■会津旅行記(2006.9/4〜5) 以前から歴史的に関心があって、東京からも近いのに、なかなか行く機会に恵まれなかった会津。やっと行くことができました(^ ^)。トルーパーとはあまり関係がないですが。 ところでこれまでの旅行は、大概パックツアーを利用していましたが、たまには自由行動で好きな所を回ろう、と言うことで、今回は「トランヴェール」と言うJRの冊子に載っていた、切符+宿泊プランで会津に出掛けて来ました。本当はこの時期アメリカに行く予定だったので、急遽代替に入れたこともあり、たった二日間の旅行ですが…。 しかし最近、国内は飛行機+バスの形に慣れちゃった私ですけど、列車の旅もいいなぁと改めて感じた会津旅行でした。 |
9/4 会津若松〜西郷家跡〜鶴ケ城(麟閣)〜会津武家屋敷〜天寧寺〜東山温泉 東京駅から東北新幹線に乗ると、大宮まではまだ馴染みのある町だな〜って感じですが、その後すぐ宇都宮、郡山と、この辺りは本当に早いですね…。あっと言う間に郡山に着いてしまったので、新幹線では大した事は何もできなかったです(笑)。朝8時台の新幹線に乗って、会津到着は11時過ぎ。スケジュール的にはとても楽でしたが。 ただ乗った新幹線が、MAXやまびこ・つばさ号だったので、全車両二階建ての構造はとっても面白かったです。東海道のように揺れないこともあって、悠々車両を歩き回れたのですが、車両ごとにある運搬用エレベーターや、4列くらいしかシートがない小さい客室など、初めて見たものが色々ありました。 郡山からは、会津名物「赤べこ」の絵の付いた、磐越西線に乗って会津若松までは1時間くらい。この電車は名前の通り、新潟まで路線が続いているのですが、幕末の頃会津と新潟は、同じような姿勢を貫いていたことを考えても、土地的な繋がりが窺えますね。資料館の展示品にも、河井継之助にまつわる物が結構ありました。尚、この電車は一般の方が利用する在来線なので、高校生などの姿が目立つ時間もあります。 途中から車窓に磐梯山がずーっと見えています。ぐるっと回る形で、その内西から見る景色に変わります。この日は天気が良かったのでとてもいい眺めでした。そう、朝から「今日は晴れそう」と言う感じでしたが、流石にこの時期天気が良過ぎるのはきついです(^ ^;。湿度が低くさわやかな晴天!、のんびり過ごすには気持のいい天気!、なんですが、歩き続けているとかなり汗をかいてしまいます。一番困ったのは風が強くて、髪がむちゃくちゃになる事でしたね…。でもまあ雨に比べたら格段に良かったです。 さて会津若松の駅に到着して、すぐに巡回バスの方へ行けば良かったんですが、トイレに行ったりバスの時刻表をもらったりしている内に、来ていたバスに乗り遅れてしまいました(- -)。30分しないと後が来ないので、予定を変更して、早めの昼食をしてから出かけることにしました。 駅の外はぐるりと見回した感じ、あまり観光地っぽい飲食店はないので(節約目的なら駅の横のDomDomに入る)、駅舎内の「一會庵」と言う郷土料理店に入りました。旅行に出る前に、人からは「蕎麦が美味しい」と聞いていましたが、この店の売りも蕎麦なので、ひねりもなく蕎麦のセットを注文しました。いやしかし、海から遠い田舎は何処でも蕎麦が名産、って気がするので、あまり期待はしなかったんですけどね…。 ところが出て来た蕎麦はマジ美味しかったです(^o^)。東京の(信州系の)蕎麦とはまず食感が違う!、うどんのような弾力があって、暖かいつゆに漬かっていても伸びた感じがしないし、聞きしに勝る美味しさでした。他のお店が同じかは判らないけど、とにかくここの蕎麦は美味しいです。スタンドもやっているようなので、時間がない時にさっと食べることもできそうだし、お酒やデザートもあるので色々お勧めです(^ ^)。 また皮を取った白い蕎麦なので、風味を消さない為につゆが薄目の味付けで、その辺も東京では見ない感じですね。私は三色蕎麦を注文したんですが、普通冷たい蕎麦が三色来るところ、ひとつが温かい鶏蕎麦(地鶏も名産)で、その取り合わせもいいと思いました。ただ残念なのは、この蕎麦自体は持ち帰り用に売っていない事ですね…。 と、思い掛けず非常に美味しかった昼食後、観光用巡回バス「はいからさん」に乗って鶴ケ城に向かいました。途中、明日出かける予定の七日町の、かわいらしい駅や町を見ながら進みますが、その時看板等を見て初めて、「なのかまち」ではなく「なぬかまち」と読む事に気付きました(^ ^;。読み方は色々あるもんです…。 その後、鶴ケ城入口のひとつ手前の駅で降りたのは、うちの母が西郷頼母(たのも)の家があった場所を見たい、と言った為です。鶴ケ城へ向かう道の途中にある石碑なので、見つける苦労もありませんが、まあ関心のある方以外には特に面白くないかも知れません。会津戦争で焼失してしまった家を復元したものは、この後行く「会津武家屋敷」の方ですので。石碑には有名な辞世の句などが彫られていて、お線香とお花が供えてありました。 そして会津の象徴的な鶴ケ城に行きました。しかしまず、内堀の中に相当する公園内が広くて、天気のせいもあって移動が大変でした(日陰がない)。またお城自体も大きくて中が広いですね〜。これまでに見た城の中で一番大きいんじゃ、と思いました。中は他でよく見られるように展示室になっていますが、代々の会津当主の変遷や、維新前後の資料と同時に、土地の文化等も紹介していて面白かったです。天守閣からの眺めもとてもいいです。 CGで鶴ケ城の歴史を紹介しているフィルムが、なかなか勉強になりました。秀吉の時代までは真っ黒い七層の城だったのが、地震で壊れて再建されると、家康の頃流行していた様式で白い城になり、その後今度は会津戦争の攻撃に遭って、ボロボロになった後解体され、昭和になってまた再建されたと言う話です。明治までは虐族の汚名を着せられ、会津の人達は土地を追われたけど、今は歴史への理解が進んで、地元に戻って来た人もいる訳で、それを思うと心の誇りであるお城の存在って、意外と大事だなと思いました。 さてお城を観た後は公園内にある、うちの母が楽しみにしていた茶室「麟閣」を観に行きました。この茶室は蒲生氏郷(がもううじさと)がかくまっていた、千利休の息子・少庵が建てたもの(の復元)で、そもそも会津の安定や発展はこの、蒲生氏郷がここに送られて来た所から始まるので、資料としてとても重要な位置づけになっています。会津は近隣の伊達氏、上杉氏などの影響下に置かれた土地ですが、秀吉が伊達政宗の南下を嫌って、お仕置きに氏郷を寄越したのが今の町の始まり、と言うことです。 この方は町作りにとても熱心で、鶴ケ城を建て、街道を整備して、全国各地から商人を呼び寄せるなどもして、地元の発展に力を注いだそうです。と同時に大変な風流人で、茶人としても知られ、俳句等のセンスもある人でした。そんな人の為に作られた茶室だからか、普通の茶室に加えて広間が付いていて、大きく堂々とした印象の茶室でした。ぶ厚い茅葺屋根が印象的でした。 この麟閣を観終えると、出口で抹茶を戴けるのですが(入場の際にチケットを買う)、ホットとアイスがあって、暑かったのでアイス抹茶最高に美味しかったです(^ ^)。単に暑さのせいじゃなく、ここの抹茶自体が美味しいと私も母も感じました。ついでに出されたお菓子もすごく美味しくて、どちらも売っていたのでお土産に買いました。 薯蕷(じょうよ)饅頭と言うお菓子を御存知の方もいると思いますが、お茶のお菓子としてはポピュラーで、皮に山芋が練り込んであるお饅頭です。が、どんな高級店のものでも、特に山芋の味を感じることはないのに(うっすら香りがする程度)、ここで出たものははっきり山芋味の皮なのです。餡も甘さ控え目で本当に美味しい。家に帰って食べても間違いなく美味しかったです。ただこの時手荷物を増やしたくなくて、ひと箱しか買わなかったのが何とも悔しい。実は家に着いて箱を開けたら、七日町にお店があった事を知りショックでした。10日くらいもつので、もっと買って来れば良かったです。「菓子司・熊野屋」と言うお店ですが、真剣にお薦めしますっ。 鶴ケ城公園の中を歩いた後は、またはいからさんに乗って、前出の会津武家屋敷に行きました。実はここ、私はてっきり日光江戸村のようなアミューズメント施設かと思っていて、あまり乗り気じゃなかったんですが、全然違って個人的には鶴ケ城より気に入りました(^ ^;。会津藩の家老・西郷頼母の家を復元した場所ですが、当時の武家がどんな生活をしていたのか、お屋敷とはどんなものだったのかを、変に脚色せずに見せているので、とても勉強になる観光施設でした。一家で自害した様子の蝋人形はちょっとコワいけど。 相当広〜い武家屋敷だから、無論下級武士には夢のようなお宅だった筈だけど、それだけに来客用に使われる特殊なスペースや、女中頭を世話する女中さんの部屋など、興味深い事実が色々判りましたよ(^ ^)。入場料がちょっと高めだけど、損した気分には全くならなかったです。ついでですが、「新撰組!」のロケがあったようで、筒井道隆(松平容保役)のサインが置いてある部屋もありました。 尚、ここにも「麟閣」の復元があるんですが、建てられたのは鶴ケ城より、こっちの方が古いんだそうです。復元のオリジナルの方が鶴ケ城にあるってことで、ややこしいですね(笑)。 この会津武家屋敷の裏の方に、代々この地を治めた松平家の墓と、近藤勇、萱野権兵衛などの墓がある天寧寺があるので、ちょっと足を延ばしてみました。ただ、地図で見ると近くに見えるんだけど、実は結構歩く位置にあるんですよ…。目立つ表示もないのでしばらく迷ったりして、やっとそれらしき入口を見付けたんですが、これが登りにくそうな石の階段。暑くて疲れて来たところだったので、少し迷っていると、母が左の細い坂から登ると言い出して、じゃあ私は正面階段から行ってやろうと頑張って登りました。同じ所に出ると思っていたのですが、それが妙な事に…。 登ってみたら開けた場所に出たんですが、左右は思いっきり普通の墓地。しかも正面にある社のようなものは、どう見てもお寺じゃないんです。そして暫く待っても母は一向に現れないのです。で、一般に言われるように、夕方墓地に近付くのは良くないと知っているし、気味が悪くて戻ってしまった。しかし母が行った左の坂道を登ってもやっぱり墓地で、もう途方に暮れて元の場所にじっとしていたら、何と、しばらくして母は右の道路から降りて来るじゃないですか。 そう、左の墓地を抜けると右にぐるっと回れるようになっていたのです。そして私が見たお社の真裏に天寧寺はあったのです。…つまり私が馬鹿だったんです(^ ^;、母と同じルートを行けばいいものを。そんな訳で、時間と体力を大幅にロスしてしまい、お寺から更にかなり歩いた所にある、近藤さんのお墓までは行けませんでした(- -)。時間も夕方の四時半頃で、墓地見物には向かない時間帯だったしね。 さて、そこまでで一日目の観光は終了となりました。宿泊は東山温泉の、新しいホテルが並ぶ中のひとつでしたが、設備がきれいなのは良かったです。繁忙期を過ぎているので、時間を選ぶと広〜いお風呂に一人で入れてこれも良かった。但し食事はよくある、「これでもか」的な会席料理だったので、全体としてはまあまあって感じでした。馬刺が美味しかったのと、土地の伝統料理であるこづゆ、野菜や山菜類は流石に美味しかったです。 ところでホテルの部屋に「The T」と言う、ニコリ(マニア的パズル雑誌)によく広告が乗っていた、木製のパズルが置いてあって、たった4ピースから色んな形を作るものなんですが、お風呂から戻った母が必死にやっていました。でも全然できないの(^ ^;。私も後でやってみたんですが、結局1時間くらいで全パターン(12種くらい)を作れました。昔はパズルやゲームは何をやっても、母にはかなわなかったのに、やはり年と共に衰えるもんだなぁとしみじみ…。そんな会津の夜でした。 |
左上)磐越西線の車両。 赤べこの絵がかわいいです。 右上)車窓から見える磐梯山。 もっと大きくよく見えるポイントがあるけど、 座っていた席の反対側だった… 左)巡回バス「はいからさん」。 レトロなデザインがかわいい 左下)西郷家跡の碑 右下)鶴ケ城を公園内から |
左)鶴ケ城の石垣。 この城の珍しいことのひとつは、 写真のように形のバラバラな石を組んでいる ことだそうです 左下)鶴ケ城天守閣から下を見た図。 左下の方にある階段が「武者走り」と言う 石垣の仕掛けのようなもの 右下)茶室・麟閣の立派なたたずまい |
右)会津武家屋敷の一室。 こんな風にろう人形で様子を再現 している部屋もある 左下)子供部屋だった部分。 一番右が長男の部屋で、左は他の兄弟。 長男だけはいかにも別格 右下)番所に展示されている武具 |
右)夕方の天寧寺。 右に立っている説明板に、 近藤勇の墓の説明が書いてあります。 墓地はこの右の方へずっと奥に 歩いた所 |
左)これはちょっとおまけ。 上の天寧寺を探している時、入って行く 道の入口にあった田楽の店、 その名も「お秀茶屋」(笑)。 尚、豆腐田楽も名物です。 |
9/5 飯盛山(白虎隊記念館、さざえ堂)〜滝沢本陣〜七日町(レオ氏郷南蛮館、白木屋、末廣酒造)〜阿弥陀寺 二日目は朝食後、会津観光からは外せない飯盛山に行きました。ホテルから一番近いはいからさんの駅に行くと、そこは高台のホテル街と違って、昔ながらの東山温泉郷の中でした。河原沿いに並んだ、昔の風情の残る民宿や旅館と、射的場など如何にも温泉場らしい店があったりして、こっちにも泊まってみたかったな〜と言う感じでした。 さて飯盛山ですが、その入口もある意味有名ですよね(笑)。目の前にどーんと長い階段が聳えていますが、「歩いて登ると大変です♪」とアナウンスが流れていると言う。それでも階段を登る人の方が多い訳ですが、私は前日にできた靴擦れが痛かったのと(^ ^;、朝から物凄く天気が良くて、ここで汗だくになるのもどうかと思って、ベルトコンベアのようなエスカレーター(有料)で登りました。山の上は本当に、日焼けしそうな天気の良さでした。 飯盛山は御存知の通り、白虎隊がそこから市中の火事を見て、城が燃えていると勘違いして自刃した山ですが、そうした史実にまつわる細かい話を、そこに居るボランティアガイドの人が色々話してくれるので、とても面白かったです。元々会津戦争に関しては、私も母もかなりよく知っている方なんですが、流石に現地の方は細かくレアな情報をお持ちでしたよ。飯盛山はそもそも、三世紀頃の古墳があった墓地山で、今も昔も飯盛一族の私有地なんだとか。一日聞いていれば白虎隊通になれること受け合いです。と同時に、会津の辺りは弥生の昔から、有力者が住んでいたことも知りました。 また自刃の池と言う場所に、お城を見ている少年の隊士像があって、その方向が鶴ケ城だと書いてあるんですが、全然見えないんですよ。かなり大きな城なのに「変だなぁ?」と、集まっていた皆さん首を傾げていました。するとそこに立っていたガイドの人が、今はラジオ塔の影に隠れてちゃっている事を教えてくれました。会津は高い建物は無い方ですが、偶然そこに建物ができちゃったのは残念ですね(^ ^;。そんな感じで、疑問に思う事を尋ねると答えてくれるので、ボランティアガイドの存在はとっても有り難いものでした。 話は前後しますが、階段を登ってすぐ左には隊士の墓標が並んでいます。が、右には何だか、この場所には不釣合いな感じの西洋風の石柱があります。特にそれを気にしている人も居ないようだったけれど、妙だったので近寄って立て札を読むと、意外にも私が以前出掛けたイタリアの遺跡、ポンペイからの出土品でした。それがここにある由来は、そう言えば鶴ケ城にそんな話が紹介されていたな、と思い出せてちょっと面白かったです。 第二次世界大戦の前、日本はドイツ、イタリアと協定を結んでいましたが、その頃文化的な交流も結構行われていたらしくて、日本の忠義的な国民感情を表す話として、白虎隊の史実が伝えられたそうなのです。するとドイツ・イタリアの当時のファシスト政権には、「絶対的な忠誠」の理想的な話として讃えられ、その二ヵ国に広く知られる話になったそうです。で、称賛の証として、イタリアのムッソリーニが会津に贈ったのが、この紀元0世紀頃の石柱と言う訳です。裏に彫られていた文字は、戦後アメリカ軍によって削り取られたようですが、戦争の是非はともかく、日本に誇れるものがあったからこその遺物なんだなぁ、と思うと素直に嬉しく感じました。 そして、下山ルートの途中にも色々見るものがあります。まず白虎隊記念館ですが、大した広さはないのに展示品の数は多く、細かく見て行くと結構時間がかかる博物館でした。近代に近い歴史なので、残っている資料や遺品が多いのは当然かも知れませんが、教科書や雑誌の写真でしか見たことがない物の現物は、それなりにみんな迫力を感じました。新撰組関係では有名な、近藤勇の兜などが展示されています。 母は最近書道を習っていることもあり、中野竹子の書の文字に感動していました。女性の文字とは思えないような力強い字で、史実通りの人柄を現しているな〜と感じました。私は隊士ゆかりの人の写真等が面白かったです。流石にこの時代の人は、現代人とほとんど変わらない顔立ちだなぁ、とか。二階では簡単なアニメで、白虎隊の史実を説明するビデオが流れていて、休憩ついでに座って観ましたが、まあ修学旅行向けと言う感じで単純明解な内容でした。余談ですが、泉麻人のサインも置いてありました(山南敬助役だったけど、ここに来たのかな?)。 その後更に下山すると、白虎隊で唯一生き残った飯沼貞吉の、遺影が置かれた社のようなものがあって(飯沼貞吉の墓は自刃の池に行く途中にある)、またその先に重要文化財である建造物、さざえ堂があります。さざえ堂って、名前だけ聞くと「?」な感じですよね。入口のおばさんが歩く人に大きな声で、何やら大層な講釈をしているんですが、いまいち要領を得ないのが愉快です(笑)。でも外から見ただけでその構造は判りました。一本道の廊下を登って行くとその内下りになって、再び外に出てしまうと言う。巻貝みたいな形だからさざえ堂と言う訳ですね。 ただ、どうせ入って出るだけにしては入場料が割高だったので、中には入りませんでした。半額なら入ったのに、と言う感じです(^ ^;。それにしても、ガウディなどに通じるセンスの建物だから、重要文化財に指定されてるんでしょうが、ネーミングが悪いのか、何か真剣に捉えられない感じですね(笑)。この後もっと面白い事があって、そのせいで思わず笑っちゃう対象になってしまいました。 更に下山すると、地蔵稲荷等がある広場があるのですが、ここに石碑が立っていて、彫られている俳句に爆笑しました。 「天高し ピサの斜塔と さざえ堂」 何処の中学生の俳句だよ!?、と言う感じでしょう?。こんなのを立派な石碑にしちゃって、どう言うセンスなんだと思いました(^ ^;。母が「私でも作らないような句だ」と言った程です。ところがよく見ると、どうも有名な俳人の弟子に当たる人の作らしいのです。絶句しました、「これの何処がいいのか教えて!!」と心から思いましたわ(笑)。ちなみに「天高し」は季語です(パクリと言う訳じゃない)。 さて、そこまでで飯盛山の見所は終了となりますが、出口の近くに滝沢本陣と言う建物があるので、歩いてそこへ出掛けました。元々は会津藩のゲストハウスとして使われていましたが、会津戦争の折には松平容保がここで、戦闘の指揮を取ったのだそうです。なので「本陣」と呼ばれる、大きな茅葺屋根の家です。しかしここも、単なる家の域を出ていない割には入場料が高かったので、建物の中には入りませんでした…。まあ、さざえ堂も会津武家屋敷等もそうですが、劣化し易い日本の文化財を守る為に、お金が必要なのは解るんですけどね…。 バスを待つ間に、飯盛山の入口付近の店で売っていた、「蕎麦ソフトクリーム」を食べました。ほんのり穀物系の香りがして美味しかったですが、驚いたのは、暑さで溶けて手にダラダラ流れて来たのに、ほとんどベタつかないんですよ。砂糖が少ないのか、油分が少ないのか…?と言う感じでした。 この後は、またはいからさんに乗って、昨日は通過した七日町へ向かいました。七日町は地元のメイン市街で、知られた工芸品店や歴史ある店が並ぶ場所です。丁度いい時間だったのでまず昼食を食べに行きました。トランヴェールに紹介されていた豆腐料理店、「清水庵」に入ったのですが、郷土料理中心の定食も美味しい上、小さな釜で焚いてくれる会津米のご飯がとても美味しくて、酒どころのお米は何処でも美味しいんだな〜と感心しました!。 他、ホテルでは出なかったのですが、ニシンの山椒漬と言う郷土料理がとっても気に入りました。身削きニシンの料理は大概甘い味付けですが、これは酢漬けで甘味はほとんどありません。実は私はニシンが嫌いなので、生まれて初めてニシンを美味しいと思いましたよ(^ ^)。なのでお土産に買って帰りました。また棒鱈なども、関西の煮付けより甘さ控え目で、私には食べ易かったです。このお店は全体的に素朴で美味しかったので、お昼を食べるのにはお薦めです(但し早めに行かないと数がなくなります)。 昼食後は七日町のお店を見て歩きましたが、ここにある店鋪には、展示室を持っている所がいくつかあって、無料で見られるし、意外な発見もあって良かったです。その内、レオ氏郷南蛮館と言うお土産品店の、二階の展示室がとても良かったです(^ ^)。蒲生氏郷に関する史実の展示と、茶道具、美術品、当時のキリスト教の様子を伝える品があり、特に青木木兵衛作の茶道具は、母に取っては思い掛けない嬉しい展示品でした。と言うか、無料で見られる展示室にしては、かなりレベルの高い物が置いてあって驚きです。建物自体もレトロなガラス窓などが素敵でした。 尚、レオと言う名前は蒲生氏郷の洗礼名で、今大河ドラマ「功名ケ辻」に出ている、黒田官兵衛等と同じキリシタン大名でした。それをイメージして描かれた、傑作と名高い洋画屏風の写しがここにもありましたが、何と言うか、当時海外の事情を知る人はあまりいなかったのに、全く西洋的な絵で不思議な印象を受けます。それが金屏風に描いてあると言うのも。本物の方はサントリー美術館と、神戸市立博物館に半分ずつ収蔵されています。 またその後に行った、白木屋(飲み屋にあらず)と言う老舗の漆器店にも、漆器の歴史や作業行程を展示している部屋があり、人が横になれるくらい大きな漆桶など、なかなか面白い展示がありました。このお店は伝統的な漆器の生活用品の他、アクセサリーなど洋風アレンジの商品も多く、超高価なものからリーズナブルなものまで、色々あって楽しめるお店でした。店構えも丸の内の銀行のような重厚さがある、昭和初期の感じが素敵です。ちなみに母が茶事用に買った盃のセットは、五千円くらいでかなりリーズナブルでした。 その他、会津の知られた工芸品として、絵ろうそくの店、竹細工の店、備長炭の店などにも行きましたが、一番意外な買物と言えば単なる八百屋です(笑)。と言うのは、料理にふんだんに山菜を使っているのを見て、ここで取れるものなんじゃないかと思っていたら、案の定普通に地元産のものを売っていたので。乾ぜんまいは東京では異常に値段が高いんだけど、安かったので買って帰りました(軽いし)。 その後ひと休みする為に、末廣酒造に隣接しているカフェ「杏」に行きました。会津は日本酒の酒蔵が沢山ありますが、その伝統を生かしたお菓子を出しているカフェで、大吟醸シフォンケーキと酒ゼリーが知られています。私もシフォンケーキを食べる予定だったんですが…、ショップでお酒を買う際に試飲をさせてくれて、そこそこ飲んでしまったので、杏仁豆腐セットにしておきました(^ ^;。本物の杏仁豆腐で美味しかったです。母に少し食べさせてもらったシフォンケーキも、珍しいだけじゃなくて美味しかったですよ(^ ^)。頼んだ紅茶も正統なサーバーで出て来たし、酒蔵を改造した店内の雰囲気も良くて、とっても満足したお店でした!。 ところでここのお酒は全体的に辛口で、試飲するまで知らなかったのですが、辛口とは甘くないって意味だったのですね(^ ^;。私はこれまで文字通り辛いんだと思っていて、試飲してみたら水みたいに飲み易かったので、思わず自分用に極辛口のお酒を買って帰りました。ハハハ。尚、酒造所の中を見学することもできますが、そろそろ時間が迫っていたので見ませんでした。待合い室のような所には貴乃花の写真がありましたが、そう言えば相撲でよく見ますね、末廣。 さて、その後は沿道のお店を見つつ、七日町の駅の方に戻りましたが、最後に駅のすぐ近くにある阿弥陀寺に寄りました。新撰組の斉藤一の墓と、政府軍の人のお墓もある所です。しかし京都出身の斉藤(墓石は藤田五郎の名前)の墓が何故ここにあるのか、会津に関わっているとは言え何故?と思っていたら、戦後結婚した奥様が会津の方だったのですね。何処かでもらって来た資料に書いてあって、初めて知りました。勿論近藤の墓がある土地だとも知っていた筈です。また、このお寺の前には藤棚の道があって、花の時期はきれいだろうなーと思いつつ後にしました。 七日町の駅は、前に書きましたがかわいいログハウス風の駅舎で、中には駅カフェがあります。ソフトクリームの大きなディスプレイが置いてあって、駅よりカフェの方が大きい建物です。観光地だからそんな風にしているのかと思ったら、それだけじゃない事もすぐ判りました。会津若松駅へ行く為、只見線に一駅だけ乗ったのですが、時刻表を見たら1時間に1本くらいしか電車が来ない(^ ^;。しかも無人駅。なので駅としてより、カフェとしての方が大事な建物なんでしょうね…。 でもその時、学校から帰る高校生が次々やって来て、電車が来るのを待っていたので、それなりに使われている駅でもあるようです。しかしこんな電車で通学するって大変だな〜、でも学生はそのくらいの苦労をしなきゃな〜と、高校生達の様子は微笑ましかったです。自分も東京の田舎の高校だったので、昼間は1時間に3本しか電車が来なかった事など、思い出していました(ラッシュ時は7分に1本くらい来るけど)。 会津若松の駅では、キオスクでお弁当を貰わなければなりませんでした。JRの切符セットに付いているもので、ホテルであらかじめ予約しておくのですが、適当に「あいづふるさと弁当」と言うのと、「会津健康奨励弁当」と言うのを注文。でもこの時、結構飲み食いした後だったので、「いつ食べようか〜?」と困る感じだったのです。結局郡山で新幹線に乗ってから食べましたが…。 不思議と、空腹を感じない時でも食べられてしまいました。お弁当自体が意外に美味しかったこともあるけど、思い返すと会津の料理はいつも、あんまり食欲ないなぁと思いつつ、何故かきっちり食べられるんですよね。脂っこい物やしつこい味のものがなく、さっぱりしているせいだと思いますが、かなり不思議な体験でした。また食べ終ってお弁当の箱をよく見たら、何処かで見たメーカーの名前がありました。実は清水庵で買ったニシンの山椒漬を作っている所で、清水庵の食事が美味しかった事を考えたら、何だぁ!と言う感じでした(^ ^)。鮭のじゅうねん(エゴマ)揚げが美味しかったです。 |
左上)飯盛山入口。 右のゲートがコンベア乗り場 右上)ポンペイの出土品と言う 神殿の柱 左)ベルトコンベアロードからの景色。 夏は物凄く涼し気でいい感じです |
左上)隊士の墓石が並ぶ場所。 奥に映っているのはうちの母… 右上)飯盛山の上からの眺め。 真ん中より少し右の方に、水色のラジオ塔が あるんですが… 右)その方向を見ている隊士像 左下)ちょっと写真に撮りにくいさざえ堂。 しかも天気が良すぎ 右下)滝沢本陣入口 |
左)七日町の駅。この日はのぼりが 立っていて、尚駅らしくない(笑) 左下)レオ氏郷南蛮館。 建物もレトロ調で目立つ 右下)その2階展示室。 展示品は撮影禁止なので、 このステキな窓を撮ってみた |
左)末廣酒造外観。 左の白い蔵がカフェになっている 左下)カフェの内部。 インテリアの和洋折衷具合が 妙に落ち着ける空間になってます 右下)大吟醸シフォンケーキ!。 チョコレートソースがとても合ってる |
左上)阿弥陀寺。 写真は左側で、右の方に藤棚と正面入口。 政府軍の墓地はこの奥にありますが、 齋藤一の墓だけはこの写真のすぐ手前 右上)齋藤一の墓。 見たからどうと言うものでもないけど 左)ホームに入って来る只見線。 松本清張の小説に出て来るとかなんとか… |
そんな訳で、今回はたった二日だった割に、面白い事、勉強になる事に色々触れられて、天気も良くてとても満足な旅行でした♪。またオフシーズンの平日だと言うのに、それなりの数の観光客が歩いているのは、本当にメジャーな観光地の証ですね。それだけに整備されていて見易く、気分良く過ごせる町でした。近いのでまた何れ出掛けたいと思います。 そう言えば…、ここの御当地キティには白虎隊キティ、柿キティ、野口英世キティがありましたが、北海道の強烈さを超えるものは見なかったです(笑)。最近はドラえもんシリーズもあるんですね〜。 |