寄り添う二人
25回目のバレンタイン
25ans



 二〇十三年、二月。

 バレンタインは本来、カードや花を贈るヨーロッパのイベントで、別にチョコレートに限ったものでもなければ、女から男へと決まっている訳でもない。近年のハロウィーンや恵方巻き同様、商業的効果を狙って広められた販促イベントである。
 だからそんなに重要視する必要もないと思うし、チョコレートやお菓子以外のことを考えてもいいのだが、それでも毎年、この時期になると自然に頭を悩めてしまう。
「今年はどうしようかなぁ」
 それに、今年は少し特別な意味があった。伸は昼食後から暫く、テーブルに肘を突いて考えていた。
 五人が出会ってから二十五年目のメモリアルイヤー。無論最初の年からチョコレートをあげた訳ではないが、少なくともその内の二十年は、遊び半分にこんなイベントを続けて来た記憶がある。
 二十五年。特に始めの四年くらいの間には、実に様々なことがあった。今の生活からは想像できない程の激しい時代は、奔走し戦闘し、ぶつかり合い傷付き、考え悩み、単なる学生生活の何倍も忙しく回転していた。そんな中でも僕達は、確実な仲間同士の繋がりを育んで来られた。何よりそれが宝物となったから、楽しめる毎年の行事は大切だった。
 今年もバレンタインデーがやって来た。さて今年は何をしようか?。
「毎年あんまり甘くないものって、もうネタが尽きて来たし」
 因みに去年は簡単なトリュフを作った。一昨年はシフォンケーキ、それ以前には各種チョコレートケーキ、タルト、ムース、パリブレスト、スフレ、ロールケーキなどなど。他にシュニッテン、ババロア、ロッシュ、ボンボンも作った。難しいものは試作までして、また甘味を押さえる為に工夫も凝らして、毎年それなりに満足なものが出来上がっていた。けれど、
「大体相手がそこまで喜ばないんだから、頑張って作っても馬鹿馬鹿しいんだよね」
 そうなのだ。伸が一番メインに考えている人は、基本的に甘いお菓子はあまり食べない。バレンタインの有り難みもほぼ感じてはいないだろう。昔から学校や会社で貰って来るチョコレートも、手を付けず人にあげてしまうような人間だ。寧ろ過去には、このイベントを迷惑に思う時期があったかも知れない。だからこそ何を作るか、伸は毎度頭を悩めることになった。
 これが秀や当麻なら、悩む必要は全くなかっただろう。或いは遼なら、何をあげようと嫌な顔をしないだろう。まあ、簡単ならいいと言う訳ではないのだが、チョコレートのお菓子で甘くないものを、と言うと、少ないパターンしか存在しないから悩むのだ。チョコレート自体をビターにするか、チョコ以外の材料で甘さを押さえるか、そのどちらか。
 と、何となく他の仲間達の顔を思い浮かべると、彼は一度吐いた溜息を撤回するように、
「でも、今年はみんな不惑の年になる記念だし、とりあえず何かやりたいよな」
 そう思い直していた。
 いつの間にか誰もが、もう「おじさん」と呼ばれて当たり前の年になった。世間では三十五を越えると、段々体のガタつきや体力の衰えが目立って来ると言うが、実際誰も皆、多少は思い当たる節があるだろうと思う。口には出さなくとも。
 無論それでも、今現在も集まれば楽しく過ごせる仲間達だから、いつまでも昔のままの習慣を続けたい、若い頃のままの気心で付き合いたい、と伸は考える。だからバレンタインなんてことも、続ける意味は多少なりともあるかも知れない。心が若ければどんな行事も楽しい。そんなものかも知れないだろう。
 故に、彼の思考は最初の時点へと戻った。
「どうしようかなぁ…」
 横で流れていた昼のバラエティ番組が、ニュースの時間に変わった。テレビのスピーカーは小さめに絞ってあったが、東北のニュースであることは聞き取れた。
 そう、東北地方を巨大な津波が襲ったのは一昨年のことだ。
 その時はこの家も相当に慌ただしかった。征士が実家に連絡を取りたがっていたからだ。普段は全く話題にもしない家族のことを、それでも気に掛けていない訳ではないと、彼の一面を見て何故だかホッとした記憶が伸に甦る。
 否、当たり前だが彼等が年を取ると共に、彼等の親の世代はもっと年を取って行く。全く気にせず居られる訳がないのだ。積もり積もった確執はあれど、事件となるほど恨む理由はない親に対し、そこまで冷酷になる人間は居ないだろう。
 そして、結果的に征士の家には大した被害はなかったものの、東北一帯はまだ復興には程遠い現状だ。海岸沿いの美しい風景が元に戻るには、十年、二十年と必要なことが誰にも解って来たところだ。何かできることを、と、征士も伸も日頃思ってはいるけれど、都心から直接できることはごく僅かだった。たまにボランティアに参加しては、微力の歯痒さを感じるばかりだった。
 あらゆる面で、あらゆる意味で、平和を維持することは難しい。変わらずに居られることは何もないのだ。けれど人間はそれに堪えて進化して来た。
 僕らも、これからも進化して行けるだろうか?。と、伸は考えることなく思った。



 その日の夜、征士がマンションに帰って来ると、玄関先に出したままの大袋がまず出迎えていた。
「おかえりー」
「何だ、どうしたんだこれは?」
 単なるスーパーのレジ袋だが、中身を出さぬまま放置と言う状態は不思議だ。食事の材料ならすぐ冷蔵庫等にしまうだろうし、ストックだとしても然るべき場所に納める筈だった。伸の普段の行動とは明らかに違う。
 すると彼はキッチンから出て来た途端、その荷物にはっとしたように言った。
「いや実はね、色々あって今年は大変なんだ」
「色々…?」
 ただ、少し中身を覗いた感じで、製菓材料らしいと征士もすぐにピンと来た。そして、
「近所一帯に配って回るつもりか?」
 あと数日に迫っているイベント絡みだと笑っていた。例え関心のない征士でも流石に、町中に溢れる看板や公告を見ない訳ではない。簡単に言い当てられて多少面白くなかったが、伸は、
「あはは、流石にそこまでは。でもみんなにも送ってあげようと思って」
 と話しながら、最早習慣となっているお帰りのキスをした。
「みんなって遼達か?」
「そう」
「何でまた」
 そこで征士が何故と問うのは当然だった。幾ら甘い物好き、イベント好きな伸でも、毎年大勢にチョコレートを配る訳ではない。そもそも人にチョコレートを配る機会があるような、企業や団体に所属してもいない。例え仲間達でも、皆で集まる時は御馳走しても、わざわざ送るなんてことはしなかった。
 ならば理由があるのだろうと、征士が尋ねると、伸は特に気負いのない様子でこう返した。
「勿論今年だからさ。今年は何の年だか判ってるよね?、お正月も話したけど、僕らが出会って四半世紀の記念イヤーだよ!」
「まあそうだが」
 つまり五人に特別な年だから、と言うことのようだと征士はぼんやり理解する。更に、
「年も丁度四十だし、節目の年とも言えるかな?」
 続けて伸がそう言うと、その節目と言う単語に何らかの閃きを以って、征士は息を吐きながら言った。
「四十才か…」
 五人が出会った当初なら、とても考えられなかった年令だ。今を持ってしても信じられないことだが、それなりに充実して過ごす内に、時はみるみる過ぎ去って行ったようだ。と、征士は薄ら笑いさえ浮かべていた。
 何故なら、世間一般で四十と言えば、立派な一族の主として家を持ち、仕事でもそれなりのポストに収まる年令だ。仕事に於いてはその通り順調だが、生活に於いてはどうだろう?と考えると、自分はまだまだその域に達していない、そんな覚悟ができていないと笑ってしまうからだ。
 無論、自ら家に収まりたい人間もいるだろうし、一概に年令だけで語れることではないが、嫌なことから何処まで逃げていられるかが、現在の同居を始めた際の賭けだったことを征士は思う。もう二十年以上、抵抗し走り続けて来た結果が今だが、いつの間にか伸と居ることが当たり前となり、その他の環境を違和感に感じるようになった。そんな自分が、今更一般的な家や家庭を持つべきだろうか?。節目の年と聞いて征士は考えてしまった。
 しかし伸はあくまで、明るい乗りで現状を楽しんでいるようだ。
「まあ、君だってもう若くないなと思ってるだろ?、最近?」
 そう征士の顔を覗き込むと、近年遠視が入って来たと言う彼の瞼にチョンと触れる。元々視力の良い人程遠視になり易いものだが、つい先日当麻が何かの折に、「最近辞書などの細かい文字が見辛い」と言っており、元の視力に関係なく目の能力が衰える、そんな年令になったと笑ったものだった。
 そう、笑い飛ばして共有できるなら、老化現象も単なる話題のひとつに過ぎない。だが、実は遠視を気にしている征士は、
「それが何の関係がある」
 と、多少不貞腐れて返す。まあそんな反応をするだろうと、判っていてからかった伸だ。何喰わぬ様子で征士の傍を離れると、改めて満面の笑顔を作って言った。
「だから今年は盛大にお祝いして、色々けじめをつける時なんじゃないかと思うからさ!」
「けじめとは?」
「別に、百八十度考えを変えるって意味じゃないけど、色々あるだろ、変化が」
「青年期から中年期へ…?。嫌だな、考えたくない」
「そう言う分類は置いといてさぁ」
 伸は征士の、些かマイナスな発言から流れを変えようと必死だ。当然何事も楽しくないより、楽しい方が良いに決まっている。明るく楽しく年を重ねられたら、それより他に望めることはないだろう。誰しも年令が上がって行くことは変えられないのだ。そして、
「いつまでも昔と同じままでいられる訳ないだろ?」
 伸が昔の自分等の姿を思いながらそう話すと、漸く征士も、
「それを言うなら、既に随分変わって来たさ、私達は」
 と、伸の肩を掴みもう一度キスした。いつの間にかそんなことも、日常の当たり前の行動となった。今の自分等は恐らく、TVドラマの役者が演じるよりずっと自然に、日頃のお互いの気持を確かめ合えているとふたりは思う。こうした変化は勿論幸福の証だ。
「そうだけど、さ」
「クスクス…」
 けれどそれ以上に、お互いの結び付きが強ければ強い程に、堪え難い変化もあるだろうと予感している。ふたりは薄々予感しているからこそ、今をこれ程愛おしく思えることを感じた。
 日一日と近付いて来る、我々のさだめは唯一無二の鎧のさだめ。
 人知れずこの世の為、人知れず正義の流れに則して生きねばならぬ。
 それだけは今も昔も変わらぬことだと。

「で?、何を作るんだって?」
 夕食の席に着くと、征士は珍しく自らバレンタインの話を切り出した。これまで伸が何を用意しようと、ほぼ口を挟まずにいた彼だが、今回に限り話題にしたのは恐らく、「みんな」と言うキーワードを聞いたせいだろう。
 例年とは違うバレンタインデー。何が特別なのかをより知りたがっているようだ。
「先に言っちゃうのは不粋だろ?。まあ送ることを考えたら焼き菓子は作るよ、パウンドケーキかマドレーヌかクッキー。君にはまた別に。あ、折角だからナスティにも送っちゃお」
 と伸が答えると、征士は箸を動かしながらも笑って返した。
「何やら、チョコレートのフルコースでも出て来そうな勢いだ」
「そうかもね?」
「ケーキバイキングみたいなのは勘弁してくれ」
 実は一度、征士はケーキバイキングに付き合わされたことがある。仕事先の女子社員に、面白半分に連れて行かれたのだ。今で言うスイーツ男子の伸ならともかく、征士がどれ程苦痛を味わったかは御想像の通りである。
 まあまさか、その再現のような食卓になるとは思わないが、世の中にはチョコレートとんかつやら、チョコレートソースのステーキなども存在する。チョコ尽くめのディナーはやはり辛い、と言いたげだった。
 けれど御安心を、と言うように伸はこう提案した。
「でもさぁ、野菜のタルトとかミートパイだったらいいんじゃない?」
 チョコレートではなくとも、特別なディナーらしくケーキがあれば、と思う、伸のレパートリーは流石に豊富だった。もっと簡単なものであれば、キッシュやピザもその内に入るかも知れないが、敢えてタルトとパイと言ったのも彼のセンスだろう。
 すると案の定、あっさり征士は承諾した。
「それならOK」
「うん、そう言う方向のディナーにしよっと!」
 経験的に相手のことをよく知っている、手に取るように解る、そんなふたりの間では最早何を話そうとも、間違いが起こることは滅多にない。が、時にはこんな遊びのような会話を楽しみながら、イベントを盛り上げるのも悪くなかった。
 二〇十三年の、二十五回目のバレンタインデー。
「しかし…、皆を呼ぶ訳でもないのに、そこまで気合を入れたいものか?」
「だから言っただろ?、今年は特別なんだってば」
「特別と言えば特別かも知れないが」
 征士はまだ今一つ納得が行かない様子だが、既に伸のやる気はメラメラ燃えている。何故なら人生は思い出の積み重ねだと思うからだ。後の後まで永遠に憶えていてほしいと思う気持が、ひとつのイベントを際立たせるのではないか。その原動力となる気持を今、伸は何より大切にしたいのだろう。
「特別だよ、明日までに何を作るか決めないと、みんなの分は時間的に間に合わなくなるし、集中して頑張らないと。まあ考えてる間が一番楽しいってのもあるけどね」
 そう言って笑った、伸の頭はもうお菓子のことで一杯のようだった。
 さて、仲間達にはチョコレートを加えた焼き菓子を送るとして、ディナーには辛いケーキの他に何を作ろう?。店頭で見ることもある、ザッハトルテやディプロマートトルテは王道だが、作るのに手間が掛かり過ぎるし、メインがケーキでデザートもケーキは諄いかも知れない。
 ならばチョコレートを加えた、パルフェやブラマンジェがいいかも知れない。そう言えば、フランス流の面倒臭いブラマンジェでなく、簡単なイギリス流ブラマンジェの作り方が、どれかの雑誌に載っていた筈だ。
 と…、彼は自ら言った通り楽しんで考えていた。



 もうじき冬は去る、春がやって来る。この微妙な時期に行われる、少しばかり気持が綻ぶようなイベントをこれまで、そこまで意識したことはなかった。町中や周囲の賑わいに乗せられ、それとなく合わせて楽しんでいただけだ。贈り物の習慣が日本には少ないと言うから、そんな機会がひとつ増えるのもいいだろう。
 ただ、毎年深く考えずに行っていたことも、意識して考えると特別な記憶に思えて来ることもある。去年君は何をしただろうか。その前はどう過ごしただろうか。何れも、全く同じ一日ではなかった筈だ。二度と同じバレンタインデーは巡って来ない。
 そして、いつもふたりであったことさえ。
「バレンタインと言えば、もうすぐ年度末だ」
 夕食後、ダイニングテーブルからテレビの天気予報を見ていた、伸の横で征士はそう呟いた。何事もまず仕事に関する言葉が出て来る、征士らしさに伸は苦笑いしながら返す。
「君の目が真っ赤になる時期が近付いてるね」
 そう、それもまた春の風物詩だった。征士はある頃から花粉症が目に来ている。伸も多少くしゃみが出る程度に影響を受けているが、征士のように四六時中苦しむことはない。彼はその時期毎日専用洗剤で目を洗い、仕事中も目薬を注しまくっている。それでも駄目な時は病院で薬をもらうほどだった。
「春は恐ろしい。今年はもうニュースを聞くのさえ嫌だ」
「アハハハ!、君にも怖いものがあるんだ」
 殊に、今年は昨年の三倍から七倍の花粉が飛ぶ、などと言う情報を聞けば恐ろしくもなる。病気とは言えない現象で、これ程鬱陶しいものはないと、征士は毎年この環境を恨みにさえ思っていた。否、できれば花粉だの杉だの考えたくもない、と言うところだろう。
 征士のそんな様子を見ると伸は、花粉の話はそこまでで切り上げ、代わりにこんな冗談を続けた。
「あーでも、多分一番怖い存在は僕だろうけど?」
 すると、それは確かに怖いかも知れないと、征士は一度声を上げて笑った。今となっては、自分の生活に意見する人間は伸ただひとりだ。けれど、もうひとつ考えを進めるとより怖いものがあった。
 それは伸の心だ。或いは彼の気持である。例え今は十代の頃のように、柔らかく傷付き易い心を持っているとは言えなくとも、伸の持つ愛情なり感情なり、心の機微は常に細やかなことを知っている。そして繊細さが過激な方向に増幅することも、しばしばあると知っているからだ。小さな波紋が重なり大きな波のうねりへと変わるように。
 だから伸は怖い。心の振れ幅が広い人間は、感情がどう変化するか予測し難い。無論それが彼の魅力でもあり、彼と言う人を形成する個性なのだが、そこで、
「伸が明るく張り切っている時は怖い」
 征士は敢えてそう言葉にしてみた。過去に幾度も経験しているからこそ、そんな言葉が出て来ることを征士は伝えた。すると伸は少々面白くない顔をして、
「え、何だよ?、また何か失敗しそうって?」
 と、顔を突き出して見せた。そう言えば張り切り過ぎると失敗する、と言うのは伸のひとつの癖かも知れない。それを自ら思い出し、自ら不満そうな様子を見せる伸。だが、張り切り過ぎは禁物と気付いたなら、今はそれで充分有意義だったろう。
「文句ある?」
「文句ではない」
 そして、そんなことを言いたい訳ではないと、征士は向けられた顔を両手で捉えて見詰めた。その眼差しには、これまでの小気味良い会話の乗りとは違う、静寂の仄白い空気が漂っていた。何を考えているのだろう?と、伸が尋ねない筈もなかった。
「じゃ何だよ?」
 その時、彼は思いもしない返事を耳にすることとなる。
「伸が今年にこだわる理由が解ったからだ。いや、もう前から解っていたからだ」
「・・・・・・・・」
 思わず伸は黙ってしまった。征士が何を言おうとしているのか、或いは、自分が言い出せないことを相手がさらりと言ってしまう、その柔らかな恐怖感を肌に感じ取ったからだ。そして、
「伸は、本来私が話すべきことを、先に代弁しているのだろう?。自ら気持を見せることで整理を付けようとしている」
「・・・・・・・・」
 征士がそう続けた後も、伸の口には何の言葉も昇って来なかった。
 代弁と言うのは語弊がある。直接的には何も言っていないからだ。ただそれを意識させるような行動をしているのは確か、かも知れないと伸は思った。今年は特別なバレンタインデー。否、全てのイベントが特別になる年だと、暗に感じているからこそ明るく振る舞った。
 きっと、恐らく、征士は実家に帰る決断をするだろう。
 世の中が平和な内は、ただ自分の自由と幸福だけを追っていられた。家族がどれ程彼に期待を寄せていても、宛てにするなと突き放していられた。けれど彼に取って、日本に取って衝撃的な事件が起こった。東北の惨状を見て、征士の考えが少しずつ変化するのは、当然のことだと伸にも理解できていた。
 何らかの形で、被災地域に貢献したい気持は誰にでもあるだろう。それが自身を形成した故郷の土地なら尚のことだ。そして今年は、元鎧戦士達に取って丁度良い区切りの年なのだ。
 征士はそんな、二〇十一年からの経過を仕方なさそうに言った。
「どうしようもない流れだと思う。でも、伸は嫌なのだろう?」
「・・・・・・・・」
 その通りだった。理性的に状況を考えることはできても、感情が着いて来なかった。だから無闇に張り切る気持が生まれたことを、伸は自分で判っていると無言で答えていた。だが、
「私もだ」
 それは伸だけの思いではないと征士は言った。
「私も、今の生活を変えたくはないんだ」
 そして征士は、掴んでいた伸の顔をより近くに寄せると、その顳かみに唇を寄せた。すると、頬の横に感じられる優しさや気遣いが、今も昔も何ら変わらないことを伸は知った。征士の言葉が嘘偽りのないものだと、心から信じることができると、自然と伸の、凍り付いたような表情も溶けて行った。
「…嫌だよ」
 そして、一言零れてしまうと後には、涙のように止め処なく言葉が連なって行った。
「いつか離れる時が来るかもって、ずっと思ってたけど、いざ目の前に来ると嫌だよ」
「そう、私もずっと怖れていたのだ」
 話し合う前にお互いに解っていた。彼等にはそれぞれ家と言う存在があり、その存続を考えなければならないことを。逃避行とも言える今の生活がいつまで続けられるか、なるべく考えないようにはしていたけれど、変わらぬ愛情があるのと平行して、変わらぬ問題もあり続けた。
 幸福な分だけ悩んだ。悩みがあったからこそ幸福に過ごせていたとも言える。
「二十年なんてあっと言う間だね」
 と、伸がこれまでの様々な出来事を思いながら言うと、征士も、
「ずっと思い通りに生きていたからかも知れないな」
 そう言って笑った。思えば始まりはかなり強引に、伸のマンションに同居することを納得させたのだ。当初は多少後ろめたさや違和感もあったが、すぐにそれが普通の、否、最良の生活形式となった。驚くことに日常の暮しの中には何の不満もなかった。そんな状態が二十年続いた。
 今は寧ろ、奇跡的な幸福がそこまで長く続いたことに、感謝すべきなのかも知れないが。
 それでもどうしようもなく、心は離れたがらなかった。
「永遠に同じ時を繰り返してればいいのに」
 遂には伸らしくもない、閉鎖的な夢が彼の口から漏れた。それは終わり行くひとつの時代に、どれ程価値があったかを示すモニュメントのようだった。きっと、恐らく、この二十年間はふたりの人生の中で、永遠に輝き続ける記憶となるだろう。事ある毎に思い出すことになるだろう。当面は淋しさに苦しむことになるかも知れない。それでも、離れなければならない意味が存在すると、元鎧戦士として気付いている。
 離れる愛もあると、いつか新たに納得することはできるだろうか?。勿論、今生の別れと言うほどのことではないし、電話なりメールなり、毎日やり取りできる世の中だが…。

 肩を抱き合う腕に、ふたりの気持が循環し通じ合っているようだった。
「だから今年は特別なんだ」
 と伸が改めて言うと、
「ああ」
 今は穏やかに納得して征士も答えた。そして、変わって来たこともあるけれど、この二十年間変わらなかった気持を、彼は確と言葉にして伝えた。
「今も、これからもずっと好きだ」
 どれ程離れようと、どれ程時が経とうと、変わらず君を見ていると。









コメント)二十五周年の今年に合わせて、解放区シリーズとしては随分後の話を先に書いてしまいました。二十代から一気に四十へ…、しかも話が切ない内容なので、止めようかとも思ったんだけどまあいいか(^ ^;
征士が仙台に戻るのは、新鎧伝のマンガにある通り規定路線なので、いつか書かなきゃならないと思ってたし、淋しいけどしょうがないのよ…。まあでも、その後もきっと年に何度も会ったりするんだろうと、面白い方向に考えて行きたいですけどね。毎日LINEでもやってほしいわ(笑)。
ただその前に、まだ話が全然進んでないけど、鎧伝シリーズのふたり(五人)の方はずっと一緒なので、そんなに重要なことじゃないのかも知れないです。



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