■京都/天橋立旅行記(2005.11/21〜23)
 今回の旅行は、旅行と言うより親類の家からちょっと足を伸ばしただけ、と言う感じですが、トルーパーゆかりの場所に折角行って来たので、ちょっとだけレポートしておきます。
 旅行期間は11/21〜23の三日間で、中日の22日にJR西日本の切符セットで天橋立に行きました。


11/21  大阪・住吉周辺
香雪美術館
 茶道にゆかりのある美術品を集めた美術館で、一定の時間で見て回る分に丁度良い広さで、くたびれないし、収蔵品もまとまっていて、建物もとても雰囲気の良い所でした。名前の「香雪」とは、この美術館のコレクションを集めた方の号(茶道家としての名前)で、朝日新聞大阪本社の創設者だそうです。美術館の横にこの方のお宅があって(今は子孫が住んでいる)、これがまた明治〜大正期頃の洋館風の家で、暖炉のあるステキな建物なのです!。美術館の周辺自体が、それに合わせたお洒落な公園のようになっていて、東京の町とは少し違う、関西の高級住宅街を楽しめる環境でした。
 展示の中には、伊達家伝来の香合(お香を入れる容物)など、歴史的な物もありますが、江戸前期に活躍した本阿弥光悦の書と、俵屋宗達の絵のコラボ作品など、見目にとてもきれいなものが多いのが良かったです。天皇一族の和歌の短冊集も、短冊本自体がとてもきれいな装丁で、また天皇家の方々は流石に教育が良いと言うか、皆さん物凄く字が上手いのに驚きました(笑)。「こんな字を書いてみたいもんだ」と、母や叔母と話しながら観て来ました(^ ^;。

評判の豆腐屋らしいんですが…
 初日はこの他は、大した場所には行かなかったのですが、住吉駅の近くにおいしいと評判の豆腐屋があって、そこで少し買い物をしました。人気店なのに店の人が非常につっけんどんと言うか、愛想がなくて怖かったです…。質問をしてもまともに答えてくれないんですもの…。
 でも豆腐自体は本当に美味しかったです(苦笑)。胡麻のない胡麻豆腐と言う感じの、とても舌触りがなめらかで柔らかいもの。またこのお店には珍しい「豆腐もどきデザート商品」が沢山あって、黄色いマンゴー豆腐とか、紫色のブルーベリー豆腐とか!、ちょっと気持悪いものもありました(^ ^;。その中に「杏仁豆腐」と言う疑わしい商品があったので、杏仁豆腐マニアの私は勿論ひとつ買ってもらって、その晩早速叔母の家で食べました。…まあ、予想した通り「杏仁味の豆腐」でした(マジ)。豆腐のデザートとしてはそれなりに美味しいですが、杏仁豆腐と思って食べない方がいいです(笑)。

関西の町を見て思った事
 叔母の住んでいる西宮の甲子園口周辺は、もうず〜〜〜っと昔、幼稚園児の頃に一度行ったきりだったので(ここの家族は転勤続きだった)、初めて見たような印象でした。家自体はアーケード商店街の真ん中にあって、すごく賑やかで便利そうな場所だったのですが、少し歩くと西宮の閑静な住宅街があって、静かでとてもきれいな町でした。むしろきれいすぎると言うか、新しい家が多いと思ったら、やはり震災で壊れた家を建て直した方が多いそうです。


香雪 左)香雪美術館の前庭。
すぐにも野点ができそうな風情。

美術館の横は、茶花をはじめ、
ちょっとした植物園にもなっていて、
植物の名前を見ながら歩ける。



11/22 天橋立〜西舞鶴
 叔母の家から天橋立へはこんなルートで行きました。
 甲子園口からJRの在来線に乗って尼崎へ、尼崎から特急・北近畿に乗って福知山へ、福知山から特急・はしだて号に乗って天橋立に到着、です。尼崎から福知山に行く途中、福知山線の事故現場を通過しました。この時にはもう閑散としてしていましたが。

天橋立に来たのはいいけど…
 天気が曇っていたせいか、風が肌寒くて散策にあまり向かない天気だったのが、とにかく残念でした。晴れている時は、宮津湾の対岸の町の景色が見えるそうですが、この日は白く霞んでいて寒そうで…(T T)。景色全体が白っぽかったのは、この時期だからだそうです。海水浴場等のレジャー施設がある通り、ここには暖かい季節に来るのがベターだと思いました。抜けて行く風を気持良く感じられる季節に、のんびり散歩するのが一番いいんじゃないかな。
 まあそれでも、天橋立に降り立った実感は充分味わえました。橋立自体を歩くだけでは、天に繋がっているような景色は見えないですが、松林の間から見える静かな海や砂浜はとてもきれいでした。萩でも思ったのですが、日本海側の海の景色は何処もきれいで好きです。だからか、その場に立って「この砂浜に天空が落ちて来たのね」とか、「ここに螺呪羅が待ち伏せしてたのね」とかは思い付きませんでしたわ(笑)。
 さて天橋立には、あさり丼で有名なはしだて茶屋がありますが、食べてみたいと思いつつ、昼食の予約がある為食べられませんでした。何もしないのは悔しいので、無理矢理「知恵団子」を買って食べましたが(苦笑)、見た目のボリュームに比べて軽い団子で、少し甘いお餅に甘い赤味噌のたれが掛かっていて、暖かいので寒い中では美味しかったです。
 その昼食の予約と、この日もう一ケ所観に行く他の場所の為に、天橋立を歩く時間があまり取れなかったのが、私はかなり不満だったんですけど…。同行した母や叔母はが天橋立に来た目的は、むしろ昼食の方だったのでしょうがない(笑)。まあ結論ですが、天橋立をただ景色を見るだけの場所として来るのは、あまりに老人趣味なので(^ ^;、歩いたり自転車に乗ったりして、遊べる時期に行くべきだと思いました…。

私以外の人の目的
 さて昼食の予約を取っていたのは、玄妙庵と言う、この辺りでは最高級クラスの旅館でありまして、今の天皇陛下が皇太子だった頃に、訪れたらしき写真等が飾ってありました。この旅館の昼食プランを選んだのは、単にJRのパンフに載っていたからですが、思い掛けず良かったのはロケーションです!。多くのホテル等と違い、ここだけ小高い山の上に建っている為、天橋立を眺めるには一番良い条件の立地でした。窓から本当に遠くに続いて行くような、橋立の景色が一望できて満足でした。
 ところで、この時期天橋立で食事と言えば松葉ガニです!。うちの母などはカニを食べる為にここに寄った、と言ってもいいくらいで(笑)、とにかくこの時期はカニ一色のシーズンなのです。ただ、JRのパンフで紹介されていた幾つかの写真を見た際、カニがメインでも他の料理が沢山付くような、ありがちなリーズナブルプランは嫌なので、シンプルな写真で高価だったこの旅館を選んだら、それが大正解でした。高いだけあって美味しい地元産の松葉ガニを、丁度良い量で食べられてとても良かったです。特に美味しかったのは七輪の上で焼いた焼きガニ。その次が差し身、その次が雑炊って感じです。差し身はエビに比べるとねっとり感がなくて、私はこの方が好きだな〜と思いました。
 …と、如何にも美味しい♪楽しい♪と過ごしたような記述ですが、実は食事の途中から私には大変な事が…。外が寒かったと書いた通り、ずっと冷たい空気の中を歩いていて、この旅館に来たら暖房が強めに入っていたのです。しばらくは何ともなかったんですが、食事の途中で寒暖の差によるアレルギー鼻炎が発動(T T)。食事中は鼻呼吸するのが普通ですが、途中からもう物凄く辛い食事になってしまい、美味しいんだけど充分に味わえないような、悲惨な事になってました。この季節の旅行中に、鼻水が止まらない事態になるとは油断してました…。

タンゴ鉄道に乗って西舞鶴へ
 昼食後、母が行きたがっていた西舞鶴へ行く為に、いわゆる第三セクターのタンゴ鉄道に乗ったのですが、その前に、私のアレルギーを止める為に薬屋を探したのです。ところが地元の人に聞いたら、「ここにはない」と言われてしまいました(; ;)。天橋立周辺には薬屋が1軒もないんです!、ホントに。それだけ健康な方の多い町なのかな?、等々思いながら西舞鶴の町で購入することにしました。
 タンゴ鉄道はのんびりしていて、車内の様子も景色も、旅の風情がいっぱいな電車でした。旅行気分を味わえる乗り物として申し分ないのですが、アレルギーが止まらない私には、それもいまいち楽しめなくて辛かったです…。しかもこれが結局帰るまで続いてしまって散々でした。
 西舞鶴は如何にも鄙びた漁師町、と言う感じの町でしたが、駅から繋がっているアーケードの店が、殆ど閉っていたのにはちょっと驚きました。休日ではない筈なのに、この寂れようではもしや、教えてもらった薬屋もなくなっている可能性が…、と不安になる程でした。まあ薬屋さんはありましたが、買って飲んでも結局効かなかったので、ただただ時間の無駄だったなぁと…。

田辺城
 歴史小説好きな母が、舞鶴に来たがっていた理由であるお城です。今NHKで放送している「功名が辻」にも登場している、細川ガラシャ(明智光秀の娘)が嫁に行った、細川家のお城(城跡)です。残念ながら当時の古い建物は残っていないですが、資料館とお庭(心種園)があって、特に庭は広々としていて造型がとても良かったです。時期的に紅葉がとてもきれいで、付近の人は城址公園として普通に歩いている、ゆったり感も良かったです。
 この隣に小学校があるんですが、学校を囲む木塀が素敵な感じに古めかしく重厚で、木の扉はまるで寺社の山門みたいだったので、はじめ小学校とは気付かなかったのです。説明の立て札を読んだら、過去は「明倫館」と言う藩校のあった跡で、歴史のある塀を残して学校だけ建て替えた、と言う場所でした。こんな学校に通える子供はいいなぁ!、と普通に思うくらいカッコ良かったです(^ ^)。

再び天橋立に戻って来たが…
 タンゴ鉄道で戻って来たのですが、夕方5時頃になるともう、天橋立周辺の町は真っ暗。観光客の姿も殆どなくなり、お店もすっかり閉っちゃって、満足にお土産を買う事もできない状態になってました…。こんなに早く人がいなくなるとは思わなかった。普通の観光地は夕食頃までは賑わっているけど、景色が見えなくなる時間にはもう居る価値がない、と言う感覚なんでしょうか〜。帰りの特急が来るまで30分は待たなきゃならなかったので、お茶でも飲みたいと思っても、飲食店らしきお店は皆無、大型ホテルの中にさえティーラウンジ等がないのです!(- -)。
 まあ、日本三景としてメジャーな場所ではあるけど、町自体は古いタイプの観光地です。近代的な設備は本当になくて、泊まり客は年輩層ばかりなので、利便性を求めてはいけない…そんな教訓を得たような感じでした(苦笑)。
 ついでですが、天橋立名物「智恵の餅」については、試食してみたら伊勢の「赤ふく」と大差ないようなもので、日持ちがしないので買いませんでした(^ ^;。尚、何故この辺り一帯が「智恵」に縁があるかと言うと、地名が宮津市文殊と言うくらいで、町中に七福神の文殊様を祭った場所があるからでした。智恵の餅以外は特にこれと言ったお土産品はないですが、丹後ちりめん等の和服地は今でも有名なようです。

以上、色々あった天橋立でした…。



駅 天橋立
天橋立海岸 松林
左上)タンゴ鉄道天橋立駅

右上)玄妙庵から見た天橋立。こういう景色はここか、
反対側の公園からしか見られないそうです

中左)天橋立の砂浜。
ちょっと寒々しいけど、夏は海水浴場です

中右)アニメにも描かれていた松林。
左奥に「はしだて茶屋」が見える

左)天橋立の波打ち際の風景。
どうでもいいムービーだな(笑)

文殊様 田辺城門
上)天橋立の「智」のシンボル
文殊様が祀られている
右上)田辺城趾公園の門

右)城趾。現在は土台の石垣のみ

左下)資料館の大きなジオラマ。
見ていて飽きない。他に鎧甲などもある
右下)田辺城のお庭。今回の旅行中、
一番綺麗な庭だった
田辺城趾
ジオラマ 田辺城庭



11/23 京都・智積院〜河井寛次郎記念館〜高台寺
 さて、最終日は秋の京都へ出掛けました。この日の朝、ニュースで嵯峨野の天竜寺の紅葉を紹介していて、天気が良さそうなのは嬉しかったけど、祭日なので観光スポットが混みそうなのはやや不安でした。でも実際に行ってみると、母が行きたがっていた東山〜清水方面は比較的ゆったり観られました。恐らく大混雑していたのは嵐山方面です(ニュースになるくらいだし)。アレルギーも治まってくれたので良かったです(^ ^;。

智積院
 京都に着いて最初に出掛けたのは、真言宗の総本山と言うこの寺院です。元は豊臣秀吉が建てた、祥雲禅寺と言う禅寺だったそうですが、幾度かの火災で焼失し、今は比較的新しい建物になっています。ただここには火災以前から残る庭や、国宝の長谷川等伯一派の襖絵が展示されているので、それを観に行きました。
 展示室にあったのは、教科書に紹介されている有名な襖絵数点で、まず作品のあまりの大きさにびっくりします。1枚が現代の家の襖の2.5倍くらい、それが4連になって1つのキャンバスになっていると言う。だから描いてある絵自体が大きく、金箔の上に和彩でひと筆で描いた草木の、美しさや力強さが実際に実物を見るとよくわかりました。この智積院には最近建ったばかりのような棟があり、そこには現代の日本画家の襖絵もありましたが、何かこぢんまりしていて迫力が全然違いました。
 そんな訳で、如何にもきらびやかで、桃山時代の特徴的な芸術の本物を見る事ができました。

面白い!河井寛次郎記念館
 さて、この方の名前を知っている人は、多分あまり多くないと思います。私も知らなかったんですが(^ ^;、大正から昭和にかけて活躍した陶芸家です。もう完全に母の趣味ですが、その記念館が智積院の近くにあったので行きました。中の展示を語る前に、細い路地を入ると現れるその建物がとてもステキで、典型的な京都の町家らしい佇まい、黒い木の壁が印象的な記念館でした。ここがこの方の自宅だったそうで、当時のままの姿を残しているようです。
 そして一歩入ってみると、中は町家の内部とは思えない、不思議で暖かみのある展示でいっぱいでした。陶芸家ですから、当然御本人の作品の展示、当時の様子そのままに見せている工房や、この家の裏に作られた上り釜など、陶芸の好きな方には見所が沢山ありますが、それ以上に面白い物が沢山あるのです。陶芸家と先に書きましたが、実はこの方調度品(家具)のデザイナーとしても知られていて、今見てもモダンで重厚な箪笥や棚、座り易さを考えてデザインした椅子など、日本の古き良きデザインを楽しめます。年の若い方が多く観に来ていたので、インテリアデザイナーとして海外に紹介されている人、と言う知識がデザインの分野ではあるのかも知れません。
 更に、この方は色々な物のコレクターでもあったようで、眼鏡のコレクションだの、パイプのコレクションだの、大正から昭和初期のお洒落なグッズが、数多く展示されていたり、更に本の執筆もされていて、棟方志功の版画が表紙になった貴重な本など、とにかく様々な物があって退屈しない記念館でした。陶芸や立体デザインに関心のある方は、行ってみる価値が充分にあると思いました(^ ^)。

清水寺を下から眺める
 その後適当に食事をした後、大谷本廟の横を抜けて清水の方へ行ったのですが、この大谷本廟って、何故か戦死者の墓標が沢山あって、刻んである文字を読むと内容が仰々しくて、ちょっと面白かったりしました。そして清水の下の広場に出たのですが、朝、嵐山方面の紅葉は今が見頃と言っていたのに、ここはまだもう少しと言う感じで、距離は近くても違いがあるもんだな、と思いました。出店の茶屋で甘酒を飲みましたが、正統派な麹の甘酒で美味しかったです。それと、広場には「なんちゃって舞妓さん」が沢山いました(笑)。一定時間その格好をさせてくれるサービスは、聞きしに勝る人気のようでした。
 ところで私は京都には、中学の修学旅行で一度来ていて、その時清水にも来たのですが、上から下を眺める景色しか知らなかったので、下の広場から見上げる、紅葉の中の清水がとてもきれいな事を今更知りました(^ ^;。しかも修学旅行の時は修復工事中で、集合写真の背景にクレーンが何本も映ってたり…。そんな意味でも、まともな景色が観られて良かったです。

産寧坂から二年坂の辺りは案の定…
 清水寺の下の道を歩いて、商店で賑わう産寧坂へと出たのですが、流石にこの辺りはもう、休日の竹下通りのような混雑状態でした。ここで買い物をする予定はなかったので、陶器店やお香の店くらいにしか入りませんでしたが、松栄堂と言う香の老舗の本店には、今流行しているリラクゼーション目的のお香から、母が買った茶事用のお香まで、沢山の商品が揃っていて楽しかったです。東京にも支店がありますが。
 坂の途中の店では、八つ橋シュークリームなるものを売っていて、気持悪〜と一瞬思ったんですが、店の周辺で多くの人が、外国人の集団までそれを頬張っているのを見て、ひとつだけ買ってみました。食べてみるとニッキの入った香ばしいシュー皮と、甘さ控え目でたっぷり入ったカスタードの調和が、とっても美味しいシュークリームでした(^ ^)。本当の八つ橋よりよ私は好き!ですが、持ち帰れる性質のものじゃないのが残念です〜。

高台寺
 二年坂から、観光スポットとして最後に寄った高台寺は、秀吉の奥方、ねね様の霊廟がある事で知られていますが、うちの母の目的は、千利休が建てた重要文化財の茶室の方でした。ただ、ふたつある茶室は雨風による劣化が進んでいて、茶道に関心のない方には、ただの汚い小屋にしか見えないのが残念でした。夕方で暗かったこともあり、内部が見えにくかったので尚更です。「傘亭」の傘のように組まれた天井など、もっと明るい状態で見たかったです。
 でもこの茶室のある山から見た、高台寺周辺の紅葉はとてもきれいでした。下の庭園も良かったですが、鷲峰山(じゅぶざん)から見下ろした風景が一番印象に残りました。そう言えば、霊廟(霊屋)へ行く列に並んでいた隣の人が、「開山堂から霊屋へと上る渡り廊下を以前は渡れた」、「霊屋の中の秀吉とねねの像がある部屋に以前は入れた」、と教えてくれました。高台寺全体の老朽化で安全に問題があったり、展示物に触れられる事での劣化を防ぐなど、今は以前に比べ大らかな状態ではないんだな、と感じます。特に日本の歴史は木の文化なので、傷んでしまう物が多いのは仕方がない。近くで観られなかったのは残念ですが、まあできる限り守り続けてほしいですね。
 しかしねね様の像の下には、その亡骸が入っていると言うのですが、本当なんですかね〜?。舎利殿じゃないけど、一部の骨くらいしかないんじゃ…と大いに疑って(笑)高台寺を後にしました。

私の好物の専門店へ
 京都駅にタクシーで戻る途中、五条大橋の近くにある、生麩で有名なお店を叔母に案内してもらいました。私は麩や湯葉のような食べ物が大好きで(笑)、京都に来たら本当は精進料理を食べたかったんですが、その分お買い物をして帰ることにしました。「半兵衛」と言うお店ですが、ここもまた黒々とした町家の外観を残した、ちょっと見付けにくい小さなお店です。知る人ぞ知る有名店らしく、いつも店内には客の姿が絶えないし、帰る時間が迫っているのに駆け込んで来る人など、常連客も多いようです。
 買って帰った生麩製品は、家で田楽風にしたり煮つけにしたりしましたが、もっちりしていて本当に美味しかったです(^ ^)。生麩は冷凍しておけるので、帰宅してからかなり長く楽しめました♪。


智積院 智積院の中
智積院の庭 左上)智積院の入口。
紅葉がとてもきれいで、シーズン
なのに静かなお寺でした

右上)同じく秋の智積院。
奥の建物は妙な配色だった…

左)有名な智積院のお庭。
解説テープが流れている
右)河井寛次郎記念館外観。
町家のたたずまいそのままの感じ

左下)河井寛次郎の工房。
ほぼ当時のまま、ろくろや道具が
展示されています

右下)記念館のメインホール。
元々居間だったらしく、大正レトロの
素敵な家具がいっぱいです

河井
工房 建物の中

清水寺 高台寺
高台寺の庭 高台寺通路
おまけ 左上)見上げた清水寺。
まだちょっと紅葉の色が薄かった…

右上)高台寺の入口

中左)高台寺お庭。山の上なのに広々していて
紅葉も良かったです

中右)今は通行できない「臥竜廊」。
本当に竜が寝そべっているような造り

左)まあちょっとおまけ(笑)
高台寺は秀吉(と言うかねね)の寺なので、
「羽柴」の名前がいっぱい見られます



 と言う訳で、何となく三都物語のような旅行でしたが、最後の京都で「延暦寺の消えずの灯明」を見て来なかったのが、ちょっと悔やまれる結果となりました…。ルートを作る段階に参加していれば良かったです。でも母がこれからまだまだ行く!と言っているので、まあまだ機会はあるでしょう。