4/25
彦根(彦根城〜厩と武家屋敷〜埋木舎〜開国記念館)

<あまり見る所ないって言われたけど…>
 実は今回の旅行に行く前に、知り合いに彦根に行くと言ったら、あんまり見る所ないからすぐ終わっちゃうよ?、と言われ、だったら長浜に行こうかと迷ったんですが、長浜の観光案内を見ると、逆に向こうは見たい所がありすぎて、帰る日一日じゃ足りなそうなので彦根にしました。
 でもその知人の情報は何だったのか…。帰りは割と遅い新幹線にしたのに、結局彦根でも見たい所を見切れなかったです。じっくり見られる所が結構あるから、どんどん時間が経ってしまうし、町もとても綺麗で整備されているので、歩き回るのも楽しいです。
 京都から琵琶湖線で彦根に行き、駅を降りるとまずロータリーで井伊直政の銅像に御対面。ひこにゃんが被っている兜は、この堂々とした初代彦根藩主のイメージなんですね。井伊家と言うと全国的には、江戸末期の井伊直弼が有名なので、何となく鎧兜のイメージは沸かなかったけど、土地の方にはむしろ、戦国大名としての井伊家の印象が強いのかな?、と思いました。
 ついでに井伊直政は、群馬県・高崎城の城主だったのを、関ヶ原での功績からこの周辺の土地を拝領した、と言うんですが、良い土地をもらった割に石高が少ない…と感じません?。井伊家は30万〜35万石くらいの大名で、百万石を超える毛利家や上杉家、百万石に近い前田家などに比べると、関ヶ原以前はあまりぱっとしない家だったのか?と思い、ちょっと調べてみたら…
 井伊家は鎌倉時代から続く北条氏寄りの家で、戦国時代に入る頃は今川家に仕えてたんですね。桶狭間で今川が破れると、領地や財産も失い家は消滅寸前になり、井伊直政は家康の小姓になったそうです。後に家康が天下を取ったので運は良かったけど、そんな経過なので家としての石高は少ないんです。ほぼ外様大名だったことを初めて知りました。
 さて話が脱線したけど、駅前からほぼ真直ぐ歩くと彦根城があります。その市役所などがある大通り、何故か石材店が多いです。庭石などの加工が伝統工業なのか、ちょっと不思議な印象もありました。石材店の店頭には、ひこにゃん像と彦根の地名の由来の碑はありましたが、何故石屋さんが多いのか教えてほしかったわ。
 彦根城を囲むお堀は完全に二重に残っていて、植えられた松(いろは松)も綺麗でした。丁度樹木の手入れの時期だったようで、一本一本の木の根元に、十個くらいの栄養剤(アンプルタイプの)を挿して回ってました。手入れが良いから綺麗に保たれてるのが窺える様子でしたね。

<本物のお城はいいですよねー>
 外堀の涼し気な景色を通り抜けると、内堀の中に国宝彦根城と博物館、庭園などがまとまってあります。一枚チケットを買うと全部見られるので、面倒がなくていいですね。そして早速彦根城へと登って行きました。
 聞いてなかったんですが、お城まではかなりの石段を登らなければならないんですね。翌日西宮の伯母が、「大丈夫だった?」とメールして来たけど、不思議と私も母も特に大変だ!とは思わなかったです。平日で人が少なく、天気も良く、気持良く歩けたので気分的な問題でしょうか。
 また沢山の石段を登る途中、時を知らせる鐘があったり、櫓があったり、オオトックリイチゴと言う珍しい植物があったり、いちいち立寄っては見てしまうので、一気に登る感じでもなかったような。丁度同じ時間に会った修学旅行生達と、変わらないペースで登って行けましたわ。
 そして彦根城の内部に入りましたが、新造されたお城とは違い、やはり古い材木を残したお城はすごい迫力ですね。黒々とした太い梁が、天然の木の形のまま天井に渡してあるなど、昔のままの姿を伝えているのがとてもいいです。過去に松本城には行ったことがありますが(母は犬山城にも行った)、これが本当のお城、と言えるものを見なければ意味がない、と言う感じです。
 しかし、それだけに天守閣に登る階段は超怖かった(> <)。実はそこで初めて、結構足が疲れてることに気付いたんですよ。平らな所を歩くだけなら気付かなかったけど、あの急過ぎる階段を登り始めたら膝下が怪しくなって、手摺をしっかり持ってないと怖くてしょうがなかった。不思議と上りの方が怖くて、下る時は楽に降りられるんですよね、あの階段。
 そして天守閣からの眺めもとても良かった。琵琶湖を背景にした方向も良かったですが、一番興味深かったのは佐和山の方向です。石田三成の居城だった佐和山城は、織田信長の出現までは六角、京極、浅井の三家が取ったり取り返したりしていて、城ができる以前も、鎌倉時代に佐々木時綱と言う近江源氏の武士が、ここに居を構えたのが始まりと言う、長い戦の歴史を持つ山です。
 信長の時代は丹羽長秀、秀吉の時代も最初は掘秀政を配置したそうですが、それだけこの土地は、都周辺の要所だったことがわかります。
 関ヶ原の後、家康も井伊直政にその佐和山城を与えましたが、そんな長い歴史がある為、佐和山城は山城と言う古い形式で、江戸時代にはそぐわなくなった為、直政亡き後その息子達が、今の彦根山に城を移したと言う経緯があります。つまり彦根城は平和な時代に入ってからの城なので、かなり綺麗に保つことができたんですね。それを思うと、幕末に無惨な姿になった鶴ケ城は勿体無かった…。
 その佐和山が、天守閣からはかなり近くに見え、あそこで三成達が頑張ってたんだなと、戦国時代に思いを馳せて楽しめる景色でした。各窓から見える屋根瓦の、複雑に組まれた装飾なども良かったです。

<時間がどんどん過ぎて行くんですが…>
 お城を楽しんだ後は、鐘の横にある茶屋でちょっと休憩。こういう場所のお茶屋さんでは、必ず土地のお菓子を出してくれるので、敢えて入ってみたんですが出て来ました、彦根伝統のお菓子「金亀(こんき)」。小豆をゼリーのようなもので寄せ、砂糖で包んだ渋目の和菓子ですが、お抹茶に合って美味しかったです。丁度お茶を飲んでる時に鐘が鳴り出してびっくりしたけど。
 そして彦根城博物館へ行ったんですが、ここの展示や施設が私達親子には素晴し過ぎて、本当に長々と居座ってました(笑)。展示物は恐らく時期によって変わるでしょうが、井伊家と言うより井伊直弼の、物凄い趣味人っぷりが窺える展示品が凄かったです。詳しい説明をしたリーフレットが各所にあって、全部もらうと大量の資料になるのも素晴しいです。
 よくよく眺めて来たのはまず能装束と能面。点数も多く、古い物の筈なのにとても綺麗に保管されていて、使っていたのか、ただのコレクションなのかよく判らないほどでした。次に様々な楽器。雅楽に用いる物が中心でしたが、これも非常に綺麗な名器で、そもそも笙から琴から琵琶から、みんな演奏できたとは思えないんだけど、趣味で集めたんですかね?。
 そして、飽きる程見て来たのは井伊直弼自筆の書。本になっているものや、コレクションの覚え書きなどがありましたが、昔の人はどうしてこう綺麗な字を書けたんだろうと、感動的な展示物でしたわ。以前京都に来た時に、本阿弥光悦の文字にすっかり惚れ込んだ私ですが、光悦は芸術家なので書も素敵なのは当たり前。しかし井伊大老の書も特徴があって、素敵な字を書いておりましたな…
 他には、大きな井げたの家紋の旗印、井伊家の紋付の馬具や食器(こちらは橘の家紋)、鎧、名刀備前長船、書や画の名品、茶道具の名品などがありましたが、とにかく保存状態が良いものばかりなので、溜息が出る博物館でした。
 また、博物館には城とは別の住居が再現されていて、そこもまた長く眺め入ってました。小さな水屋の付いたお茶室と、そこから見える庭の雰囲気がとても良かった。他の部屋(広間)から見ると庭の池全体が眺められ、桂離宮のように、日本庭園の伝統に沿ってソテツが植えられていたり、いかにも風流人の庭と言う感じでしたね。
 廊下を渡るとお客様用の客室、更に奥は女性達の部屋となっていましたが、少し離れた所に、公でない個人的な愉しみに使われた間があり、そこから見える別の庭の景色も良かったです。こうしてかなり広く住居を再現した施設は、私は初めて見たので本当に興味深く楽しかったです。大名クラスの武士達は、こんな御屋敷に住んでいたんだなと、当時の生活を少し想像できるのが素晴しいです。
 博物館を出ると丁度ひこにゃん登場時間で、ひこにゃんがエビフライ?を持ってたんですが、何故エビフライなのか謎だったんですよね。帰ってから杏子さんに、あれはお客さんが持って来たものを持ってたりしますよ、と教えてくれたので、名古屋からのお客さんが居たんだろうなと思いました。

銅像 左)彦根駅前の井伊直政像
さすがに井伊直弼には、
こういう戦国武将のような武者姿は
想像できないと思ったら
やっぱり違ったと言う

右)彦根城へと登る石の階段
始めはこんな感じがしばらく続く

左下)更に現れる階段
でも景色や見晴らしがとてもいいので
登るの辛くないですよ

右下)オオトックリイチゴ
イチゴ系の葉っぱには違いないけど
結構背が高くて大きな木
彦根城
彦根城 いちご

彦根城
左)更に上って行く階段
きれいなので嫌にならないです、ホント

左下)途中にある天秤櫓から見た
琵琶湖方向の景色
天気がかなり良くなって
もやが出てる為湖面がよく見えない

右下)天守閣から見た佐和山
すぐお隣って感じです
彦根城 彦根城

彦根城 彦根城
彦根城 左上)お城に展示してある元々の瓦
井伊家は橘の紋と井げたの紋、両方ある

右上)天守閣から見える屋根
よく見るとすごく面白く組んであってきれいです
ただ、一度解体して組み直したので、
きれい過ぎる感じはありますが

左)ひこにゃん撮影ポイント
この看板の横に立つといい写真が撮れる
外国人もみんなわかってるっぽかった(笑)
右)茶店の横の鐘
ここは見晴らしも良いので
立ち止まって見るのがおすすめ

私達がお茶をいただいていて、
おじさんが鐘を突き始めたのは
多分午前十一時だったと思う
彦根城

博物館 博物館
左上)村上天皇の作と伝えられる笛
本当かな?(マユツバ)

右上)井伊直弼自筆の本
写真を撮ってもいい博物館なので嬉しい

右・右下)再現したお屋敷の
茶室とかわいい水屋
全てじゃないけどかなり多数の部屋があり、
再現住居を見て回るのは楽しいです

左下)茶室の前の庭
茶室
庭 茶室

右)エビフライを持ってる…
と思ってたけど、エビ天だったらどうしよう(笑)
花見のシーズンが終わった平日で、
この日は人も少なかったです
ひこにゃん

<お城を出てからも色々…>
 城と博物館の他に、玄宮楽々園と言う庭園もあり、同じチケットで見られるんですが、昨日ふたつも庭園を見て来たし、時間が勿体無いのでここはパスしました。城内を出て、さあお昼ご飯を食べようかと歩き始めると、この時丁度厩(うまや)を公開中だったので、厩の内部も見て来ました。
 その馬房の柵の高さなどを見ると、現在よく見るサラブレッドに比べ、日本の馬は小さかったのがよくわかります。また、現在競馬馬の馬房がどんな構造なのか、私は知りませんが、当時の馬小屋は排泄物を流す穴があり、藁を全部取り替えるようなことはなかったみたい、と思いました。
 その厩の横に、佐和口多聞櫓と言う物見櫓もあるんですが、それは取り敢えず後回しにして、新しい城下町のキャッスルロードに行きました。お食事する所とお土産屋さんが連なる通りです。
 気温が結構上がっていたこともあり、あまり重い食事はしたくなかったので、「もんぜんや」と言うお蕎麦屋さんで冷たいとろろ蕎麦を食べました。その蕎麦も美味しかったですが、このお店は琵琶湖名物の一品料理もあることに気付き、後から琵琶湖産の小鮎の天ぷらを注文。よく噛むとほんのりほろ苦い鮎の香りがして、すごく美味しかったし感動しました。
 何故感動かと言うと、以前比叡山に行った時、琵琶湖産の魚の加工品をお土産に買おうと思っていたら、店の人に琵琶湖産のものは無いと言われたんです。昔に比べ鰯などは捕れる量が少なく、お土産品は殆ど別の所の魚を使ってるそうで。これはもう、お金を積んで高級店に行かないと食べられないかも?、と思っていたんですが。
 どうもこのお蕎麦屋さんのように、お店で少量提供するくらいは捕れるようで、お値段も高くないし、皆様も是非一度、琵琶湖の魚の味を味わってみて下さい!。
 またこのキャッスルロードに、彦根城の茶屋で出て来た「金亀」を売る和菓子店、「おおすが」さんがありました。金亀の他に「三十五万石」と言う半端な名前のもなか(熊本に肥後五十四万石と言うもっと半端なお菓子もあるけど)や、ひこにゃんの人形焼きなどもあり、父には好物のもなか、自分と友人に人形焼きを買ったんですが、この人形焼きが、キャラものにしては意外に美味しかったです。真面目な和菓子屋さんの商品ならでは。
 中に入った小豆が上品でいい味だし、口当りが滑らかだなと思ったら、あげた方(亜細亜小豆姉さんです)が、原料に米粉が入ってて珍しいと教えてくれました。ただ日持ちがしないのが欠点で、すぐ会える人にしか渡せないのが残念なところです。
 キャラものと言えば、一時のひこにゃん原作騒動も終息し、グッズ類の販売は随分落ち着いた感じでした。結局私は佐川美術館に来た時、走りの時期のひこにゃんグッズを買ったけど、その後の大人気時期を知らないままになっちゃいましたわ。

<建物から見える井伊直弼の気持>
 昼食後は井伊直弼が青春時代を過ごした埋木舎(うもれぎしゃ)へ。そこへ行く途中と言うか、キャッスルロードへ行き来する道沿いには、井伊家の家臣の屋敷などが残っていて、古い住居やナマコ壁を見ながら、城下の雰囲気を楽しんで歩けます。途中にあった学校も、誰かの住居跡と言う碑が立ってました。
 さて埋木舎ですが、ここが有名になったのは「花の生涯」と言うドラマが切っ掛けです。NHKの大河ドラマ第一回作品で、私の両親もそれはあまり記憶にないらしいですが、88年のテレ東の製作の正月ドラマの時は、私もとても印象が良かったです。映画化もされました。
 井伊直弼と言うと、学校の勉強ではすぐ安政の大獄と出て来て、思想弾圧をした強硬な政治家のイメージが先行しますが、このドラマ(船橋聖一の小説)が広く知られたことで、今は随分人物像が変わったんじゃないかと思います。歴史にはそうした例が多々あり、明治時代は悪人扱いだった新撰組も、昭和以降は好意的に解釈されるようになりましたよね。
 歴史小説は半分はフィクションで、内容の全てが事実と言う訳じゃないけど、このように誰かに焦点を当てて、それまでとは違う視点で紹介する作品は、歴史への理解を深める上で、結構大事なことだなと思わせます。学者が真実を知っているだけでは、世論は変わって行かないですから。
 そんな背景を持つこの家は、井伊家の十四男として生まれ、家督を継ぐことにも関係なさそう、要職に就くこともなさそうと言う立場の直弼が、十五男の弟と共に暮らしていた場所です。埋木と言う言葉はつまり、表舞台に取り上げられることのない立場を、よく表した例えです。
 ただ、埋木舎と直弼自身が命名した時、『世の中をよそに見つつも埋もれ木の、埋もれておらむ心なき身は』と言う歌を詠んだように、今は埋もれていても決して腐ってはいけない、と言う意思があったことがわかります。そこから、政治的理念である国学、武術、あらゆる芸術、全て一流になる為の手ほどきを受け、三十二才になるまでひたすら、ここで勉強と鍛練に励んでいたようです。
 その経過が後に、混迷して来た徳川幕府の大老に抜擢されることになり、また歴史上重要な事件、桜田門外の変の中心人物になるのだから、とても不思議な運命を持った人だと感じますね。
 埋木舎の建物自体は、かなり質素で小さな日本家屋です。博物館で見た彦根城のお屋敷などとは、比べ物にならない地味な家で、建築や庭の造型なども特に見所はありません。せいぜいお茶室があることくらいです。ただ、表札には「大久保」と書かれていて、井伊家の重臣だった大久保家がこの史跡を守り、今も所有している事実は、井伊直弼と言う人物の、この埋木舎時代の様子が愛されていることが判る話です。
 今も昔も、何もできずに燻っている若者は多く居る訳ですが、どんな暮らしをしていても志を高く持ち、自分を磨くことを続ける努力が大切、と言うことを、修学旅行生なんかにはよく知ってもらいたいですね。

<まだ行きたい所はあるんだけど…>
 埋木舎を出ると外堀に白鳥が居て、私達が歩く後をずっと着いて来るので驚いた。観光客が食べ物をくれると判ってるらしいけど、あげられる物は何もなかったのでゴメンと言う感じ。しかしあんまり慣れた様子はちょっと気持悪かったな…
 さて次に、通り過ぎて来た櫓を見に行こうかと思ったんですが、目の前に開国記念館の入口が見えたのでそっちに行きました。ここは無料なんですが、この彦根周辺の歴史を知りたい方には是非お勧め。小さな施設なので展示は多くないですが、彦根城以前の佐和山城時代と、その他に小さな城が沢山あったことなどを伝える、無料でもらえる資料が大量に置いてあり、持ち帰ると物凄く勉強になります。
 ざっと読んだ限り、この辺りには田付氏、高宮氏、六角氏に仕えた本庄氏、六角氏(佐々木氏)の流れを組む神崎氏と山崎氏、新開氏、高野瀬氏と重臣の久木氏、日夏氏、京極氏の流れを組む河瀬一族(河瀬氏、蓮台寺氏、大宇氏)、伊予の河野氏が始まりの百々氏など、多くの武家が三家(六角、京極、浅井)と共に、この彦根周辺の土地を争っていたようです。
 今大河ドラマで放送している、「軍師官兵衛」の姫路周辺もそうですが、京都から近い地域は戦国時代まで、小さな勢力が犇めき合っていたことがよくわかります。
 また、江戸時代の彦根城と城下のジオラマもあり、細かく誰の家か名前が入ってるのが見て楽しいです。勿論名称の通り、日本が開国するに至った経緯の展示もあります。
 で、ここまでを見て帰る時間が近付いて来たので、もう他は諦めて駅へ向かおうとした時に、道沿いに井伊直弼の歌碑が立っていました。『あふみの海、磯うつ波のいく度か、御世にこころをくだきぬるかな』。この歌は大老となった後に詠んだもので、これまで近江で波に打たれて来た自分だが、これからは世の中の為に、自分が波のように心を砕こうと言う、役職に就く決心が込められていますね。
 とても真面目に国のことを考えていたのが判るし、だからこそ国を開かなければならないと考え、尊王攘夷派の弾圧も行ったんでしょうが、時代が悪いと言うか、狂信的な攘夷集団に暗殺されると言う、劇的な最期を遂げることになってしまいました。
 今振り返ってみれば、過激な尊王攘夷運動も、明治以降の行き過ぎた軍国主義も、愛国心の悪い面での暴走です。その対極に居る人にも別の愛国心が存在し、どの愛国心が正義かは、その時点では判らないので、私達はいつも広く多く人の意見を聞く必要があるんだな、と、この歌からは感じました。
 櫓と幾つかの武家屋敷、そう言えば井伊直弼の銅像も見忘れた。それと本当は琵琶湖岸まで行って、竹生島を見たかったんだけど、そこまで行く時間がなかった。残念だけど今回はこれで帰ることになりました。

櫓 彦根
左上)佐和口多聞櫓。入れなかった
多分彦根の町を見渡せる

右上)道沿いのナマコ壁
しばしば母が写っててすみません(^ ^;

右)カーブミラーも屋根付きで面白い

左下)厩の内部。左の馬は勿論人形です

右下)彦根銘菓「金亀」
地味な昔のお茶菓子って感じ
彦根
厩 金亀

右)ひこにゃん人形焼き
5個セットのと、バラでも買えます
本当はスーパーシティに持参したかったけど
もう少し賞味期限が長ければ…
ひこにゃん

埋もれ木 埋もれ木
左上)埋木舎に向かうお堀端の道
すごく景観がいいです

右上)埋木舎の入り口
まったく普通の家のような門と塀

右)大名の子でもこんな所に
住むことがあるんだなと言う感じの
本当に普通の(小さい)家です
埋もれ木
埋もれ木 埋もれ木 左の左)庭にある石灯籠
かなり斜めになってる
ので不思議なバランス

左)一番奥はお風呂場
と書いてあった
質素そのもの

白鳥 開国記念館
ジオラマ 左上)やたら人なつこい白鳥
写真は撮りやすい

右上)開国記念館の入り口
一番手前に真田六文銭の旗
その下は上杉の毘沙門天の旗かな?

左)彦根城下のジオラマ
ここは撮影禁止の展示が多く、写真はこれだけ

右)井伊直弼の歌碑
この歌碑の文字は読みにくいけど
手前に解説板が立ってるので
そちらを読むべし

春の緑と木漏れ日
木の枝の陰でひっそりしてるのが
いい雰囲気でした
歌碑


<と思ったらまだ面白い物が見れた>
 琵琶湖線の彦根駅に着いた時、電車が来るまで少し時間があったので、駅の中をウロウロしていたら、駅のキオスクで「えび醤油パイ」と言うお菓子を見付けた。琵琶湖産の海老使用と書いてあるし、これまで見なかった商品なので買ってみた。美味しいかどうかわからないし、家の分しか買わなかったけど、甘塩っぱい味にすごく海老の香りが立ってて、とても美味しかったので後悔した。もっと買えば良かった。
 また駅の改札の中にも、井伊家の男子(子供)のお祝いの装束が展示されていたり、時間を潰す間にも見られるものがあって、配慮のある駅だなぁと感心したり。
 更に、ホームに降りると妙な電車が停まってるのを発見。写真を見るとわかる通り、パトカーのような警察デザインの電車が。別に警察官専用電車ってこともないだろうけど、これ何だったんだろう?と思って調べたら、近江鉄道が一日数回走らせている、警察のアピールの為のパトカー電車だそうです。ちゃんと滋賀県警と書いてあるし、標語なども書かれてていいアイディアです!
 と言う訳で、あんまり見る所ないですよ、と話した知人は一体何処をどう回ったんだろう?、と不可解に思いつつ京都駅に戻りました。ちなみにその知人は、彦根を見た後安土にも行ったそうで、安土は特に面白くないと話してたけど、実際どうなんでしょうね(笑)。

電車 お菓子
左上)車両の側面に、警察の標語だけでなく
「JA滋賀」って農協の広告も入った
ローカル感あるパトカー電車

右上)もっと買いたかったこのお菓子
キオスクの他何処で売ってたんだろう?

右)来た時に見た石屋さんの店先
帰りの道で、お別れに写真を撮って帰った
石屋



 そんな訳で、いつもの短い旅行だった割に、今回の旅行記は少し長くなってしまった。それだけ見て来たものの感動や、新たに勉強できたことが多かった証です。私も母も忙しい時期の中だったけど、今年はとてもいい旅行ができました。…最後の最後にとんでもない事件さえ起こらなければ。
 いや、事件はもうひと月前に起こってたのに、私達が気付かなかっただけなんです。帰りの新幹線の時間に京都駅に行ったら、何故か乗る予定の便が掲示板に表示されなくて、おかしいな?と駅員さんに聞いたところ…。何と、夕方六時じゃなくて、朝六時の切符を申し込んじゃってたんです(T T)
 実はいつも旅行の申し込みをするサイトが、以前と少し仕様が変わって、申込み方がちょっと複雑になってたんですよ。それでも切符が手元に届いた時点で、間違いに気付けば交換してもらえたのに、私も母も前途の通り忙しくしてて、あまりしっかり確認しなかったんですよね…
 まあ、混雑期で席がない時期じゃないので、すぐ帰りの切符を買いましたが、片道分と往復割引分が丸々無駄になっちゃって、次回以降は「切符はきちんと確認すること」を教訓にしなければ、と言う、痛いお土産も持ち帰ることになりました。とさ。