麻雀征士
ハチイチヨンイチ
#2
Funky Mah-jan



 征士は東家の席に着くなり点棒を数えて言った。
「さて、14200からどれだけ取り返せるかな」
 だが、一番負けていると言っても、一万点以上あるならそこまで残念な状態でもない。遼が上がれなかったのは確かだが、結局一度しか振り込まなかったのだ。前途の通りリーチにはリスクもあり、鳴き麻雀が主体の遼は、自動的に振り込むリスクが低くなる。無論それでも、相手の捨て牌を読めなければ当ててしまう訳だが、
「でも昔みたいに、しょっ中ハコテンになることはなくなったよね」
 と伸が返したように、遼も以前に比べれば随分巧くなったと評価できた。そう、昔は秀と他の者とのレベルが違い過ぎた。早く勉強を始めた当麻だけは着いて行けたものの、皆しょっ中チョンボや振り込みでハコにされていた。考えるとそれでよく、投げ出さずに上達して来たものだ。それだけ面白い遊びであり、のめり込める遊びでもあると言うことだろう。
 そんな仲間達を見て来た秀も言った。
「みんな巧くなったよな、昔に比べっと」
 最も昔、初めて柳生邸で麻雀をしたのは高校一年の時だが、それは酷い有り様だった。ある程度ルールを把握していたのは当麻のみ、伸はドンジャラの程度に並べられるだけ、征士とナスティは何となく見様見真似で参加できたが、全員が役無し、フリテン、不正を連発するので、ゲームをしていると言うより、秀が仲間達に麻雀を教えるだけだった。
 遼に至っては全く何も御存知なかった。それを思うと普通に対戦できるようになった今の為に、あの頃親切に教えてあげて良かったと、秀の喜びも一入である。
「やっぱり時間をかけて巧くなるものかな?」
 純が言うと、お茶の支度を始めたナスティが、
「そうよ、純もねぇ、勉強しながら場数を踏めば段々上手くなるわよ」
 自分を例にしてそう励ました。純には嬉しい希望的な言葉だったが、但し彼女のようになれるかどうかは判らない。研究好きな性格と、しばしば麻雀をする大学の環境があっての、今のナスティだからして。

 さて、配牌を終え流れるように始まった南一局。
「リーチ」
「お、早えぇな」
 入ったばかりの征士が、涼しい顔で四巡目にリーチをかけ、早速遼とは違うキャラクターを見せていた。
「親だからな」
 と彼は簡潔に言ったが、そうは言っても早く手牌を整えるには技術が要る。仕事の付き合いで麻雀をする機会があるらしいが、最近の征士は全く侮れないと皆知っていた。
 またそんな早いリーチに対し、絶対に切ってはいけないと言われる牌がある。有名なプロ雀士が過去に広めたその説は、今では常識となっていて、無論この場でも皆知っていることだろう。伸は征士がこれまでに捨てた、発、南、1ワン、8ソウを見てピンフ系であると予想すると、まず当たらない東を切ることにした。
「うーんと、これは安牌だよねー」
 すると当麻もツモの後、自分の手牌をざっと見て、
「俺も同じの捨てとくか」
 と東を場に捨てた。更に続けて秀も余っていたらしき東を捨て、三連続で東が切られた。
「んじゃ俺も」
 しかしその流れを見て、さすがに征士は疑問に思った。
「何故ここまで東を引っ張ってたんだ。みんなタンヤオ狙いか?」
 東は征士の風牌だが、南場での他者にはオタ風である。二枚、三枚集めても役にはならない為、一枚のみなら普通はもっと早く捨てる。それを二枚にして展開しようとするのは、タンヤオか七対子と考えられるのだ。
 ただ、伸はともかく秀と当麻は、そう単純な手ではないだろうと判っていた。その後八巡目になり、
「ポン」
 当麻が鳴いて1ピンを三枚晒すと、得意のホンイツどころか、国士無双でも狙っていたのではないかと征士思った。
「当麻に限り食いタンは無いと思ったが、またホインツかチャンタだな」
 征士が呟くと、当麻は表情こそ変えないが、ほぼ見抜かれたように低いトーンで答えた。
「説明しなくていい」
 捨て牌から相手の様子を読み取る。麻雀を始めた当初はぼんやりとしか判らなかった事が、今は皆ある程度理屈を把握できている。それだけにリーチ状態以外からの振り込みは、あまり期待できなくなったのだが…
「などと話していたらツモだ」
 秀を挟み九巡目に入った所で、征士は自力で7ワンをツモってあがった。直前に鳴いて手牌を整えたばかりの当麻は、
「あー!、何だよ折角テンパったのに」
 と、更に面白くなさそうに言ったが、ロンに比較すればツモあがりの確率は低い。ここは征士にツキがあったと言うだけだ。しかも親なので得点が稼げる局面だった。
「ラッキーだったな、リーチ、ツモ、ピンフ、ドラ1」
 彼が手牌を公開すると、確かにどうと言うこともないピンフで、ツモの一役が付き四役六翻となったのは、本人の言う通りかなりラッキーだった。但し忘れてはいけない事がもうひとつ。秀がドラ表示牌を返すと、
「裏ドラは…?、ありやがった!、ドラ2だぜ!」
 更に幸運なことに、ドラの6ピン以外に裏ドラの9ワンも一枚持っていた。ラッキーが重なり征士のあがりは予想外に高くなった。
「満貫だ、12000、4000オールだ」
「ちーっ!」
 秀と当麻が揃って舌打ちした。ひとりで振り込むよりはいいが、本来8000点の満貫を親で12000点にしたのは大きい。4000点払っても秀はまだ貯金があったが、当麻はスタート時点からマイナスに転落してしまった。まあ最も不満そうだったのは伸だが。
「多く持ってる方に代わったのに、あっと言う間に最下位になったじゃないか!」
 恨みがましく言って征士を見たが、別段悪い事をした訳でもないので、彼は空気を読まず堂々としている。そう、どうせ遊びなのだから、今は与えられる運否天賦を楽しむべきだろう。

 代わっていきなり勝って見せた征士の親が続く。南一局一本場。
 配牌が終わると、がっかりした面々もすぐ落ち着いた思考に戻る。序盤は誰も声を出さず静かに進行して行った。何やら前場とは各々意識が違うようだ。敢えて誰も言わなかったが、遼に比べ征士は安定して勝ちを積み上げる力があり、それを目の当たりにして気が引き締まったのだ。
 尚、ナスティと伸は同程度の実力だろうと見られており、つまり南場の方が難しい場となっている。
 そんな中で純は、征士の不思議な理牌に興味を持って来た。実は北家の秀の横に座る彼からは、東家の手牌も覗くことができた。それが、東場で見ていた遼と今の征士では、明らかに牌の並べ方が違うと知り、本来は秀のやり方を勉強する立場だったが、思わず口に出してしまった。
「征士兄ちゃんは遼兄ちゃんとは全然違う打ち方なんだなぁ?」
「そうか?」
 並べ方で勝敗に差が付く訳ではないが、しかし、巧い人間は巧く考えられる並べ方をするものだ。遼や秀の理牌はごく一般的なもので、左端か右端に頭の可能性があるトイツとアンコ、中にターツとシュンツを並べ、大体種類毎に纏められている。だが征士は何故かいつも、纏まりなくバラけた並べ方をするのだ。勿論本人がそれで判っていれば何も問題はない。
「麻雀の手作りは性格が出るよな」
 外野からそう言った遼は、卓の周囲をぐるりと回りながら、純の言う違いが本当にあるのか確かめてみる。すると確かにそれぞれ特徴が違っていた。一般的な並べ方でも、伸が全てを順序通りきちんと揃えるのに対し、秀は孤立した字牌などは適当だ。またバラけた並べ方は当麻もしていた。寧ろ当麻の方が複雑怪奇で、これで何ができているか判るんだろうか?、と、首を捻ってしまう程だった。
 同じ麻雀と言うゲームをしているのに、随分と個性の違いが出るものだ。
「征士は絶対鳴かないんだよ」
 と伸が言うと、征士はツモった牌をチラっと見てそのまま捨てた。
「損だからな。メンゼンの方が美しい」
「ポン」
 その九巡目の時初めて場が動いた。征士の捨て牌を貰い8ソウ三枚を晒すと、
「美しいって、アガれなきゃしょうがないだろ」
 当麻はそこにはこだわりなく、柔軟に展開する意思をここでも示した。秀もそれには同意見のようで、
「だよなぁ」
 と相槌を打ったが、前途の通りどちらにもメリット、デメリットのあることなので、要はその人に向いた打ち方か、現状に合った打ち方かが大切なのだろう。話を聞きながら純はそう理解した。
 結局どちらが上がれるかはその時々による。それを証明するように征士が、
「リーチ」
 十巡目でリーチをかけた。今しがた「上がれなければしょうがない」と頷いていた秀が、
「おーっと、俺の方がアガれねぇかも?」
 先にリーチされたことにやや焦りを見せている。彼の手牌は暫くイーシャンテンから動けずにいた。また征士の次に牌をツモった伸は、前場と同じく安全そうな、オタ風を切り出すことにしたようだ。
「また字牌捨てちゃお〜」
 征士の捨て牌は恐らくまたピンフ系だと睨み、当たらないだろうと思っていた所に、思わぬ声が発せられて伸はビクリとした。
「ポン!」
 ロンではなく当麻がポンしただけだったが。
 彼は8ソウに続き1ソウ三枚も場に晒した。そこから見える当麻の今回の役は、食いホンイツ、食いタンのトイトイなどであるが、幾らホンイツが好きだからと言って、毎度似たような手ばかり作らないだろう、とも感じられた。
「またホンイツなのか?」
 一応探りを入れたが、征士に自らそれを明かす当麻ではない。
「常に最善の道を考えるのが軍師の務めだ」
「ふ〜ん、まあ役牌かドラ絡みかも知れんな」
 征士はそう返し、けれど怪しい雲行きを感じ始めていた。自ら言っておいて、もし風牌やドラが複数があれば、振り込みのダメージはかなり大きい。嫌な予感は当たると言うがどうだろうか。
「当たるか??、…セーフだな!」
 十四巡目に入り、秀は征士には危険な3ピンを捨てたが、ロンの申告はなくホッと一息。彼はテンパイにはしていたが、もう残りの牌の数から上がれない雰囲気を覚り、流す方向でロンを避けている。次に征士が、
「ドラは大丈夫だろう」
 当麻を窺いながらドラの4ソウを捨てた。それを見て純は驚いたが、まあリーチをかけていれば捨てるしかない。
「ドラ捨てちゃうの!?」
「安全牌ならな、絶対必要な時以外は何でも捨てなければ」
 リーチをしていなくても、絶対に当ててはいけない場ならドラも切る。それがセオリーだと純は判っただろうか。続けて伸もドラではないが、場の風である南を手牌から切り出し、
「これは絶対当たらな〜い」
 とニッコリ笑った。どうもなかなか征士も当麻も、秀もあがれる雰囲気がしなかった。
 が、
「お!、俺もツモった、珍しいな」
 そこで征士の予感通り、当麻に運を持って行かれたようだった。何故なら、自分が親の場で子がツモあがりをすると、親は他家の倍を支払わなくてはならない。
「トイトイ、役牌2で満貫だ」
「五十符あるのか…、さっきのを取り返されたな」
 当麻の倒牌を見て、白西のアンコと頭の北、全て字牌なのを知り、大した手ではないのにあがりが高いのは征士も納得した。本来は遼が好む形で、当麻は滅多にアンコのみにはしないが、偶然配牌で白や西が多く来たのだろう。それでもあがれるのが柔軟性と言うものだった。
 しかしそれにしても、東四局から三連続で満貫と言う派手な流れに、
「春のパン祭ならぬ満貫祭だな!」
 と秀が喜ぶ。当麻は「それなら東映マンガン祭りの方がしっくり来る」と思ったが、大して面白くないので言わずにおいた。ここで迂闊な事を言い、スベったら運が逃げてしまいそうだ。そしてその横では、
「やだなぁ、子だから2100で助かったけどジリ貧だよ。次親だから頑張ろー」
 点棒が減る一方の伸が浮かない顔をしていた。

 征士から伸に親が移って南二局となった。
 秀の満貫祭り宣言が効いたのか、この場はガラっと様子が変わり、早い段階から全員が動き出していた。
「よーしやっと来た!、リーチ!」
 二場続けてリーチできなかった秀が、まず六巡目でそれを達成する。
「秀兄ちゃんでも、リーチできない時もあるんだなぁ」
「そりゃどんなに巧い奴だって、配牌や引きが悪けりゃ勝てねぇよ」
 秀の話す通り駄目なものは駄目なので、そんな時は我慢し振り込まないこと、最後にはテンパイの形にすること、それだけを考え打ち続ける時もある。駄目な場をやり過ごすのも巧さのひとつである。またどんなに巧くとも負ける時は負ける。
「その日の運も結構あるよね。で、僕も今日初リーチ♪」
 伸は運気の存在を話しながら、自らに運が向いて来るよう明るくリーチした。まあそんな気分や発想の切り換えも、流れを変える要素の内かも知れない。ただそこで、
「それ鳴いとく。チーだ」
 現在一番に伸し上がった、本日好調の当麻が伸のリーチ表示牌を拾う。ワンズの123が晒され、今度はお得意の食いホンイツか食いチャンタの気配だった。それを見て伸は、
「ホントにリスクを取らないねぇ」
「だからこれが最善の道だと。リスク管理ができなければ、何事も成功しないんだぞ」
 当麻のご高説を「相変わらず」と、伸は内心大笑いしていた。柔軟性が大事だと話したばかりだが、結局得意に偏るのは人間として仕方ないだろ?、と本人を見て思うからだった。また征士が、
「生活のかかる仕事ならリスクも重視するが、遊びでそれでは疲れないか?」
 と当麻に尋ねると、秀も同調して彼の麻雀はつまらないと指摘した。
「だよな!、当麻は考え過ぎなんだよ、だから全然デカい手でアガれねぇし」
 ゲームソフトのようにとは行かなくとも、実際の麻雀で役満が出ることは勿論ある。これまでに秀は地和、国士無双、大三元、清老頭をあがったことがあるし、比較的最近遼が小四喜をあがったこともある。狙うなと言えども大役はやはり麻雀の華だ。しかし地味だと言われようと、当麻は己の追求する麻雀をしたいようだった。
「別にこんなの何のストレスにもなっていない。俺は楽しいからいいんだ」
「かっこいいー!」
 思わず純が昔の調子で喜んでいた。まあ、子供の頃は純粋にそう思っていたかも知れないが、今は恐らくからかい半分だと思われる。それでも純の、元鎧戦士達への敬意は変わらないだろうが。
 その後、特に動きのないまま十巡目に入ると、
「リーチ」
 征士が満を持した様子でリーチをかけた。既にふたりがリーチ、ひとりは鳴いているのだから、かなりの自信がないとリーチには出られない。その状態は純の頭にも、敵味方入り乱れる大戦場がイメージされた。
「三人リーチだ!、多分全員テンパってるんだよね?、どうなるか本当にわからない!」
 東から征士、南から伸、北から秀、西の当麻はこっそり隠密のように出て、今それぞれが激しくぶつかっていると想像すると、見ているだけでも胸が沸いた。まるで戦争シミュレーションだと。
 しかもその緊迫感は長く続いた。十五巡目に入っても誰もあがれないのだ。
「もうそろそろ当たるかな〜?、…来ない、…誰も当たらないよねこれ?」
 伸の牌を捨てる手が微妙に震えていた。ここまで来たら流局でもいいから負けたくない。
「…要らない」
 当麻は一度鳴いた以外はチー、ポンをせず、手牌を動かす様子もなく淡々としている。やはり幾ら彼だとしても、周囲が全員リーチの状態では身動きがし難い。
「来いっ!、…来ねぇぇぇーーー!」
 ツモが進む度、声に込める力が増して行く秀だったが、それでも当たりを引けずに時が過ぎて行く。
「あと三回で流局だぞ、誰か当たらないのか?」
 遂に十六巡目のツモを終えると、征士はそう言い、皆によく見えるように捨て牌を晒す。けれどやはり誰も求めていない牌だった。そうなると考えられるのは、
「誰かが三枚持ってるのかも知れないな…」
 当麻が呟いたように、欲しい牌をそれぞれが持ち合っていると言う、場の盛り下がる可能性だった。折角四人が確と組合い、良い勝負をしているように見えて、実は四竦みになっているだけでは残念だ。なのでどうにかしてあがりたいと思うけれど、唸る伸にはまたも当たりは来なかった。
「今度こそ来てーーー!、…駄目だった。うーん?これは…?」
 リーチから八回肩を落とした伸が、些か疲れたように牌を捨てると、
「あ、ロンだ」
 もう出ないかもと諦めていた征士の前に、タンキで待っていた発が入った。本人も些か驚き目を点にしていたが、振り込んだ方も信じられない思いだった。
「何だよぉ!、僕を負けさせちゃ駄目だろぉーーー!」
「まあまあ、そんなに高くはない。リーチ、チャンタのみだ」
 この場合、征士の言う通りドラも裏ドラも無く、5200点で済んだのは幸いだった。涙目の伸はリーチした分更に1000点引かれるが、まだ残り一万点を割らずに粘れている。あと二局で何とか巻き返したいと、より意欲が湧くなら怪我の功名だった。
「ちっ、やっぱり1ピン三枚持ってたか」
 ところで当麻の睨んだ通り、彼が待っていた牌は秀が三枚持っていた。一枚は場に切られているのでもう出て来ない牌だ。その秀が欲しかった牌は、
「ありゃ?、当麻3ピン二枚だけか?。何だよ、伸も二枚持ってんじゃねぇか!」
 やはり既に四枚出ていてもう出ない牌だった。また伸には当麻の安い方のあがりである4ピンも二枚あり、二枚は当麻自身が持っていた。伸のあがり牌の東は秀が頭に二枚持っており、一枚は伸に、もう一枚は早々と場に切られていた。
 秀はチャンタ、伸は七対子、当麻は食いホンイツ一通にしたかったようだが、その時の配牌運により、それぞれが欲しい牌を持ち合う事にもなるのだ。


 南場で二勝した征士が二番に上がり、三番手に落ちた秀が奮起しなければならない南三局。
 しかし秀にはあまり良くないことに当麻が親だった。ここで勝たれたら、現在一番手の彼に引き離されてしまう。もう二局しか残っていないことを思うと、ここからはとにかくあがり易い手で行こうと、秀は珍しく真顔になって手牌を整えていた。
 珍しく真顔になったのはいいが、どうも先程から配牌が良くないと感じている。最初の形で全て決まる訳ではないが、引きもあまり良くない今日は、悪手を巧く展開して行ける望みが持てなかった。理牌を済ませ溜息を吐いた彼は、
「あー、何かアガれなくなって来たなァ」
 隠さず正直な気持を口にしていた。どうせ何を言おうと、急に運気が変わることはないので、捨て身の戦法とも言えよう。すると背後に居た遼が、
「そうだな、序盤調子良かったのに」
 秀の手牌を眺めながらそう添える。恐らく彼の目から見ても、早くあがりに持って行くのは難しいと感じたのだろう。遼は本人以上に眉を顰め唸っていた。するとそこで、
「じゃあ元気が出るように、おやつ作りを始めましょうか!」
「おお!、サンキュ!」
 ナスティがそう声を掛けてくれたので、気分的には少々持ち上げられた。この対局が終わった後に、満足な状態でおやつを食べられれば最高だ。例え一番でも二番でも、自分が満足な結果なら良いだろうと思った。
 よし、できる限り頑張ってみようか、と秀が再び気持を持ち直した時、
「フッ…、リーチ」
「えっ!!、もう?」
 無情にも伸が第一打でリーチをかけ、ニヤリと口端を曲げて見せた。当然まだ場には各自が捨てた牌が一枚ずつ。読んで当てないようにするのは不可能だ。次にツモする親の当麻は一言文句を付けた。
「またダブリーかよ。何故か伸は早いリーチが多いんだよな」
「ダブリーって?」
「ダブルリーチの略だ。一巡目でリーチすると役がひとつ上がるんだ」
 尋ねた純に説明しながら、当麻はそれを阻止できなかったと悔やんでいる。ダブリーは一巡目の内にチー、ポン、カンがあった場合は成立しないが、たった四枚しか出て無い捨て牌の中に、実はカンにできる白を当麻は持っていた。三枚あれば上がれる役なので、一巡目から鳴いてミンカンにすることは通常ない。だからしなかったのだが、もし伸の順番が自分の前だったら、絶対カンにしていたと思うと悔しかった。
「へぇ、早く揃って楽な上に、点数が上がるのはすごいお得だね」
「だがな純、早いリーチは大概待ちが良くない。なかなかアガれなかったりするんだ」
「そうなのか…、早くリーチした方が絶対いいって訳でもないのか」
 更に説明しながら当麻は、なら何を切るかと些か時を費やし考える。先程も誰かの早いリーチを警戒したが、そんな時に捨ててはいけない牌が、幾つかの理屈によって導かれるのだ。
 待ちが良くないと言うことは、ピンフ系の両面待ちはまず無い。ペンチャン、タンキで待っているなら一九字牌絡みは危険だ。また早く上がりたい心理として、ドラを持っている可能性が高く、ドラの8ソウのソバは非常に危険だ。
 カンチャンとシャンポンの待ちは読めないが、つまり真ん中に近いタンヤオ牌が確率的に安全、と言うことになる。伸は第一ツモで何かを手に組み込み、6ワンを切り出したのを当麻は見ていた。そこから考えても、勿体無いが内側の456を捨てるのが得策だった。
 当麻は選んだ。6ワンが必要ないなら、隣の5ワンも必要ない可能性が高い。4ワンは持っていないのでそれで行くしかない。そして、当麻は固唾を飲みながら5ワンを捨てたが…
「ロ〜ン!!」
「嘘だろーーー!?」
 結局自ら「読めない」と考えた、カンチャンのロンに嵌まってしまった。伸が6ワンを切ったのは、466678と、6が三枚でダブついていたからであり、第一ツモで頭にできる西が来た為、6ワンを一枚切ってテンパイにしたのだ。それが当麻には引っ掛けになった。
 ただ一応補足すると、早いリーチに当たるのは事故とも言える。考えても読めないものは読めないので、当麻が間抜けな訳ではないが、
「言ってるそばから一発とはな!」
「日頃の行いが悪い」
 と、純との会話の流れを考え、秀と征士が笑うのは仕方なかった。ダブリーの宣言直後にロンでは、当たるにしてもタイミングが悪過ぎた。
「ダブリー、一発、ドラ1で満貫だよ!」
 ずっと浮かない顔をしていた伸が一気に明るくなる。彼はその8000点を貰っても、まだ二万にも届かず最下位だが、最終局を前にハコテンの危機は脱したと、考えられるだけの貯金は作れた。恐らく彼はそれだけで充分嬉しかっただろう。
 だがこの結果当麻は、
「くっそ、三番に下がっちまった!」
 この8000点のお陰で一気に順位を落とし、頭の痛い最終局を迎えることとなった。現在僅か1000点差だが征士が一番、秀が二番に上がっている。それを知ると秀は全く意外そうに言った。
「へ?。俺、南場アガってねぇのにまだ二番なのか?」
 伸の不思議な運を目の前に意気銷沈していたが、南場はあがれない代わりに振り込まかった。ツモあがりで引かれた点数もどちらも子の時だ。序盤からどんどん転落するように感じていたが、考えるとそこそこの運気に守られていたらしい、と秀は俄然強気になった。それならまだ南四局にも希望が持てそうだと。
 ただそこでふと、あるアイディアが彼の頭を過る。そこそこの運は持っていても、どうも南場の自分はあがりに縁が無いらしい。ならばいっそのこと、運のありそうな誰かに託してみようかと…
「よし、折角だから最後に純に譲ってみっか。だいぶ判って来ただろ?」
「え?、僕が打ってもいいの?」
 思わぬ提案に、純の表情には俄な緊張が走る。僅かな点差で二番に残る秀を引き継ぐのだから、それなりの心構えが必要だと思った。少なくとも大きく振り込むなど、不様な結果にはしないようにと。
「ああ!、俺に代わって一番を狙ってくれな!」
 気楽になった秀は、どうやらキッチンから漂って来る、甘いお菓子の匂いに堪えられなくなっているようだ。丁度そんな時であり、純は兄貴分達と初めて勝負する機会を得た。一人前として見てもらう為にも、ここは頑張ろうと明るく意気込む様子が微笑ましかった。

 そして遂にオーラス、南四局はいきなり純が親で始まった。
 慣れない手付きで、時々他の仲間に手順を聞きながら、純は何とか親としての配牌を終えた。すると、
「頑張れよ〜!」
 ダイニングで既にマドレーヌを頬張っている、秀が若干無責任なエールを送った。大人になって随分経つのに結局それかと、純は半ば呆れながら返す。
「秀兄ちゃん、ケーキ食べたかっただけなんじゃないの?」
「まあまあ、ちゃんとアドバイスすっからよ」
 まあ恐らく言う通り、秀は放っておいたりしないだろうと、解っているけれど。
 否、解っていても、初めて実物の牌に触れてプレーする純は、何もかもが心許なかった。流れはゲームソフトと同じだが、対戦相手はプログラムのキャラタクーより、ずっと強いように感じるからだ。また変な間違いをして、場の流れを壊すのも恐ろしい。
 そんな訳で純は、親の第一打から長考し、やっと発を切ることができた。本来なら余計な長考は嫌がられるが、さすがに初心者の彼には、誰も文句を言わず、温かく見守りながらのゲーム開始となった。
 その後五巡目までは滞りなく進んだ。純も少しずつ現実とゲームソフトの間の、ギャップを埋めながら手牌を整えて行った。幸い彼への配牌はタンヤオ牌が多く、判り易いので基本的なメンタンピンで行くことにした。
 この五巡目までに一九字牌は殆ど捨て、9ワンが一枚残るのみだった。順調に作り易いタンヤオが集まっている、と思ったが、そこで悩ましい9ワンがもう一枚入って来た。
 今、純の手の内には頭にできるトイツが無い。だがこの二枚を頭にするとタンヤオは不成立だ。リーチピンフのみになってしまうが、まあ、簡単な手でも最初はあがることが一番だと思い、端で孤立している2ピンを切ることにした。
「うーん、これでいいや!」
 秀の役作りの作業をずっと見て来て、純にはひとつ判ったことがある。流れの中で偶然揃ったメンツは、始めの予定とは違っていても、なるべく崩さずに生かすことだと。だから恐らく、9ワンを残したのは間違っていない筈だ、と、彼は自ら言い聞かせるように心を保っている。
 ところが次の征士が順番を終えると、伸がツモった牌を見てニッコリ笑い、
「リーチだよー♪」
 またもや序盤にリーチをかけた。純の心中は途端に穏やかでなくなった。
「気をつけろよ〜」
「そう言われてもさ…」
 端で見ている遼が声を掛けてくれたものの、前途の流れの通り純は、使い易いタンヤオ牌ばかりを持っている。前場で早いリーチには一九字牌と、ドラソバは当たる確率が高いと、知られている読みのひとつに触れたが、それらはほぼ持っていない代わりに、役作りに残したい牌を捨てなければならない、ちょっとしたジレンマになっていた。
 ピンフを作りつつ振り込まない為には、一体どうしたらいいだろうか?。純の頭がフル回転を始めた所で、更に思わぬ事態が起こった。
「俺もリーチ」
 伸に続けて当麻が再び、五巡目の早いリーチを宣言したのだ。一局に一回程度しかリーチをしない彼が、この最終局でリーチするとは考えていなかった。純は軽いパニックに陥ってしまった。
「ええ〜?、どうしよう??」
「まあ落ち着け」
 すると丁度その時、ある程度食べて満足した秀が卓に戻って来た。純の背後に立つと彼の手牌と、河に捨てられた牌をひと通り眺め、他に聞こえぬように純に耳打ちした。
「ふたり共ピンフ系だ、伸には一九、当麻にはピンズをできるだけ捨てるな。当麻は多分ドラ持ってるから絶対振り込むなよ?」
「うんうん」
 五枚ずつ捨てられただけの段階で、何故そう言えるのかまだ純には判らないが、心強い後ろ盾ができると少し気分が楽になった。そして落ち着いて、リーチのふたりに当たらぬ4ソウを切ることができた。
 因みに秀がふたりをそう読んだのは、伸のリーチ牌がど真ん中の五ソウ、それまで四枚は全て字牌の上、場の風の南を二枚続けて切っていた。有益な役牌を嫌がるのはピンフかタンヤオだが、タンヤオにこだわるより普通は役牌を優先するので、伸はピンフだと考えた。
 当麻も似たようにリーチ牌が9ピン、その前の四枚は3ワンと字牌のみだが、3より後に端の9ピンを切った順序が、ピンズを引っ張っていると判る。ドラが7ピンなので、679などの9を切って両面待ちにしたのだろう。まだ序盤なので恐らくホンイツにはなっていない、割合シンプルなピンフだと読んだ。
 秀はそのことを純には伝えたが、まだその理屈が掴めていない彼は、ただただ言う通りに安牌を捨てて行くだけだった。だがそのお陰で、純はしぶとく二人リーチを躱し続けた。
 十一巡目に回って来た時、親の純がツモった牌をそのまま捨てて通すと、
「あれー?、なかなか当たらないねぇー」
 振り込んでくれそうな純も、リーチの為に振り込む可能性がある当麻も、未だ放銃してくれず、自らツモった牌も当たらず、伸は首を傾げて笑うしかなくなっていた。入って来易い待ちをしている筈なのに、と言いたげな表情だった。すると、
「純はよくやってるよ」
 自分のツモをしながら当麻は言った。彼もまた伸の手牌を読み、伸も自分もそこそこ良い待ちだと気付いている。だから純、と言うか秀の読みは的確だと感じざるを得ない。ふたりが巧く躱され続ける状況の中、純は続けてツモりながら、
「えへへ、僕ひとりの考えじゃないからさ」
 誉められた点は素直に秀の力と認め、その態度は偉いと皆に思わせた。秀は一度アドバイスすると暫く静観し、純ひとりでやらせているので、強ち秀だけの力ではないと思うが、敢えてそんなことは言わないのが、大人になったなと感じる点でもあった。
 純はよくやれている。秀が常に見ているのだから、恐らく手牌も纏めて来ているだろう。なのでみすみす負けられないと思ったかどうか、
「では私もリーチ」
「うわぁ…」
 純の後にツモった牌を組み入れ、征士もリーチに漕ぎ着けていた。これで純以外の三人がリーチとなり、増々純は窮屈な立場となったが、逆に言えば捨て牌を操作できるのは純のみなのだ。秀は再び「落ち着け」と言うように耳打ちした。
「征士は多分シャンポンだ、ワンズとピンズの出てねぇ牌は捨てるなよ」
 既に十二枚切られた捨て牌から、秀がそう読み切った真剣勝負の場。しかし突然その緊迫感が崩れた。
「みんなー、もうすぐ焼きたてのスフレができますよー」
 ナスティの声に、言わずもがな素早く反応した秀は、それまでじっと見ていた卓からフイと顔を上げる。言う通りバターのいい匂いが漂って来たので、
「おーし、一番乗りだー!!」
 と、彼は本能の向くまま行ってしまった。監督者としてあんまりだ、とも思うが、ここまでに大事な事は皆教えてもらった。後は本当に自力でやってみようと、純には良いタイミングで切り替えができたようだ。
 人間誰しも最後はひとりだ。
 ひとりで何とかしなければならない局面に、その後三巡は堪えて誰にも振り込まなかった。そして他の三人も誰にも当てることなく、十四巡目まで不動のゲームは進んだ。
「もう早く終わらしちゃってよ!。あと四周で流局だよ?」
 秀と遼が美味しそうにスフレを食べるのを、伸もまた堪えられなくなって来ている。早く早くと急かす言葉を続けるようになるが、十五巡目を迎えた純はツモの後に、「おや」と暫し止まってしまった。
『ん…?。リーチできる…?』
 只管逃げてばかりいたようで、その時にはピンフと一盃口でテンパイになっていた。秀がそうなる流れを指示してくれたお陰だが、最後には自力であがりの形を作れたと、彼は内心大喜びだった。もうあと三巡しかない為、本来はリーチしない局面だったが、最後の最後なので狙ってみても良いだろう。
「よし、リーチ…」
「お、マジか?。全員リーチだ、もう誰が当たっても恨みっこなしだぞ」
 当麻が言うと、誰も手牌を弄らなくなったその場は、正に緊張のしじまに包まれ、誰もがそれぞれのツモに息を飲むようになった。
「…来ない」
 征士がツモった牌を捨てるが、誰からもロンの声は聞かれなかった。
「ん〜〜〜!、来ないな〜!」
 最も早くリーチした伸も未だツモらず、捨てたのも既に出ている安牌だった。もう幾度もこんな状態が続いている為、口調は明るいながらも、彼の眉間の皺はどんどん深くなっていた。そして当麻がツモるが、
「来ねぇなぁ…。最後の最後で流れるか?」
 やはり当たりが来ないので、また持ち持ちになっているんじゃないかと、絞まらない流局が頭に浮かぶようになった。できれば誰かのロンかツモで華やかに終わってほしい。無論自分であってほしいと思いつつ、当麻はツモった牌を河に捨てた。すると、
「ロン!」
「えっ…?」
 意外や意外、その牌は純に当たっていたのだ。それは危険なドラソバ6ピンだったが、リーチしている以上どうすることもできず、考え無しに捨ててしまった。
「すごいじゃないか純!」
 振り込んだ訳ではない伸が、心から喜んで純の健闘を称えると、促され倒牌された彼の手がまた、かなり高い役になっており驚かされる。
「リーチ、一発、ピンフ、イーペー、ドラ1…、親だから満貫12000だぞ当麻」
 征士がそう読み上げると、一瞬青い顔をした当麻だったが、どうも腑に落ちない様子でもあった。6ピンをあまり警戒しなかったのは理由がある。伸は既に6ピンを捨てているので当たらない。征士が待っているのはピンズではない。と来て、純に対しても恐らく6ピンは無いと思っていたのだが…
 するとロンの声を聞き付け、スフレを抱えたまま秀と遼が戻って来た。恐らく秀は満面の笑顔で純を誉めるだろう、と思われたが、純のあがりをざっと見るなり、突然残念な顔に変わってしまった。何故なら、
「あーあ!、言おうと思ってたが遅かったな。これじゃチョンボだぞ、純」
「えっ、チョンボ!?」
 純が目を丸くすると同時に、当麻は「やっぱりな」と胸を撫で下ろした。例え全員リーチで流すだけとなっても、危険牌だけは忘れない。理由あって6ピンは当たらないと判断した、彼はひとまず安心すると、純の捨て牌をよく眺めてみようとする。するとその前に秀が、
「フリテンだぜ、9ピン捨ててるから、この待ちじゃツモでしか上がれねぇのよ」
 そう話してチョンボの説明をした。フリテンはゲームソフトでは滅多に取られない。多くのソフトはフリテン状態の時には、リーチをかけられないようにしてあるからだ。なので、捨てた牌であがれないことは知っていても、両面待ちの片方を捨てると、反対側の待ちもフリテンになることを純は知らなかったようだ。
 思い出してほしい、純は開始当初タンヤオ狙いで一九字牌を捨てている。その中に9ピンがあったのだ。
 秀がずっと傍に居れば、ロンできないことぐらい教えたのだが、
「あら〜、スフレのタイミングが悪かったかしら?」
 遅れてやって来たナスティも、この結果にやや困り顔でそう言った。折角あがれたと喜んだ純に可哀想なことをしてしまったと。
 けれど遼が空気を読まず、
「ホントだ、ありがちなフリテンだ。こういうのからしっかり憶えた方がいいぞ、純?」
 からかうことなく真面目に話したので、純の絶望的な気分も少し和らいだようだった。初心者なのだから、初心者にありがちなミスをするのはしょうがないと、素直に納得することができた。自分は今日これから始まったばかりなのだと。
 但し、この半荘勝負が決着した事実は残るので、秀は少しシビアに言った。
「しょうがねぇな、これも勉強だ。親だから罰符12000、オール4000払いだぞ」
「ええ〜〜〜!?」
 その結果、二番手だった秀の持ち点は最下位に、征士がそのまま一位で31300点、二位に上がった当麻が28000点で、今回はそのふたりが勝った結果に終わった。例えゲームでも勝負の世界は厳しい。今日は身を持って知った純だった。
 尚、当麻が6ピンは当たらないと読んだのは、秀の言う通り9ピンが捨ててあったからだ。東一局でナスティが話したスジだが、麻雀の意外に紳士的なルールとして、あがりにはスジを通すことが求められる。両面待ちに於いて1を捨てている時、4でロンするのは不作法と取られるのだ。そもそもピンフとは漢字で「平和」と書くのだから。
 戦争に於いて、勝てば官軍とは言うものの、騙し討ちのようなことをしてはならない。それがスジであり麻雀である。これから純が学ぶべき事の中で、何より一番大事なことだった。



 半荘勝負を終え、丁度良くお腹を空かせた仲間達が、皆ダイニングの方に集まって行った。秀は自分の分を既に確保している為、その一番後ろをゆったり歩いていたが、最後の最後で脱力したような純の、トボトボと歩く様子を気遣い背中をポンと叩いた。すると振り返りながら純は、
「はぁ、ごめん、秀兄ちゃん」
 ひどく申し訳なさそうに言った。例え代理でも、当麻に一敗を喫するのは秀には不本意だろうと、過去からのふたりの勝負を見て来た純には解る。確かに十年以上続く合計勝ち数の差を、ひとつ詰められたのは悔しい秀だった。
 けれどミスをしようとしまいと、負ける時は負けるのだ。幾度もそんな事を経験して一人前になって行く。今日は最終的に運が無かったと、既に気持の整理をしている秀は、それより純がもうひとつ、大人にならなければいけない点があると思った。
「おい、もう『兄ちゃん』付けなくていいんだぞ?。最初の内何か変だったよな?」
「あはは、まだ何か呼び捨てに慣れなくてさ…」
 恐らくきっと、彼が「お兄ちゃん」と言わなくなる頃には、立派にひとりで打てるようになっているだろう。昔は越えられない年齢の差があった純も、その内何かの面で五人を越える事がある。そしてその時は、頼り合える仲間のひとりになってくれるといいと思う。
 秀はそう親身に思う気持が伝わるよう、落ち込む彼を明るく労っていた。



 そして、
「あーあっ、負けちゃった〜」
 まだ温かいスフレを頬張りながら、さして悔しそうでもない伸が言うのを、純のお陰で一番になった征士は、実に気分良く穏やかに聞いていた。現金ではあるが、彼に取ってはこれからが本当のお楽しみである。伸が不機嫌でないなら何でも良かった。
「忘れてないだろうな?、今夜は私が王様だ」
 と、他に聞こえない程度の声で耳打ちすると、
「はあ、まあ、いつものことって気もするけどねぇ」
 伸は特別嫌な顔もせず、どころか怪しい口調で笑っていた。それを耳にすると当麻は再び胸の内で、
『うぜぇなぁ、こいつら…』
 と反芻するのだった。

 そんなこんなで純は、柳生邸の正式な麻雀仲間のひとりとなった。









コメント)後半は容量ギリギリなので、解説と詳しい結果は次へ。



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