■八丈島旅行記(2009.10/27〜29)
 今放送中の「天地人」にもちょこっと出て来ましたが、五大老の最年少メンバーである、宇喜田秀家を忍ぶ旅に出掛けて来ました(^ ^)。

 と言うか、うちの母が長いこと行きたがっていて、今年ようやく出掛けられたと言う。羽田から飛行機で45分なのに、他の目的に押されてなかなか行けませんでした。
 ちなみに秀家は、豊臣家臣の中でもとても可愛がられた人で、秀吉の養女(前田利家の娘)豪姫をお嫁さんにもらいますが、関ヶ原の後二十代で島流しになって、以後五十年島で暮らして没したそうです。八丈島はそうした流人の歴史のある島です。

 利用したツアーは、ANAビッグホリデーの飛行機とホテル(朝食付)のみの、「らくらくコース」と言うプランです。フェリー利用だともっと安いプランもあります。


10/27

<台風なんですけど…>
 出掛ける二日前になって、九州の南に停滞していた台風が進路を変えて、モロに八丈島の上空を通るコースになった(- -;。旅行会社に電話をして、飛行機が飛ばなかったらどうするのか等、出発前に色々気を揉む出来事があったけど…。
 当日の朝は、予測より早く台風が通り過ぎてくれたお陰で、予定通り午前11:30の飛行機で出発できました。現地は少し風が強い程度でいいお天気でした。
 ちなみに飛行機の時間が遅めなのは、そんなに見る所が多い場所じゃないので、早朝からせかせかすることもないと思って。実際歴史探訪だけなら1泊2日で充分です。
 ところで飛行機なんですが、以前津和野へ行った時に乗った、エアニッポンのスリムな小型機を想像していたら、普通のボーイングが寸詰まりになったような(笑)、可愛い感じのする飛行機でした。エンジンにイルカの絵が付いてます。
 また空港も、以前の石見空港(銀山が世界遺産になる前)並みにちんまりした建物かと思ったら、それなりに利用客がいるせいか、もう少し広くて滑走路がすっきり見渡せる空港でした。島の南北にある山、三原山と八丈富士の間に空港と町がありますが、八丈「富士」と言われるだけあってとてもきれいな山が、空港の入口付近から見られます。

<八丈島空港からの険しい道程>
 さて、12:30には空港ロビーに降り立ったので、そこで食事をしようと思ったら、空港唯一の食堂にどこかの団体ツアー客が入ってて、満席で入れないとのこと(迷惑なツアーだな)。しょうがないのでとりあえずホテルに向かうと、ホテルのレストランもシーズン(夏場)と土日以外は、昼の営業はお休みだそうで…。
 ものすごくお腹が減ってた訳じゃないけど、食事ができない、困った。
 尚宿泊したホテルは、外観と景色がステキなリゾートホテルなんですが、ロケーションがちょっと悪いのです。島には3つのホテルがあって(他は民宿)、昔からある1軒は町の中心に近いけど、そこは団体利用が多く、個人では予約が取りづらいようです。
 あとの2軒は同じような、景色のいい場所に建ってますが、如何せん周囲にお店がない。お店どころか建物も疎らで(^ ^;。
 更に、島を巡るには車か、ホテル等で貸してくれるレンタサイクル必須なんですが、当てにしていたバスが全く使えない(- -)。1〜2時間に1本しかない上、ホテルからバス停まで20分も歩くと言う始末。会津のような観光巡回バスとまでは行かなくても、それなりに手段があるんじゃないかと思ってたのに…。
 そんな訳で、移動はレンタカーかタクシーがメインになるので、以後予想外の交通費が出て恐怖を味わうことになるんですが(笑)、それについては後程。
 とにかくその辺の事情が、ツアーを申込んだサイトの説明には載ってなくて、現地に着いてから様々な目測違いに唖然としてしまいました。それなりに広さのある島なので、レンタカーを積極的に使わないと回り難いです。と言うか、本土から離れた島の交通事情なんて、みんなそんなものかも知れないけどナメてました(^ ^;。
 島の各所に景色のいい場所や温泉戦争時代の遺物などが散ってるんですが、私は運転免許自体持っていないし、母と伯母は知らない所で知らない車に乗るのは怖いと言うので、広範囲の散策はもう初日で諦めることにしました…。

<とにかく昼食を!!>
 そんなこんなで、タクシーを呼んでもらい昼食に出たんですが、オフシーズンは何処も2時でお店が閉まっちゃうらしく、タクシーの運ちゃんは「もう無理」と言ってくれました(- -;。でも、スーパーで島寿司を買って、植物公園で食べたらどうだと提案してくれたので、そうすることにしました。
 島寿司と言うのは、八丈島の伝統的なお寿司なんですが、甘めのシャリの上に、地元産の魚のヅケが乗っていて、ワサビでなくカラシが入っているもの。大昔、ワサビが採れなかったからそうなったと聞いてますが、どんな味かと思ったら、カラシでも特に変な感じもなく美味しかったです。
 この日スーパーで売っていたのはメダイの島寿司で、10個入りで千円でした。
 初日は観光する時間があまり残されていないので、前出の植物公園と、玉石垣の道をちょっと観た程度だったのですが、まあそれはそれで良かったです。
 八丈植物公園は、広い敷地の中に亜熱帯の植物が生い茂る広大な公園です。普通に市民が利用しているようですが、観光客向けの施設もあります。
 ビジターセンターと言う建物の中に「光るキノコ」があり、オフシーズンはそこでしか見られないと、タクシーの運ちゃんに聞きました。見て来ましたが、暗室の中だと夜光塗料のような緑色に光ってました。まあひと株だけだったので、特に感動もなかったですが、夏場に群生地に行くと幻想的な光景が見られるそうです
 7種の発光キノコが群生してるらしいです。
 それより、丁度上映時間だったので、見せてもらった八丈島の紹介フィルムが面白かったです。空港の食堂は「アカコッコ」と言う名前なんですが、アカコッコとは島の鳥の名前だ、など、自然環境に関する情報が良かったです。どうでもいいけどナレーションは堀内賢雄さんでした(笑)。
 他に温室等もありますが、一番興味深く思ったのは園内の林。木の種類のせいなのか、熱帯性気候だとそうなるのか、ウネウネと曲った木の林はジャングルみたいでした。
 また、市街の緑地もみんなそうなんですが、高い木と言えばフェニックス、低木はアロエと言う不思議な状態で(^ ^;。島のあちこちにフェニックスの苗木を育てる畑があったり、アロエばかり植わった山があったり、面白かったです。
 咲いている花もブーゲンビリアやハイビスカス、ストリッチアなど南国の花がメインですが、何故かその周囲にススキも多く生えてたりして、二日目に乗せてもらったタクシーのお兄ちゃんが、「季節感が滅茶苦茶なんですよ」と言った通りでした(笑)。

<そして夕食にも困る(^ ^;>
 実は今回のツアー、夕食付きのプランもあったのに、母が「地元の食べ物を食べたい」と言うので、あえて朝食のみのプランにしたんです。が、結果的に大失敗でした。観光地に大概あるはずの、郷土料理を出す普通の飲食店が殆どないのです。
 何故かと言うと、その手のお店はみんな居酒屋で(酒飲みにはすごくいい島です!)、あまりお酒を飲まない女性のグループには、ちょっと近付きにくいんですよ。繁華街はホテルから遠いし。
 なので、昼食を食べるとすぐ夕食が心配になってました(^ ^;。
 とりあえず公園から近い空港へ行くと、昼は入れなかった食堂が開いていたけど、そこも午後5時には店仕舞いらしい。もう、かなり早いけど食いっぱぐれのないように(笑)、4時過ぎにそこで食事にしちゃいました。
 八丈島の特産品、明日葉のそばを食べましたが、苦味があるとよく言われる割に、特にくせのある味はしなかったような。そば自体も入っていた天ぷらも。次の日も何かの料理に入ってたけど、ほうれん草などとそれ程変わらない葉物で、普通に美味しく食べられました。
 しかし…。そんな適当な夕食の後ホテルに戻って、明日はレストランに予約を入れようとカウンターの人に尋ねたら、ホテルのレストランはコース以外は、予約なしで入れたのを知りガックリ。何をやってるんだか私達…。

<でもホテル自体は良かったんですよ…>
 ロケーションの悪さを先に書いちゃったので、名誉回復の為にこんなタイトルにしたけど(笑)、最初にホテルに来た時、一緒に車に乗っていたビジネスマンふたりが、「ここのホテルはきれいで食事もいいですよ」と話してました。
 確かにその通り、リードアズーロと言う名前のこのホテル、部屋は一般的なホテルより広めできれいだし、眺望は素晴しく良かったです。部屋数が少なめな分、どの部屋からも一面の海が見えるようになっていて、ロビーやレストランからの眺めもとても良かった。正に海のリゾートホテルでした。
 設備も整っていて、ロビーのPCは自由に使えたし、部屋に置いてあるティファールの瞬間湯沸かしポット(通販生活などによく出てるやつ)は使い易かった。部屋着に作務衣が置いてあったり、過ごし易いホテルでした。夏場だと海に面したプールやパターゴルフも楽しめます。
 あと、釣りができる人がいると、釣った魚はレストランで調理してもらえるそうです。  さて夜になると、台風の影響もあるとは思うけど、海がゴウゴウ鳴っていてちょっと怖かった(海のそばに住んだことのない私には)。いわゆる砂浜のビーチじゃなくて、溶岩が固まってできた岩礁なので、海の色はきれいなんだけど少し荒々しい感じ。それだけに魚は沢山いるそうですが。
 また、八丈島は不思議と潮風がベタっとしてなくて、一日中空気が爽やかでした。夜空にはオリオン座がくっきり見えたので、明日は良い天気になるだろうと予感しつつ、初日は早くお風呂に入って早く寝ました。
 そう言えば、大浴場にいた人が、湯舟に浸かりながら思いっきり歯を磨いてた(・・;。家では構わないけど、他の人がいる所でするか?とかなり驚いた…。


ミニ飛行機 空港前
ホテルロビー 左上)何か寸足らずな感じが
かわいい(笑)小型ジェット機。

右上)八丈島空港前の景色。
八丈富士がきれいに見える。

左)ホテルのロビーから見た景色。
本当に海の真ん前で、
ガラスにしぶきが付くほど。

公園1 公園2
滑走路 左上)植物公園内も町中も、
高い木はヤシ、低い木はほぼアロエ。

右上)お弁当を食べた休憩ゾーン。
誰もいないようだけど、
広すぎてなかなか人と遭遇しない(笑)。

左)公園の高台(小さい山)から、
空港の滑走路が一望できる。
ここはおすすめ(^ ^)

部屋の眺め 左)ホテルに戻った夕方の、
部屋からの眺め。
手前はプール、その下にパター
ゴルフのコースがある。

この方向は東京と言うか、
伊豆半島の方を向いている。
右)海上からホテルの夜景を見ると
こんな感じらしい。

これは部屋に置いてあった
サービスのポストカード。
もらって来た。
ホテル夜景



10/28

<どうなるかわからないのでがっつり>
 食事がいいと聞いていた通り、朝のバイキング形式の食事は美味しかったです。部屋数が少ないので種類はあまり多くないけど、洋食と和食のメニューがありました。スクランブルエッグと塩鯖、スープが美味しかったです。
 今日もまた昼食に困るかも知れないので、朝から多めにがっつり食べて、9時前にホテルを出ました。
 朝方は少し曇ってたけど、すぐに晴れて来てどんどん気温が上がり、歩き回るにはちょっと辛いくらいの天気になってました。今日は一番の目的、歴史を辿る観光なので、暑い中一生懸命歩いて来ましたよ…。

<多分ここが一番の見所>
 最初に訪れたのは、八丈島歴史民族資料館です。史料的な物の展示はここがメインと言うか、他にはあまりないようです。それだけに色んな物が沢山展示してあります。
 また古くて趣のある建物で、ねずみか何かが走ってるような音が聞こえたりするんですが(笑)、昔の東京の庁舎だった建物なんだそうです。どうりで立派な入口や、不思議な門柱が建っている訳です。
 中の展示室は、最初は八丈島の自然を紹介する部屋、次からはまず縄文時代の発掘品など、太古の展示資料となってます。平安時代には流人が流される島でしたが、それ以前から人が住んでいたことが判っているそうです。
 その後は、生活用具や農具、漁の道具など、島独特のものもあれば、一般に見られるものもありで、色んな道具類が展示してあります。そして、八丈島に流された人として知られる、二大有名人の資料や遺品の部屋は、興味のある人にはじっくり見られる部屋でした。
 ひとりは前途の通り宇喜田秀家ですが、その前に、「保元物語」や曲亭馬琴の「椿説弓張月」に登場する、源為朝(頼朝の叔父に当たる)と言う方がいて、ここでひとつの伝説になっています。
 武芸に達者で海の荒くれ者だった為朝は、八丈に流された後も力を揮い、伊豆諸島の支配者となったようですが、その強さから「疱瘡の神を退治した」と伝わり、江戸時代には徳川家が病を治す神として崇めたんだそうです。神像として描かれた為朝の絵には、「正一位」と添え書きがあったので、お稲荷さん並みに神格化されてたみたいですね。
 ただ、本のお話では身長が一丈(約3メートル)とか(笑)、脚色しすぎなキャラクターになってます。まあ大男で強くて恐れられてたんでしょうねぇ。
 それから、八丈島の特産品である椿油と黄八丈、島酒(焼酎)などに関する歴史や道具を展示する部屋があり、各種文字資料が読めるコーナーがあり、順路の最後に地理と流刑史に関する部屋があります。

<あまり知られてないけどすごい人>
 資料館の続きですが、ホテルで会った他の観光客も、「最後の部屋が一番良かった」と言っていたくらい、地理と流刑史の展示が良かったです。
 流刑とはどんなことだったのか、どんな手順で罪人がやって来たのか、流刑に関して実際にあった事件などを、読み易い文章と一件一件に合わせた絵で紹介していて、紙芝居的に楽しめる資料室でした。絵は大山魯牛と言う画家の方が描かれていて、単なる説明図と言うのではなく、美術的にも優れた絵だったので、充分に観賞の価値がありました。
 そしてそれらの史的資料が残っているのは、過去にいたひとりの流人の功績なんだそうです。近藤富蔵と言う方ですが、八丈島では非常に重要な人物でありながら、一般にはあまり知られていません。でも出自はきちんとした人で、徳川家の旗本・近藤重蔵の息子だそうです。
 何でも父の重蔵は、択捉島を日本の領土として宣言した人で、伊能忠敬などと共に、日本の地理に尽くした人物でありながら、放蕩が過ぎて人から恨みを買い、嫌がらせを受けていたのを、息子の富蔵と共に反撃(斬殺)に出て罪人となったと言う、能力がありながら性格的に問題のある人だったようです(笑)。
 で、息子の富蔵は、やはり地理の知識や研究心を持った人で、流刑にあった後は八丈島の文化や歴史をまとめた、重要人物になったと言う訳です。「八丈実記」の執筆の他に、残っている屏風の風景画など絵も上手な人で、真面目に才のある人だったことが展示から判りました。
 ところで、流刑地が八丈島に決まった人は、結構ホッとしたんだそうです。のんびりした気風の島であり、罪人と言ってもそこで普通に暮らすことができたからです。逆に本州から近い佐渡は、金山でこき使われて死ぬコースだったみたいです(^ ^;。
 なので格の高い政治犯的な人は大概、八丈か隠岐か、奄美など住み易い島に遠島を命じられたようです。

<何処かで見た風景>
 資料館を出た後は、その近くに残る玉石垣の歩道を歩きに行きました。
 玉石垣とは、海岸に流れ着いて丸くなった石を、土などを盛らずにそのまま積み上げた石垣で、八丈島の住居に多く見られたもののようです。作ったのはやっぱり流人の人々です。
 昨日も入口付近をちょっとだけ見たんですが、今日は三原山に沿った旧道を歩くことにしました。ものすごく天気が良くなって、暑かったけど旧道は木陰で涼しかったです。その道沿いにずっと玉石垣が連なっていて、何か何処かで見た風景だなぁと思いました。それが何処なのかは、ふるさと村と言う、昔の住居を再現した場所に行って思い出しました。
 ふるさと村は旧道の途中にある、江戸時代頃までの島の住居モデルです。敷地の中に門と家と高床式の倉庫、牛舎(馬はあまりいなかった模様)、厠が庭を囲むように建っていて、いかにも南国的なデザインに私には見えました。
 と言うのは、昔観た「田原坂」と言う西郷隆盛のドラマで、奄美に流刑に遭っていた時の映像セットが、イメージ的に被ったからです。国内だけでなく、アマゾン流域の集落などもちょっと似てるけど、熱帯に属する島の文化は大体似てるものなんだな、と思いました。
 そう、それで思い出したのです。玉石垣の町並みは、鹿児島や沖縄の風景にも似たような絵があるなぁと。八丈島は東京都ですが、温暖で海に囲まれた地域は自然と似て来るんですね。

<神社と言うか…な史跡を探して>
 玉石垣の道の更に先に、前出の源為朝を奉った為朝神社がある筈で、観光マップを見ながら随分歩いたんですが…ない。マップに書かれている道が、鋪装された道路以外はアバウトなので、これだけ歩いてないってどう言うこと!?、と言う感じでした。
 もう引き返そうか、と迷った頃に、そのすぐ先に鳥居を発見できたのですが、行ってみれば神社と言うほどのものじゃない、ごく小さい石碑が奉られているだけでした。あーあ。
 いや、資料館に情報があったんですが、大元の為朝神社は為朝が自刃した八丈小島にありまして。徳川家康の命で建立されたのですが、今は無人島なので、本島に分社したもののひとつと言うことです。
 そうだとしても、今は小島の神社もなくなっているので、神社と聞いて思い浮かべるような何かがあるのでは?、と思って行ってみたんですが(^ ^;。まあそれでも、その辺りから見える景色がとても良かったので、歩きに歩いた価値はありましたよ…。
 そこから戻る途中、母が適当に「この道に行ってみよう」と言って、登り始めた道がまた最悪で(笑)。旧道に繋がっていると母は思ったようだけど、どんどん山に登って行くし、日陰も少なくて暑いのなんの。遂に母自身が音を上げたので、取り敢えず先の様子を見に行ったら何と行き止まり。立ち塞がる斜面に、作業用か何かの細い階段があるだけでした。
 土地勘がないだけでなく、単純に勘も悪い(笑)。ここは本当に無駄に歩いたことになったけど、唯一坂の途中から見える八丈小島と八重根港を含む、景色が素晴しかったのは救いでした。
 ちなみに八丈小島はすぐ近くなので、ダイバーなど海遊びをする人の遊び場になっているそうです。

<今日は大丈夫だったけど…>
 更にそこから歩いて、島の中心地と言える辺りに出ました(町と呼ぶには閑散としている)。基本的にそこにしか、お昼ご飯を食べられるお店がないのです。
 そして贅沢を言える環境でもないので、この日は郷土料理でも何でもない普通の定食屋へ。それでも明日葉が使われていたり、お刺身が美味しかったりしましたが。
 しかし、この時午後12時半くらい。私はまだどうってことはなかったけど、母や伯母は流石に足が疲れて来た様子でした。八丈島は平地が少なく坂だらけだと聞いたけど、その上休憩できるスポットもほとんどないので、昇り下りの道を歩き通しになっちゃうんですわ。
 喫茶店のような店はほとんどないし、ベンチのある場所も少ない(バス停も少ない)、その訳は、地元の人はほとんど歩かず車で移動するからだそうです(^ ^;。歩くのは旅行者だけだとタクシーの人に聞きました…。
 そんな訳で、まだ日没までに時間は随分あるけど、もうこの後はあまり出歩けない状態でした。その前に、歩ける距離で見られる場所はごく僅かでしたが。

<故人の陵を見に行く旅>
 さて、昼食を終えた後はこの旅行の最大の目的と言える、宇喜田秀家の墓に行きました。
 没後何十年も後に建ったお墓ですが(記憶に新しい時代には「南無阿弥陀仏」と書かれた柱が建っていたそうです)、戦国時代の若き武将を忍んで建てられた墓石は、一緒に流されて来た一族郎党の墓石と共に、笹の生垣に囲まれて今は穏やかな佇まいでした。
 まあ八十三才の長寿を全うしたそうですし、その後に続く子々孫々も、明治時代の御赦免が下りるまで、加賀の前田家がずっと援助していたと言うので、政治的な意味では無念が残ったものの、余生は静かにのんびり暮らしていたのではないかな。二十代で髪を下ろして、坊主になったのは可哀想過ぎるけれども…。
 尚、秀家と豪姫の間に生まれた長男、次男も八丈島に来ましたが、戦国史上には存在しない三男もいたそうで、地元の女性が産んだ子なのかなーと思います。前出の西郷隆盛も、奄美に本妻とは別の奥さんがいたので、よくあることだと思います。
 で、流刑に遭ったのを期に、宇喜田本家は「浮田」と名前を変え、東京や岡山に残る地名にもなってますが、その三男の家は「宇」を取って「喜田」と名乗ったそうで、墓地には喜田姓が多く見られました。そんなことからも、地元の人との間に生まれた子孫に思えます。
 本家はともかく、島の宇喜田一族はむしろ繁栄しているようでした。
 その後、ちょっと離れた場所だったけど、頑張って歩いて近藤富蔵の墓にも行って来ました。こちらは広大な墓地の中の、立地の良い一角に尊敬をもって建てられたモニュメント、と言う感じでした。
 それにしても、タクシーの兄ちゃんから聞いていたものの、八丈島の墓地は1区画がとにかく広いんです。特に偉い人でもないのにみんな、谷中や青山の有名人クラスの墓地並み(笑)。だから墓地内を歩くのが大変でした。最初、見当違いな一角から入ってしまった為、ここでもまた随分余計に歩いてしまった…。
 流石に歩き疲れたので、午後三時過ぎには今日の散策は終了しました。と言うか、歴史文化地区はこれでほぼ回り切ったようなものです。

<夕陽と海を眺めて思うこと>
 夕食の前に、ホテルの周辺を少し歩いてみたんですが、隣(と言っても500メートルは離れてるけど)のホテルの様子を見に行く途中、道路から岩壁の釣りポイントへ降りる道を発見。後でマップを見たら、八丈富士をぐるっと回る道路沿いに、同様のポイントがいくつもあるようでした。
 草木が生い茂った砂利道なので、スポーツ装備じゃない服装では下りられなかったけど、そこから少し行くと景色がきれいに見える場所に出て、そこに隣の八丈ビューホテルがありました。多分八丈島で一番客室数の多いホテルですが、リードアズーロがイタリア風なのに対し、こっちはスペイン風と言う感じです。
 しかしやっぱり周囲に何もないので、景色はいいけどロケーションが悪いのは変わりない(苦笑)。
 それはともかく、景色を眺めがからまたホテルに戻って、夕食までしばらく海を見ていました。東京湾を始め本州の海の風景とはかなり違って、他の陸地が全然視界に入らないし、船も全くと言っていいほど通らない、鳥さえ数少ないので、ひたすら空と海と岩ばかりの景色です。(今思ったけど当麻、伸、秀の組み合わせだな)
 鳥も渡らぬ八丈島、と言う文句があるようですが、ゼロではないものの、よく見るはずの海鳥の姿がほとんど無いのは、確かに不思議な様子でした。
 またそんな絵を毎日眺めて暮らすと言うのは、流人に取っては本当に、「帰れない所に来た」って感じだろうなと思います。特にこの日は資料館などで勉強して来たので、きれいな夕陽も少し淋しく見えたり。
 「天地人」でも、西軍と東軍の様々な経緯を展開してるけど、戦争の勝敗は時の運の面が強く、どちらが悪い訳じゃないんですよね。それでも敗者は容赦なく沙汰され、過去の八丈島は悲しみが深かったことを思い、また今はそんな時代じゃなくなったと言うホッとした気持にもなり、何とも言えない島の雰囲気を感じた夕方でした。

<一度はまともなディナーを!>
 さて、その夜は一応予約を入れていたホテルのレストランでお食事です。ここのレストラン、イル・ペントリーノは単独でも紹介されていて、八丈島では知られたイタリアンレストランのようです。
 そう言えば八丈ビューホテルの前にも、ホテルのレストランらしき建物があったんですが、何処にも紹介されてないし、今は営業していないようでした。と言うか、この島のお店は全体的に、営業してるんだかしてないんだか判りにくいです(^ ^;。都市部のようにのぼりや電飾で目立たせるとか、閉店したらシャッターが閉まるとか、判り易いサインが無い店ばかりなんですよね…。
 話を戻しますが、夕食は軽めのパスタコースにしました。軽めと言っても前菜、スープ、デザート、飲物が付いているので、普通の女性ならお腹一杯になります。そして折角なので、島の焼酎をお湯割りで注文しました。「黄八丈」と言う、特産品の織物と同じ名前の麦焼酎です。何故これにしたかと言うと、何らかの事情でその内飲めなくなる銘柄だと聞いたので。
 コースの今日のメニューは、これまた島の特産品の金目鯛のカルパッチョ、にんじんのポタージュ、キャベツとベーコンの島唐辛子ペペロンチーノ、抹茶アイスとティラミス、と言う内容でした。
 丁度この時、八丈沖で金目漁をしていた漁船の転覆事故がありましたが、台風で海がシケていて、金目が入って来ないとお土産店の人に聞いたので、ここで食べられたのは良かったです(^ ^)。
 メインのパスタは、キャベツとベーコンと聞いて「随分一般的だなぁ」と思ったら、出て来たものは見たことのないパスタでした。スープパスタと言っていいくらい汁気があり、乗っているトマトがさっぱりしていて、島の特産の唐辛子がピリッと効いて、とっても美味しかったです。
 京都などには、地元の食材を使った洋食店は多くあるけど、お店の少ない八丈島でこの手のお店はホントに貴重。東京の並のお店よりレベルが高いしおススメです!。
 そんなところで、二日目は観光にも食事にも満足して終えました。ただこの日の夜は星が見えなかったので、ちょっと明日の天気が心配でした。明日は景色を見に出掛けるつもりなので…。


朝食の窓 左)朝のレストランの窓から。

左下)資料館の入り口。
昔の学校のようにも見える、
昭和初期の建物。

右下)資料館の中庭。
こっちが本来の入り口だったらしい。
庭には昔の高床式倉庫もある。
資料館 資料館

玉石垣入り口 石垣の道
左上、右上)南国的な玉石垣の道。
左は現在の道路からの正しい入り口。

右)より奥に入った玉石垣の山道。
鬱蒼とした笹林が涼しげでいい。

左下)ふるさと村の再現住居の門。
ここにも玉石垣が。

右下)以下がその典型的モデル。
庭を囲んで、奥は牛小屋、左は厠。
見えないけど右が住居、手前に高床式倉庫。
石垣の山道
ふるさと村の門 牛小屋と厠

神社 八丈小島
左上)為朝神社。
かなり小さくて目立たない。
本来神社があった八丈小島が
見える位置に建っている。

右上)無駄に登った山(笑)
から見下ろした景色。
右奥に見えるのが八丈小島。

右)宇喜多一族の墓。
宇喜田墓

酒の碑 左)途中こんなのもあった。「酒の碑」。
この島の方は相当な酒好きと見た。

ある頃、穀物で酒を造ると飢饉になる
と言うことで酒造りが禁止され、
薩摩からの流人が芋焼酎を作る技術を
島に伝えた記念碑だそうな。
右)初めてまともなディナー。
オードブルの金目鯛のカルパッチョ。

一緒に置いてあるのが、
麦焼酎「黄八丈」のお湯割り。
夕食



10/29

<悪い予感は的中する>
 午後1:25発の飛行機で帰る予定で、三日目は元々半日しか観光できないので、この日は景観の良い場所や、チラッと見れば済むような場所をタクシーで回ってもらうつもりでした。八丈富士をぐるりと回る海沿いの道と、山の中腹まで登れる道、昔は流人がやって来て今はフェリーが来航する神湊港など。
 ところが…。やっぱりこの日は天気が悪くなって、朝から小雨が降っていました。朝食を終える頃には更に激しい降りになって、どうしたもんかと考え込んでしまった(- -;。
 とりあえずチェックアウトの10:00までホテルで粘って、天気の回復を待ってから出発。一時よりは雨が弱くなったけど、空は相変わらずどんよりしていて、景色を楽しめる天気ではありませんでした…。台風はとっくに通り過ぎたのになぁ…。
 それでも一応タクシーの運転手に頼んで、八丈富士の周りと神湊港を回ってもらいました。そして、知る人ぞ知ると言うダイビングポイントにも行ってくれたんですが、この時期でもこの天気でも、平気で潜ろうとしている逞しい方々がいましたわ(笑)。勿論スーツ着用ですが女性もいました。
 タクシーの人が言うに、今はダイビング客がメインの島になってるそうで、好きな人は冬でも来るんだそうです。
 そんな感じで残念な三日目の観光は終了。空港に向かいました。

<そして悪い予感だけじゃ済まなかった>
 空港に着くと、一時持ち直した天気がまた少し不穏な様子になる。登場手続きをしに行ったら、ANAの案内員に「天候によっては欠航するかも知れない」と聞かされ、羽田からの到着便を祈る思いで待つことに…。
 初めて知ったんですが、ここのような小さい空港では、飛行機はターミナル空港から飛んで来て戻って行く、往復の形で運行しているのですね。なので往路便が到着しないと飛行機自体が存在しなくなり、復路の便も欠航になってしまうのでした。
 そんなシステムを知ったところで、「どうにか着陸してくれ〜!」と必死な気持になりましたが、11時頃には見えていた三原山がすっかりガスに覆われて見えなくなり、絶望的な状況になった頃飛行機はやって来ました(- -)。
 そして計五十分くらい旋回しながら、何度も着陸を試みたようなんですけどね…。結局降りられなくてそのまま羽田に戻ってしまいました。私達も唖然としたけど、その便に乗っていた人も可哀想だった…。
 ところが意外と、他に待っていた人々は落ち着いてる方が多く、こんな状況には慣れているようでした。さっさと手続きカウンターに並ぶ人、すぐにもう一泊宿を手配する人など様々でしたが、慣れてない私達は頭真っ白だったなぁ(苦笑)。
 すぐ夕方の便のキャンセル待ち手続きをして、最悪の場合の、明日の朝の便の予約も入れておいたけど、その後もう何もできず空港で時間を潰すしかなくなってました。何故なら前途の通り、予定外に交通費の出費がかさんでしまい、手持ちのお金が僅かしか残ってなかったからです(^ ^;。
 国内旅行だからとナメ切っていたのが悪いんですが、クレカを1枚も持って来てなくて、もし夕方の便も欠航したら泊まるお金も無いと言う、正に崖っ縁の状況でした(笑)。やっぱり行先が何処であろうと、旅に出る時は緊急用のカードを持って行くべきですね…。
 と言う教訓を得たのはいいけど、天気は一向に回復する兆しを見せず、夕方の便も怪しい状態に頭を抱えていたのでした。

<不安な気持を救ってくれたのは…>
 夕方の便は午後5:10発でした。それまで空港ロビーの椅子に座って、じっと待つしかなかったんですが、お土産として持ち帰るつもりで買った島寿司を、お昼ご飯に食べてしまいました。それはこの八丈島空港で売ってるものなんですが…。
 何だか物凄く美味しかったのです。特にお腹が空いてた訳じゃないのに。
 初日にスーパーで買った物とは魚が違うせいか、製法が違うのか判りませんが、とにかくこの時のメカジキの島寿司がとても美味しくて、急いでレストランに走ったら、まだ最後の1個が残っててラッキーでした。あちこちで聞きましたが、島寿司はすぐに売り切れてしまうので、早めに買わないと駄目だそうです。
 そうしてお土産兼、最悪の場合の食料を確保して再び待ち続けることに。ただ、旅行の荷物として持って行くかどうか迷った、iPodを持って行って本当に良かったです。好きな音楽を聞いてるとこんな状況でも、案外楽に過ごせるものですね〜。
 その内、ちょっと体が痛くなって空港の外に散歩に出たんですが、午後4時頃になるとようやく、飛行機が入って来る東側の雲が切れ、空が明るくなって来たのが見えました。雨も次第に小降りになり、これなら大丈夫かも、と途端に希望が沸いて来ました。
 伊豆諸島の天気は難しい。地元の人さえ、夕方の便も欠航になりそうだと言ってたのに、逆に予想外に晴れて来ることもある訳です。こんなに「救われた」気持になったのは久し振りだったなぁ…。
 と言う、滅多に味わえない経験をしたのですが、色々あっても今日中に帰れるなら、何もかもいい思い出と化すだろうと思ってました(笑)。実際その通りになって、今となっては恵まれていたとすら思えます(^ ^;。心配していたキャンセル待ちの席も無事確保できて、本来の時間より少し遅れたけど、無事羽田に戻ることができました。
 飛行機の窓から見えた都心部の明かりが、いつもは何とも思わないのに、妙にキラキラきれいに見えたのは、それだけホッとしたと言うことでしょうか。
 ただ、この後地元のJRで心身事故があり、電車が遅れているとか、最後まで波瀾に満ちていたんですけどね…。


朝から雨 ダイビング…
島寿司 左上)朝から雨の海景色。

右上)ダイビングスポット
なんだけど寒々しい…。
八丈の海岸はほぼ溶岩石です。

左)空港で売っている島寿司。
これを買うべし。

右)お土産は当然ですが海産物中心。
勿論織物の黄八丈もあるけど高いです。
右は「くさや」をチーズに加工したもので、
美味しかったけど日持ちがしないのが残念。
瓶詰めは島唐辛子のピクルス。

ご当地キティやキューピーもあるけど、
限定版権ものは「ひょっこりひょうたん島」。
おみやげ



<余談>
 夕方の飛行機が飛ぶことを確認するまで、お金を残す為に、お土産を買い足すこともできなかったんですが(笑)、結局予定通り買物もできて良かったです。
 ところで伊豆諸島のお土産と言えば、昔から「くさやの干物」が有名だけど、買って来たところで家で焼くのはちょっと…と思っていたら、今は調理済みの瓶詰めや真空パックが沢山あるんですね。口の中で噛むまで、あの独特の匂いがしないのはいい商品です(^ ^)。お酒に合います。

 あ、そう言えばここまでに書き忘れたけど、八丈島は基本的にdocomoしか使えません。auとsoftbankは空港でしか使えないので、母の携帯はあまり役に立ちませんでした。
 それと島内には、ごく一般的なコンビニやファミレスが一切ありません。地元のコンビニはあったけど、ATMなどは期待しない方がいいです。
 まあ、島の暮しと言うのは、本州に住む者には考えられない不便さがあることを知ったけど、あらかじめ知ってて行く分には、不便さを楽しむこともできますよね。今回はその点で、下調べが足りなかったのは失敗でした。出会うことに唖然とするんじゃなく、呑気に面白がっていられたかも知れないのに。
 そんな訳で、今回は色々と勉強した旅でした…