■京都旅行記(2010.1.21〜23)
 今回は、関西の親類の法事に行くついでに、折角だから京都に寄ろうと言うことで、初めて冬の京都を観光して来ました♪。
 残念ながら雪景色は見られなかったけど、代わりに「冬の京都は寒い」と言うほど寒くなくて(自分の家の方が寒いような)、初日以外は天気に恵まれた旅でした。

利用したのはJR東海ツアーズのぷらっと、新幹線とホテルのみで二泊三日。最安値の時期なので、前の京都旅行記と同じ条件でひとり二万五千円くらいでした。


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東寺方面〜京都中央部・知恩院周辺


<行きがけに、これぞ関ヶ原>
 初日は朝からあまり天気が良くなくて、東京を朝6:40の新幹線で出てから、7:00頃新横浜を過ぎても空が暗いまま。雲がずっと覆ってました。
 とりあえず雨は降っていないものの、新幹線の景色は霧だか靄だかで真っ白で、富士山も全く見えませんでした。そんな中、名古屋を過ぎた後に驚きの光景が。
 それまで何処も、雨が降った後のような景色だったのに、突然雪に埋もれた山間の山村が…。しばらく一面銀世界だったので、「関西は雪か!?」とちょっと喜んだのも束の間、山を越すとまた元の風景に戻ってしまいました。
 その突然現れた雪景色の一帯こそが関ヶ原でした。
 頻繁に新幹線を使う人には知れてるらしいけど、そこだけ天気が違うことはよくあるそうです。冬の旅は初めてなので珍しいものが見れました(^ ^)。

<東寺の弘法さん>
 さて、今回は他の用事に合わせた旅なので、自ずと日程は決まった訳ですが、丁度その初日が、東寺の「弘法さん」と呼ばれる蚤の市が立つ日でした。
 東寺自体は以前観たけど(もっとじっくり観たかったので、特別拝観がある時にまた行きたい)、市が立つ日に、しかも偶然早い時間の新幹線しか取れなくて、午前中が空いていたので出掛けました。
 弘法大師の命日が21日で、その法要に訪れる客を目当てに、800年くらい前から市が立つようになったそうです。なので勿論法要もやってます。出店で槙の枝を買った人は、それを本堂の前で焚いて供養していました。
 そして年の始めの初弘法は、物凄い人で賑わうと聞きましたが…。
 着いた9:30頃は丁度雨が降ったり止んだりで、そこまで活気ある感じではなかったかな。お陰で比較的楽に観て回れましたが。
 また、掘り出し物の骨董が多いと紹介される割に、食品を売る出店の方が多かったような。どうも最近、全国から出店希望者が殺到して抽選制になったらしく、開催ごとに内容にバラつきがあるようです。
 後で従兄弟が、「ボロ屋ばっかりでつまらなかった」と言ったんだけど、古着の着物や端切れを売る店も、食べ物関係に比べたら少なかったです。
 とは言え、その食べ物関係が一番面白かった。いわゆる屋台の食べ物も、京都のB級グルメ的なもの(どて焼きなど)から、伝統的なだし巻き卵だの、日本初(と書いてあった)あったかいわらび餅だの、昼食の予約がなかったらここで食べたかったです。
 そしてそれ以上に、余所から来た者に魅力的だったのは単なる八百屋!。だって、かごに山盛りの百合根が500円とか、信じられない値段で出てるんだもの。百合根はまだ家にあるので買わなかったけど、同じくかごに山盛りの干し芋を300円で買いました(笑)。
 そう、野菜、魚介類、ドライフルーツなどの、素材的な食品を売る店が私は一番面白かったんですが、そのほとんどが国産品で、むしろ産地を売りにした物が多いのが特徴に感じました。それなりに高い物もあるけど、伝統の市らしい出店が多くて楽しかったです。
 他には、和菓子、調味料、陶器や手作り工芸品、生花、仏具を売る出店が多かったと思います。

<羅城門って知ってます??>
 芥川龍之介の小説は「羅生門」ですが、京都にはかつて羅城門(らじょうもん)と言う門がありました。
 前出の東寺が、「何に対して東なの?」と言うお寺で、実はこの羅城門を挟んで東寺と西寺があり、門は平安京の正面入口だったそうです。今は京都駅を中心に考えちゃうけど、本当は駅の烏丸方面に向いて立った時、もう1km程度左が中心だったことが判ります。
 母が丁度、澤田ふじ子の「羅城門」を読み返していて、その跡を見てみたいと言うので、東寺の裏門から出て探しに行きました。今は西寺と共に消失して、碑が立っているだけなんですが…。
 さすがにそれを知っている人は少なく、本にある簡単な地図を頼りに歩くのは心細かったです。かなり近くまで来た時、地元の御老人が知っていて教えてくれたのが幸いでした。碑のある場所は商店の並ぶ一角で、遠目では判り難い場所でした。
 そして、すべり台がある普通の公園らしき広場に、その碑と説明書きがありました。何とも風情がないんですが(笑)、とりあえず「ここが入口だったか」と、昔の都を想像して楽しむことはできます。
 後で調べみたら、奈良の平城京にも羅城門があり、中央を走る大通りも同じ「朱雀大路」と言う名でした。つまり町のモデルである唐の長安が、既にそのネーミングだったんでしょうね。

<ガイド本に紹介される麩ランチ>
 京都駅で西宮の伯母と合流して、大谷霊廟にお墓参りに行った後、予約を入れてあった半兵衛麩(麩と湯葉の専門店)の、昼食コースを食べに五条大橋へ移動。
 このお店は前にもちょっとレポートしたけど、あれから改装してとても広くなりました。町家風の黒い外壁がなくなっちゃったのが残念な点。ただ、1月ならではの珍しい物が見られました。
 ここはお公家さんと取引があったそうで、創業主の半兵衛さんが江戸初期に給わったお祝品一式が、お正月飾りとして飾られていました。今だと結納のお祝いみたいなセットで、菊の紋の入った鏡、文箱、食籠、陶器の壷、若水用の桶、お神酒徳利と、炭、稲穂、丸く固めた塩、左右に松と葛(何とか葛って言ってたけど失念)の飾り。
 鏡はもしかしたら盆かも知れない。あともうひとつ塗りの四角い箱があったけど、何かは不明です。
 ともかく、お正月とかお盆とか、特別な時に出掛けると普段は見られない、特殊な物が見られると言う発見でした(^ ^)。
 そして、京都では知られた麩と湯葉のランチコース。私は生麩が大好きで、この日は朝4時以降何も食べてなかったので、とっても楽しみだったのですが…。
 伯母に「すごくお腹に溜まるよ」と聞いていたものの、ちょっと、グルテンの膨張率をナメてました(笑)。見た目はかわいらしい女性向の少なめランチなのに、最初に出て来たお重と碗ものを半分くらい食べ切った時点で、既に胃に異様な圧迫感が…。ガッツリ食べた爽快感もないのに、喉から上がって来そうな妙な感じで。
 最後の方には無理矢理食べた印象でした。美味しいのに入らない!、元々胃が小さい方ではあるけどこんなの初めて(^ ^;、なランチでした。ダイエットにはいいと思う…。
 とりあえず美味しかったのは、湯葉を葛で固めたアツアツの湯葉豆腐と、麩ときゅうりの酢の物、山椒の利いた飾り生麩、揚げ生麩と揚げ湯葉のみぞれ碗など。
 その他には、三色の生麩田楽、ご飯と麩の佃煮、具入り生麩、水揚げ湯葉、白味噌の麩の味噌汁、飾り生麩数種、うさぎの麩まんじゅう、揚げ麩と揚げ湯葉のスナックなど。季節によって内容は変わるそうです。

弘法 左)「弘法さん」の様子。
雨が降って来て人がまばらな感じ。
右)羅城門の碑のある公園。
柵の右の看板に由来が書いてあります。

左下)「半兵衛麩」のお正月飾り。

右下)ランチの最初の状態。
左手前の湯葉豆腐がとても美味しいです!。
羅城門
麩の店 麩と湯葉

<法然上人八百年の一年前>
 中学の修学旅行で平安神宮から清水まで歩いた時、横を通っただけで入らなかった知恩院に、今回初めて行きました。徳川秀忠が建立した浄土宗の総本山ですが、ここの三門はたまにしか公開しないと言うので。
 で、その三門(山門)。普通の山門は単に大きな門ですが、ここの立派な門は中に入るとちょっと驚きます。門の内部に数々の仏像と壁画があるのです。
 中央に釈迦如来、その両脇に十六羅漢の像があり、どれも立派で新しくさえ見えるきれいな仏像群。そして色鮮やかな壁画が、多少修復はしているものの、ほぼ390年前の状態を保っていて素晴しいです!。天井画は狩野探幽の作だそうです。
 また、そうした見た目の良さだけでなく、三門の中は不思議ならくがきが多々あって、それも面白いんです。明治の廃仏毀釈の頃、この知恩院の三門は出入り自由だったらしく、当時の若者が残して行った沢山のらくがきが、今もそのまま残ってるんです。
 ちょっと読んでみると、明治十二年とか十六年とか、年号と共に名前や住所を書いたものが多く、以前イタリアの寺院のらくがきが問題になったのと同じで、いつの時代も同じことをする人がいるもんだ、って感じでした(^ ^;。
 でもそれも既に百年以上昔の、歴史的資料になっててすごいですよね(笑)。
 更に、知恩院には「七不思議」があって、時間がある人はその全てを見て回ると楽しいと思うけど、三門の不思議は、この門の建築士・五味氏とその妻が、予算オーバーの責任を取って自害したと言う伝説です。
 前途の仏像群の手前に、木箱に乗った老夫婦の像が並んでるんですが、門の修復時に、その下の土中から出た木箱に入っていたそうです。自害する前に自らの像を作って埋めたのか、後から関係者がその死を悼んでそうしたのか、真偽は判りませんが、今は仏像と一緒に祀られているのでした。
 そんな訳で、説明ボランティアの人が「来年は法然上人八百年」と、しつこく繰り返すのと(笑)、階段が急で怖いこと以外はとても良かったです。来年一杯まで公開しているそうです。
 さて、三門だけで随分話が進みましたが、その他にも見所はあります。本堂には「七不思議」のひとつ、謎の置き忘れ傘があります。
 屋根を組んでいる木と木の隙間に、何故か傘が刺さっているのです。相当高い所だし、現代の傘じゃなくて番傘です。いつ誰が何故どうやって?、と考えてしまう七不思議でした。
 また本堂にある、法然の十代の頃の像はちょっと美化し過ぎかな?、と言う感じで面白いです。
 本堂の奥には法然上人が没した場所、勢至堂(だったかな?)があり、その周囲の景観がとても良いです。階段だらけでちょっと登るのが大変ですが、登ってみる価値ありです。猛者は女坂でなく男坂の方をどうぞ(笑)。
 その更に奥には、千姫(秀忠の娘、豊臣秀頼の妻)の墓もあります。三門以外にも色々あるので、長時間楽しめるお寺でした。

<その後、京都の代表的な場所>
 知恩院の三門から、すぐ下には円山公園が見えるんですが、この公園は春は花見の場所として賑わいます。東京で言うと上野公園的な場所だそう。
 勿論今は枯れ木ばかりでしたが、花の時期に知恩院に行くと、さぞかしいい景色が見られるだろうな、と思いました。
 またこの公園は、「いもぼう」と言う伝統の食べ物で有名な店があって、ちょっと値段が高いけど試してみるのもいいかも。「いも」は芋(海老芋)ですが、「ぼう」とは関西でお祝いの時によく食べる棒鱈のことで、棒のようになった干鱈です。
 その鱈の身とだしで芋を煮た料理、と言う訳ですが、滋味が判らない人には大して美味しくないと思う(苦笑)。実際従兄弟の嫁さんは「?」だったそうです。
 その公園を通り抜けて、少し歩くと祇園の町に着きます。夕方に差し掛かって、丁度町に明かりが灯り出す頃だったので、かつての遊廓の町の雰囲気があって良かった(^ ^)。
 大石内蔵之助で有名な「一力茶屋」から連なる、茶屋と置き屋の店構えを見て歩くと、その時代の侍になった気分でちょっと楽しいです。高尚な場所はともかく、こう言うある意味下品な文化が残されているのも、京都はいいなとしみじみ感じますね。
 ちなみに茶屋は舞妓さんを上げて遊ぶ所、置き屋はその派遣所ですが、しばらく道を歩くとどれがどの店か判るようになります。茶屋は大概「茶屋」と書いてあるか、間口が開放的な感じにしてあるけど、置き屋は屋号だけで何も書いてないのです。
 そんな町を見ながら、喫茶店でひと休みしてこの日の観光は終了です。

 しかし、いつまでもお腹が空かないなぁと思いつつ、京都駅のおにぎり屋さんで買ったおにぎりを食べたら、意外にペロっと食べられた。ご飯や野菜は普通に入るのに、グルテンの効果って不思議ですねー。

知恩院 知恩院
知恩院 左上)知恩院の大きな三門。

右上・左)知恩院境内の、
階段のあるステキな景色。
左の奥の木戸は4時には閉まっちゃいます。

左下)勢至堂の裏にある千姫墓。

右下)円山公園の一角。
景色は寒々しいけど、
いもぼう自体は冬の食べ物だと思う。
千姫 円山

一力 祇園
左上)一力茶屋の外観。
他の店より格段に広くて目立つ。
そしてかっこいい。

右上)夕方に差し掛かる祇園の町並。
平日のこの時間は閑散としてる。
夜になると人が集まって来るのかな。

右)祇園の細い路地。
飛んでるけど門の上の3つの箱は
この奥にある店の屋号が書いてある。
祇園



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嵐山方面(天龍寺〜嵯峨野・常寂光寺〜祇王寺〜清涼寺)〜おまけ

 この日は嵯峨野を中心に嵐山方面を歩いて来ました。昨日に比べると空気は冷たいけど、一日中天気は良く歩きやすい日でした。
 私は中学の時に、天龍寺と祇王寺に行ったことがありますが、それ以外にも見所は沢山ある地域だし、何と言っても景色がいいので、すごく楽しみにしてました(^ ^)。

<嵐山と天竜寺と季節>
 周囲の塔頭も含めるとものすごく広い敷地のお寺で、回水式庭園と精進料理でも知られてますよね。修学旅行でお昼を食べた経験があります。
 ただ、大徳寺などとは違って、数ある塔頭は観光できないようで、敷地全体の案内がないのは残念。もっと広さとバラエティを感じたかった。
 などと思いながら、天龍寺の入口付近に到着すると、そこには思い掛けない団体が…。
 何故かこんな時期に、修学旅行のような学生の集団がいて、先生の指示を聞いてはグループで中に入って行くのです。高校生だと思うけど、騒がしい集団と一緒は嫌だなぁと思って、彼等が完全に行ってしまうのを待ってから入りました。ところが。
 窓口の女性が、「坐禅をやっている部屋には入れません」と言って、それらしき部屋に近付いてみると、さっきの学生の団体が坐禅をやっているのでした。お陰で静かでした。
 事前に申込むと、旅行中のイベント的にやらせてくれるようだけど、仏教系の学校かも知れませんね。こんな寒い時期にわざわざ来るくらいだし、男子が多かったので。
 さて、それはともかく天龍寺の庭は、冬はさすがに彩りが淋しく、人も少ないので閑散とした感じでした。花と言えば蝋梅、後は緑の苔くらいでした。
 ただ夏場より水が綺麗で、特に茶室の集まる一角の小川の庭はとても良かったです。他に見る物がある時期は注目しない場所が、冬は美しく見えたりするものですね。
 そして、このお寺は後醍醐天皇の菩提寺なので、その廟のある多宝殿の周囲がとにかくすごい。こんなに沢山の枝垂れ桜は見たことがない、と言うくらい大木の枝垂れ桜が集まっていて、今は枯れ枝でも、桜の時期はそれは見事な景色になることが判りました。
 だから、本当はここには春に来るべきです(^ ^;。嵯峨野は秋のイメージが強いけど(他の多くのポイントは秋が良い)、天龍寺だけは春だと思いました。あ、それと、「醍醐の桜」で有名なのは醍醐寺ですので、お間違えのないように。
 ところで、私が中学の頃には確か、池の鯉に餌をやることができた筈なんですが、今はできないのかな?。それでも相変わらず鯉は丸々太ってましたが(笑)。

<今は世界の源氏物語>
 天龍寺の裏門を出ると、左が美しい竹林の道、右は町の方に出るようになってますが、最初はまず右に行って、源氏物語ゆかりの野宮神社に向かいました。
 特にこれと言って観賞する物はない小さな神社ですが、源氏物語の六条御息所と、秋好中宮の話を知っている人は、一度は訪れてみたい所だと思います。本にある通り無垢の木の鳥居と小柴垣が作ってあり、小さくまとまって良い感じです。
 しかし、ここでもちょっと気になる団体客が。
 写真を撮ろうとしたら、人がカメラを構えてるのに気にせず前を通る、被写体の前から動こうとしない図太過ぎる集団。10人くらいの家族連れですが、子供の服装がどうも、ふた昔前の蛍光色ギラギラのスポーツウェア的で、日本人じゃないみたい?、と思ったら中国語を話してましたっけ(^ ^;。
 まあマナーはともかく、中国の人にこの神社はどんな存在だろう?、とちょっと考えてしまった。大人達が妙に喜んでいたのです。
 特別古くも、豪奢でもない観光ポイントなのに…と思うと、ちゃんと源氏物語を知ってて来たんだな、と言う結論になりますよね。無論日本ではスタンダードな物語だけど、海外でも最近は、世界で一番古い小説として知られて来たから、中国でも知的環境の良い家庭なら、知ってておかしくはないと思いますが…。
 それでも少し不思議な感じがしました。いや、現地人より観光客の方がものに詳しい場面は、しばしばあることですが。
 マナーはともかく(二度言いました)、お金持ちの中国人をみくびってはいけません(笑)。この他の場所でも、高級ハイヤーで嵯峨野観光をする中国人を見たし、かつての「何も知らない人々」じゃないのは確かだ、と思いました。

<嵯峨野の道を歩くと…>
 野宮神社からUターンして、今度は天龍寺の裏門から続く竹林の道へ行きました。
 中学の時に、ここの美しさには本当に感動したもんですが、天気の良い9月のことだったので、今回はまたちょっと違う印象でした。冬枯れの山の中では、竹は青さを保っている方だけど、少し彩度が落ちて、冬らしい静けさを感じる竹林の道でした。
 オフシーズンなので歩く人も少ないし、ここに雪が積もっていて、平安時代の人々が笠や蓑を着けて歩く姿を、容易に想像できるようでした。冬は冬でとても良かったです。
 この道の途中に、昔は無かった新しい観光スポットを見付けました。大河内山荘ですが、私の親の世代でも詳しくは知らない昔の大俳優、大河内傅次郎と言う方の別荘だったところです。母は「鞍馬天狗」が有名だと言うんですが知ってます??。
 その大邸宅を公開してる訳ですが、ちょっと入場料が高いので入りませんでした(^ ^;。母はかなり悩んでたんだけど。
 また竹林を抜けて、おしどりが泳ぐ小倉池の方へ歩いて行くと、池の向こうに小さい神社があるのが見えます。妙に幟が目立ったので行ってみると、御髪神社と言う小さなお社がありました。誰だかの髪を奉納していると書いてあったかな。
 ただ、名前を見てピンと来ました。ここは髪の悩みを持つ人が来る所だと(笑)。そして近くに行って見ると、お社の周囲の柵に「リーブ21」だの「アデランス」だの、あらゆる髪の毛関係の社名が入ってましたよ…。
 いや、真面目に祈願に来る人もいるだろうけど、笑えるスポットとして充分見所になってるのがすごいです!。

<嵯峨野で一番の景観だと思う常寂光寺>
 小倉山 嶺のもみぢ葉心あらば 今ひとたびの御幸またなむ
 と言う、藤原定家の歌が百人一首にありますが、そのまさに小倉山に建つ、定家が百人一首を編纂した場所です。当時はお寺ではなく「時雨亭」と呼ばれた家屋で、今は境内にそれを伝える碑があるだけですが、定家がどんな気持で歌を詠んでいたか、インスピレーションの湧く景色が素晴しいお寺です。
 とにかくここは、山の斜面の高低差を生かした庭と建物のレイアウトが美しい。門から続く真直ぐな階段も美しければ、多宝塔を見上げた時の庭の造型も美しい。特に、歌に詠まれた秋は一番いい景色だろうと思います。紅葉の木が沢山あるので。
 高い場所に登ると嵯峨野と京都市街を一望できるし、嵯峨野に来たら絶対に寄らないと損です!。
 また、境内の一部が竹林に接しているんですが、丁度順路を歩いていた時、竹薮からガサガサ物音が聞こえ、よく探してみたら、山から降りて来たらしい猿が沢の近くに居ました。周囲の自然環境が良い状態なのか、低木の若芽か実か何かをのんびり食べてましたっけ。
 人に慣れてなさそうな猿が自然に暮らす所が見られたのは、多分偶然なのでラッキーでしたが、作られた観光地的でない、ありのままの感じが何とも良かったです。
 いや、ありのままと言うのはちょっと語弊があると言うか、白神山地などでも言われることだけど、山林はある程度人の手を入れないと、環境が死んでしまうこともあると言います。木の刈り込みや竹林の保全に、ものすごく力を入れてるなーと言うのが、何処を歩いても判る嵯峨野です。

<再び道を歩くと…>
 常寂光寺の少し先には、落柿舎と言う観光スポットがあるのですが、その前に広がる畑に立て札が立っています。
 内容は「小倉餡発祥の由来」。ああそう言えば、つぶつぶのある餡のことを何故「小倉」と言うのか、考えたこともなかったけど、この土地の名前から来てるんだな、と言う発見のある立て札でした。
 勿論その、発祥の経緯について詳しく書かれてるんですが、関心のある方は是非そこで読んでみて下さい。小倉の地に立って読む方が、当時の雰囲気と言うものを感じられると思うので(^ ^)。まあ多分ウィキか何かに紹介されてるとは思うけど。
 それと、順序は違うんですが、祇王寺方面から町に下って行く道の途中には、前出の藤原定家の息子、為家の嫁の父を弔い、仏像の安置された小さなスポットがあります(一見バスの待合所みたいな)。そこにも小倉百人一首の編纂の経緯が書いてありました。
 宇都宮頼綱と言うその方、関東の豪族だったそうですが(名前通り宇都宮の人かな?)、定家の時代は武家が力を持っていたので、わざわざ関東の人と縁続きになったようですね。その宇都宮氏が嵯峨野に別荘を持っていて、定家の才を認めて歌を作るよう頼んだ、と言うのが始まりだったようです。
 家に戻ってから、高校の教材の「国語便覧」を調べたら、確かにそう記述されてました。
 そんな風に、京都の町中にはあらゆる所に思い掛けない碑や立て札、あまり紹介されない小さな歴史的ポイントがあるので、注意深く見て歩かないと勿体無いです(^ ^;。

天龍寺 天龍寺
左上)天龍寺の正面。

右上)天龍寺の広い庭。人がいないと妙に広々。

右)茶室が並ぶ所の庭。
低い目線で見て行かないと見落とすかも。

左下)後醍醐天皇の多宝殿を上から見た景色。
今は枯れてる枝垂れ桜が淋しい(^ ^;

右下)野宮神社の入り口。
天龍寺
天龍寺 野宮神社

右)天龍寺の裏門から左の竹林の道。
この奥がものすごく美しい(^ ^)。

左下)同じく裏門から右の竹林の道。
写真に写ってるのはどっちもうちの母…

右下)御神神社のお社。
左手前の猫がじっとしてた。
竹林
竹林 御髪神社

常寂光寺 百人一首
常寂光寺 左上)常寂光寺の入口。

右上)百人一首の碑。これのあるお庭は
広々していて木立が美しい。

左)入り口を入ってすぐある門と階段。
まっすぐ続いていてきれい。

下2枚)境内の階段の風景。
右下は多宝塔を下から見た絵。
何処を撮っても絵になる境内です!。
常寂光寺 常寂光寺



<短歌から俳句の時代へ>
 さて、前の文章に登場した落柿舎(らくししゃ)です。ここはまあ、建物自体は昔の民家を残しているだけですが、松尾芭蕉の第一の門下生だった、向井去来の住居として知られる場所です。
 「柿」と聞くと、正岡子規の句がぱっと思い浮かぶけど、不思議と俳句と柿は縁があるものなんですね。この家屋を落柿舎と呼ぶようになった由来は、庭の沢山の木になった柿を買うと言って、都の商人が約束して行った後、一夜にしてほとんど落ちてしまい、先に貰った代金を返すことになった、と言うお話です。
 その時から「落柿舎の去来」と自から書くようになったんだそうです。ちょっと自虐的なユーモアだと思う(笑)。
 柿の木のある庭のあちこちには、去来や芭蕉の句の札があって楽しめます。奥の庭には藤棚があるので、藤の花の時期に訪れるのもいいと思います。丁度柿がなっていたので、今回の冬の旅も充分雰囲気がありましたが、やっぱり秋が一番いいのかな。
 ところで、昔の民家があるだけとは書きましたが、この家と柿の木を眺める風景はとても良いです。スケッチをしている人が何人かいましたが、畑を挟んだ向かい側から見ると、本当に昔の民家の風景らしい絵になります。
 また柵の中に建つ家は、現代の、なるべく壁を作らず広く見せる間取りとは逆で、千利休が良しとした小さく区切る間取りなのが、むしろ新鮮で面白く感じます。たった2帖の部屋がふたつもあるんですが、何をした部屋なのか考えると不思議ですよね。
 ごく小さいスペースの方が落ち着く事実は、国内の文化だけでなく、ガウディの建築物にも見られるようですが。

<二尊院には行かなくとも門前は重要>
 嵯峨野でお昼ご飯、休憩と思ったら、二尊院の門前に集まる店を利用するのが普通と言うか、町に降りないと他には店がないので、この一帯だけは賑やかです。
 京都の伝統的な湯豆腐を出すお店の他に、外国人向けの洋食の店もあります。但し湯豆腐はどこもちょっと値段が高め。そこまで豆腐が好きじゃない私と母は、その他で京都らしい食べ物を出す所を探して、「こみち」と言うお店に入りました。
 私が食べたのはお茶の葉を使った菜飯の定食。普通の菜飯より葉っぱがパリパリしてましたが、特にくせのある味でもなく美味しくいただきました。一緒に付いて来た山菜の水煮が美味しかった。流石に地元で取れた山菜、中国の消毒臭い輸入ものとは全然違います(笑)。
 そのお店にあった、「あめ湯」と言う生姜の入った甘い飲物が、素朴でとっても美味しかったのでお土産に買いました(冷たい「冷やし飴」もある)。麦芽糖がベースの懐かしい優しい味がします。冷え症の人に特におすすめ。
 抹茶団子も美味しかったです。ちなみに母が食べたにしんそばも美味しかったそうです。
 と、ここまでは飲食店の話ですが、お土産品を売る店も数軒あります。
 ガイドブックに「竹細工の店」と紹介されている店は、姉妹店に香のお店があって、ここでもバラエティに富んだ色んなお香を売ってます。私は「能香」と言う、能の曲をイメージしたお香を買いました。4種類しかなかったのがちょっと残念。
 源氏物語の章に合わせた「源氏香」の方は、沢山の種類があるので好きな方にはおすすめです。値段は安い物から高い物まで色々、大体700〜1000円くらいのものが中心です。
 また竹細工の方は、手前に出ている玩具などはよくある感じですが、店の中には見る人が見ると素敵な物でいっぱいです。但しそれなりに高いです。現代風の籠バッグから、庭に取り付ける竹垣まで売ってます。
 と言う訳で、二尊院の門前は休憩とお買い物ができる場所ですが、タイトル通り二尊院自体は観ませんでした(^ ^;。そこまで関心のある内容じゃなかったので今回はパス。また嵯峨野に来た時に寄ってみようと思ってます。

<白拍子と苔の祇王寺>
 メジャー過ぎて説明の必要もない気がしますが、平清盛ゆかりの寺です。過去は往生院と言う浄土宗の寺に、付属していた小さな尼寺だったものが残って、今は大覚寺の塔頭になっているそうです(真言宗)。
 まあ、祇王と仏御前の悲しい話は、女から見ると「清盛憎し」と言う感じだけど、その清盛も源氏に撃たれて一時代が終わってしまうから、最高の栄華を極めた後の滅びや衰退は、運命でもあったのかなと今は感じますよね。
 だから私は悲しみの寺と言うより、それこそ「平家物語」の冒頭のような、激しい時代の残光の穏やかさ、みたいな印象を受けます。庭を覆う苔が時間を掛けて、関わる人の魂を癒し続けているような。いや、中学の頃はそこまで考えなかったけど(笑)。
 今は祇王と祇女の姉妹、その母、仏御前と一緒に清盛の像も仏間に安置されていて、穏やかだなぁと言う祇王寺です。姉妹と母のお墓と共に、清盛の供養塔も建っています。
 尚、ここはやっぱり秋がいいです、庭の木立は紅葉の季節が一番美しいと思う。冬の見所は苔のみかな(^ ^;。フサフサした「イタチの尻尾」と言う苔が、庭を柔らかい印象にしていて良かった。
 それと、この辺りは「化野(あだしの)」と言う旧地名で、恐らく昔はもっと、深い竹薮に隠れたような山里だったんでしょうね。竹林の景色は何処も素敵です。
 祇王寺のすぐ近くには滝口寺もありますが、時間の都合で行きませんでした。

<清涼寺は面白いものいっぱい>
 祇王寺の付近から町の方へ降りると、嵐山で多分三番目に大きな清涼寺があります(一番は天龍寺、二番は大覚寺だろう)。源融の別荘だった場所に建立されたお寺です。
 源融は光源氏のモデルと言われてますが、百人一首には河原左大臣として歌を詠んでいるし、能にも「融」がありますよね。色々な媒体に登場する人物だから、やっぱりそれなりに魅力的な人物だったんだろうな、と思うし、ここには是非来てみたかったんだけど…。
 融関係よりも面白い物が、このお寺には沢山あってとても楽しめました♪。
 まずこの境内には狂言堂と言う建物があって、念仏狂言と言われる形式の狂言を行って来た歴史があります。芝居の形を取って仏教を広めるものだけど、残念ながら建物の中を見ることはできませんでした。毎年四月の大念仏会には上演があるそうです。
 その、清涼寺の大念仏会を題材にした能が「百万」で、本堂には「百万」に関する資料も展示してありました。
 次に本堂の横に、豊臣秀頼公の首塚なんてものがあります。御存知の通り、秀頼は大坂城で自害したのに、何で首塚なんてあるの?と考えちゃいますよね。パロディと言うか、そう言うことにしただけの碑だと思ったら違うんです。
 もらったリーフレットに、昭和55年に大坂城の発掘をした時出て来た、本物の秀頼の首(介錯の跡あり)が、このお寺に納められたんだそうです。よく本人と判ったな?と言う話ですね(笑)。
 その他にも、回して功徳を積むことができる輪蔵(インドの方によくある)とか、境内には融の墓、聖徳太子殿など多くのものがあり、あぶり餅を出す茶店もあって、外側だけでも楽しめるんですが本堂の中がまた面白いです。
 ここの御本尊である釈迦像は、生身釈迦如来立像と言うのですが、「生身」は普通「なまみ」と読みますよね。「生身の釈迦像って何??」と、色んな(変な)想像をしながら本堂の仏像を見たら、外見は特にそれらしき特徴は判りませんでした(笑)。インド系の仏像だと言うだけで。
 それが、本堂内の展示を見て行くと、何故生身なのか段々判ってきます。「生身」は「いき」と読むんですが、つまり生きているとされている釈迦像で、釈迦本人が自分の身代わりに認めた像なんだそうです。そのオリジナルはインドから中国に渡って、日本の僧が中国で模刻したものがここにあります。
 模刻と言っても相当手の込んだ像で、体の中には中国の僧が作った、絹製の五臓六腑(取り出した時の写真と模型が展示されてます)が入れてあったとか、額には銀の小さな仏像、他に水晶や鏡などが埋め込まれているそうです。
 元の像が非常に由緒正しいものなので、複製もとてもきちんとしたものなんですね。
 故にこの釈迦像は有難がられていたようで、日本全国にご開帳の旅に出ていたそうです。その貸し出し帳が残っていたり、その為の専用のお興も展示されてました。
 ところで「インド系」と書いたのは、仏の顔を見ての感想です。本堂内に展示されている仏画も、主にインド系の仏画でした。日本の仏は優し気な女顔が多い(と言うかそうなって行った)ですが、宗主国の方では完全に男神なので、若々しく力強い感じのするお釈迦様でした(^ ^)。
 で、本堂内には他にも興味深い物があります。
 ここは徳川時代は徳川家、幕末期は島津家の保護があったようで、それぞれの家から贈られた、紋の入った品々が展示されています。本堂の天井には葵の御紋が付いていました。
 その中に、綱吉の母の桂昌院が寄贈した物がとても多く、あの、狂ったように嫡男を願う姿(と言っても勿論ドラマの映像ね)を思い出しました。占いに頼ったり神仏に縋ったり、「生類憐れみの令」を発布したりもしたけど、色々必死だったんだなぁと。
 そんな感じで、本堂内に展示物が沢山あるので、ひとつひとつじっくり見て行くとすぐに時間が経ってしまいます。
 本堂の裏には写経をさせてくれる部屋等がありますが、その前の石庭は小堀遠州の作だそうです。

<買い物の為だけに…>
 今回は清涼寺までで、嵐山・嵯峨野観光はお終いにしました。まだ時間は3時頃だったけど、父から「大徳寺納豆を買って来い」と頼まれてて(^ ^;、電車を使って大徳寺方面に行きました。
 京都は地下鉄があまり使えないので、バスを駆使するのが安上がりで良い移動方法ですよね。JRの嵯峨嵐山駅から円町と言う駅に行って、そこからバスに乗って大徳寺前へは、待ち時間も含めて3〜40分で着きます。(電車がある程度すぐ来れば)。
 そして前回同様、門前町で大徳寺納豆関係の食べ物と、昆布屋さんの製品を買って帰りました。大徳寺の境内を歩いて帰って来ましたが、その塔頭で、前に観ていない所はなかったので、本当にのんびり散歩して帰りました。
 その後京都駅付近で、京都のお好み焼き「ねぎ焼き」を食べたけど、九条葱がパリパリで卵がふわふわで、あっさりした味付けで美味しかったです。リーズナブルな京都の食を楽しめた一日でした(^ ^)。

落柿舎 落柿舎
左上)畑の向こうに見える落柿舎の茅葺き屋根。
とっても絵になる風景。

右上)落柿舎の内部。
ここは一番広くて、4.5+3帖の部屋。

右)落柿舎で売っている俳句かるた。
百人一首的に上の句と下の句でワンセット。
かるた
茶団子 左)茶団子とお茶のセット。
定食はお腹が減っていたせいか、
すっかり写真を撮り忘れてしまった。

奥の耐熱カップがあめ湯。

祇王寺 祇王寺
左上)祇王寺へ向かう道。
この辺りの歩道は広めでとてもきれい。

右上)秋は下の苔の部分一面に紅葉が散って
美しい(筈の)祇王寺の庭。

右)祇王・祇女・母の墓と、
清盛の供養塔。
祇王寺

清涼寺 狂言堂
左上)左から見た清涼寺の本堂。
境内も広いけど、本堂も広くて面白いので必見。

右上)狂言堂。この左側には遊具があって、
普段は子供の遊び場になっているらしい。

右)清涼寺入り口の山門。
順路的にここから出て行く形になった。

左下)秀頼の首塚。

右下)小堀遠州の庭の一角。右奥が本堂。
清涼寺
首塚 清涼寺





 以上。初めての京都冬の旅でした。
 初日はやや残念な天気だったけど、二日目は朝方曇っていたものの晴れて来て、空気はキリっと冷たい、歩き回るには丁度いい状態で良かったです。暑くて汗をかくより快適だったので、冬の旅はそう言う点がいいなぁと思いました。人が少ないのでスイスイ観て回れるし♪。
 それと、嵐山方面大好きなので、まだ観ていない二尊院、滝口寺、あだし野念仏寺、大覚寺等には、次は必ず行こうと思いました!。


<おまけ>
 1月23日、法事の後のお食事会のこと。
 阪急の門戸厄神駅の近くの、「愛蓮」と言う中華レストランに行ったのですが、貸し駐車場にしては派手な建物だな?、と感じる所に車を停めたので、地元の親類に聞いたらそこは関西の高級食品店、イカリスーパーの駐車場でした。イカリスーパーが経営するレストランだそうです。
 全体的に優しい味付けの中華料理で、とても美味しかったです。