■京都・奈良旅行記(2011.11.8〜10)
 今回は去年に続き京都と、奈良の博物館を見に行く旅行だったんですが、出発の二日前に母が捻挫、前日には私が37.7度の熱と言う、とても旅行に行く体調じゃない状況で、本当ならもっとしゃかりきに回れるところを、のんびりゆっくり歩いて来ました(^ ^;。

 天気も、最終日は雨が心配されたけど、雲がちなだけで結局降られず、やや寒い程度でいい日程でした。期間は2011年11月8〜10日の二泊三日、旅券はいつものJR東海ツアーズの、新幹線とホテルのセットです。
 新幹線は往復のぞみでしたが、行が朝6時台の出発、帰りが午後4時半過ぎの出発で、早く出て早めに帰ると言うスケジュールでした。


11/8
宇治(平等院〜源氏物語ミュージアム〜他)


<宇治と言えば…>
 京都の中心地はかなり回っているので、今回は少し足を伸ばして宇治に出掛けて来ました。
 京都駅からJR奈良線で20分ほど、中心地からそう離れていないのに、宇治の町は静かで穏やかな住宅地、ゆったりした雰囲気のいい場所でした。いや、源氏物語や百人一首の時代からすると、それでも相当開発された後ですね。
 そう、宇治と言えば私が思い出すのは、まず百人一首の喜撰法師の歌。
 「我が庵は都の巽 鹿ぞ住む 余を宇治山と人は言う也」
 他にも、「宇治の川霧絶え絶えに」など、宇治が出て来る歌はあるけど、喜撰法師は正に宇治で暮らす人、と言う感じで印象深い。田舎の山村だった当時の宇治に、篭っていた僧の寂しい感じが伝わって来ますね。
 それから思い出すのが、源氏物語の宇治十帖。
 源氏物語本編の続編的な部分だけど、登場人物がガラッと変わってしまうのを見ると、外伝のように感じますよね。光源氏は伝説になっちゃってるし、作者の立場や状況が、本編の時とは変化したかのような。いやつまり、人気作品にリクエストで蛇足を書かされたような(苦笑)。
 まあそんな宇治十帖ですが、宇治は川に因んだ神が知られていて、源氏物語にもその神を話が登場し、平安以前から謂れのある場所だからこそ、選ばれた舞台なんだろうなと思います。
 その他に思い出すのは…、宇治茶くらいかなぁ(^ ^;。町中のあちこちにお茶屋さん、茶団子、茶蕎麦などのお店がありますが…
 いやいや、超メジャーな世界遺産に最初に出掛けたんでした。

<鳳凰と不死鳥は同じかどうか>
 教科書で誰でも一度はその名を勉強した筈、と言う、平等院鳳凰堂。前に書いた通り世界遺産で、他に有名寺社のないこの地域にひとつ、すごく壮麗な建築物が建っているのです。
 鳳凰堂と言うのは俗称だそうで、明治時代から言われるようになったそう。勿論、鳥が羽を広げたような外観のデザイン、屋根に乗った対の鳳凰像、などから命名されたんだろうけど、意外と最近のことで驚きますよね、鳳凰堂の名称。仏教に熱心だった江戸時代までは、デザインの美しさを観て楽しむより、実用の為の寺院だったんでしょうか。
 いや、本来の朱、碧、白の色彩が失われた後は、本当に単なる寺院の扱いだったのかも。本来の色なら鮮やかで存在感があった筈だけど、今は黒々とした木がむき出しになって、殆ど色が見えなくなっています。平安神宮のように塗り直したりしないのかな?。
 尚、寺院にしたのは藤原頼通で1052年のこと。その前までこの場所は、光源氏のモデルと言われる源融の別荘だったので、そこからも源氏物語の舞台としての、繋がりを感じますね(^ ^)。
 それと、今は普通に陸地だけど、千年前はこの辺りは広い湖のほとりで、港があったようです。池の湖面に映える平等院の趣は、そんな時代の面影を見せているのかも知れない。
 さて、本堂の有名な阿弥陀像、朝日が差すと格子から顔が見えると言う仏様は、大きさはそこまで大きくないものの、古い時代の美しい仏像でした。一部金箔を修復した、光背や天蓋も細工がとてもきれいです。またその周囲に配置された多数の供養菩薩が、それぞれ雲に乗って楽器や道具を持って、阿弥陀像の周りを飛んでいるのが目に楽しいです。
 何と言うか、雲の上の神々のイメージは、死後の世界もいいもんですよ〜みたいな、気持を楽にさせる意図でデザインされたんじゃないかと思う。と言うのは、ここが寺院となった切っ掛けは、世の中の末法思想の広がりが理由なので。それだけ病の流行や、社会の乱れが顕著な時代だったんでしょう。
 故に、本堂の壁画の題材である「九品浄土」と言う考え方も、無理矢理と言うか脅迫観念が感じられます。人の死には上の上から、下の下まで九つの品位があり、生きている間何をしたかでそれが変わること、即ち「九品浄土」ですが、そのイメージ画が本堂の壁八方に配置されています。今はあまりよく見えなくなっていますが(ミュージアムにもう少しはっきりした写真がある)。
 宗教画は東西を問わず同じと言うか、バチカンでも上記のような壁画は多くあり、人々の怖れるものは何処でも同じだったと解りますね〜。
 ところで、この本堂内を観るには別途拝観券が必要ですが、そのチケットに英語で、Byodoin Phoenix Hallと書かれてるんですよ!。え?、フェニックス?、とちょっと首を傾げたくなりません?。いわゆる不死鳥と鳳凰は同じものか?と。手塚先生の「火の鳥」ではみんな同じもののようだけど…。

<動き出しそうなロボットのような鳳凰>
 境内には平等院の本堂、阿弥陀堂などの他にミュージアムがあります。が、そこは必ず本堂を観た後に観るべし。でないと展示物が一部意味不明になります(笑)。
 前出の「九品浄土」の絵、雲中供養菩薩26体、阿弥陀像に付いていた装飾品、それぞれの復元レプリカ、そして屋根の上の対の鳳凰像が展示されています。つまり現在屋根に乗っているのもレプリカです。
 その鳳凰像が、近くで見るとすごくかっこいい。銅板を荒々しい鋲打ちでつなぎ合わせただけの、粗野な感じとロボット的な面白さのある像で、からくりで尻尾が動きそうな造型だった。遠目で見ると美しく見えるんだけど、本当はむしろ力強くてゴツゴツした印象ですよ。
 それから謎のガラスの展示もあります。阿弥陀像の修復の際、台座から出て来たと言うガラス片は、いくつかの壷や玉だったらしいけど、その時代のこの院で、ガラス製の物を使った記録はないんですと。ガラス自体は平安当時の作り方のもので、「舎利壷ではないか」と書かれていたけど何なんでしょう?。復元品はとても綺麗なガラス壷でした。
 建物を本来の色で彩色したCGも見られるし、このミュージアムはとても良かったので、平等院に行ったらお見逃しなく。あ、藤の咲く時期は、庭の藤棚が相当綺麗だそうです。

<宇治川のほとりでお昼ごはん>
 平等院から宇治川の喜撰橋の方へ行くと、お店の集まる一角に出る。そこにはお土産もの屋さんと食事ができる店があり、お茶を練り込んだ茶蕎麦が有名ですが、もうひとつ、とっても美味しいいいむしと言うものがあります。
 ちまきのようなもので、竹の皮に包んである餅米の上に、味付けしたうなぎが乗っている。その味付けが丁度良く(蒲焼とは違う)、蒸し立ての熱さがこの季節にはぴったり。だけど、お持ち帰りはできない食べ物なのがちょっと残念。1日くらいなら大丈夫そうだけど。
 そのいいむしと、とろろこぶの茶蕎麦を鮎宗さんと言うお店で食べました。きれいな川の流れを楽しめる、川にせり出した模擬屋形船のお座敷が楽しく、茶蕎麦も美味しかった。何故屋形船かは勿論、シーズンには鵜飼いをやるからです。川のあちこちに屋形船が着けてありました。
 橋を渡った先の公園に、何羽か鵜を飼育していたけど、初めて間近で観察して驚いた。犬のような、すごく太くて大きい声で鳴くんですね〜。
 宇治川の中州にあるその公園では他にも、川に泳ぐ鴨など水鳥が多く見られて、いい川の景色になっています。勿論平安の昔の姿とは違う、コンクリートの河岸や新しい橋は風情がないけど、川の向こうの山を眺めると、朝方川霧がゆっくり流れて来るのが想像できるような、景色のいい川なのは確かです。

平等院 平等院
上2枚)平等院鳳凰堂。
建物自体は素晴らしいんだけど、
手前の池が何故か濁ってて
汚く見えるのが残念(^ ^;

右)平等院の入り口付近。
手前の木が若干紅葉してるけど
全体的にこの程度。
平等院

宇治川 いいむし
貴賎橋 左上)宇治川。
屋形船風のお店の中から。

右上)いいむしとほうじ茶。
一緒にあるのはお通しの
抹茶生八つ橋。

左)喜撰橋から観た宇治川。
左岸の赤い屋根が上記のお店。


<源氏物語と言っても全てじゃない>
 平等院から見て川向こうにある、源氏物語ミュージアムに行きました。市営の小さい施設ですが、関心のある方にはそれなりに楽しめると思います。
 中で面白かったのは、光源氏の最終的な邸宅六条院のジオラマと、それを見せながらのガイド放送。二階建てが一般的でない時代の、ものすごく広くて贅沢な御屋敷を一望しながら、そこに関わる物語を回想する楽しみがあります。
 もうひとつ、20分程度の映画の上映もそれなりに良かった。今公開している「橋姫」は、源氏物語の話としては飛び飛びで、宇治十帖ダイジェストと言う感じですが、橋姫と言う伝説の神様の気持が見える、ちょっと面白い内容でした。緒方直人が出演していて、NHKの制作でした。
 尚、橋姫と言うのは宇治橋をはじめこの辺りの橋の神であり、住吉明神と付き合いがあり、嫉妬深くて怖い女神として有名。能の「鉄輪」に登場します。
 館内ではその橋姫に関すること、源氏物語と宇治との関係、源氏香遊びなどの資料が配布されてますが、もっと詳しく調べたい方は資料室にどうぞ。多数の源氏物語、関連書籍が集めてあり、自由に閲覧することができます。
 その他、当時使っていた道具や牛車の展示、宇治十帖の場面の実物大セットなどがありますが、一通り見て残念に思うのは、やはり宇治十帖がメインだからでしょうか。当たり前だけど源氏物語本編に関する展示が少なく、もっと総合的な施設だったらいいのになーと、帰りには感じてしまうミュージアムでした(^ ^;。

<おツメはかんばやし>
 ミュージアムを見た後は、再び宇治川を渡り駅の方の商店街へ。そこに、全国的に有名なお茶屋さんがあります。上林と書いて「かんばやし」と読むんですが、茶道を嗜む人は小山園と共に、一度は聞いたことのある名前ですよね。
 高級な抹茶を商うお店で、隣に記念館もあります。記念館にはお茶を製造する伝統的な道具などの、ちょっとした展示が見られます。
 タイトルの「おツメ」と言うのは、お茶の製造元のことで、その他に「明石の白」だとか茶名を言うことが、お茶席の行事にありまして。かんばやしは高級なお店と知られている為、恥ずかしくない紹介になる訳です。
 ここでお茶もいただけるようなんですが、お腹が空かないのでパスしました。いや、母がお茶を買う時に、お店で煎茶をいただいてしまったからです(^ ^;。残念。お土産に買った、上林の抹茶キャラメルで我慢します…。

 この日は朝が早かった為、早く眠くなり早めに寝ました。夕食は近鉄京都駅のアーケードにある鶏専門の居酒屋へ。単なる居酒屋だけど美味しかったですっ。

ミュージアム パンフ
鴨 左上)源氏物語ミュージアム入り口。
お庭がとてもきれいです。

右上)町で配布されてる宇治十帖の
カラーパンフ。いい内容です。

左)宇治川の中州でひなたぼっこの鴨。

左下)宇治駅の茶壺型ポスト。

右下)上林の抹茶キャラメル。
上林のお店では売ってません(笑)
ポスト 上林キャラメル



11/9
奈良(国立博物館〜興福寺〜奈良町)

<奈良と言えば…>
 旅行の中日は奈良国立博物館の、正倉院展を観に出掛けました。京都駅から近鉄線に乗って、近鉄奈良まで45分くらいです。
 今回の旅行はその正倉院展がメインで、織田信長や明治天皇ゆかりの、「蘭奢侍(らんじゃたい)」と言う香木を観に来たのです。ドラマでもよく出て来るので、名前は知っている方も多いと思う。沈香の一種です。正倉院展への出品は17年振りだそうです。
 で、それ以外に奈良に関しては、そんなに観たいものはなくて。と言うか、古墳を巡る旅などは面白そうだけど、県内あちこちに分散していて、そんな旅はなかなかできそうにないじゃないですか。超メジャーな場所は中学の頃に、修学旅行で観ているので(東大寺、法隆寺、薬師寺)、今は特別行きたい場所じゃないし。中では法隆寺だけ、もう一度観てもいいかなぁと思いますが。
 そんな訳で、出掛けたのは奈良公園内と、奈良町から続く商店街くらいです。まだ平城京の再現事業も始まったばかりで、今のところ町として見られる状態じゃないし、それが完成したら観てみたいけど、生きてる内に完成するとも思えないし…。
 古都の観光整備をもっと早くから初めてくれれば、と言う感じですな。

<第63回正倉院展>
 去年は遷都千年の記念年で、正倉院展も大混雑していましたが、今年は普通の人出で入場も20分待ち程度でした。しかし去年も来た人の話では、展示物は今年の方がいいらしい。ラッキーです。
 今回の出品は伎楽面、衣服と布製品、香木と香炉、経文を入れる箱、家具、法具、鏡、宝刀とミニチュア刀、写経などの文書と言う感じで、割合身近に感じるものが多いのが良かったです。
 最初に観たのは衣服でしたが、千年も昔のものが鮮やかな模様まで残っていてとにかくすごい。それも織柄ではなく、絞りやろうけつなどの染め模様。よく色が褪せずに残ったなと感心します。当時は模様織は、高貴な人だけのものだったのか、機能性が低い重い布になってしまうのか、取り敢えず働く人の服には使われなかったようです。まあ今でも庶民の服の中心はプリントですが。
 特に作業員が来たと言う、大きな斜めストライプの上着がハイセンスでカッコ良かった。現代の日本のユニフォームデザインは地味だけど、こんな大胆なものを着ていたんだ!と、ちょっと驚きますよ。他に布製品は袈裟や旗がありましたが、草花などの模様の染め分けが綺麗でした。
 その一連の展示の後にあったのが、私達が楽しみにしていた蘭奢侍です。これもまた千年前の木とは思えない状態の良さで、正倉院の校倉作りの保存能力って凄いんだなと、改めて感心します。
 過去にこの蘭奢侍の、香木を切り分けた人は六人知られていて、足利氏の三人、土岐頼武、織田信長、明治天皇と、切った跡の上に付箋で記されています。でもよく見ると三人分だけで、付箋が無い所にも切り跡があり、誰が何処を切ったかは正確には判らないそうです。少なくとも38カ所切られてるらしいけど、逆にそれがリアルだと感じました。謎に包まれているからこそ歴史は面白い(^ ^)。
 ちなみに蘭奢侍と言うのは俗称で、香木としては黄熟香と言います。俗称が付いたのは恐らく、それ程の銘木だったからでしょう。この黄熟香を普通の俗称では「東大寺」と言っていたのを、もっとカッコ良く蘭奢侍と命名したらしいです。各文字の中に「東」「大」「寺」が入っている点から、いかにも知的なお洒落心が感じられますよね。
 その後、行列が出来ている展示物を発見。今回のメインはその宝刀だったらしいです。最前列でじっくり観たい人の為の列が、30分待ちになっていましたが、私はそこまで関心がないので(もっと実用的な刀が好き)、後ろの列から適当に観ました。
 刀の鞘や柄に、鮮やかな石とガラスの細工があり、剣の形はいかにも古い時代の太刀でした。そして実際には使えそうもない、細い刀身がほとんど錆もなくきれいに残ってましたね。
 ところでその宝刀よりは、ミニチュア刀の方が面白かったです。何故ミニチュアかと言うとアクセサリーだからです。多分平和な時代の貴族達は、実用の為の刀を持たなくなり、腰にアクセサリーを下げていたと言うことだと思う。細かい細工で、本物そっくりに作ってある刀は、現代のミニチュアと何ら変わらないものでした。刀身がメッキになっていて、この時代にメッキの技術が既にあったんだ、と言うのもわかりました。
 その次に面白かったのは文書の内の数点で、出納帳と戸籍帳。出納帳の方はこの、正倉院の御物の貸し出し記録で、宝物はみんなの共有財産だったことがわかりますね。戸籍の方は、恐らく役人以上の人のものだけど、今も存在する土地の誰々さんの一家、と言う記述が何だか面白かった。その後江戸時代までこの形式だけど、随分昔から変わらなかったみたいです。
 更に、法具の三鈷(さんこ)の古いものがあり、これが現代とは違うのが面白かった。今は立体的な形をしていますが、平たいスパナみたいな形でした。元々三鈷や五鈷はインドの僧侶が持つ武器で、刀のように使ったので、多分原型に近いんだと思います。また大きな鏡と専用箱も、実用と言うより魔除けの品らしく、まだまだ呪術的文化の世界だったんだなぁと、平安時代の生活が感じられました。
 その他にも面白いものはあったけど、長くなり過ぎるのでこの辺で。正倉院展の他に、博物館には広い仏像館もあるんだけど、あまりにも多くてサーっと観て出て来てしまいました(^ ^;。中で食事して繋がないと、とても全部は見切れません〜。

<奈良公園の鹿を警戒する>
 博物館の外に出てから、奈良名物の柿の葉寿司を買って昼食。鮭と鯖の押し寿司で、特に平宗のものは私の好みに合う味付けで、とても美味しかったです(京都駅で帰りにお土産に買ったくらい)。伝統的な味の平宗の他に、田中と言う店も知られているけど、こちらはもう少し味が甘めで現代的だそうです。
 で、奈良公園と言えばやっぱり鹿なんですが、広島の宮島の鹿にくらべると、こっちはみんなゆったり落ち着いていますね。ただ私は、修学旅行の時に友人が大変な目に遭ったのを見て、かなり警戒してましたけど(笑)。鹿せんべいは絶対に買いません、友人は制服を噛まれ、引っ張られ、ベストに歯形やヨダレを沢山付けられてましたっけ。
 ところがそんなことは知らない母が鹿せんべい購入。すると買った途端に、周囲でおっとりしていた鹿が一斉に寄って来て、あっと言う間に母は囲まれた。そして奪うように食べる、もっともっとと催促する、そうなると思ってましたわ(^ ^;。
 でも不思議なのは、せんべい屋の机の上からは食べようとしないんですよね。聞いても、そこまで厳しいしつけはしていないと言うし、観光客が買った途端に、「食べていい」と判断する学習ができてるみたいです。おっとりしているようで、常に見張っているんだろうな、お客さんを…。

鹿 天龍寺
左上)奈良公園の鹿。
とても大人しくてのんびりに見えるが…

右上)母のお陰で近くで撮れた。

右)平宗の柿の葉寿司。
写真のは鮭と鯖。他に小鯛もある。
寿司



<帰って来た阿修羅像>
 食事の後は、本当は正倉院そのものを観る予定だったけど、現在修復中で観られませんでした。折角なので代わりに興福寺を見て来ました。
 一昨年になりますか、阿修羅展が各地で開催されて、盛況振りがニュースになってましたが、今は興福寺の国宝館に戻って来ています。境内の中は建築中の大きな建物があり、あまり景色は良くなかったですが、大体奈良の寺社はだだっ広い感じで、こんなもんと言えばこんなもんかも知れない。
 それはともかく、国宝館の展示物は素晴しいです。歴史や美術の教科書に載っている、有名作品が目白押しと言う感じ。阿修羅像を含む八部衆は、どれも服の模様まで残っていて確かに綺麗ですよね。人気があるのも納得です。
 ただ、八部衆ってどんな存在なのか今イチわからない。日本の仏教の天部に相当する神々だと言うけど、阿修羅=アスラのことなので、元はインド・チベットの土俗神ですよね。それほど大した立場じゃないけど、こうして素晴しい像が残ることで、メジャーになったものだなと感心してしまいます。
 個人的には、八部衆より阿形・吽形の金剛力士像が良かったです。こちらも服の模様まで綺麗に残ってましたが、その服の棚引き方など、すごくセンスがあって力強い像でした。ローマの彫刻も服の皺や靡き方には、かなりこだわりがあるように見えたけど、何か見る者の気持を煽りますね、衣服と言うのは。
 他に、大きな千眼千手観音、専用の厨子のある弥勒菩薩などが良かったです。

<お買い物に行こう!>
 興福寺の近く、南大門跡の傍に猿沢池と言う場所があります。そこから興福寺の五重塔を始め、遠景が一望できるようになっていますが、そこから奈良町と呼ばれる、京都で言う町家のような趣の町が続いています。そこにはかわいらしいお店もあり、買物スポットにもなっています。
 が、私が目当てにしていたお茶屋さんが休みでがっかり。奈良は京都とは違い、大和茶と言う品種のお茶が流通していて、特にほうじ茶が有名と言うので、お土産に買いたかったのに…。結局他のお店で見付けましたが、この奈良町の中では買えませんでした。
 ここで有名なのは、やはり蚊屋素材で作った奈良ふきんのお店でしょうか。我が家もお土産にもらって、使い易いので家用に買って来ました。前出の柿の葉寿司の平宗さんのお店もあります。
 道沿いには小さい神社やお寺も多く、細かく全部観て行くと結構な時間がかかりそう。面白そうなのは、古事記に登場する知られた名前を奉った神社、うず女神社や猿田彦神社かな。
 さて、この奈良町は新しい商店街にも繋がっていて、そちらにもいいお店が色々あります。今西商店と言う奈良漬屋は、今一般に知られる甘い奈良漬とはちょっと違う、伝統的な味を守っているお店。ほぼここでしか買えないと言うレアものです。
 その他、ようやく見付けた大和茶のお茶屋さんは、お土産用に小さいティーバッグも売っていて、却ってここで買って良かったです。以外とお茶は大きくてかさ張るんですよね。豆菓子を始め、奈良の気取らないお菓子を揃えた、ぜいたく豆さんも、ちょっとしたお土産を買うのに最適でした(^ ^)。
 尚、奈良のお菓子として有名なのは、葛、柿を使ったお菓子です。ほうじ茶は名物の茶がゆに使われています。

<今日は豪華な奈良の夕食>
 と言っても、京都のような特徴的な食材はない奈良なので、ごく普通の懐石料理でしたが、伯母のおごりで大変おいしくいただきました(笑)。メインに親達はイトヨリ鯛のバター焼き、私は牛ヒレのたれステーキを選んだけど、関西ではヒレのことを「ヘレ」って言うんですよね。奈良でもそうでした。英語でフィレと言うのに、何故ヘレになってしまったんだか。
 ちょっとだけ日本酒もいただいて、気持良く京都のホテルに帰りました。昨日から在来線を使った移動ばかりだけど、過去はバス移動ばかりだったので、この二日は新鮮で面白かったです。

興福寺 興福寺
左上)猿沢池から撮った興福寺遠景。
塔の左側が南大門跡。

右上)興福寺の五重塔。

右)興福寺でやっている工事事業。
こんなのがあるせいで
景色があまり良くなかった。
興福寺

奈良町 奈良漬け
左上)奈良町と言う一帯。
細い路地を挟んで昔風の店や家が
かなり長く立ち並ぶ。

右上)今西の伝統の奈良漬。
現代の奈良漬けとは違う味に驚く。
瓜の袋ひとつ950円くらい。



11/10
銀閣寺〜哲学の道〜若王子神社〜南禅寺

<行ったような行っていないような…>
 と言うのは銀閣寺のことです。金閣寺は観た記憶があるんだけど、銀閣寺の記憶はない。修学旅行で来たような来なかったような、と言うことで、三日目は特別拝観を目当てに銀閣寺へ行きました。
 境内に入り、お庭を回ってみると何となく、「来たことがある」と言う記憶が甦って来たけど、ただ、中学生に銀閣寺の良さは判らなかったかも。だから記憶になくなってるんですね…。
 そのお庭、ものすごく綺麗です。手入れが滅茶苦茶行き届いていて、枯山水も回遊式庭園も土を覆う緑の苔さえ、切り取った絵のような景色でした。枯山水は中国の景色を模したもの、回遊式庭園は苔寺として知られる西方寺に似せたもの、と、余所から持って来たものばかりですが、それらがそれぞれ調和して、優れたひとつの庭になっているのがいいです。
 特にいい場所は、斜面の順路を登り切った一番高い場所からの眺め。境内の全体が見渡せます。その庭の中に、写真で知られる銀閣の建物があり、本来は漆が塗られていたのが剥げて、銀色に輝いていた為、明治時代以降銀閣寺と呼ばれるようになったそうです。今は銀色ではなくなってますが。
 さて、この秋の特別拝観ですが、国宝の東求堂(とうぐどう)と、本堂の襖の名画が観られると言うので、割と軽い気持で参加しましたが、これがとても面白かった。少し値段が高いかと思ったけど、ガイドさんのお話と、専用の写真集も付いて千円で充分満足でした。
 襖絵は、与謝蕪村、池大雅など、確かに見物と言える絵が多くあり、それも良かったですが、一番興味をそそられたのは東求堂の書院の説明の方です。書院造り、と言う言葉は社会科でみんな習うけど、具体的に何なのか知らないですよね?。それをここで教えてもらえたのです。
 特にこの東求堂は、銀閣と共にオリジナルが現存する建物なので、中に入るだけでも価値があるんですが、銀閣寺の御物を書院の棚に並べ、こういう順序でこう飾るんですよ、と言う様式美を見せてくれるのが、とてもいい特別拝観でした。
 そう、みなさん、お茶室や書院の棚の上に、飾りとしては意味不明な物が置いてあったりすること、たまにあると思います。その理由が判るってすごい発見ですよ。好き勝手にしている訳じゃなく、こうと定められた書き付けがあるんです。勉強になりました。
 最後に、茶道と香道に熱心なこの寺のショップで、抹茶とお菓子を戴いて帰りましたが、ここのお茶は小山園の方でした。柔らかくて美味しかったです。

<ちょっと残念哲学の道>
 南禅寺と銀閣寺の間(正確には若王子神社と銀閣寺の間)の、雰囲気のいい遊歩道を哲学の道と言って、気持良く歩いて寺社を回れるようになっている。ガイド本の地図はそこそこ距離がありそうだけど、実際は普通に歩いて1時間程度なので、1日あればこの辺りは充分観て回れると思います。
 道沿いには水路が続いていて、小さなお店がポツリポツリとあり、逆にどなたかの大きな邸宅、別荘風の家も多く、どれもこの道の風情になっています。
 但し、食べるお店がほとんどない為、食事は南禅寺の周囲(高級)か、銀閣寺の周囲(リーズナブル)で済ませましょう。私達はちょっと失敗して、あまり良いとは言えないお店で昼食になってしまいまして。これが残念その1です(^ ^;。
 尚、道の途中には叶匠寿庵のお茶室(食事もできるらしいけど要予約)など、お茶を飲める所はいくつかあります。
 それと、ルートとしては南禅寺から銀閣寺へ行く方が楽です。逆のルートはやや登り坂が多いです。でも、銀閣寺の特別拝観時間が終わってしまうので、最後にすると他は少し急がなければならず、どっちがベストなのかは難しいですね。
 道の途中、紅葉で有名な永観堂に入りました。
 いやしかし、まだほとんど紅葉してませんでした。それが残念その2。この辺りは紅葉で知られるお寺ばかりなのに、その点についてはタイミングが悪かったです。今年は少し遅れ気味な上、正倉院展に合わせて来たから仕方ない。
 そう言う訳で、永観堂の境内には入ったんですが、紅葉していない庭を観てもしょうがないので、高いお庭の入園料を払うのはやめました(笑)。と言うか、宝物殿付きの値段だったんですが、宝物は昨日、素晴しい物を沢山観て来たので、多分もう何を観てもチャチに感じてしまうだろう、と言う判断でした…。

銀閣寺 銀閣寺
左上)一番よくあるアングルの銀閣寺。
松の木で囲まれているので、
ここが写真ポイントなんです。

右上)頂上からの銀閣寺

右)枯山水の庭。
中国の何処かの土地を現していて、
奥の山みたいなのは月だとか。
銀閣寺

哲学 哲学
上2枚)哲学の道。
こんな風な歩道が南禅寺の方まで、
ずっと続くステキな散策コース。

右)哲学の道を少し過ぎた所だけど、
ある家のだいだいの木が見事過ぎて、
みんな立ち止まって見てました。
その写真。
だいだい

<哲学の終わりに賑やかな…>
 道の終わりには、若王子(にゃくおうじ)神社があるんですが、そこに差し掛かった途端激しい音が。松の木の上で猫が喧嘩していたんです。そこに通り掛かった他の観光客、修学旅行の学生も、みんな木から落ちやしないかと、心配しながら見守ってましたっけ(落ちなかった)。
 よく見ると松林のあちこちに、多数の猫がいて泣き声がしてました。誰かが飼っているらしく、みんなそれなりに綺麗な猫だったけど、京都には猫が似合うな〜と和む一角でした。そのすぐ上に上がって行くと若王子神社です。
 多分更にその上へ登ると、再来年の大河ドラマに出て来る筈の、新島譲のお墓もあるんですが、この辺りでちょっと足が疲れて来て、坂道を登ることは諦めました(^ ^;。かなりすごい坂だったんですよねー。これが初日だったら、登ろうと言う気になったんだけど。
 で、哲学の道が終わって少し歩くと、また紅葉で有名な南禅寺に到着します。
 実は来るまで知らなかったんですが、ここは大徳寺のように広くて塔中の数も多い、大規模なお寺だったんですねぇ。境内を充分に散歩して回れるのがいいです。
 ここには前途の通り、紅葉の木が多く植えられていて、赤ければ素晴しい景色でしょう(想像)。でもその他に、明治時代に作られた水道橋の一部が残っていたりします。水源は琵琶湖で、近くに琵琶湖止水地と言う施設もあります。
 水道橋と言うとローマ水道が有名だけど、石の文化を持たなかった日本で、明治に入ってすぐそんなものが作られた、と言うのが今となっては微笑ましいですよね。それも寺の境内にですよ。当時は本当に、海外の文化レベルに早く追い付きたくて、必死だったんだろうなぁと感じます。今ならお寺の雰囲気を壊すような公共工事は、普通にしないと思うしね。
 南禅寺から少し歩くと、京都東西線(地下鉄)の蹴上駅に着きます。去年訪れた知恩院の近くです。そこから地下鉄で京都駅に戻り、帰路に着くことになりました。

若王子 止水
左上)若王子神社。

右上)琵琶湖止水。南禅寺の入り口にある。

右)南禅寺の紅葉…ほとんどしてない図。

左下)南禅寺山門。別料金で入場可。

右下)水道橋。一応まだ使われているらしい。
南禅寺
南禅寺 南禅寺





 そんな訳で、今回はもう出発自体が危ぶまれたけど、出掛けてしまえば普通に楽しい旅行でした。風邪くらいは、観光地に着けばどうってことないですよ。花粉症や鼻炎の時に比べたら…。
 ただやっぱり、少し調子が悪かったせいか、今回はあまり写真を撮れなかったです。数が少なくてすみませんっ。体調以外に、博物館的な所に多く行ったのと、紅葉してなかったのも理由かな(^ ^;
 次の旅行は万全な状態で出掛けたいです!