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山崎・天王山〜大山崎山荘〜妙喜庵〜松花堂公園〜東寺

 再び西宮の伯母と待ち合わせをして、この日はまず山崎に出掛けるのですが、京都駅に着いたのが早過ぎて、駅の中のプロントでコーヒーを飲んでいました。その時、お土産を買う時間を昨日で消化したから、今日もうひとつ何処かへ行けるんじゃないか、と母と相談して、今京都の国立博物館で開催している、狩野永徳展に行こう、と言う話になりました。
 閉館時間の間際に行けば、それほど混んでいない筈だし、京都駅からも近いので、充分帰りに間に合うと思い、うきうきしながら出掛けました。
 さて、山崎へは京都駅から京都線(東海道線)で17分程で、その間あっと言う間に景色は、普通に田舎の風景になります。駅に近付くとサントリーの大きな工場が見えて、いかにも山崎だなぁと言う印象でした。またこの日も朝から天気が良く、絶好の観光日和でした。

<山崎は歴史の町…だけじゃない>
 ここに妙喜庵と言う、国宝の茶室を持つお寺があるのですが、驚いたことはまず、山崎の駅の間近に建っていること!、です。ここまで駅に近い国宝は、他には無いと思います(笑)。
 山間の小さな町であるここは、駅もその周囲も小さくまとまった感じでしたが、この日何故か人が多かったんですよ。それも観光客には見えないおっさん、飾り気の無い兄ちゃん達の姿が目立つ…と思ったら、ここから淀競馬場行きのバスが出ていて、今日(土曜日)は競馬の開催日なのでした(^ ^;。国宝の茶室からは酷い落差だわ。
 ところで初日の、佐川美術館の項で書いたように、茶室は天然の素材でできている為、人が押し寄せると傷むのです(中に入れなくても)。なのでここも予約が必要で、予約した時間にはまだ間があったので、その前に天王山に登ってみることにしました。そう、「天王山」と言う言葉の天王山です。秀吉が明智光秀を討った山崎の合戦の。
 「秀吉の道」とされている、かなり急な坂道をせっせと登って行くと、今は別荘地のような趣で、斜面に住居が建ち並んでいるのが判ります。ある時期からここは、いわゆる山の手の住宅地になったようです。恐らくその理由になった建物が、これから見に行くアサヒビール大山崎山荘(大山崎ヴィラ)です。

<何故アサヒビール所有になったのか>
 サントリーの工場があるのに、何故ここにアサヒビール所有の物件があるのか、細かい経緯は流石に分かりませんが、この山荘を建てた加賀正太郎と言う実業家が、ニッカウイスキーの設立に関わった人で、何らかの同業者の繋がりがあったのでしょう。
 最初の持ち主が手放した後老朽化が進み、保存が求められていた中で、京都府がアサヒビールにそれを要請したそうです。でも、買い取って修復するだけの価値がある山荘だと、私は思いました。建物も良いですが、庭園が物凄く素敵でした。ちなみにここも大丸ヴィラと同様、パーティを開いたりする、迎賓館として建てられたようです。
 チューダー様式のメインの建物は、今は美術館になっていて、アサヒビールの初代社長のコレクションが、普段は展示されています。この時は、一昨年記念館に行った河井寛次郎展を開催中で、時間があったら観たかったけど、他の予定との兼ね合いで諦めざるを得ませんでした(^ ^;。
 入口の、お金持ちの邸宅の門らしい門は、いかにも「高級車が出て来るぞー」と言う感じす(笑)。美術館以外は入場無料なので、庭の中を自由に歩き回ることができます。何と言うか、外国の貴族の家(城)の庭を思わせる回遊式庭園で、小川に掛かる小さな石橋や葡萄棚を背景に、ドレスの夫人が立っていそうな雰囲気でした。まるで印象派の絵画のようです。
 と思ったら、美術館のテラスに向いた睡蓮の池と、その向こうに見える白い温室は、まるでモネのようじゃないですか。実際モネを意識してそう造ったことが、パンフレットに書かれていました。アサヒビール初代社長の所有だった、モネの絵画もここで展示しているそうです。
 館内で働いている人の御好意で、美術館になっている建物の、入口付近には入らせてもらえました。受付のすぐ傍に暖炉があって、しばしば西洋の邸宅に見る、暖炉の前に向かい合ったソファで構成された、小さな談話スペースがあって、本当に忠実な外国洋式だなぁと感じました。こんな建物を駄目にしてしまったら、全く勿体無かったと思います。

<再び国宝を拝みに>
 下山して再び妙喜庵へ向かいました。千利休が造った国宝の茶室「待庵」は、日本三大茶室と言われるひとつで、中でも最も由来がはっきりしていて、最も古いものだそうです。元は天王山の上にあったそうですが、江戸時代初期にこの妙喜庵に移されました。
 ちなみに三大茶室の他のふたつは、犬山城の近くにある寿庵(信長の兄、織田有楽斎の作と言われる)と、実は昨日出掛けた大徳寺の、龍光院にある密庵(小堀遠州の作と言われる)です。が、寿庵の方は外側だけは見せてくれるものの、密庵は全くの非公開です。今の持ち主も前の持ち主も公開してくれない、と言う話は、待庵のおばあさんから聞きました。
 茶室は利休の思想が、物凄く良く感じられるものでした。最大限にコンパクトで無駄が無く、でも窓の配置や屋根の形など、かなり凝った造りになっています。経年の焼けや傷みで、相当古ぼけてはいますが、基本的な形や装飾はきちんと残っていて、これは予約を取ってでも観る価値がある、と思いました。妙喜庵の建物と繋がった部分から、裏側(水屋)もよく見られるようになっています。
 また、ここの説明をしてくれるおばあさんは博識で、尋ねると何でも答えてくれるので、興味深い話を色々聞かせてくれました。非公開の密庵の情報が、行ったことのある人のブログに紹介されて、情報が漏れているなんて話もしていました。70才くらいの老婦人がブログって…。
 他には、実はこの待庵は今でも、年に一度茶会の席を設けるのですが、たった一度で五十人くらい人が来るので、その度に傷んでしまうと言う話もありました。まあもし、国宝の茶室での茶席に参加できると聞いたら、茶道を嗜む人は、かなりお金を積んででも行きたいでしょうしね…。難しい問題です。無論、使用するのは千家の人や先生クラスの人だけでしょうが。
 ところで妙喜庵の周囲は、今は何本も電車が通っていて、新幹線まで駆け抜けて行きます。二、三十年前は今よりずっと本数が少なく、もっと静かだったそうですが、今は線路に挟まれてちょっと可哀想な待庵でした。

天王山口 左)天王山の登り口。
山崎の駅からすぐの踏切を渡った所です。
大きな木の前に碑があるんですが、
飛んじゃって見えません…

左下)天王山を登る道の風景。
坂の手前の方の家はみな、
すごい石垣の上に家がある

右下)茶室「待庵」のある妙喜庵。
こんな写真なのは、駅前のロータリーに車が駐車
していて、遠くに引けなかったのです。
国宝の茶室は流石に撮影禁止の為、
ここの写真はこれ1枚…
天王山 待庵

右)チューダー調の大山崎ヴィラ
(今は美術館)

左下)まるでモネの絵画に
出て来るような睡蓮の庭。
この池は日本庭園の池に繋がっていて、
それもモネを意識したものだとか

右下)庭の一部。小さい石橋が小川に
掛かっているのがわかるかな?
山荘
モネの庭 石橋


<吉兆の正しい松花堂弁当>
 さて、山崎からはタクシーに乗って、次の目的地、松花堂公園に向かいました。競馬場行きのバスに乗って、その駅で電車に乗り換えても行けましたが、競馬目的のお客に紛れるのは何となく嫌なので、なかなか来ないタクシーを只管待ちました(^ ^;。
 「松花堂」と言う名前は、松花堂昭乗と言う江戸時代の僧侶(文化人)の姓で、この人が造った茶室の名前も弁当の名前も、皆そこから来ています。昭和の始めに、吉兆の創始者がここに来た時、種入れとして使っていた四つ切りの箱を見付け、持ち帰ってそれをヒントにしたのが松花堂弁当です。この話は割と知られていると思います。
 そして今では、松花堂公園のひとつの施設として、吉兆・松花堂店が存在します。伯母が御馳走してくれると言うので、多少申し訳なく思いつつ食事の席に着きました(^ ^;。この日は七五三のお祝いで、着物の女の子を連れた家族がちらほら見られました。
 それにしても本家本元の松花堂弁当は、本当に色んな物が入っています。勿論季節によって内容は違いますが、この日の中身は、鯛とイカの差し身、海老、鰆か何かの焼き物、鮭と何かの蒲鉾風、白身魚とコーンの蒲鉾風、鰻の山椒巻、卵焼き、茄子の煮浸し、煮物(里芋、南瓜、うずら豆)、白和え、山芋の酢漬け、壬生菜のお浸し、岩海苔を固めたもの、昆布、栗、きぬさや、卵と貝柱とむかごのしんじょう椀、漬物3種。
 それと、不思議な物が乗っていたので聞いたら、食用ユリのつぼみだそうです(食べられる)。以上にせいろ蒸し風のごはんが付きます。細かいものはちょっと忘れちゃったけど、大体こんな感じで、あまりにおかずが多いので、珍しくご飯をおかわりしてしまった。
 しかしほんの数日前に、船場吉兆の生菓子の日付偽装が問題になっていて、どうだろうなぁと思っていたけど、料亭の方は特に問題なく営業しているようでした(^ ^;。とても美味しかったです。

<よく見ることで楽しむ松花堂公園>
 ここは公園と言っても、文化的な意味合いの強い場所です。広い敷地内には史跡と茶室、美術館等があり、よく見て楽しめるものが多くあります。美術館ではこの時は、岩清水八幡の宝物展を開催していました(見ませんでしたが、松花堂は元は岩清水八幡にあった)。
 公園の中心的施設はやっぱり茶室です。そもそも吉兆と関わりがあるのも、懐石料理と言うものが、茶会の食事から発展したからです。今では旅館の夕食等、見目に豪華な食事を懐石と言ってしまうけど、本来はもっと慎ましく、季節感や素材を静かに味わうものです(故に素材は一級品を使う)。
 話を戻しますが、史跡として指定文化財になっている、「松花堂」と言う茶室は、隠居した僧が寝起きまでしていたとの話で、かわいいかまどがあったり、天井に真言宗の思想を表した、日輪と鳳凰の鮮やかな絵がある珍しいものでした。茶室の前の木立もかわいらしかったです。
 その他に、貸し出してもらえる茶室が3つあり、それぞれ松隠、竹隠、梅隠と言う名前でしたが、竹林に囲まれた一番素敵な佇まいの竹隠が、一番料金が安いようでした(笑)。広さの関係かな?。この時丁度、松隠を明日使うらしいおばさま達が来て、中の掃除を始めたので、そこだけは内部を覗くことができました。
 その他に、この公園の観賞ポイントは3つあります。ひとつは椿園。かなりの種類の椿が植えてあるので、時期には様々な花を一度に見ることができます。今はまだ時期が早くて、1つしか花を付けていませんでしたが。もうひとつは竹と笹です。普段何気なく見ている植物ですが、この公園にはかなり多くの種類の竹と笹があり、こんなに色々あるんだな、と新たな発見ができますよ。
 そしてもうひとつは意外な物ですが、垣根です。垣根に種類があるとか、しかもそれぞれに素敵な名前が付いているとか、造園家でもなければあまり知らないことですが、公園内には多種の垣根があり、名称も表示されているので、見て歩くのがとても面白いです。
 ところでこの公園の敷地は、昔は前方後円墳だったそうです。それを切り崩して造園したようだけど、最近ならとてもそんな事はできませんね(^ ^;。一部に立ち入りできない場所があり、その古墳の主の塚が立っていました。名前は失念…と言うか、古事記に出て来るような名なので憶えられませんでした。

吉兆 弁当
左上)公園に隣接する吉兆松花堂店

右上)この日の松花堂弁当

右)松花堂公園の中。鯉の泳ぐ
池づたいにぐるりと回って観られる

左下)公園内の茶室「竹隠」が
竹林の奥に見える景色

右下)その「竹隠」を違う方向から撮った。
手前の黄色い竹が珍しいんだとか
松花堂
竹隠 黄色い竹


<ありがたくない予想外の配慮>
 天気の良い中、公園をゆったり歩いて来た後は、朝駅で相談して決めた、京都国立博物館へと向かいました。松花堂公園からはバスに乗って最寄駅へ、そこから京阪電車で七条駅に向かいました。
 恐らく今現在、京都で最も人を集めているのがこの狩野永徳展です。一昨年智積院で、長谷川等伯の国宝の屏風等を見て来ましたが、それクラスのものがもっと多く、一度に見られるので人も集まりますよね。まあ多分、お昼前後から午後3時頃は混んでいると思うので、閉館より1時間前の4時頃に、博物館には到着した訳ですが…。
 何と、ありがたくないことに(苦笑)、土曜・文化の日と言うことで、この日は閉館時間が2時間も延長されていて、着いた時にはまだまだ、1時間半待ちの行列だったのです…(T T)。1時間半に拝観時間も加えたら、流石に帰りの新幹線に間に合わないかも、と言うことで、ここは諦める他ありませんでした。あと30分遅い新幹線にしておけば、充分観られたのですが…。
 それで急遽どうするか考えて、京都駅から近い何処かへ行こうと言うことに。そろそろみんな閉館になる時間なので、急いでタクシーに乗りました。

<取り敢えず東寺を見た、と言う感じ>
 私は以前から東寺を見たかったのですが、前回も今回もルートに入らなそうだったので、また次の機会でいいと言っていたのです。しかし思わぬ予定変更で、突然見に行けることになりました。但し時間が、もう閉館まで間が無い状態だったので、相当慌てて歩き回ることに。まあそれでも嬉しかったですが。
 何が見たかったのかと言うと、曼荼羅ですよ曼荼羅。ここには平面図ではなく、立体曼荼羅と言う凄いものがあって、ずっとそれを見たかったのです。
 大日如来を中心に、大きな仏像が意味を持って配置されている様子は、物凄い迫力がありました。写真で見たことはあったけど、やはり現地に立って見ると、空間の広がりや色型から受ける印象が、全然違って目に映るものです。巨大建築としては最古の講堂の、天井に付きそうなくらい巨大な像が、平安時代に作られたものだと言うのも驚きます。
 また、前に出て来た非公開文化財特別拝観で、有名な五重塔の内部も観られました。外観はシルエットのような黒っぽい姿ですが、内部には壁や天井一面に色鮮やかな壁画があって、外側と内側が随分違うことを知りました。この塔は過去に4回も焼け、今は5代目だと言いますが、昔は雷が落ち易かったんだそうです。でも優れた耐震構造で知られる通りで、地震で崩れたことは一度もないとのことです。
 紹介される写真等では、春の桜の向こうに五重塔が見える景色をよく見ますが、この時夕暮れの空の色が被った塔の眺めも、とてもきれいでした。
 その他、金堂の中も少し見て、閉館時間になってしまいましたが、今回は公開していなかった場所や、宝物殿もあるので、今度はゆっくり観に来たいと思います。

 その後はホテルに戻って荷物を受け取った後、ラウンジで少し休んで、京都駅の西利のお店に再び行って、「漬物どんぶり」を食べました。細かく刻んだ京漬物が8種類くらい、ごはんが見えない程乗っていて、混ぜて食べるととても美味しいです。量も値段も丁度良い感じ。
 また自分へのお土産に、半兵衛の麩饅頭と、ちりめん山椒を買って帰りました。あ、京都駅の地下では、多くの店がちりめん山椒を売っていて、それぞれ味が微妙に違うので、市街で買う前に食べ比べてみると良いです。私は味付けが薄めで、乾いていて、山椒が利いているのが好きですが。

博物館 金堂?
左上)史跡でも何でもない京都国立博物館。
くやしいから写真を撮って来た(笑)

右上)東寺の、多分金堂。
このタイプの建物はみな、想像以上に巨大で、
写真に姿を収めるのが大変でした

右)夕暮れが掛かる五重塔。
この構図はよく見られるものですが、
手前の桜が思いっきり枯れてるのがなぁ…
五重塔



 と言う訳で、帰りの新幹線に乗ってから思い出したんですが、出かける前までは「何か起こるんじゃないか」と、とても不安に思っていたのに、アクシデントと言う程の事も無く、体調を崩すこともなく(足のつりは初日だけで治った)、初日の天気もすぐ回復して、充分過ぎる程多くの物を観て回れました。結果的に素晴しく良い旅行になっていましたね。本当に良かったです。
 いやぁ、それにしても、半分は母の趣味の旅行とは言え、こんなに茶室を大量に観たのは初めてです(^ ^;。数えたら全部で16軒も観てました。幾ら何でも…と言う感じですね(笑)。