五人の仲間〜♪。


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